王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

音楽劇『銀河鉄道の夜2020』感想メモ(9/20)

音楽劇『銀河鉄道の夜2020』を観劇しました。
とても素敵な、祭りの夜を過ごしたようでした。


以下、ネタバレなしの感想です。



・ジョバンニ&カムパネルラの佇まいが非常に令和的。「2020」というだけあって今ならではの若者像に思える。
少年らしさは全面には出ておらず、むしろ青年のような向きもあり、ところどころで宮沢賢治と保阪嘉内の関係性を彷彿とさせる。



・描写順序の再構築により浮かび上がるザネリの物語が秀逸。米津玄師の『カムパネルラ』で銀河鉄道の夜やザネリ、カムパネルラに興味を持った人にぜひおすすめしたい。



宮沢賢治の世界が、複数の他者により言葉や歌や音楽やセット、照明効果などへとそれぞれに変換出力されている。それらが縒り合わさってまたひとつの舞台となっているのだが、その出来上がりが「つなぎめのない綺麗なひとつ」ではなくガチャガチャしているのが面白い。そこに宮沢賢治の描く世界のでこぼこした手触りが確かに再現されており、どこか祭りの夜のような空気感が生まれている。
音楽好きの宮沢賢治がこの生演奏の音楽劇を観たらなんというだろうか、と想像しながら見るのも面白い。









以下、ネタバレありの感想です。
薄い知識で適当なこと書いてすみません。
知ったかぶりですみません。



● 脚本
脚本がすごい。ここをここに重ねて繋げるんだー!!!と何度も感動した。特にザネリの物語を真ん中に据えたことでドラマチックに、かつ、観る側の感情のやり場ができている。原作にない台詞も世界観の中で雄弁に響いてる。



● 令和の二人組
木村さんジョバンニ&佐藤さんカムパネルラの佇まいの令和感がすごい。二人が舞台上で少しだけ浮いている(そこがいいんです)。彼らより上の世代の創り手の方々が「それでいく」と決めたことがすごいし(他の世代が特定の世代の傾向を良しとしないことってたまにあるような気がして。)、実際に二人の醸し出す令和感を内包して見せる作品と演出の懐の深さに驚くし、嬉しいし、白井さんってすごいんだなって……
演出の指示でもっとエモーショナルにもなっただろうけど、個人的にはこれでこそ「2020」にふさわしいと思いました。
2020の今、銀河鉄道の夜をやるんだものね!!!
しかもそんな二人が楽しそうに話すところは宮沢賢治と保阪嘉内を彷彿とさせるっていう。大学時代の二人もこんなふうに語り合っていたのかなあと。気の合う仲間がいる喜びは令和も大正も変わらないのだなあと感じるとても良いシーンだった……ここは彼らが令和的であるからこそ光るシーンなんですよ!!!!時代性と普遍性。



● ザネリとタイタニックの青年とサソリ、そしてカムパネルラ
これらの要素をひとつのシーンに重ね合わせたのほんとびっくりしました、なるほど、なるほど、なるほど……!!!ってなるほどばっか思ってた。あそこが山場の一つとなってとても見やすくわかりやすく、しかし本質は失わずで、すっごいなあ……赤い照明弾の使い方とかもグッときてしまいました。「わかりやすい」が「わかりにくい」より優れているわけではないけど、こうして誰かの視点から整理されたものを提示してもらえるのはひとつの作品を理解しようとする上でとてもありがたいことだと思いました。論文みたい。
宮崎さんのザネリと青年は本当に素晴らしくて、ジョバンニとカムパネルラに比べて彼は平成のお芝居で私にとってすごくわかりやすかったんですよね。古いとかどちらがいいとかそういう話ではなくて、うまく違いを言葉にできないので年号使って仮に表現してるだけなんですけど。宮崎さん、身体の使い方もうまくて溺れているところも演技と約束事を違和感なく両立させていてすごい。


● また令和の話
そして、そんなザネリと並ぶ時ジョバンニとカムパネルラは圧倒的に令和だなと……令和ってなんですかね……自分で言っててよくわからないんですけど、なんか、受動性……というか、「感情や言葉を表出だけに頼っていたらあまり何も出てこない感じ」?いや令和を生きる若者がそうだって言いたいわけじゃないです。とにかく二人が同じような存在感だったのでザネリとの対比がよく出てたなって事です……
ジョバンニは感情に振り回されるしかなり表にも出してるんですけどね。なにか独特な波長があって、不思議です。




● ザネリとジョバンニ
で、その対比が特に終盤でめちゃくちゃ効果的なんですよね。
ジョバンニは負の感情はわりとぽろぽろざらざらとこぼれ落としてそれ以外のところは結構借りてきたような言葉で喋るんですけど、最後ザネリに対しては、抱き締める……というかザネリの身体と心と発している言葉を「抱き留める」という行為で何かを伝えようとする。言葉はあとで、身体が先に動いた。ただ、借りてきた言葉たちがあの時彼の身体に染み込んでいるのが姿からわかるんですよね。そこにアメユキの「手足」ってすごい組み合わせだなって……
宮崎さんの演技、ザネリが本当はなんと言いたかったか、言葉に出せていないのに手に取るようにわかるし、それに対して木村さんジョバンニも言葉では返さず行動で受け止める。ジョバンニは感情表現や喋りが上手くなったわけではないけど、そこには確かに言葉を超えた対話が存在していて、ザネリがジョバンニに「受け止められた」ということがはっきり伝わってくるシーンになっていて、すごく良かったなあと。
ジョバンニらしさを失わず、しかし何かが変わったというのが見て取れた。あそこで対話が見えてこなかったらすべて台無しになってしまいますからね……
そして最後に、カムパネルラが自分の要望をジョバンニに言葉で伝えるという。佐藤さんのカムパネルラはどこか心ここに在らずで、それがこのシーンではちょっとイメージが変わって。あれは自分の気持ちを探していたのだな……と。



● 赤
そういえば、私は宮沢賢治作品には青とか白っぽいイメージが浮かぶんですけど、この舞台では赤がとても印象的に使われていたなあと。さそりの火、りんご、からすうり……確かにこの話には最初から赤の要素がたくさん散りばめていたのだと気づきました。この舞台本当に気づきが多かった。
宮沢賢治の生と死が隣り合わせのような「青」に対して、この舞台の生命が燃えているような「赤」は、原作とは少しだけ違うジョバンニの「生きていく」決意の象徴みたいだなと。



● 標本
ジョバンニが大学士にも鳥捕りにも「標本(にするん)ですか?」って聞いてて驚いた。しかも両方否定されてる。彼は最初の方でお父さんが寄贈した標本の話もしてるんですよね。ジョバンニにとっての標本というもの、とても示唆的だったのだなあと。標本にするのではなくて、自分の中に取り入れるのだ、存在を証明するのだと彼らは言う。
木村ジョバンニが無邪気に聞いててすごくいい反復感が出てました。


● 二人が似ている話
木村ジョバンニと佐藤カムパネルラ、たまにしぐさがシンクロしててちょっと可愛らしかったです。背格好も衣装も似てて、もし髪型が同じだったら私は見分けがつかなかったと思う。「二人が似ている」ということについてはいろいろな解釈ができますね……
あとジョバンニがカムパネルラのことめちゃくちゃ好きだなっていうのが表情や仕草ですごい伝わってくるんですけど、カムパネルラもカムパネルラで結構ジョバンニのこと好きだなって目線とかから感じられたりするのがすごく良かったです。
でもそれが「二人が似ている」ということによって「このカムパネルラはジョバンニの生み出したカンパネルラではないか」みたいな気持ちに度々なりましてうっすらしょんぼりしました。
それにしても二人の距離感が絶妙でしたね……ジョバンニのやや一方的な感じが宮沢賢治もこうだったのかなみたいに思わせたりとか。



● ジョバンニの孤独
作品紹介の「孤独な少年ジョバンニ役」という説明があまりピンときてなかったんですが、劇中のジョバンニがあまりにも孤独で……脚本が用意した孤独に演出とお芝居が見事にこたえている……結構えぐられました。
窓の幻灯に映る人でしたっけ?を聞かれておかあさん、おとうさんしか出てこなかった場面、親しい人が家族以外にいない、そして家族にも全てを話せるわけではない、ということがよくわかる描写でつらい。そういう種類の孤独ありますよね…………
しかも後半の女の子からりんごをもらうシーンで食べたあとちょっと涙拭ってて、「もしかしたら『カムパネルラ』でなくてもよかったのかもしれない、とにかく誰かとこうして心を通わせたかったのかもしれない」と思わされまして、より孤独が深まったなと……



● カムパネルラの孤独
私はカムパネルラのことがよくわからないんですけど、この舞台はカムパネルラの迷いや、ひょっとしたら彼の抱えていた孤独についてにも寄り添っているような気がしたので、次見られたらそこに注目したいと思いました。佐藤さんのカムパネルラは、電気が流れたり流れなかったりする感じがまさに「明滅する青い照明」といった感じでとても良かった。



● 鳥捕り
ジョバンニカムパネルラと鳥捕りさんのシーン、昭和のおじさん(めっちゃいい人)にからまれた令和の若者みたいですごい好きでしたね……宮沢賢治があそこで描いた戸惑いや居心地の悪さやわからなさって、本当にその類のものも入ってたんじゃないかってちょっとだけ思った。




● 木村さんのジョバンニ
こんなプレーン(プレーン?)な木村さん見たの初めてでは…!?と思った。割と低めの声だったのが意外で。もっと少年らしい声色も出た気がするけど、そうじゃなかったことで(カムパネルラの佐藤さんも同じくそんなに高くしてなかったので)何度も書くけど大学時代の宮沢賢治と保阪嘉内っぽさがあったなあと。
賢治の友人であった保阪嘉内はカムパネルラのモデルの一人とも言われているらしいんですけど、子供の頃に描いた彗星の絵を賢治に見せたみたいな話があって、そのエピソードが劇中ジョバンニとカムパネルラが天の川の話をしてるシーンと重なって見えたんですよね。。あれはなんだかとてもとても大切にしたいシーンですね。
(そういえばそのシーンで、ジョバンニ自身が「銀河鉄道」という言葉を発したことでそれが彼自身の中から生まれた幻灯的なものであるという印象が原作よりもやや強めになったように思いました)
しかし青年ぽいと言いつつ、木村さんの破顔や涙は少年性の発露のようであり、その縦に連なる二面性にぐっと心を掴まれました。



● 牛乳屋さんのシーン
「牛乳瓶に暴れん坊が入っていました」みたいなジョバンニの台詞あったじゃないですか……?あれ、原作にはない気がしたので宮沢賢治の詩なのかなと思ってググったんですけどよくわからなかったんです。でも、あそこの台詞が、この日観ていて一番前のめり(気持ちの中でだけ)になったところでした。言葉の発し方めっちゃ良かった。びっくりした。声色も感じもジョバンニの地の台詞と変わらないのに始まった途端ぞくぞくしました。空気がチリッとした感じがした。あれなんだったんだろう!
「かぷかぷかぷ」みたいなことも言ってたような気がしたんだけど、木村さんの発話とそのオノマトペ最高の組み合わせかよと思いました。
宮沢賢治の作品はちょっとしか知らないんですけど、個人的には「物語によって巻き起こる五感への刺激を(誰にでも)再現できるように文字に残すことに心を砕いた人」というイメージがあって、だからこそのハッとするようなオノマトペの数々が出てくるんだと勝手に思ってて、
「やまなし」の「かぷかぷわらった」とかその最たる例じゃないですか。「にこにこ」とかではなく「かぷかぷ」で、これを口に出した時の感触とそれが耳に入った時の刺激によって笑い方を再現しようとしていて、しかもこの「かぷかぷ」は「カプカプ」ではなく「かぷかぷ」でこの見た目によって雰囲気を再現しようとしているみたいなそのこだわりの宮沢賢治オノマトペを固めの音の発音が明瞭な木村さんが言うっていうのめっちゃいいねって思いました。
ジョバンニの台詞のそれは宮沢賢治の言葉なのかどうかも平仮名なのか片仮名なのかローマ字なのかもわからないんですけどね。
なんか中原中也っぽさもあったのでいつか中原中也の詩も発音してみてほしいと思いました。



● ケンジとアメユキ
アメユキさんが「あめゆじゅとてちてけんじゃ」と言ったのを聞いて初めて「アメユキ」ってそのあめゆきだったのかと気づきました。『春と修羅』「永訣の朝」の一節ですね……カムパネルラのモデルの一人とも言われる宮沢賢治の妹さんが、亡くなる朝に「あめゆきをとってきて」と。ケンジとアメユキ、そうか、と……
その二人がジョバンニを見守っていたのか、と……
二人ともメタ的な(っていうんですかね?)存在だと思うんですけど、さねよしさんのアメユキの歌と岡田さんのケンジの言葉が他の登場人物とは異なる声の響きをもって優しく、しかし渦のように物語を包み込んでいて、宮沢賢治もこんなふうに登場人物と対話しながら心象を描き留めていったのかなあと思いました。
春と修羅』の「序」、「わたくしといふ現象は〜」を繰り返しケンジが言ってたり(他の詩だったかな…)、冒頭ではかしわばやしの話もちょこっと出てた(あれも銀河鉄道『の夜』と同じ「かしわばやし『の夜』」なんですよね)りして、ジョバンニやカムパネルラはあくまで宮沢賢治の心象スケッチのひとつであり、これは宮沢賢治の創作過程の物語であるとも感じました。自分と対話しているとも言えるしね……
それにしても誰かの心や頭の中の映像が人の身体から外へ出て舞台の上で他者によって再現されるってめちゃくちゃ面白い現象ですよね。きっとこぼれ落ちるものがほとんどだけれど残った一握りの何かがこんなにきらめいている。



● その他
・木村さん、膝をつかせたら世界一(私調べ)
・木村さん、火花のように負の感情をほとばしらせたら世界一(私調べ)
・ジョバンニカムパネルラとザネリは夏の大三角
・「銀河鉄道の夜」というタイトルは何億回見ても天才、それだけでブログ書きたい
・そういや川と銀河だけじゃなくてジョバンニの牛乳とミルクがこぼれたミルキーウェイもかかってんのかー!って今更気づいた





セットや音楽といったスタッフワークと身体表現で創り上げられる「世界」とびりびり伝わる振動を体感して、本当に「演劇を観てる」って思いました。非日常が目の前に広がっていて、どことなく祭りの櫓を見ているような気分でもありました。
本当に久しぶりに、抽象の世界に身を置いた。現実で具体のことばっかりやってたから、その不確かさとものの幅が新鮮でした。




今回は言葉ばかり追ってしまって全体をよく受け止めてきれなかったので、また観られたらもっと広く見たいなあと思いました。作品のテーマである本当のさいわいや自己犠牲などについても全然頭が追いつかなかった。素晴らしい音楽ももっとちゃんと聴きたいです。



以上