王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

『虎に翼』さよーならまたいつか!のいつかっていつだろう②

『虎に翼』第9週45話まで観ました。
まさか直言さんとのお別れがあのようなものになろうとは……まさかあの新聞紙が焼き鳥を包んでいたものだったとは……
まさかばかりでした。
前回感想を書いた第6週30話から、まだ3週間しか経っていないのに……1ヶ月も経たないうちの怒涛の展開でした。
思ったことがあちこちにとっ散らかって、まとめられないのでバラバラのまま感想を書きます。



⚫︎ 第7週

いや今見返してびっくりしたんですけど第7週目のラストでまだ「社会的地位を得るための結婚」とか言ってるんですね…!!本当に怒涛の展開だったんだなあ。これでよく第9週で優三さんに対するあの感慨まで持っていけたなあ。すごいなあ。

⚫︎ 第8週

わーーーっ、まだこの頃岡本玲さんの登場回なんだ……!?もう何年も前のことのように思える……この「悪いことをする女性もいる」というのを出端で書くんだ!?という驚きがありました。「女の人ばかりがつらい思いをする」という先入観のせいで失敗をしてしまう寅子と、「そうは言っても女の人は男の人よりも損をする立場として物語を書くんだろう」という私のドラマへの先入観が絡み合って見事にひっくり返された回でした。
そして、その失敗で落ち込んでいた寅子への、37話の優三さんの言葉。

「このように、みんないい面と、悪い面があって、守りたいものがそれぞれ違うというか……うん……だから法律があると思うんだよね」

私は『虎に翼』はここの描写が徹底している、と思います。あの優しい優三さんですら、自分の人生を勝手に寅子に委ねていたりした。めちゃくちゃいい人にだって、後ろ暗いことのひとつやふたつあるし、未熟なところもあるし、矛盾もあるし、打算もある、人はそんなに完璧な一貫性のある生き物ではない、多面的で多層的な存在であるということが、物語のあちこちで描かれているように感じます。
寅子にも未熟なところがあったからこそあそこまで追い詰められてしまったし、穂高先生も選ぶ言葉が違えば寅子に気持ちが届いたかもしれない。非の打ち所がないように描かれている人は一人もいなくて、みんないい面と、悪い面がある……そのことが前面に出たのが43話だったと思います。


⚫︎ 第9週

43話、直言さんが謝る回。
「今寅が倒れたら我が家がダメになると思って」
優三さんの死亡告知書を隠してたの、「悲しむ寅を見たくなくて」とかじゃなくてそんな身勝手な理由で……!?そしてそれを正直に言う……!?
「俺はこの通り弱い……ダメな愚かな男なんだ」
「寅が結婚した時、正直、優三くんかーとは思った」
「共亜事件の時寅子がしつこくて腹が立ったこともある」
「はるさんが怖くて残業って嘘ついて飲みに行ったこともある」
「直明ができすぎる子だから本当に俺の子かと疑ったこともある」
「花江ちゃんがどんどん強くなっていやだなあーと思ったこともある」
「優未を高い高いした時に鴨居に頭をぶつけてしまったことを黙っていた」
お父さん最低過ぎるwwwwとなったところを、
「でも……お父さんだけだったよ。家族で『女子部に行ってもいい』って言ってくれたのは」
「どんな私になっても、私を『かわいい、かわいい』っていっぱい言ってくれたのは、お父さんだけ!」
これらの寅子の言葉がハッと思い出させてくれるのです。そうだった、私たちはこの2ヶ月、そんなお父さんの姿をずっと見続けて来たんだった……!と。
ここで寅子の目に正気が、顔に笑みが戻るのが本当に良くて……
さっきまで最上級の「スンッ」の顔をしていた寅子が、怒りの感情を経て(スンッが抑えている感情の多くは怒りなんだなと思った)、自分にとってのお父さんの本質へと還る。
「当たり前だろ。寅は俺の誇り、宝物なんだから」
そんなふうに面と向かってまっすぐ言ってくれるお父さんがどれだけいるだろうか。
「みんないい面と、悪い面があって」……本当にそうだ。というか、寅子も優三さんが戦争に行くとなった時、「私のわがままで、私なんかと結婚させてしまって、普通の結婚生活を送らせてあげられなくて、あと高等試験を諦めずに続けてくださいってちゃんと説得しなくてごめんなさい」ってめっちゃ謝るっていう直言さんと同じことしてたじゃん……!という。やっぱり親子なんだな、と思わせるリプライズ。
花江ちゃんの「寅ちゃん、許したくなかったら許す必要ないのよ」という言葉も良かった。結果として「許す」という判断をした(と思われる)寅子だけど、ここで拗れてしまった時、個々人間だけではどうしようもなくなった時のために法律があるのかなと思いました。
あと花江ちゃんといえば「お父さんとは生きてるうちにお別れできるんだから」という言葉も刺さりました。「お別れ」ができなかった別れもたくさんあって……そういう意味だと、香淑さんとはお別れの儀式ができたほうだったなあと。涼子さんや梅子さんとはきちんとお別れが言えなかった。よねさんとはお別れというより決別になってしまった。優三さんとは……と考えた時、彼とは比較的「お別れ」ができていたな……と思います。寅子に「なんで……そんなこと言うんですか?もう…そんな…もう帰ってこないみたいな…もう会えないみたいなこと言わないで」と言わせた優三さんの言葉。

「寅ちゃんにできるのは、寅ちゃんの好きに生きることです」

お互いにどこかで「もう会えなくなるかもしれない」という思いがあったからこその、このくだりだったと思います。「いってきます」と言って優三さんは去りました。寅子も優三さんも「さようなら」とは言わなかった。それはそう、それは別れを殊更に強調する言葉になってしまうから。
でも、ふと、別れの時に「さようなら」の思いを伝えられた別れってどれだけあるんだろう、と思わされます。ひょっとしたら、「あれが最後だったんだ」、とあとから振り返ることのほうが多いのでは、とも思える。そう思いながらあらためて「さよーならまたいつか!」の歌詞を見ると、この歌、前は寅子ら当事者が自分たちを鼓舞する歌に聞こえたけど、今は優三さんら支援者が寅子たち当事者の背中を押す歌にも聞こえて。いいテーマソングって、複数の登場人物の複数の立場に全部当てはまるように聞こえたりするんですよね……!!今回は、「いつか」は、本当にいつだかわからないから、来るかどうかもわからない、不定の未来だけど、どこかで点を結ぶと信じたいから「いつか」っていうしかないんだ、と思いました。「さよーならまたいつか!」の思いを伝えられた別れと、伝えられなかった別れと。
お父さんには、まだ気持ちを伝えられるんだよ、お別れの儀式ができるんだよ、という花江ちゃんの言葉、あれがあったからこそ(寅子より先に)直言さんの懺悔が始まったんだろうなと思います。直言さんもまた寅子の良き理解者、支援者であって……「さよーならまたいつか!」の「さよーなら」、前回は半ギレのニュアンスに感じたけど、今度は直言さんの「ちょっとしたいい加減さ」のニュアンスにも聞こえたり。いいテーマソングって、複数の登場人物の複数の立場に全部当てはまるように聞こえたりするんですよね……!!(リプライズ)
あとこれはドラマとは関係ないんですけど、私は誰かを見送る時に「もしかしたらこれが今生の別れかもしれない」と思って見送ることがあるんですが、最近その考えは、あんまり人を幸せにはしないな、と思います。別れを警戒し過ぎるのは身体に良くない。「さよーならまたいつか!」くらいがちょうどいい……と思います。余談でした。



44話。この回はほんと……まさかあの新聞紙が焼き鳥が包まれていた、「新聞としての本来の役割とは異なる役割を与えられていたもの」だとは思わないじゃないですか……!!あの新聞を新聞として持ってはいなかったんですよね寅子は……かつて新聞を読み込んでいたあの寅子が。そんな状態の寅子が、「ただの包み紙の柄」を、「日本国憲法として認識する」、その認知のシフトチェンジャーを優三さんの言葉が担う………………その展開と、二度目のボーカル版の劇伴と、伊藤沙莉さんの表情の移り変わりと、それを映し出す長回しが素晴らしすぎて。
その大事な新聞紙を渡したのが初めて出て来た(そして今後も出てこないであろう)焼き鳥屋さんの、市井の一女性だった、というのも大きくて。これがたとえば営業を再開した『竹もと』のおかみさんだったりとかしたら、全然違う趣きになったと思うんですよ。寅子も私たちもそこに思い入れがあるから。でもそうじゃなくて、さよーならまたいつか!の「そこかしこで袖触れる」みたいな、ちょっと袖が触れ合っただけの人が、人生を大きく変えることがある、というのが本当に人生だなあと。これとまったく逆バージョンなんですけど、ドラマ『相棒Season9』第8話「ボーダーライン」でのドーナツ屋さんの女性を思い出したんですよね……人が何かアクションを起こすのは、ドミノのような積み重なりがあってのことなんだけど、何が最後のドミノになるかはわからない……というか。そこに思い入れがないからこそ、物語としてあっと思わされます。それはオープニングで新聞を読んでいる市井の女性が本編にも現れた時も同じで、名もなき人たちの名もなき人生も、この物語の一部である、もう誰も取りこぼしたくない、という、このドラマの気概のようなものを感じるんですよね。「もう」っていうのは、大抵の大きな物語が、市井の人々を取りこぼすことを踏まえて、で。取りこぼして当たり前なんですけど、それも取りこぼしたくないんじゃいという意志を感じます。私はただの市井の者として、その姿勢を強く支持したいなあと思います。

はるさんの「これ以上心が折れて粉々になる前に、お願いだから立ち止まって優三さんの死とゆっくり向き合いなさい」という言葉も印象的でした。この台詞も、優三さんの「寅ちゃんにできるのは、寅ちゃんの好きに生きること」という台詞も、この時代にしてはかなり先進的現代的な考え方じゃないかな、こんな感覚を持っていた人が当時いるわけないんじゃないかな、と思うのですが(だからこそ脚本家である吉田さんからの現代を生きる私たちへのメッセージだと感じる)、でも私、以前向田邦子のエッセイ『ごはん』の一節を読んで、この時代にこんな不謹慎な感覚を持った人がいたんだ……!と思ったことがあるので、どんな時代にもどの土地にもいろんな感覚、考え方の人がいるんだということを忘れちゃいけないんだなと思うんですよね、、、

「このまま死ぬのかもしれないな」
と思いながら、泥足で畳を汚すことを面白がっている気持も少しあったような気がする。
向田邦子『父の詫び状』)

空襲のさなかであるにもかかわらず、生まれて初めて靴を履いたまま畳の上を歩いて若干テンションが上がってしまったその気持ち、「ああ、私も当時その場にいたらそうだったかもしれないな」とかなりリアルに感じました。台風が来てるのに「T.M.Revolutionごっこ」とかやってしまうのは、平和な現代日本だからこその不謹慎な感覚だと思っていたのですが、どうやら違うらしい、と。
それがわかった時、新たな知見を得た感じがしました。どの時代にも、どの土地にも、「私」みたいな人が存在し得るんだ。


このドラマを、吉田恵里香さんが書いている同時代に、リアルタイムで見られていることに感動しています。そして、だからこそ、私はこのドラマを見ている目を「今」にも向けなければいけないのだと思います。寅子たちが生きたあの時代にも、令和の私たちのような感覚を持った人が生きていたかもしれない。そう考えるのと同じように、今、あの土地にも、たとえばガザ地区にも、寅子のように好きな人と最上級の愛情表現としての変顔をして別れた人たちがいたかもしれない。優三さんのような優しい人でも殺し合いの前線に送られてしまう、そんなむごい戦争というものは絶対に繰り返してはいけないと思うならば、それは、私の住んでいる日本でなくても同じことじゃないのか、この視線を「今、起こっていること」に向けるべきではないのか、私はあらためて考えなくてはいけない。そう思います。






45話。
寅子の「そんなものならなくていい!!」が最高でした。私、伊藤沙莉さんの喝破が好きらしい。
そしてそして、直明の「僕、勉強していいの?」の一気に子どもに戻ったような表情と声色が素晴らしかった……!!三山凌輝さん、BE:FIRSTのメンバーだそうで!?てことは歌って踊れるってことですね!?すごい!!私、元V6の岡田准一さんが好きなので、グループ活動と役者を両立させている人が気になってしょうがないんですよね……元乃木坂の生田絵梨花さんとか……ほんとすごいですよねグループ活動で歌ったり踊ったりしながら、一方でお芝居をしている方々……三山凌輝さん、気になるリストに入りました。ありがとうございます。三山さんを応援されている方はドキドキしながら直明くんの登場を待たれたのではないでしょうか……『光る君へ』に好きな俳優さん(三条天皇役の木村達成さん)が出てくるのを今か今かと待つ身として勝手に思いを馳せてしまいました……
で、この子どもらしい表情によって、「子どもの権利条約」とか「子どもが子どもらしく接されることの大事さ」とか、「有害な男らしさ」とか、いろんなことがぶわっと思い起こされたので、本当にグッジョブな表情だったと思いました……
あと、逆に直明が20歳ってわざわざ明言されたことで、ここでフィーチャーされている日本国憲法第14条一項が、当時22歳の女性ベアテ・シロタ・ゴードン氏によって起草されたものであるということのすごさが思い起こされるんですよね……!!
創作ドラマなら寅子が彼女について知るというエピソードも追加されたりするかな!?と思ったりもしましたが、Wikipediaによると彼女は1990年代半ばまで憲法草案に関わったことを公表していなかったそうで、それじゃそんなエピソードは無理か〜と思いました。
なんだけど、でも寅子がこの日本国憲法をどう捉えているのかというのは気になっていて。
日本国憲法は、戦争を経て日本という国に与えられたものだけれど、戦争に行った人たちは、自分たちの自由とか権利とかのために戦っていたわけではなくて。ましてや、「勝って」それを手に入れたわけでもなくて。戦争に「負けて」、負けたのに手に入ってしまったもので。優三さんたちがこの憲法のための尊い犠牲だったんだなんて言えるはずもなく。寅子が、あの戦争を、そしてこの日本国憲法をどのように自分の中で位置付けるのかを、このドラマは描いてくれるのか、というのを、これからしばらくは気になりながら見ていくことになるかな、と思います。


44話で、優三さんの言葉は日本国憲法超訳では、という考察をお見かけしました。すごい、なんて素敵な着眼点なんだ!!と思いつつ、ピンとは来ていなかったのですが、45話で寅子が第14条とともに第13条を読み上げた時、ああ、なるほど!本当だ!と思いました。

十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

寅ちゃんができるのは、
寅ちゃんの好きに生きることです。
また弁護士をしてもいい、
違う仕事を始めてもいい、
優未のいいお母さんでいてもいい、
僕の大好きなあの何かに
無我夢中になってる時の寅ちゃんの顔をして
何かを頑張ってくれること。
いや、やっぱり頑張んなくてもいい。
寅ちゃんが後悔せず、
心から人生をやり切ってくれること。
それが僕の望みです。

すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
あまりに響きすぎて、もう一回書いてしまった。
こんなに特別な響きを持ってこの条文を読んだこと、ありませんでした。具体例を見せられてようやく想像がついたというか……今、この憲法の下で生命、自由及び幸福を追求して苦しんでいたら、この憲法が役割を果たせていないわけで、恨みにしかならないんですよね、でも、この憲法がない状態からある状態に移り変わったら、それはそれは嬉しかったであろうとようやく想像がつきました。
そして、前に寅子が言っていた「法はきれいな水の湧き出る場所」というのも、この日本国憲法が登場してようやくイメージがつきました。裁判官は法の守り人なのかな……とか。そういえば「法の番人」という言葉があったな、と。
そんなことを考えていた時、ちょうどNHKの時事公論が目に入りました。

ICC国際刑事裁判所のカーン主任検察官は)イスラエルのネタニヤフ首相とガラント国防相には、ガザ地区の住民の食料を断ち飢餓を戦争の手段として使った戦争犯罪などの疑いで、それぞれ逮捕状を請求すると明らかにしたのです。そして声明で「国際人道法はすべての人に公平に適用され、命の価値に違いはない」と述べ、当事者双方の責任を公正に追及する姿勢を強調しました。

そのICCのトップにことし3月、日本人として初めて就任したのが、検察官の出身で6年前からICCの判事を務めてきた赤根智子氏です。(中略)赤根所長自身、就任前には予審部の判事として、プーチン大統領の逮捕状の発付に関わった一人で、自らもロシアから指名手配されていて、日々身の安全も気遣いながら業務にあたっているといいます。


日本人の女性がこんなところで戦っているなんて、少し前の私なら気に留めなかったかもしれません。包み紙の「柄」が「日本国憲法」として目に入った寅子みたいに、認知の変化があったからテレビの前で手を止めることができた。
やはり、目を向けるべきは「今」なのだと、強く思いました。
そして、赤根氏の経歴を読んで、なんだか寅子に重なる部分があるな、と勝手に思ったり。その人の選択や決断あっての偉業なのだと思いました。
寅子は経済的にも環境的にも愛情的にも恵まれていて、それでも「地獄」だ、降参ですと言って法律家としての歩みを止めました。そこまで恵まれていてもまだ苦しくて、まだ一か八かの勝負なんだ、その人にはその人の地獄があるんだ、ということを、周りの人たちが受け止めるのは本当に難しいことじゃないか、と思います。そのことがまた、恵まれている人たちを追い詰める。弱音を吐く資格も与えられず(だって誰よりも恵まれて誰よりもいろんな選択肢を持っているから)、選択の一つ一つが、厳しい目にさらされてきたのだろうと想像します。寅子のこれまでも、きっとこれからも。その繋がれている縄を、何度も何度も噛みちぎってくれるのが、優三さんのあの言葉であり、日本国憲法でうたわれる個人の尊重という姿勢なのかもしれません。すべて国民は、個人として尊重される。

「あなたの選択の全てを尊重します」
そんな社会を実現するのも、個人として個人を尊重するのも、どちらもなんと難しいことか…….令和に生きていてもそう思うので、優三さんのこの台詞が単なる綺麗事ではない、本心からそう思っていると感じられる仲野太賀さんのお芝居が本当に素晴らしいなと思います。


河原で寅子が立ち上がったシーンをアングルを変えて3回繰り返すのも良かった。大事なことなので3回見せました。
あっあと耳新しい劇伴が流れてきたのも、新たな始まりの雰囲気が出ていて良かった!!


最近、『虎に翼』と『光る君へ』と『アンメット』を見ていて思うのですが、主役級ふたりの作画が同じだとすごく見やすいですね……「作画が同じ」と感じる理由って、外見が似てるとかだけじゃなくて雰囲気が近かったり、表現の方向性が近かったり感情の粒度が近かったり、なんか色々あると思うんですけど……吉高由里子さんと柄本佑さんの相性がいいのはもうそりゃそうだよねって感じなのですが、杉咲花さんと若葉竜也さんの組み合わせは初めて見たので、おふたりのお芝居と監督の演出のベクトルが綺麗に一致していることに感嘆していますね……
伊藤沙莉さんと仲野太賀さん、見る前から間違いないおふたりでしたが、なんかもう上手すぎて噛み合いすぎて、役者さんの魅力を引き出すのにキャスティングって本当に大事だなあと思いました。


長くなりましたが、寅子が優三さんの言葉とともにこれからどう生きていくのか、来週からも楽しみです。