王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

『虎に翼』平岩紙さんと『アンメット』野呂佳代さんの切り拓く道について

最初『虎に翼』のことだけ書いていたのですが、『アンメット』のことも書きたくなったので両方のドラマについて書きます。



『虎に翼』第13週65話まで観ました。
これは本題ではないのですが、前回感想を書いたあとからここまで観てきて、「良かった〜」と安心したことがみっつあります。
ひとつめは、よねさんが日本国憲法を「自分たちで手に入れたかった」と言ったこと。
ふたつめは、花江さんが道男を恋愛対象として見ていないことがわかったこと。
みっつめは、同じく花江さんが、自分の負担を分散する術を見つけたこと。
このみっつの点は方向が違えば「趣味が合わないな」と思って観るのをやめてしまったかもしれないので、「助かった……」と思いました。



⚫︎ よねさんが日本国憲法を「自分たちで手に入れたかった」と言ったこと

前回の感想でこんなことを書きました。

でも寅子がこの日本国憲法をどう捉えているのかというのは気になっていて。
日本国憲法は、戦争を経て日本という国に与えられたものだけれど、戦争に行った人たちは、自分たちの自由とか権利とかのために戦っていたわけではなくて。ましてや、「勝って」それを手に入れたわけでもなくて。戦争に「負けて」、負けたのに手に入ってしまったもので。優三さんたちがこの憲法のための尊い犠牲だったんだなんて言えるはずもなく。寅子が、あの戦争を、そしてこの日本国憲法をどのように自分の中で位置付けるのかを、このドラマは描いてくれるのか、というのを、これからしばらくは気になりながら見ていくことになるかな、と思います。


私にとって、これに対する答えがよねさんの「これは自分たちの手で手に入れたかったものだ 戦争なんかのおかげじゃなく」という言葉でした。寅子の気持ちは描かれていないけれど、この日本国憲法は「自分たち国民が自由や権利のために戦った結果として手に入れたもの」ではないということをドラマの中の登場人物も複雑な気持ちで受け止めている、ということがわかっただけで十分でした。
これは私の個人的な趣味ですが、このねじれた成り立ちに対して何も思わず「やったー!」と受け取る人々であってほしくはなかったので。



⚫︎ 花江さんが道男を恋愛対象として見ていないことがわかったこと

これはもう単純に、花江さんが未成年に対して特に葛藤する様子もなく恋愛感情を持つような人であってほしくなかったので、65話で「道男に恋していたわけではない」ということがはっきり明言されて心底安心しました。ドラマの中の登場人物と倫理観が合うか合わないかは、ドラマの視聴を継続するのには結構重要だなあと思いました。



⚫︎ 花江さんが、自分の負担を分散する術を見つけたこと

花江さんに家事も育児もほぼ全部やらせる寅子にモヤモヤを感じていました。でも、その分寅子は外で働いて稼いできているのだから、花江さんと役割を分担しているだけで、寅子は別に悪くないのになあ、とも思っていました。でもある時わかりました、私は「花江さんが寅子より先に起きて、寅子よりあとに寝ている気がする」=花江さんのほうが睡眠時間が短く負荷が高そう、というところからモヤモヤを感じていたのだと。関白宣言かよと。負担に偏りがあるならやっぱり寅子はそこに鈍感であっちゃいけないよなと。でも寅子も一応「私もやる」的なことを申し出てはいるので、あとは花江さん次第ではあったんですよね。だから「家族に頼る」という選択ができて良かったなあと思いました。寅子が帰ってくる前に布団に入って幸せそうに眠る花江さん、本当に良かった……
梅子さんの「自分が幸せじゃなきゃ、誰も幸せになんてできないのよ、きっと」という言葉、育児の現場でめちゃくちゃ自分に言い聞かせるし、でも結局それって「逃げ」でしかないんじゃないかと思ってしまうので、自分以外の人から言われるとすごく救われるやーつ。



⚫︎ 平岩紙さんと野呂佳代さんの切り拓く道について

本題です。
64話の梅子さん、最高にかっこよかったです……!!!!!
これまでも梅子さんが登場するたびに「平岩紙さん、本当に上手いなあ」と感動していたのですが、今回はその「脚本上での見せ場」を「現実の見せ場」にする力にひれ伏すしかなかったです。



そして、片桐はいりさんのこのインタビューを思い出していました。


演じるドラマの役どころも、20代はメインの女優さんの友達かいじめる人、30代では意地悪な上司とか近所のうるさいおばちゃんとかいうパターンがほとんどでした。女性が演じる役のバリエーションが少ないのは、役をつくる側の問題だとその頃は思っていましたが、役の幅の狭さ自体が当時の女性の置かれた状況を表していて、社会から多様性を求められていなかったのだとつくづく思います。

1990年代頃の女優さんたちは、若いときに活躍して30歳前後に結婚、出産をしたら表舞台にはしばらく姿を見せず、子どもの手が離れた頃に仕事に復帰するという流れがあった。『次にメインで出るには、お母さん役ができるようになるまで待つしかない』と言う女優さんもいて、30~50代の女性を中心に描く作品が世の中にないのはおかしいと思っていました


私は女優さんでもなければ!!!ドラマや映画をよく観ている視聴者さんでもないので!!!!こんなことを言う資格はどこにもないのですが!!!!
このインタビューを読んで渾身の「それな!!!!!」が出ました。
いや実際本当にそうなのかはドラマを数多く観ているわけではないのでわからないのですが、「役の幅の狭さ自体が当時の女性の置かれた状況を表していて、社会から多様性を求められていなかったのだとつくづく思います」ここの部分は自分の20代の頃のロールモデル的なことを考えるとなんだかすごくわかる気がするのです。私の入社した企業はやっと育休産休から復帰して時短で働き続けている先輩たちが増えてきた頃で、でも役職付きの女性は男性に比べるとかなり少なくて……という感じで、「女性社員が今後のキャリアパスを考える上で、ロールモデルとなるような社員が少ない」と言われていたんですよね。
今、その頃に比べると業界全体で役職付きの女性が増えてきている感があって……、女性の選択肢が以前より増えているということだと思うんです。そしてそれに付随するようにドラマでも30代女性をメインにしたドラマがかなり増えているような印象があります。『ブラッシュアップライフ』とか、30代女性の役のバリエーションも豊かになったんじゃないかなあと……いや何度も言うようにドラマをそんなに観てるわけじゃないのでものすごく個人的な印象ですが!!!
一方で、40代、50代女性となると、まだ母か妻かバリキャリ上司が多いような気がして……「誰かの物語のための役」が多い気がするんです。
さらにそれを演じるのは、若い頃アイドルやグラビアアイドル、宝塚歌劇団の俳優さんだった方も含めきれいな女優さんが多いような気がしていて、たまにお笑い系の方だったり、小劇場系の方だったりするとその人は「可笑しみ」のためにいることが多いような気がしていて……、気がしているばっかりなんですけど。「可笑しみ」のためにいるのが悪いことじゃないんです、笑いを提供できることはすごいことなんです。でもこう、きれいな女優さんも、お笑い系だったり、小劇場系だったりの女優さんも、40,50代になるとそれぞれ固定の立場から物語サポート的な立ち位置になることが多いよねと思うんです。ケア要員だったり、波立て要員だったり、息抜き要員だったり。もちろんそれだって全然悪いことじゃなくて!!!でも、40,50代の女性がメインの物語だってもっとあってもいいよねと思っていて。いやあるんですよ、あるんですけど、そういうドラマのメインって容姿端麗で超優秀でみたいな役が多くないですかそんなことないですか。それって、女の人は超優秀じゃないと上にいけないっていう今もある現実とそんなに無縁じゃないと思うんです。
ああああ上手く言えないんですけど、つまり、容姿の美しさを一番の武器にしていない俳優さんの役が、ここまで前面に押し出されてメインのシーンを張るってすごいことだと思って!!!!!!しかもこう、平岩紙さんの見た目ってちょっとおとなしそうな印象を受けるところがあって、バリキャリ的な空気とも違うから余計にすごいと思って。たとえばあの高笑いから「ごきげんよう」の一連のシーン、小池栄子さんとかに演じていただいてもめちゃくちゃ上手くやってくださると思うんですけど、今回おとなしそうな容貌の平岩紙さんが演じることでさらに意外性が出てもっと面白いシーンになってるのかなと思うんですよね……!!!!
慈愛と優しさとプライドと憤りと、いくつもの複雑な感情や心の動きを表現することが求められる役だと思うんですが、誰かを引き立てるだけじゃなく自身の心の動きが注目される役をバイプレイヤー的立ち位置の多い平岩紙さんがやっているということがすごいなと。
で、その任された役割を、平岩紙さんがその実力を余すことなく超ハイクオリティでまっとうしてくれて、最高じゃんって思いました。
脚本の吉田恵里香さんは平岩紙さんが大人計画の俳優さんで舞台の経験も豊富で、でも実はドラマ(映像)作品のほうが出演数が全然多くて……という平岩紙さんのポートフォリオ的なものを熟知した上でこの役を当ててますよね、とめちゃくちゃ思いました。あの「ごきげんよう!」ふすまスパーン!退場!のシーンの梅子さんのケレン味は、舞台と映像両方を知り尽くした俳優さんじゃないと絶対に出せないと私は思います!!!!!!


そんな話をする中で、『アンメット』の成増先生を演じる野呂佳代さんにも触れないわけにはいかないと思えてきました。
『アンメット』の成増先生、カッコよくて楽しくてめちゃくちゃ良かったんですが、特にドラマの中にそっと挿入された「ケーキをひとつ買って帰る」だけのシーンが最高だなと思いまして。そのシーンについてなんの説明もないんですけど前の会話を聞いていたら色々想像はつくよね、という塩梅がちょうど良くて。「成増先生はこここのドラマでは主役じゃないけど彼女には彼女の物語がある」ということを示してくれて、そう、それ、それなんだよなと……『虎に翼』の梅子さんも、『アンメット』の成増先生も、そのドラマでは主人公ではないかもしれないけど、でも彼女たちには彼女たちの物語があり、葛藤があり、戦いがあり、喜びがある。そういうことを描いてくれているドラマだからこそ、なんの取り柄もない一市民の私もはまってしまうのだなあと思います。
それと、『アンメット』は野呂佳代さんをオチ要員とか「いじってもよい人」みたいには描いていなくて、それもすごく重要なことで。野呂佳代さんのような体型の人って普通にめちゃくちゃいて、おかしなことでもなんでもないのにドラマやバラエティでは透明化されるかいじられ要員化されるかみたいなことが多い気がするんですけど、「いや、こういう人 普通にいるよね」と「何も可笑しくないよね」というスタンスでキャスティングされているのがまたこれ体型にコンプレックスのある私に刺さるんですよね、、、「そこにいていい」という間接的な肯定になるんです。『光る君へ』とか『ブラッシュアップライフ』とか、野呂佳代さんが出演されているドラマに私のような雑魚メンタルでも観られるものが多いのは、ドラマのキャスティングの権限を持つ人が野呂佳代さんのことを尊厳ある女性のバリエーションとして見ることができるメンタリティの人だから、ではないかと思っています。そんな方々の作るドラマだからこそ優しい目線のドラマになるのかなあと。


ここで、『虎に翼』の話に戻るんですが、じゃあかなり記号的に描かれていた姑の常や妾のすみれさんはどうなんだという話で、彼女たちはドラマから泣く泣く切り捨てられたように私には見えて、ただ吉田恵里香さんが彼女たちのバックボーンも細かく描いたら、あの梅子さんのシーンもまた一味違って見えたんだろうなと思います。梅子さんが100%正しいと思って描かれているわけじゃない。優三さんが言っていた通り、このドラマの登場人物はいいところもあれば悪いところもあるというふうに描かれているので、今回常やすみれさんは悪いところばかりが目立ってしまったけれど、いいところや彼女たちなりの信念もあるはずで。ドラマの尺には限りがあるから、全員の物語を救済することはできない。けど、今まで透明化されてきた人たちの物語をできる限り描いていきたいという脚本の心意気を、梅子さんやよねさん、花江さんたちの描写でひしひしと感じます。そうそう、花岡さんの奥様の「もし周りが説得して折れていたら、私、妬いちゃうわ」というたった一言で彼女と花岡さんの物語を眼前に広げてくれたのは、本当に見事な手腕でした。


平岩紙さんや野呂佳代さんが「主人公の引き立て」だけじゃなく自身の物語を担う役を任され、期待以上の佇まいを見せてくださっている背景には、お二人がこれまでに積み上げてきた実績と、それを正しく見ている権限者の方と、先輩方が切り拓いてきた道があったのだと思います。先程のインタビューの片桐はいりさんや、小林聡美さん、もたいまさこさん、室井滋さん、大人計画ナイロン100℃の女優さん方、同世代なら江口のりこさんなどなど。
そしてそれは多分、現実社会で女性の選択肢を増やすことに尽力されてきた私たちの先輩方の姿と重なる部分があって。
梅子さんの「お互い誰かのせいにしないで 自分の人生を生きていきましょう」という台詞はとてもこうエンパワメント性に富む(?)というかなんというか……
誰かの母でも、誰かの妻でも、どこかの嫁でも、バリキャリでもゆるキャリでも、どんな属性を纏ってもいい、纏わなくてもいい。
誰かの物語をサポートする人生を選ばない選択肢もあるし、もちろん選んだっていい。


ただ好きな「私」を生きよう。


そんな励ましが聞こえてくるようです。



『アンメット』ほんと最高だったな〜、『虎に翼』もずっと面白いな〜と思っている今日この頃です。


来週からは岡田将生さんが出るということで!!!『昭和元禄落語心中』のドラマを観て以来、岡田将生さんには全幅の信頼を寄せているので……!!!!!『ラストマイル』も観れたらいいなあと思います。