王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

『アンメット』私たちは信用されている

『アンメット ある脳外科医の日記』を8話まで観ました。
面白いですね…!!!
誰かに聞いてほしくて感想を書きます。


この記事ではいくつか劇中の台詞を紹介しますが、展開のネタバレはありません。





私が観るきっかけになったのは、X(旧Twitter)のおすすめタブで流れてきたYuki Saito監督のこちらのポストです。




監督のご意見にその通りだと思ったし、そのような表現こそ私の観たいお芝居かもしれないと思ったので、Netflixで1話から見始めました。
結果、みなさんのお芝居というか……このドラマ全体に、頬を引っ叩かれっぱなしです。いや、ビンタじゃなくて。そんな本気で痛いやつじゃなくて。「目を覚ましなよ!」って両手で頬をパンパンされてる感じ。
「これー!!観たかったやつ、これー!!!」と思いながら、毎週月曜日を楽しみにしています。


もともと私はそんなにドラマや映画などの映像作品を観る方ではありません。というか、ほとんど観ていないです。どちらかというと舞台作品の方が多いかもしれません。でも、それもそんなに多くはありません。
別にお芝居が嫌いなわけではなくて、むしろ好きだし、感化されるし、もっと観たいのですが、体力が絶望的になさすぎるため、お芝居鑑賞に充てられる時間がそんなにないのです。エンタメに費やす時間を、睡眠に充てなければ……家事や仕事に支障が出てしまう……白目を剥きながら打ち合わせする羽目になってしまう……必死で平静を装って背筋ピンしようとしてるけどバレてる、絶対バレてる、気づいたら傾いてる、だから絶対に睡眠時間は確保しなければいけないのです。
そんな理由と、単純に家のことも仕事もいっぱいいっぱいすぎて余暇活動に手が回らず、ここ数年は好きな俳優さんが出ている作品くらいしか観る余裕がありませんでした。


ところが!今期は!
『光る君へ』と『虎に翼』、そして『アンメット』を楽しく観ています。
ちょっと時間に余裕ができたのです。
『光る君へ』は好きな俳優さん(木村達成さん)が三条天皇役で出演されるので観ているのですが(出ていなくてもとても面白いです)、『虎に翼』『アンメット』は完全に「面白そう……かも……?」という興味から見始めました。その期待は裏切られなかった……!面白いです。とても。
実は、それより前に、『不適切にもほどがある!』の第2話を「面白そう……かも……?」と思いながら観たことがありました。私は元V6の岡田准一さんが好きなので、『木更津キャッツアイ』を20年前リアルタイムでかじりついて観ていました。あの大好きな作品を作った磯山晶Pとクドカンなら、きっと面白いものを作っているはず!!と思ったのです。
でも、観てみた結果は「not for me」でした。仲里依紗さん演じる渚が、お父さんくらい年が離れた阿部サダヲさん演じる市郎に対してあっという間に恋愛感情のようなものを抱いた感があったことに、感覚が馴染めませんでした。「これはクドカンと同世代の男性たちに向けたファンタジードラマかもしれない」と思い、なんとなく気が進まないまま第3話以降のあらすじだけは追いつつ、結局本編は見逃してしまいました。ドラマ自体を批判したいのではなく、ただ単純に「私はこのドラマのターゲットではないな」と思ったまでです。20年前は「今の若者を描いているな〜!」と思いましたが、クドカンは今53歳なので、50代の男性の感性を描いていると思えば、「そうだよな〜、親子くらい離れている女性から好意を寄せられても違和感を覚えなさそうな50代の男性もいるよな〜」と深く納得もできるのでした。


「じゃあ、for meなドラマってあるんだろうか……」と思っていた時に出会ったのが『虎に翼』、そして『アンメット ある脳外科医の日記』です。『虎に翼』については別の記事で滔々と語っているので省略しますが、『アンメット』はNetflixで1話を観て、もう、すぐに大好きになってしまいました。


何よりもまず良いなと思ったのが、主役の杉咲花さんと若葉竜也さんの「作画が同じ」感で。
パートナーでもバディでもなんでも、主役級のふたりが「作画が同じ」だととっても見やすいなと常日頃から思っているのですが、『光る君へ』の吉高由里子さんと柄本佑さんも、『虎に翼』の伊藤沙莉さんと仲野太賀さんも、私的には「作画が同じ」なのです。あと最近気になってるのは『あぶない刑事』のタカ&ユージ。全然観たことないけどすごい気になる。あんな作画が同じおふたりが40年近くバディやってるってすごすぎない……!?


「作画が同じ」と感じるのは具体的にどういうことなのか自分でも考えてみたのですが、「同じ系統の神に創られた気がする」というか……(?)容姿がなんとなく似ている気がする、雰囲気もなんとなく近い気がする、といった外見的な要因の他に、感情や言葉の解像度が近いとか、情熱の温度が近い気がするなどの芝居的な?要因もある気がします。
とにかくふたりのやりとりの粒度が揃っていて見やすいのです。


最初、杉咲花さん演じるミヤビ先生があまりにもナチュラルに喋ることに驚いたのですが、対する若葉竜也さん演じる三瓶先生があまりにもぼそぼそ喋ることにも驚きました。そしてふたりとも全く声を張っている感じも、滑舌に気を配っている感じもしないのに、言葉が聞き取りやすい。すごいことだと思います。なんかこう、本人たちは「画面の外の人」に聞かせようとしていないのに、自然と言葉が耳に入ってくる。特に三瓶先生の口をあまり動かさない感じの喋り方は、絶対「え?今なんて?」ってなりそうなのに、全然全部聞こえるんですよね。「おおお……」と思いました。その口跡の良さに毎回浸っているおかげで、画面見てない状態でダイヤモンドシライシのCMが流れてきたとき一発で若葉さんだってわかった。ハマっていますよ……三瓶先生の口跡の沼に……


「作画が同じ」といえば、綾野先生を演じる岡山天音さんも、杉咲さんと若葉さんに作画が近い感じがします。毎回「観やすいー!!!助かるー!!!」と思いながら観ています。杉咲さん、若葉さん、岡山さんの表情から、手の動きから、目線から、ぽろぽろぽろぽろと色んな感情がこぼれ落ちていくのです。オーロラカラーのうろこが剥がれ落ちるようにぽろぽろぽろと。それは言葉にしなくてもわかると感じるくらい、言外に滲み出ているもので、私はこのドラマを観るたびに、監督と脚本家さんがよく「これ」を「このまま」にしてくれたな、と毎回心底感嘆するのでした。
たとえば、8話でミヤビ先生と三瓶先生が話しているシーン。


「なんでそんなこと僕に言うんですか?」
「分かりません」


この言葉の字面だけでは決して伝わらない感情が、ふたりの間にほとばしりまくっていたのを、私はしっかりと目撃しました。
でも、監督や脚本家の方は、「もっと言葉で説明したい」と思わないのだろうか、いや、思うはず、と毎回観ながら思います。あまりにもノンバーバルすぎない!?怖くならないんだろうか!?と。
私は勝手にミヤビ先生や三瓶先生や綾野先生の周りにぽろぽろ落ちている超巨大感情を“視て”しまっているけど、それが観ている人全員に伝わるのか、不安にならないのでしょうか!?
と、書いていて気づきました。「違う…………私が“視て”いるんじゃない、俳優さんたちに“視せられて”いるんだ…………ッ!!」
彼女たちの周りにぽろぽろ落ちている超巨大感情は、彼女たちの演技という技術でノンバーバルに「表現」されたものであるのでしょう。脚本家である篠﨑絵里子さんは、感情を台詞として言葉に表さなくても、杉咲さんたちなら演技で十分に表現してくれると信頼している。そして、俳優の皆さんは、監督であるYuki Saitoさん・本橋圭太さんが自分たちの表したものを十分に写し取ってくれると信頼している。監督たちは、fox capture planさんの音楽がまるで俳優たちの示した感情を縁取るように流れていくと信頼している。それだけじゃない、照明さんや美術さん衣装さん音声さんなど座組のすべての人たちが、同じ方向を向いて、同じものを、言葉に頼り過ぎずに相手を信頼して表現しようとひとつになっているような印象を受けます。 
奇跡のドラマだ、と思いました。
こんなに各セクションのみんなが同じ方向を向いてプロジェクトを完遂させようとするって、なかなかないじゃないですか!!!仕事とかで!!!!
みんなで同じ方向を向くって難しいじゃないですか……自分がプレイヤー側でも、マネージャー側でも。その難しい状況がこのドラマでは達成されつつある気がして、いや全然現場の様子とか知らないのでわかんないんですけど、なんかすごいものを観ているな……と思っています。『スイミー』の魚たちが大きな魚に立ち向かう様を観ているみたい。


でも、これを受け取るのは視聴者なんですよね。作品が受け入れられるかどうかは、最終的に視聴者がそのノンバーバルなコミュニケーションを感知することができるかどうかに懸かっている。
なので、よくこれをこのまま視聴者に届けてくれたな、すごいな、視聴者の中にこれを感知する人がいると信用してくれているのだなと感動します。
言葉がなくても伝わるのは、私たちの中に似たような感情を経験したことがある時ではないかと思っていて。それを感知するとき、私の中では共感というよりも想起のようなことが起きているような気がしています。なんとなく身に覚えのある感覚の手触りを確かめるように、ドラマを観ている。
そしていつも、ドラマが終わったときに、このドラマがスイミーたちのように形作っている大きな大きなものは、たとえば「優しさ」とか「人間の善性」のようなものじゃないだろうか、と思わされるのです。


好きなシーンがたくさんあります。
採血のシーンや霧吹きのシーン、
「僕はこれを飲みます」という台詞、
青年が努力ではどうにもならないことがあると知るシーン。
思いがけずグッと来たのが、朝起きたミヤビ先生に看護師の森ちゃんが記憶障害と今日の手術について説明するシーン。
「ああ私はこういうのが観たかったんだ」と思いました。相手を信頼して、お願い事をする。それができる関係性。
女の敵は女」みたいなのはもう十分なので、
異性同士でも同性同士でもなんでも、みんな優しいのがいい……



この空気感が原作からのものなのか気になって、原作マンガを無料公開分3巻+有料2巻で5巻まで読みました。そしたら初っ端から「30代独身のエリート医師が来る」と知ったミヤビ先生が「ささささ!」っとお化粧を直すギャグシーンがあり、「あっnot for meだこれ」と思いました。初手でやられるマリオみたいな勢いだった。私のメンタルが雑魚すぎる。調べたら雑誌『モーニング』で連載されている漫画だそうで、

「読むと元気になる!」
オトナ男女向け本格青年誌

大人が楽しめる王道青年誌。国民的アイコンの『会長 島耕作』『クッキングパパ』から『宇宙兄弟』『グラゼニ』『GIANT KILLING』などのヒット作、『きのう何食べた?』『鬼灯の冷徹』は女性にも人気!


なるほど『会長 島耕作』の雑誌…!と思いました。
なんとなく、漫画の『アンメット』にとっては私はメインターゲット層ではないというのを読み進めるうちにそこかしこから感じて、たとえばドラマ版では野呂佳代さんが演じていてサイコーな麻酔科医の成増先生が漫画では色っぽく三瓶先生にちょっかいを出したりしているので、「そういうのめんどくさいな」と思ったりしました。ショックでマリオが3機やられた。私のメンタルが雑魚すぎる。
でも、そういった枝葉を気にせずに読んでいくと、お話の展開はやはり面白く、また、ドラマに通じる「優しさ」に溢れた漫画だなというのがだんだんとわかってきて。
私は普段、「メインの読者層とは異なる層にも作品を届けるために内容を改変しました」みたいな行為は大文字で余計なことはやめろと書きたくなるくらい好きじゃないのですが、今回ばかりは私のような心のマリオがすぐ死ぬ視聴者も観られるようにと丁寧に剪定して間口を広げてくださったおかげで素晴らしい物語に出会えたのだと思うので、「ありがたい改変というのもあるんだなあ……」と大変勉強になりました。


でも。
原作ではもう少しお年を召しているように見える大迫教授が井浦新さんになっているというのは、私にとっては万々歳ですがその根底にあるものは「男性キャラが女性キャラに変更されて恋愛要素が追加された」みたいな、見る人が見たら「余計なことはやめろ」案件とそんなに変わらないもののような気がしていて、これは私の中にあるルッキズムやエイジズムみたいなものを自覚しないといけないな、と漫画を読んでいて感じました。
いや、でも何かを隠してる井浦新さんなんて人類全員好きなやつでしょ……!!抗えないこの魅力。この矛盾と私はしっかり向き合わなければいけない……



そういえば私は生田絵梨花さんが好きなのですが、生田さんは杉咲さん、若葉さん、岡山さんとは流派の異なるお芝居をされていて、そこがまた綾野先生と麻衣さんのすれ違いや距離感みたいなものを暗に示している気がして好きなんですよね……生田さんにはどんな役でも幸せになってほしい……


作り手の思いがひしひしと伝わってきて、かつそれが自分にとって心地よいものであると感じる作品は、少しくらい話の辻褄とか設定のリアリティとかに綻びが見えても気にならないものだなあ、と感じています。
が、8話のラストで三瓶先生が「えっ何が大丈夫なんですか?何も解決してないですよね」って言ったのは最高でした、いやほんとそれ、なんっにも解決してない、どーすんの、でも良かったね………!!の気持ち。



誰かからもらった優しさ、どこかで感じたぬくもり、何にも昇華できないまま残っている悔しさ、あの時のあなたともう会えないかもしれない恐怖、自分が失ったものの形を知る悲しみ。そういった感情の手触りを「みなさんはきっと知っているはず」、「伝わるはず」と作り手の皆さんから信用されている。そんなふうに感じます。私たちは作品の最後のピースを託されている。
あと何話なのかもわからないまま観てますが、残りの数話も、私の中で想起される感情を慈しみながら観たいと思います。