王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

ドラマ『オールドファッションカップケーキ』感想

木村達成さんの一ファンが見たドラマ『オールドファッションカップケーキ』の感想を、随時この記事に追加していきます。





目次

 

2022/06/18 第1〜2話感想

1,2話の感想はこちらの記事に書いています。



2022/06/26 第3話感想

今回も脚本がとても良かった…………最後にダメ押しのように出現した外川メール描写、最高の追加エピソードだった………1通目の外川めちゃくちゃ良い顔してるし(あんな最高な口角の上がり方ある!?)、「あれ、野末さん…?」の言い方があまりにも天才……散歩に行くと思って飛び出したら後ろに飼い主さんが居なかった時のわんちゃんに声当てたのかと思った。
しかもこれを主題歌とエンドロールにのせて、っていうのが「ドラマの主要人物!!!!!!」って感じでまた良い………そもそも主題歌が作品に合っていてすごく良い………


もろもろの実写化作品関係者の偉い人聞こえますかー!!!
こういうオリジナル要素なら!!!!
全然いいの!!!!!!!!!!!!!


無駄なオリキャラとか!!
解釈違いの追加エピとか!!
キャラの名前しか残ってねえ別物とか!!
そういうんじゃなくて!!!!


こういうキャラクターの解像度がグッと上がるようなオリジナル要素なら大歓迎なんですよ!!!!


もろもろの実写化の偉い人聞こえる?聞こえてないね?どの方角に叫んだらいい??北北西???




あと例の「野末さんに『でかくて邪魔』と言われた外川がちょっと屈んで小さくなるシーン」ね……FODで無料公開されている完成発表会でこれが木村さんのアドリブだと明らかになっていましたが、武田さんに「ずっと横にいていろいろやるから笑」と言われた木村さんが「いや居たいんですもん」「一緒に居たい気持ちを抑えられなくなる」と言っててもうほんと外川さんとして生きてるんだよな…と。


そしてこれがアドリブということはこれを受けた野末さんの「いや、高さを変えたとてよ」と外川の「とて…」もアドリブでしょうから、物語の延長線上にこんなやりとりを生み出せる武田さんと木村さんが野末さんと外川さんを演じてくれて良かったなと思ったし、そうやって自由なお芝居もできたのは加藤綾佳監督の現場作りの賜物なのかな…?と思いました。
あとこれが「ずっと確認してたもん」「もん?」のくだりといい具合に調和してるのも良かった。外川くんのおうむ返しシリーズ。


なんとなく、2話からやってる外川が写真撮りまくるのと野末さんが「すんごい撮るよね」って言うくだりとかも脚本にはないんじゃないかって思ってるんだけど、確かめようがないな…シナリオ本出してくれないかな……本編のBlu-rayもお願いします……メイキングも入れてください………



野末さんといえば「どうなんですか?は?は?」という全然怖くないプンスカした感じが絶妙で、武田さん本当に芸達者だなと思いました。逆に外川の「は?」はめちゃくちゃ怖い。でも普通こうなるよね、「は?」って言葉。だから余計に野末さんのあの感じを出せる武田さんがすごいなあと。



個人的に、自分でもなんでかわからないけど好きだったのが、野末さんに2分間でそこに全部詰め込んだんだろうけどって言われた時の外川くんの笑い方と「そういうの気づかないふりを」の言い方。
えっ…めっちゃ良くない…?この反応すごいリアルじゃない?職場にいそうじゃない??こういう上司の絡みと「やられた〜」みたいな顔するけど言い返せる部下、みたいの飲み会とかでまああるよね???(注:雰囲気のいい現場限定)
外川さんがすごいリアルな存在に感じられていいなあと思いました。「毎日食いたいです」のもぐもぐ具合も好きだな…


あと体で払おうかと言われた時とか布団あるよって言われた時とか、外川めちゃくちゃいい表情するね…?思ってることが顔に書いてあるみたいな…それでいてやりすぎてないみたいな…
舞台とはまた少し勝手が違いそうな細かい感情表現だから、そんなのもできるって知らなかった……いつの間にそんな技術を……すごいね……



最後に色々吹っ飛ばしてくれた4話の予告ですが、6/21に発売された雑誌『awesome! Vol.51』の木村さんインタビューによるとあのシーンは一連を長回しで撮ったそうで、「その時点で監督も僕が外川として生き始めていることを理解してくださっていた」のでテストもせずに本番をやったとのこと。(でも1回目は「優しすぎる」という理由でNGになったそう。それについてはこちらの記事にも記載がありました)
他にも、当事者ではない木村さんがどのような思いで、どのような責任感を持って外川という役を生きようとしたのか、また、ドラマ化発表時の木村さんのコメント「外川の葛藤、野末さんに対する愛を演じることは、苦しくもあり、楽しくもありました」という言葉にどんな意味があったのかなど、木村さんの役への向き合い方の一端を知ることができ、とても読み応えのある記事でした。「楽しくもありました」がまさかあんな境地から出た言葉だったとは思わないじゃん……。
好きな俳優さんがそれだけ真剣に向き合って生きた姿、心して見なくてはと思っています。







2022/06/27 第4話感想

ああ、やっぱりこの人はいつも、予想も期待も飛び越えて、最高のお芝居を見せてくれる。
木村達成さんのお芝居が好きです。(1日ぶり3000回目)

「でもどちらもお芝居で、すべては嘘じゃないですか?だからやることは一緒というか、いかに自分の脳を騙して、どれだけ嘘を少なくさせるか、本当にその役であるかのようになれるか、ってことだと思うんです」
シンコー・ミュージック・ムック『awesome! Vol.51』、88頁)


木村さんのインタビューには時折、この「どれだけ嘘を少なくさせるか」というお話が出てきます。4話最後の外川の気持ちの発露、そして吐露のシーンは、まさにその真髄を目の当たりにした気分でした。本物の感情の揺れ動きが、カメラで撮られる彼らの中に実際にあるような。
その一方で、木村さんはこのようにも言っています。

「外川が野末(武田航平)に変わってほしい、と思う気持ちは本当ですけど、その中で野末が好きという感情も大きくなるし、そこを自分の中で整理をつけないといけない。それは簡単じゃなかったと思うんです、絶対に。その苦しみは僕の理解の範疇にあることではないですが、忘れちゃいけないし、簡単に演じてはいけない、と思っていました」
(同、85頁)


この発言からは、「自分ではない他者」である役の気持ちを完全に「わかる」ことはできない、わかった気になってはいけない、という自分への戒めと、だからこそできる限り近づかなければいけない、という思いを感じました。役は最終的に役者が演じるものなのだから、「自分が100%理解しています」と言っても良さそうなのに、なぜ木村さんはこのように考えたのか。そのヒントがこちらにある気がします。

「悩みや苦しみをこういったエンターテイメントに変換した時、どんなふうに受け取ってもらえるかはわからないですけど、同じような想いを抱えている人はいるわけじゃないですか?」
(同、85頁)


つまり、ドラマというエンタメを通して接触するはずの、外川の向こう側にいる多くの人々のことに思いが至っているのだなと。
だからこそ、外川という役に真摯に、大切に向き合って生きようとした。すべては嘘だけど、可能な限りそれを小さくして。


セクシュアリティに限らず)マイノリティを当事者以外の人が演じることについて、今の私は、正直なところ諸手を挙げて賛成できているわけではありません。また、社会の側に偏見や差別的構造が残っている現状を見て、どのレイヤーの話かを置き去りに「同性同士の恋愛は異性同士の恋愛と変わらない」とも言えません。
ですが、木村さんだけでなく野末役の武田さんや監督、脚本家の方々などの丁寧な「人を想像する」取り組みの結果として、このドラマは、佐岸左岸先生のコメントを現実として成し得つつあるのではないか、と思います。

「この物語は世界中のどこにでもある、ごくありふれたラブストーリーです。ですが、恋はふたりにとってしか特別ではない、その特別感をこのドラマは丁寧に描いてくださっているのではないかなと思います。」
(ドラマ『オールドファッションカップケーキ』公式サイトより)


はじめに「私と同じ」と知ること、そこから「私と違う苦しみ」を知ること。
「あなたと同じ」自分を見つけること、そこから「あなたと違う苦しみ」に気づくこと。
それでもあなたを愛おしく思うこと。
これはなんてことないありふれたラブストーリーで、それを特別なものだと思うのは二人だけで良くて。最終話を見て、綺麗事だけでなく、ああ本当にそうだなあ、と思えたら、幸せかもしれないなあと思いました。

細かい感想はまたじっくり考えて書きたいです。





2022/06/30 第1〜4話の脚本と主題歌の良さについて

本作を見ていて、野末さん役の武田航平さん&外川さん役の木村達成さんのお二人の演技と同じくらい感動しているものがあります。
脚本と主題歌です。
(でも一番すごいのは多分監督なのだろうと思います……詳しく言語化できないので書かないですけど、この作品が「このように」実写化されているのは、きっと加藤綾佳監督の感性のおかげ…………本当にすごい…………………ありがとうございます…………)


これは最新のライフハックなんですけど、このドラマの主題歌であるRyu Matsuyama『blue blur feat. mabanua』を聴きながら朝の準備をしていると、どんなにキッチンや部屋の中が壮絶な感じになっていてもなぜか「ていねいな暮らし」をしているような気になれます。
そんで歌詞がまた、

今のまま、自分のままで良い
と思ってたんだけど
君の手に触れてしまったんだ


めちゃくちゃ野末さんの歌だ
っていう………野末さんのこと考えながら朝を過ごせるので………おすすめです………


歌詞全文はこちら!!!!!!


さてここから長くなるのですが、私はこのドラマの脚本が上手いなあと毎回唸っています。その良さはいくつかあって、このあたりが特に好きだなと思います。
①とにかく原作を尊重している
②原作を発展させた改変が絶妙
③モノローグを極力減らしている
④外川就活時代のエピソードのアレンジが秀逸


<注:以下で原作改変箇所を絶賛しますが、「原作よりもドラマの脚本のほうが良い」という意味ではなく、「原作から変わってるけど映像にするなら確かにそうしたほうがいいと思った」という意味です。原作が全ての始まりであり至高です。>


<注2:あまり厳密に検証できていないので勘違いなどあったら大変申し訳ありません……あと、ただの一個人の解釈です!!すみません!!!>



①とにかく原作を尊重している
これについては一目瞭然なので詳しく語るまでもないのですが、このドラマの「話の流れや台詞については余計な改変を加えることなく原作を踏襲している」という点がどれだけ稀有か、どれだけすごいことか、そしてどれだけ大切なことなのか、というのはなんかもう声を大にして言いたい。なぜ日本の実写化においてそれができない作品が多いのか、よく知りませんけども。


ただ、実は以前同じくらい原作そのままにやっていた実写化ドラマを目撃したことがありまして、それがドラマ『弱虫ペダル』シリーズ(※)なんですが、あれも有料のスカパー!だったし、この作品もFODと楽天のみの有料配信だし、やっぱりそういう、スポンサー等もろもろの力関係から解放されることが必要なのでしょうか……?
今FODで見てるけど、何かお礼したいから(?)楽天でも買おうかなあ。


※ 今回外川役の木村達成さんが今泉役で出演していました。



② 原作を発展させた改変が絶妙
一方で、先に挙げたドラマ『弱虫ペダル』と大きく違うのが、実は改変箇所も少なくないということです。弱虫ペダルはロケーションから小道具、時にはアングルに至るまで本当に「極力まんま」という印象でしたが、本作ではたとえば「会話する場所」などはわりと変わっているシーンも多いと感じています。1話であれば「もう39ならもっと昇進してほしい」と話す場所がエレベーターから屋上?に変わっていたり、女の子ごっこに誘うのも駅から外のベンチに変わっていたり。

物語の表現手法が「漫画で見せる」から「映像で見せる」に変わると映える条件や制約も変わってくると思いますが、その中でも漫画寄りに最大公約数を探ったのが弱虫ペダル、映像寄りに適応したのが本作という感じがしました。
そして、映像としての最良を追求した本作のうち、特に唸ったのが、原作を発展させたオリジナル描写の追加です。


印象的だったのはこの辺り…

話数 原作 ドラマ
1 外川が野末に煙草を控えた方がいいと進言(その後特にやめるシーンはない) 同じく外川が進言→野末が煙草をちょっとやめたら外川が「禁煙ですね」と嬉しそうにする
(この禁煙が2巻の描写と矛盾しない)
2 なし 外川の朝のルーティーン:スマホで起きる、牛乳をパックから直接飲む
(実は2巻にこれらの根拠となる描写がある)
2 なし 外川が野末の写真を眺めたりお昼のお店を探したり唇を尖らせ気味に野末ランチ集団を見下ろしたりしている
2 野末が自主的に三つ揃いのスーツを着てくる
→外川が気づいて以前はよく着てらしたでしょうやっぱりお似合いですと言う
先に外川がもう着ないんですか?と言う
→その後野末が着てきたことに気づいて外川がやっぱりお似合いですと言う
3 飲み会後に酔っ払いに絡まれている野末 スマホで撮れてしまった外川の「ビデオ」を見ている野末
3 なし 外川サイドのメール送信描写


これらの描写が追加されたことによる一番の効果は「1話25分全5話の映像作品」として見やすくなったことだと思っていて、たとえば煙草、三つ揃いのスーツ、外川のメールのエピソードは起承転結の「結」におさまることで話の座りが良くなっているし、2話の外川の朝のルーティーンは1話の野末さんの朝のシーンと対の「起」になって連続感を生み出しています。同じく2話のいくつかの外川サイドの描写は、話の傾向をある程度わかって読んでいる人が多いと思われる原作よりも比較的早い段階で外川の行動をわかりやすく提示し、その気持ちを視聴者に悟らせることに寄与しています。


でも何よりすごいのが、これらのオリジナル要素が決して邪魔にならず、むしろ登場人物たちの解像度を高めている…もっと言うなら「愛しさ」を爆上げさせている点であって、「キャラ崩壊とか起こすなら!!アニオリドラオリなんて入れんじゃねえ!!!!」と言わせない仕上がりになっているのがほんとすごい。特に外川の朝のルーティーンとか、1巻の内容と矛盾しないどころか2巻で野末さんが外川を朝起こす時「いつもスマホで起きてるんじゃないの?」と言ったり、野末さんが朝二人のコーヒー淹れてる時の牛乳に「コップで飲め!!」ってメモが貼ってあったり(ネタバレ反転)するんですよ…………ちゃんとそこまで読み込んでるってことでしょ…………「原作を尊重する」ってこういうことですよね……………ありがとうございます……………。あ、あと副次効果として「野末さんが変わり始めた(しかも外川の望む方へ)」ということが心情だけでなく行動で示された点もいいなと思います。



③モノローグを極力減らしている
上記の「心情だけでなく行動で…」という点に関係してくるのですが、このドラマはなるべくモノローグを使わないように作られているのかなという印象を受けました。
ノローグは原作の素晴らしさを構成する重要な要素のひとつと思っていたのでこの作りは意外でしたが、実際に映像で見てみると会話だけでもかなり言葉が多いので、モノローグまでナレーションで入れたら人の声が多すぎると感じただろうなと推測できます。
漫画なら口に出した声と心の声を視覚的に区別できるけど、映像では声が聴覚情報になって区別をつけるのが難しいので……。


本作はむしろ、モノローグを厳選し、あるいは実際に口に出す言葉として取り込むことで、原作の傑出した会話劇としての側面が際立っているのではないかと思います。また、武田さんの穏やかで細やかなお芝居によって、野末さんの説明されない心情がきちんと補完されているという面もとても大きい。
さらには、なんだか、二人が対話することの大事さを教えてくれる気さえします。


ですが、この取り組みの中でもかなり難しかったのではないかと思うのが、4話で野末さんが急に帰ると言い出すシーンです。


原作では、ここに野末さんのモノローグが入っています。

なんか、
 
だめだ。
だめな気がする。
 
言ったり言わせたり
したら駄目なものが、
 
溢れそうな気がする。


この野末さんの心境を、説明なしでどう視聴者に納得させるか。これはさすがに役者さんの表情だけではどうにもなりません。
めちゃくちゃ難しい問題だと思うんですよ……私だったら(私だったらとは)なんか挫折してモノローグ入れるか違う感じの流れにしちゃうな…………


しかしこのドラマの脚本は見事にモノローグなしでこのシーンを成立させたのです。




その解答は、
「外川に好意を持つ女性からの電話が鳴る」。



いやマジで天才では????????



これによって、視聴者は「ああ、野末さんはまた自分の思う現実に立ち返って、外川のためにもこれ以上踏み込む前に身を引かなきゃと思ってしまったんだな」とわかります。
前日にこの女性との合コンに行っているのは原作通りですから、唐突感はまったくありません。
しかもそれだけではなく、野末さんが「付き合うなら、普通、異性」と思い込んでしまっていることもわかる。
起きた事象に対する野末さんの行動=「急に帰ろうとする」が、原作のモノローグの「だめ」という言葉、つまり野末さんが縛られている価値観の暗示に繋がっているのです。


すごいなあ…………。
このほんの少しの改変だけでモノローグなし&説明台詞なしを成立させているの、本当にすごい。



④外川就活時代のエピソードのアレンジが秀逸
そして、何より秀逸だったと思うのが外川の就活時代のエピソードのアレンジの仕方です。


原作では、外川の就活時代のエピソードはドラマと同じく「パンケーキもぐもぐ外川」を見て野末さんが昔を思い出す、という形で描かれています。内容は1話の同タイミングで描かれていたものとほぼ同じですが、いくつか違いがあります。


ひとつめは、野末さんが外川を見つけたのが、外川が街なかでもぐもぐしていた時ではなく、すでに自棄酒をあおった帰りであったこと。ふたつめは、外川の面接時の言葉(「何がしたいかもわからない」など)がここの野末さんの台詞で初出であること。そしてみっつめは、「大丈夫、君は……」という野末さんの言葉がここですでに描かれていること。この中で、ドラマでは特にふたつめとみっつめの改変が大きな役割を果たしています。(ひとつめの改変は野末さんが思い出すきっかけとしての見た目のわかりやすさによるものかなと思います)



まず、ふたつめの外川の面接時の言葉。

外川「私は……私は今まで何もしてきませんでした。だからこれからも何ができるかわかりませんし、そもそも何がしたいのかもわかりません」


ドラマではこの言葉が、野末さんと桐島部長の電話シーン中の外川自身の回想として挿入されています。そのきっかけが、野末さんが昇進を断ったこと。

野末「俺はもう何ができるかもわからないし、そもそも何がしたいのかよくわかんないし」


原作ではこの「野末が直接昇進を断る」というエピソード自体がなく、桐島部長の呼び出しは(おそらく昇進につながりそうな)仕事の打診(野末さんがその場で断る)と合コンの誘いだけで終わっているのですが、ドラマはそれを少しアレンジして、桐島部長から昇進の話を出し、野末さんにそれを断る理由として「就活時代の外川と同じ言葉」を外川の目の前で言わせることで、外川に野末さんと昔の自分とを重ね合わせさせています。


同時に、視聴者に「昔の外川は今の野末さんと同じようなことを言っていた」と伝えることで、このあと「外川が野末さんを強引にでも女の子ごっこに誘わなくてはと思った動機」が「上司として尊敬しているから」だけでなく「昔自分も同じような状態だったから」もあるのだろうなと感じ取らせてもいます。


また、後に外川が野末さんを「口説いていた」ことが明らかになってからも、このアレンジが効力を持っていて、この時の外川は「口説き」目的だけで野末さんを誘ったのではなく、「(昔の自分が野末さんのおかげで変われたように)自分も野末さんの力になりたい」というような理由もあったであろうことが強調される形になっているかなと思います。



そしてみっつめ。「大丈夫、君は……」という野末さんの台詞が、ドラマの1話ではカットされ、4話で初めて登場したこと。
原作でも4話の同シーンで外川が野末さんに語る形でこの台詞が出てくるのですが、ドラマでは回想シーンの映像として視覚的に情報が提示されています。ここはこの野末さんの言葉以外はすべてドラマのオリジナルだと思いますが、このエピソードの力がすごい。

野末「でもさ、人生って仕事だけじゃないでしょ。仲間との時間だったり、趣味だったり、恋愛だったり」
外川「……どれも俺には……」
野末「(外川を下から覗き込んで)ほーんとにぃ?」
外川「…………」
野末「そう思い込んで自分に期待しないようにしてない?」
外川「…………」
野末「大丈夫。君はもっとこれから自分を好きになっていけるから」
外川「…………」


(いや、ここの演技、お二人とも素晴らしすぎるな…………すごい………キャスティングが大正解すぎる………………)


外川を覗き込んだ野末さんの瞳と、最後に野末さんを見る外川の瞳が、あまりにも雄弁で。
なんという説得力。
外川が野末さんを好きになったということに、納得しかないなと………4話のこの後の展開に何の不自然さもなくバトンを渡している。
そして、これは個人的な印象ですが、この外川の「……どれも俺には……」という言葉が、後の「残念ながら俺にはそれが常識で」という言葉と結びついて、彼がこの時点でなぜ自暴自棄のようになってしまっていたのかを想像させる響きすら持っているように感じました。さらに、そこから「あの頃より百倍は自分のことが好き」になれた、その野末さんとの出会いがどれだけ大きなものであったのかも。


原作ものの映像作品として、あまりに秀逸なアレンジ(と、それを実現する演出と演技)だなあと思いました。




……そして、私はここまで来て気がついたのです。
主題歌であるRyu Matsuyama『blue blur feat. mabanua』。

君の手に触れてしまったんだ
その瞬間、
僕の目の中に映ったんだ
You


めちゃくちゃ外川の歌だ
っていう………えええええ……主題歌も脚本も演出もスタッフさんもキャストさんも原作者様も、この作品に関わっている方全員天才なのでは…………??
野末さんの歌でもあり、外川の歌でもあり。
正反対のようで、一度目の成人と二度目の成人を境に似ている二人でもあったんだなあと。


主題歌のコラボPVはこちら!!!!!



「漫画を生身の人間で再現する」というのは、忠実に漫画の真似をするだけでは意外とうまくいかなくて。
現実の世界に街があり家があり食べ物があり人がいる、その制約と自由の中で何をどうすれば「あの世界」を成立させることができるのか、その選択肢は無限にあると思うので、これだけの正解を選び取ってこの『オールドファッションカップケーキ』の映像を作り出した加藤監督をはじめとする座組のみなさまには、驚きと感謝ばかりです。
最終回も、このままの素敵な世界が続いていたらと願ってやみません。


木村さんや武田さんのお芝居についても書きたいのですが、文字数が多くなってしまったので一旦このへんで。



2022/07/04 第5話感想

ラストシーンがとても穏やかで、落ち着いていて、光が綺麗で、ああ、良かった、と思いました。
↑この文章、最初は「ラストシーンの野末さんと外川さんがとっても幸せそうで……!!」と書いてたんですけど、それだと何か言葉がまだ足りない気がして。
「しあわせ〜(๑>◡<๑)」みたいな、幸せオーラめっちゃ出ててこっちまでハッピーな気分になってくる、眩しいよ〜!!!!みたいな雰囲気ではなくて、でも二人が幸せそう、円満、充実した感じなのは間違いないんだけど、なんというかあくまで日常の一部みたいな、特別感を抑えたこのラストシーンの空気感。


ああそうかこれだ、外川が野末さんから教えてもらったことってきっとこんな時間の過ごし方なのでは、と思いました。

人を許す健やかさとか
人を想像する優しさ。
 
何でもない笑顔とか
特別じゃない幸福感。
寝るだけじゃない休日。
 
大人になってから
そういうことを
思い出させてくれたり
教えてくれたりするのは
野末さんだけです。
 
(ドラマ第4話より)


私は4話のこのシーンが大好きで。
ちょっと明るすぎるくらいの採光の中での、
木村さんの、外川が野末さんからもらったものをひとつひとつ数えていくような台詞の発し方。
それによって佐岸左岸先生の紡いだ言葉がこの世に生を享け、ゆっくりと床に落ちていく、
その響きと精神性が絡み合う美しさ。


決して文語でも韻文でもない口語体だけれど、普段の会話でよく発するかというとそうでもなさそうな、子どもが初めて作ったミョウバンの結晶みたいな言葉の並び。
それを、カーテンの開いた窓からの真っ白な光をバックに並べていく、という加藤監督の演出と、
木村さんが今まで舞台で培ってきた非日常的な台詞を私たちの日常の中に放つことの巧さ、
そしてそれを受け止めていく武田さんが表情に宿した陰影、あるいはその存在感の光とのコントラスト。
いくつもの要素が奇跡的に噛み合って成立しているシーンのように感じて、とても印象的でした。


でも、台詞の全ての意味を理解できていたかというと全然で。特に「何でもない笑顔」とか「特別じゃない幸福感」って、どんなもののことを言っているんだろう、と、4話を鬼リピしながらずっと考えていました。そして結局わからなかった。



その!
わからなかった言葉が!!
あのラストのシーンの空気感をなんと言ったらいいのだろう、と考えていた時にふと頭の中に浮かんできたのです。


何でもない笑顔、特別じゃない幸福感。
そうか、何でもない笑顔ってこのシーンの二人みたいな笑顔のことか。
そうか、特別じゃない幸福感って、このシーンの二人が抱いていそうな感情のことか。
「野末さん、明日はどこ行きましょう」。もしかしたら明日は休日なのかもしれない。


誰かを好きになるのは非日常的なことだけど、誰かと生きていくのはもう特別なことじゃない日常で、
これから日常を生きていく二人の人生の、とある一部を切り取って我々は見せてもらったんだなあ、と感じました。うまく言えないけど…………!!!



以下、4話の終盤と5話の外川の好きなところ列挙。
すみません木村さんファンなのでどうしてもまず新鮮なうちに外川について書いておきたいのです今朝5時です朝っぱらから何してるんだろう。



・4話の就活外川の「はい、だから死ぬ気で」の言い方ほんとうに空回っててつらい。何かについて火力を調整するほどの回数をこなせなかった人は、加減を知らないままになってしまうということと、それゆえに自分の価値を低く見積もるがために、全力で頑張ることだけがそこに居させてもらう条件だと思ってしまう、それがあの言い方にめちゃくちゃ死ぬほど良く出てて、これだけ才能に溢れ色んなことができる木村さんがどうして「何もやってこなかった」側の人の喋り方ができるのか全然わからない


・4話の「多くの人の常識の範疇にないことは」で喋りながら息を吐いてしまうみたいな言い方になるの、今までの絶望と恐怖の積み重ねの切れ端が出ていると感じるけど、ほんとよくそんなふうな喋り方になれるなって思う。


・4話の23:55で外川の目から原作と全く同じタイミングで涙が落ちるの、そうだよなあ木村さんならそれくらいやるよなそういうお芝居する役者さんだよな……と思ったけど、私が心底すごいなあと思ったのは「そこまで涙を落としてない」という点なんですよね……「すげぇ嬉しくて」以降もう泣き声になってるからいつ涙が頬をつたってしまってもおかしくなさそうなのに……そんなのってコントロールできるもんなの……?


・5話のタイトルが出る前、左右の目から涙がぽろ、ぽろと時間差で落ちるのが綺麗に映っていて嬉しい。4話は画面が暗いまま見てたら見逃しそうだったので…


・外川(木村達成さん)と中村くん(水石亜飛夢さん)はテニミュ2ndの海堂と柳だからマジでアツいっていう話は長くなるので朝の5時に書き始められる話ではない
(中村くんめちゃくちゃいい味出してて好き…今回も3から20とかぶつぶつ言ってるの好き)


・「ちょっと待ってください」のあとの「ストップ」の言い方


・それはたぶん同情です、のくだり。4話の外川が思いを告げるシーンもそうだったけど大事なシーンであえてほとんど表情を見せないように撮っているのがすごい。見てる側としては、顔が見えないとそれ以外の情報(声に乗る情報や顔以外の身体から発せられる情報)の受容量&解析量がグンと上がる感じがするなあと。
で、また、木村さんが声とか身体の片隅(咬筋とか指先とか)に感情乗せるのが巧みなのでその演出とめちゃくちゃ相性が良かった気がするなあという話


・「君の知らない新しい幸せを…」の野末さんの包容力本当にいい


・「君が好きだよ」と言われた時の外川のあのちょっとだけ拗ねるみたいな口を尖らせるような表情何!?!?!!?2話でストローくわえて野末さんランチグループを見下ろしていた顔とそんな変わらんのですよ、それが上目遣いになっただけであんな…………あんな……………ほんと……木村さんすごいね………


・野末さんの「うん」優しいね…………


・「何も面白くないです」以降の「いつもの外川」の喋り方に戻った感がすごい


・個人的に心配だった「大丈夫です」のところ。ドラマオリジナルの4話就活時代回想シーンがあったことによって、ドラマ版外川のこの「大丈夫」という気持ちが簡単に形成されたものではないことがわかる。このドラマがマジョリティからマイノリティへ一方的に前向きさを押し付けようとしているのではないことは伝わってくる


・「え?81からは?」という小さな小さなドラマオリジナル台詞によって、柔らかな気持ちの遷移ができ、ふたりの笑顔も見られてとても秀逸。


・「くっそ」(良さ、言葉にできない)


・最後のシーン、野末さんは謙遜も少しありの本音で部下が優秀だからって言って、外川はそれにわかっててもやきもち妬いて、今度は自分が課長が優秀なんでってちょっと意趣返しして、野末さんもそれがやきもちと意趣返しだってわかってて、外川も野末さんがわかってることわかってて、最後二人でふふって笑っちゃうって、脚本のオリジナルなのにしっかり「この時点での」野末さんと外川のやりとりになってるんだよなあすごいなあ………


・4話まで極力モノローグを抑えてきたから、ここぞという5話のモノローグがほんと効いてる


・ラストのシーンは原作の表紙絵の再現。そうだろうと思ってはいても、実際ここまで見事にオリジナルシーンでそれを実現されると、感動しちゃうし感服する。





新しい課長の描写とか、野末さんと外川さんのシーン以外のところでちょっとどうかなと思ったシーンがなくはないのですが、「漫画の実写化ドラマ」としては、個人的には今まで見てきた(そんな多くないけど)中で最高と言っても出来だったので、本当にそこまで「いいなあ」と思えるドラマに好きな俳優さんが出演されていることがありがたくてたまらないです。
一方で自分の中の他の観点から見た時どうだっただろう、というのは、これからじっくり考えます。
まずは最終回まで見た自分の第一印象を残しておきたくて書きました。おしまい。






2022/07/11 全5話の脚本と二人の「口説き合い」について

(以前メモとしてツイートした感想に加筆修正しました)


・ドラマ全5話の脚本について
1話の禁煙、2話の三つ揃いのスーツ、3話のスマホなど、ドラマ版は原作にあるアイテムを使って起承転結の「起」と「結」を綺麗に見せてくる改変が多かったのですが、4話はあえて25分では終わらせず、引きを作って5話の冒頭まで引っ張ってから物語を結んでいました。
 
そして始まる5話の朝は、明確に1話の朝との対比になっていて、(久しぶりに吸ったのかなと思わせるような)煙草の吸い殻、スマホで起きる朝、三つ揃いのスーツで出社する野末さん……そこには野末さんが外川のおかげで変わっていったことを象徴するアイテムたちが散りばめられていて。
 
それを踏まえて5話の物語の「起」として、それらのアイテムと「スイーツ」に馴染んだ野末さんが新しい仕事を「やってみようかな」と思う姿が追加で描かれている……というのが、ラブストーリーに包含される野末さんの変化を描いた「君のおかげ」の物語すぎて、私が外川だったら泣いちゃうなと思いました。「君のおかげ」が其処彼処に溢れているもの……。
 
吉井怜さん演じる桐島部長がまた声が良くて、すごく、女性で部長まで上がってきた方、というのにリアリティがあると感じるのですよね。しかもパワハラやセクハラっぽいことをかなり言うじゃないですか。あれが、そういう価値観に己を染めなければここまで来られなかったというのもあるんだろうなと思わせる。でも決して骨の髄まで染まりきってるわけではなくて、今回も若い女性ばかりのお店でパフェを食べる野末さんに「すごいね…あんた」とは言うけど、嗤ったり否定したりはしない。2巻の桐島さんに通じていく演技・描写だと思いました。
 
そしてそんな、長らく野末さんの同僚としてともに荒波を乗り越えてきた彼女が、「あんた……変わったね」というくらい、最近の野末さんの変化は顕著で。その背景には、外川の存在があって。



 
原作もドラマも、外川が一番最初に野末さんに望んだことは仕事に関することで、それはこれまでの野末さんとの接点が主に仕事だったというのもあるのでしょうが、加えて、(これは電子版episode.0の話なのですが)かつての野末さん自身が新入り外川に仕事を楽しむ選択肢の話をしていて、昔の外川にも今の外川にもその一言一句がずっと響いているから、というのがあるんじゃないかな……と思いました。

 
「俺は野末さんと仕事するの楽しいです。だからっていうんじゃないですけど、…野末さんにも楽しく仕事してほしいです。」
自分がいま仕事を楽しめているのは、あなたのおかげです。覚えていますか。と、ノックするようなこの言葉。思えば外川は、ここからずっと野末さんの扉をノックする言葉を発し続けています。コンコン、と優しく叩いてみたり、おそるおそる触れてみたり、蹴り破る覚悟でぶつかってみたり。
コンコン、コンコン、聞こえますか。覚えてますか。

 
ずっと憧れてきた人が、自分たちのやってることを(出世競争という一面のことだけかもしれないけれども)「めんどうなんだよね」と言い出した時の気持ち、少しだけわかる気がします。ある意味では失望にも近い。だって私はそれを楽しいと思ってやってるのに、やってきたのに、その楽しさを教えてくれた張本人が、自分や私やみんなが一生懸命やっていることを腐すようなことを言う。それも無自覚に。
外川は、この時点で野末さんを見限ってもおかしくないです。でも、そうはならなかった。彼のことが好きだから。

 
外川が野末さんを女の子ごっこに誘ったのは、「口説きの一環」、野末さんともっと近づきたかったから、というのが大きいとは思いますが、一方で、野末さんが自分を変えてくれたように、自分も野末さんの力になりたい、野末さんには楽しくなってもらいたい、という気持ちもきっとまた本物で。というか、この両者はおそらく切り離せるものではなくて、全部一緒くたになって、ただただ「好きだから」なんだな、と何回か繰り返し見ているうちに思いました。
コンコン、聞こえますか、覚えてますか。
コンコン、聞こえなくてもいいんです。
コンコン。ただここに居させてください。
……。……。

 
外川がノックをやめた時、その音に心地良さを感じていたことに野末さんが気づく、その描写、武田さんの「傾いていくような」表情とモノローグが本当に秀逸で。そのノックは女の子ごっこなんかよりもっとずっと前から鳴っていたのに、なんで気づかなかったんだろう。ありますよね、そういうこと…恋とかじゃなくても。そういう気づきと後悔はつねに日常にあふれている、なんてことない出来事です。ただ、その結果として出てきた言葉、「俺のせいで泣いてほしい。」
これがもう、野末さんを野末さんたらしめている、この漫画を傑作たらしめている、そしてこのドラマを名作たらしめたと言っていいんじゃないかと思わせる最高の台詞で。こんなに「特別さ」が伝わってくるどーーしようもない独占欲にまみれた12文字、ある??、??????


 

ラストシーンの「あのさ、今更なんだけど、異動、外川のこと避けようと思って決めたわけじゃなくて…」というやりとり、その直前までの原作リスペクト溢れる改変と比べたらとても直球で、その場で急遽追加したのかと思うくらいなんですが。
でももし、 「俺は野末さんと仕事するの楽しいです。だからっていうんじゃないですけど、…野末さんにも楽しく仕事してほしいです。」 という外川の台詞……「野末さんの」幸せを願う外川の台詞が、この1話から5話に連なる物語全体の「起」であり、ずっと鳴り続けてきたノック音なのだとしたら、最後に発せられる外川の「野末さんが仕事を楽しんでくれて、俺も嬉しいです。」という、「二人の」幸せを噛み締めるような台詞は、この二人の物語の幕を下ろすのに何よりも相応しいなと思いました。

 

そして始まる「野末さん」「ん?」「明日はどこへ行きましょう。」「どこでもいいよ、外川がいれば。」のやりとり。
野末さんと外川、そして見ている視聴者を5話のその次の物語へと導いてくれる魔法の言葉たち。
 
……からの、原作1巻表紙絵の再現……最後の最後まで本当に「結び」の上手い脚本でした。

 
(ちなみに、映像が終わる直前の会話、なんと言ってるのかよく聞こえないけどこのあと野末さんから外川にもパンケーキを食べさせてるっぽい気配を感じるのは気のせいでしょうか………)


ただ、一点だけ、「楽しく仕事するであろう野末さん」を描くために「異動」という2巻のエピソードとバッティングする可能性のある切り札をわざわざ使う必要があったか、は、私にはわからないので、ドラマの続編があったらそれを確かめられるのにな〜!!( ◠‿◠ )と思ったりしました。
 
でもまずはその前に!
どうかソフト化を……願わくばBlu-rayかつ特典映像(番外編の実写化込み)付きでソフト化されますように…!!
野末さんと外川くんの物語を、最大限に美しい映像で見られたら嬉しいです。





・二人の「口説き合い」について
5話、「それは多分同情です」からの野末さんが言葉を尽くして外川の心を開こうとするところ、その一連の言葉や表情ひとつひとつに触れて言いたいことが(いい意味で)ありすぎるんですが、個人的にグッときたのは、これはつまりあの野末さんが外川を「口説いて」いるシーンなんだ、ということで…
 
4話で外川が言った「口説いてます」という言葉、私の中ではその言葉のイメージと実際の外川の行動に少しギャップがありました。なんとなく、口説く=直接的な言葉を尽くす、というイメージがあったので、外川の口説きは若干遠回りのように感じたのかな……?でも、そうか、外川にとってはあれが「口説き」だったのか、ということや、外川がその「一見絶対に言わなそうな単語」を発すること自体にもギャップがあって、そこが大きな「刺さり」を生んでいる、ここも佐岸先生の言葉選びが光っているところだと思いました。


(…と、あらためて転記していて思ったんですが、私遠回りとか言ってるけど、外川は野末さんに対して「ただの上司なんかじゃありません、すごく特別な人です」ってちゃんと言ってるし、毎週末一緒にお出かけ行ってるし、動物園も行こう行こうって言ってるし、今度エプロン買っておきますねとか言っちゃってるし、初っ端から一緒にジムにでもって誘ってるし。私はなぜこれでも口説きと違うと思ってたん…?私多分、どちらかが女性だったら、同じ言動でも口説いてると思ったと思う。現に、合コンの女性が野末さんをジムに誘っている時はすぐにアプローチかけているなと思ったので。ここもやっぱり脚本がうまくて、ドラマ版では筋トレの話の時に外川が野末さんが女性からジムに誘われてたことを蒸し返すんですよね。女性が野末さんをジムに誘ったことと、以前外川が野末さんをジムに誘ったこととをそれとなく思い起こさせておいてる。そこからの、「わかります。同性から口説かれることがいまだに多くの人の常識の範疇にないことは。」なんですよね。もちろんなんでもかんでも恋愛に結びつける必要も資格もどこにもないんだけど、本人(いや架空の人物ですけど)が口説いてたと言っているのに「違和感ある」とか、もうほんとに、私、さっきの文章をツイートしてたの恥ずかしいなと思いました。いつもこうやって自分の価値観のこびりつきに気付かされていく。)


 
一方で、です。5話で野末さんが外川にやっていることを見ていたら、こちらのほうは私の中の「口説く」のイメージそのもので。「(何事にも執着しなさそうな)野末さんが!口説いてる…!!」と思ったし、外川の方が先に(それこそ何年も前から)野末さんのことを口説いていたはずなのに、結果的になぜか「外川が」「野末さんに口説き落とされてしまった」、という顛末になってしまったの、本当に愛おしいし可愛いし、「君が好きだよ」と言われた時のあの外川の不安げな上目遣いから見る間に嬉しさと喜びで胸がいっぱいになった顔の変化と、そこにほんの少しだけ拗ねの感情が混じったような一瞬の表情、そうなるのがめちゃくちゃわかる感じがしたんですよね…!!だって、野末さんに落ちてしまったから野末さんのことも自分に落としたくて必死で口説いてきたのに、なんでまた自分が野末さんに落とされてんの!意味わかんない!嬉しいね!
もちろん、内面的には外川の「口説き」が成功していたからこその表面的な逆転現象であって、それもまた、なんだろうな、外川もわかってると思うので、ホント良かったねって……(え…私…フィクションの人物に入れ込みすぎ……?)

 
それにしても、野末さんが「誰かを必死で口説こうとする」なんて、1話じゃ考えられなかったよなあと…こんなに一生懸命言葉を尽くすほど欲しいと思える何かができるなんて、そんな気配どこにもなかったのに。「君」、すごすぎないか。それは人生の経験を総動員して口説かずにはいられないよね、そんなにすごい「君」だもの。絶対に手に入れたいよね。野末さんの「君が好きだよ」は完全に口説きにきている言い方だと感じます。

 
でも二人の表情や反応を見るに、一番最初に外川の心に届き着いた言葉は、「でも、これを言い訳だって言えるくらい、俺は若い。でしょ?」なんだな…!と。これは、外川がずっと野末さんに言い続けてきたことで。野末さんはまだ若い。たとえ若いと言える歳ではなくなったとしても、年齢など、何かを諦める理由にはならない。そうやって君が言い続けてくれたことが、俺自身の言葉になったよ、と、野末さんは伝えている。俺は君のおかげで変わったよ。君はそれでも俺の気持ちを同情だと言うの? と。「でしょ?」とつけるくらいには、野末さん自身もこれが外川の心に届くと思ってわかって言ってるから、さすがなんですよね……。この一連のシーンの武田野末さん、人生の年輪を感じさせてかっこよさ増し増しなんですもの。

 
逆に、野末さんに抱きついた外川の「好きです」は、(私自身が色々自分の古い価値観と見つめ合いながら再考した上で)それでも口説いてるという感じはないかなと私は思っていて……次の「…俺の人生の一部じゃなくて、すべてになってください。」なんて、本来であればものすごい口説き文句だと思うんですが、外川はここでぎゅっと目を瞑るんですよね。
 
これは口説くというより「捨て身の最終確認」みたいだなと……野末さんの口説きは決意が固くて、何があってもノックし続けるというか、外川に声が届くまで絶対に諦めないマンみたいな感じがするんですけど、外川はこの時点でも「断られる可能性」をわりと大きく評価していて、かつ、断られたらそれでもう本当におしまいと思ってる感じがする。そこには今までの経験に裏打ちされた、「こわさ」がある。せっかく諦めたのに、また期待してしまった。
コンコン、聞こえますか。
僕のためだけに、このドアを開けてくれますか。

 
そんな心持ちがうかがえるからこそ、ここで野末さんが「うん」という全肯定の返事を発した時、外川の中で何かがふっと抜け始める感じがある。
実際には外川の表情が大きく変わったわけでも、わかりやすく身体の力が抜けたわけでもないのですが。
 
そして本当に外川の「何か」が抜け切るのは、「タイミング…!」と笑って自分の髪をクシャっ…とするところなんですが、さらにその外川の手を「野末さんが」取って路地裏の暗がりから光のある通りの方へ走り出す、その描写を原作から追加することで、外川の抱えていた呪いのような「何か」…たぶんそのうちのひとつは「こわさ」、と、そこから解放された姿が象徴的に描かれているような感じがしました。それから、色んなものを隠して自分を守ってきた野末さんが、もうそれらを路地裏に隠さなくてよいのだと思ったであろうことも。


なんだか、その一連の流れを実際に生身の人間が演じることによって、人が人に救われることって本当にあるのかもしれないと感じられた部分がありました。
改めて、武田さんと木村さんが野末さんと外川さんを演じてくださってよかったです。


 
あとこれは、言っていいのかどうかわからなくて迷ってたんですけど、別にただの感想なのでいっかと思ったので書きますが……ここらへん、動きや二人の体勢、言葉の発し方などが原作と全然違うんですよね。長尺メイキングによれば監督と武田さんと木村さんの間でかなりの話し合いや試行錯誤があったようで、最終的に選び取られたこの動きや表現、私はすごくいいなって……原作の野末さんや外川とはちょっと違うな、と私は思ってしまうのですが、野末さんと外川の人間性が武田さんや木村さんの身体を持って動いたとき、これがベストだったというのはすごく納得できるなあと。ドラマはなんというか生身の人間だから重力があるし体重があるし声帯を動かして声が出るから、そこに影響されて物語が変わるというのは真剣に考えていればこそで自然なことだと思うんですよね(原作へのリスペクトがあることが大前提で、ですが)。


 
ただ、その結果として?原作との結構大きな違いとなって現れたと個人的に認識している…のが、路地裏の暗がりから走り出したドラマの野末さんと外川が、お互いに相手に対して「簡単には主導権を 握らせない/握らせません からね?」みたいに思っている節があるように感じられることで…!

 
野末さんが先に手を引いて走り出したのに外川が追い抜いてどんどん走ってっちゃうし、「もう四十路なんですから」「君こそ三十路なんだから」とやりあうし(これはほぼ原作通り)、「それで80歳までずっと…」って外川が野末さんに手を添えてめちゃくちゃスパダリ感出してきたと思ったら、それに対して野末さんが「え?81からは?」っていたずらっぽく刺しにくるし。

 
そしてそれらの応酬を経てここで主導権を握ったのは、(ここは原作通りですが)外川の「もう四十路なんですから愛の告白場所は選んでください」を本歌取りして「もう四十路なのに場所を選ばずキスしちゃいそう」と言ってのけた野末さんで、なんかめちゃ粋だなあと。貴族の歌のやりとりじゃん。これ、野末さんがいきなり耳元に口寄せたとき外川が「えっ!?」と笑顔から不意をつかれた顔に変わるのも芸術点高くて、そっからこの言葉を聞いて「くっそー」って笑う外川さんの(負けた)(完敗)(次は覚えてろよ)(ありがとう世界)みたいな気持ち全部が最高すぎるんですよね………

 
この簡単には主導権握らせないよムーブはラストシーンの優秀な部下と優秀な課長の件のやりとりでも続いてて、なんか二人ともそれぞれ得意なことと苦手なことがあるし、性格の違いや年の差もあるけど、互いに補い合って、人として対等で、思い合ってて、すっごくいいな、理想のパートナーだな、と思ったわけです………
原作とドラマ、様々な違いはあれど、原作のふたりは言わずもがな至高だし、ドラマのふたりもめちゃくちゃ最高でした。



だから最後にもう一度思い出したい、ドラマ化発表時の佐岸左岸先生のコメント。

「この物語は世界中のどこにでもある、ごくありふれたラブストーリーです。ですが、恋はふたりにとってしか特別ではない、その特別感をこのドラマは丁寧に描いてくださっているのではないかなと思います。」
(ドラマ『オールドファッションカップケーキ』公式サイトより)

 
 
 
 
先生の、おっしゃる通りでした。
そう思えて良かった。



以上




2022/07/21 劇伴音楽の良さについて

すみません、途中まで前置きです。
このドラマ、注目して見たい切り口がたくさんありすぎて、何度見ても楽しめるのでびっくりしています。これもいつか書きたいんだけど、この作品には悪意や無理解みたいなものが出てこないから見る側も心を削られるような思いをしなくて済むんだろうな、と思っています。それが自分が何度もリピートできてしまう理由のひとつな気がする。(お芝居や演出が良すぎて外川や野末さんの苦しさに入り込んでしまう、というしんどさはあるのですが、それと他人の攻撃によるしんどさとはまたちょっとダメージの質が違うと思うので。)


外川も、野末さんも、それぞれが「常識」というものを前に葛藤している気がするんだけど、実はドラマの中ではその常識をもとに強い批判を繰り出してくる人はいないんですよね。じゃあ彼らの思う常識の範疇から超えた時、何が起きるかというと、「かわいい」という言葉が飛んできたりする。


「実際の誰か」ではなく、「それぞれの持つ常識」こそが彼らを立ち止まらせている、という前提が原作にも、それを受け継いだドラマにもあって、それがきちんと伝わるように言葉や演技が尽くされているから、わざわざ話を盛り上げるために悪者を出す必要がない。そういう悪意とか、傷つけるような言葉とか、取ってつけたような当て馬や勘違いとかが直接的には描かれていないから、だからこうして延々とループして見ていられるのかもしれないなあと思っています。


一方で、人々の持つ「常識」の違いに敏感な外川はだからこそというべきか、「女の子」ごっこという「疑うべき常識」をおそらく自覚的に利用したりもしていて、そういったこの作品における「常識」というものの巧みな描かれ方についてはもっとよく考えたい。




こうして同じものを何度か見ていると、前回視聴した時の自分と解釈違いを起こしたりもするから面白いですね。新たな発見もどんどん出てくるし。




ここから本題です。
これまで見ててずっと劇伴の使い方も上手いな~とは思っていたのですが、脚本や構成がどうしてこんなに良いと感じられるのかに気を取られて、しっかりとは聴けていませんでした。
この間その辺のことをブログに書いて、ようやく今度は劇伴のことも考えながら見たのですが、うわ、これもほんとすごいな…!と思ったのでそっちもちゃんと書き残しておきたいと思いました。


※ 残念ながら私は音楽の専門知識は持ち合わせていないので、感じたままに書いています。すみません…!!




いや、ほんと、見事だなあと思ったのは、またこのシーンなんですが「野末さん、それは多分同情です」のあとあたりから入ってくるピアノ曲です。
あえて分けるなら高音域が外川、低音域が野末さんの心情を象徴していると受け取れなくもなくて、最初外川が話してる時にどこか心許ない高音域の主旋律たちが入ってきて、次に野末さんが話し始める辺りで低音の伴奏のような音が入ってくる。


でもこの低音も実はすごくドラマチックなメロディを奏でていて、この高音と低音の交互のやりとりがまるで二人の言動や心情、立ち位置をなぞるように展開しているんですよね……特に野末さんが「俺は若い。でしょ?」っていうところに走る高音の運び、それを追って真似するように低音が近い軌跡を描くのが彼らのこれまでを端的に表現するようですごくいい。


そして「君が好きだよ」で外川が抱きつくところ、それまで和音メインで動いてきた音域のひとつの低音が「単音で」「主旋律の高音と一緒に」同じメロディを歩んでいくというのがめちゃくちゃ良くて、何オクターブか離れた二つの音域で全く同じメロディを奏でるって、うわあ、これ10歳離れた二人の気持ちがようやく重なり合ったこの情景そのものじゃん、と。


彼ら、特に野末さんは同性であることと同じくらい年の差や上司と部下であることを気にしていて、そういった「差の大きさ」や「ポジション」をオクターブ離れた音が象徴している、かつ、「それでも」その二つの音が同じメロディをぴったりと同期して響かせているっていうのが、ほんとあまりにも綺麗で出過ぎない「成就した恋」の暗喩的表現ですごいな………って…………


そして最後、「すべてになってください」のあとはまた高音域の音色だけがそこに残り、野末さんの「うん」をきっかけにゆっくりとこの音楽を終わらせようとする……んだけど、二人が「お疲れ様でしたー」の声で気持ちを中断させられたように、この主旋律もこれまでのメロディリズムからみると最後の一音のあとにもう一音鳴っても良さそうなのにそれがないので、若干中途半端な印象を残す終わり方になっており……そこがなんかもうこの二人の纏う音楽として最後まで完璧だなと……!


しかも実はこの曲、4話終盤の外川の「死ぬ気で口説いてました」の時に流れてくる音楽で。その時は、さっきのシーンの二つの音域で奏でたサビのモチーフにはたどり着けていなくて。
外川が気持ちをはっきり告げたもののそのあと野末さんの気持ちを聞かなかったことで、この音楽が先に進めず途中で止まっていたんですよね。
その止まっていた音楽が、路地裏でもう一度鳴り始めて、そして大切なモチーフを二人で奏でて終わることができた(厳密には最後に邪魔が入ったけれど)。これはもう外川と野末さんの、二人だけのためのセレナーデなんですよ……お互いがお互いを口説くための小夜曲。


このドラマの劇伴は文字通り彼らの物語に伴走していて、どちらかといえば「外側から」彼らの感情に寄り添い、彩りや緊張感を与えたり、解像度の上がるような修飾をしていることのほうが多いかなと思うのですが、このピアノ曲は客観性よりも主観性が前に出ているような感じがして、その「ここぞ」という時の使い分けがまた効果的だなと思いました。




そしてもうひとつ。先程の曲はおそらく4話の外川が野末さんを口説くシーンと、5話の野末さんが外川を口説くシーンの2回しか使われていないと思う…………(たぶん………)のですが、
逆に繰り返し流すことで耳に馴染ませ、その「視聴者の心に根を張った」力と強みを「ここぞ」で利用した曲もあります。野末さんが、外川を追いかけて走り出すシーンの音楽です。


この音楽は、まず外川が野末さんに折り畳み傘を渡して去るところから流れ始めるのですが、「たーらーららー」っていつもの切ない時の音楽始まったー!と思ったら、「うぉううぉ〜♪」って合いの手入れるみたいに横からエレキギター?みたいな音が入ってきて、あれ、いつもと違うぞっていう。今までこんなトレンディな、いかにも大人の恋愛っぽい、かつての月9よりも木10みたいな、Age,35 恋しくて的なアレンジじゃなかったぞと。すみませんAge35恋しくて言いたかっただけですタイトルしか知らないで言ってますすみません。でもなんかこう、今まで繰り返し聞いてきて知っている曲なのに、そこにアレンジが加わることで新たな面、野末さんが今まで見せてこなかった面がぽろぽろと見えてくるようでとても良くて。


で、これツイッターにも書いたんですけど、ここで「外川のことを考えながら歩く野末さんより先に引き返して走り出すカメラワーク」が、野末さんの気持ちの高まりのピークを目に見える形で描いているようで本当に天才で。
このシーン、カメラが先に動いてから野末さんが走り出すことで「野末さんが何か見えないもの(=外川への気持ち)に引っ張られて走り始めた」ように見えるんですよね。


そしてこの、カメラ→野末さんの順番で走り出したあと最後に入ってくるのがこの音楽の今まで何度も聞いてきた「サビ」のようなところで、散々流れてて耳に馴染んでいるから、ばーんと流れてきただけでもぐわっと感情を掻き立てられるのに、さらに新たなアレンジが加わってることで「同じだけど、今までとは違う」ことがわかるから余計に鳥肌が立つ。


新たなアレンジが施されることで曲に加わったのは、「大人の欲」の印象だと思うんですよね。
それが音楽だけでなくカメラ、ロケーション、夜景の色合い、野末さんの持っているいかにも外川らしい折り畳み傘、そして何より武田さんのモノローグの言い方から総力戦で伝わってくる。「喜怒哀楽ぜんぶ欲しい」、野末さんの溢れてしまった「欲」。


我々は今まで切ないシーンの時に何度も同じ曲を、「凛としたピュアな音で」聞かされてきたから、このシーンでトレンディなアレンジが加わったことでよりその落差が引き立って、「あの曲が来た!」という期待の通りと「こんな雰囲気は知らない!」という予想の裏切りで倍々の感慨を得ることができてしまうんじゃないかなあと。
これは全く新しい曲でもダメだし、全く同じ曲でもダメな、「新たなアレンジ」といういい塩梅だったからこその「ぐわっ」とくる体験で、こっちはこっちでやっぱり「ここぞ」の使い方がうまいなあと思いました。


もうね……全部上手い……全部上手いって思える…………
こんなに「すごいなあ」って思える要素が複数あることってそんなにないから………
他の作品がダメとかじゃなくて、この作品のそれぞれの要素が各々個人的な琴線に触れすぎて。優劣じゃなくて好みの問題です。


今、特に演劇界隈では、コロナのせいで見たいものも見られない、当日になるまで見られるかわからない、幕が上がっても安心できないという状況になっていて、本当に誰も悪くないのにみんなが悲しいという、本当につらい状況で……
舞台だけじゃくて、このドラマも、もし何かの事情でスケジュール通りにいかなかったらこのようなドラマにはなっていなかったかもしれないと思うと、今はもう何か見たいものを見られただけで本当に奇跡なのだなと思います。


だから自分が見られたものに関しては、それがすごいと思えたら、すごいって言い残すようにしたいなあと思いました。今後の自分のために、奇跡の奇跡を書き残しておきたい。ほんと自分すぐ忘れるので……この間も家にきのこの山たくさんあるの忘れてまた買ってきたし。いくつあんのよ。山で山作るほど所有しなくていいのよ。


野末さんじゃないけれども、歳をとって、元々忘れっぽかったのがさらにシャレにならないくらい忘れていくようになったので、だからこそ本当に忘れたくないと思うし、あと、すごいすごいってぶつぶつどこかで言ってたら回り回って何かの上昇気流の一部になれるかもしれないし…?と思って、とりあえずまた書いてみました。少なくともハッシュタグの件数増やすとかにはつながるかな……?
すごいとこ思ったとこ、まだまだいっぱいあります。うちのきのこの山と同じくらいあるので。多分また書きます。書きすぎ。