王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

舞台『血の婚礼』配信感想

 
舞台『血の婚礼』配信を見ました。
雑記です。

⚫︎ 土が落ちてくるところ

ここ音楽も演出も大好きなのでもっと引きで映してほしかったーと最初は思ったんですけど、ドアップで床に落ちる土を見てたらこの土地に降り積もったものの取り返しのつかなさ、不可逆性みたいなものを感じてしまい、遠くから見ていただけでは気づかなかった意味合いに早速出会うことができました。
配信って視点が固定されるから不便だなと思うこともめちゃくちゃ多いけど、逆に自分が見ようとしなかったものを見せてもらうきっかけにもなるんだな…!!


⚫︎ 土が落ちてくるところの音楽

土が降り積もるという情景に合わせられた音楽が素敵すぎて毎回心の中でバタバタしていました。
私は3拍子大好き芸人(ただしリズム感がなさすぎて3拍子と6拍子の区別がつかない)(無念)なのでこの曲も3拍子なのか6拍子なのかわからないんですけど、本当に気持ちの根っこの部分に刺さってしょうがなかったです。


昔このブログで3拍子について書いたことがあって、6年も前なのに言いたいこと同じだったのでそのままコピペするんですが、


なんなんですかね?
巡り巡るみたいな、運命に弄ばれているみたいな、輪廻から抜け出せないみたいな、宿命と対峙せざるを得ないみたいな、彼らが巡り会ってしまったことみたいな、歴史は繰り返すみたいな。


 
まさにこれ……これなんです……
なんなの私6年前から一㍉も成長してないじゃん……怖すぎ….でもこれなんです……



巡り巡るみたいな、
運命に弄ばれているみたいな、
輪廻から抜け出せないみたいな、
宿命と対峙せざるを得ないみたいな、
彼らが巡り会ってしまったことみたいな、
歴史は繰り返すみたいな。



それらがすべて、あの土が降り積もる光景と音楽に詰まっている。


最高ですね……………
ありがとうございました…………





⚫︎ 花嫁が壁をドンしたあとの音楽

ここ……3拍子じゃないんですよね…!!!
劇場や配信で繰り返し見ていると、他が3拍子とか6拍子っぽい音楽が多いのでだんだんここで衝撃を受けるようになって。ここで4拍子が来るんだ!?みたいな。
本当だったらまだ花嫁はなんの踏ん切りもついてないシーンだから、3拍子のぐるぐる感が似合いそうなのに、迷いのない4拍子なんですよね…!!
音楽(ひいては花嫁の深層心理かもしれない)はもうとっくに走り出してる、みたいな疾走感ある印象になっているのがとても興味深いです。


⚫︎ 死の造形

スペインが舞台の話なのに、月と乞食の老婆の造形ってめちゃくちゃ仏教な感じするけどわりと違和感なく見てるよな……という自分への不思議。
月の姿はどこか空也上人や月光菩薩を思い起こさせるし、老婆は死装束?で左前だし卒塔婆持ってるし…???(でも老婆の見た目で一番最初に思い出したのは金田一少年の雪夜叉)
二人の存在自体の違和感がすごすぎて(いい意味で)、服装とか気にならなくなってしまってるんだろうか……?ほんと不思議。「アンダルシアじゃないんかい!」って気持ちがあんまり起こらなかった。不思議な文化融合だなあ。
普通にスペインっぽい死の象徴を作ろうとしたらこうはならないよね???と思うんですが、あ、いや、今自分で書いてて思ったけど本当にスペインっぽい死の造形だったら死の象徴だってすぐにはわからないのかもしれないのか……!持っていたのが卒塔婆だから「あ、死だ」ってすぐ思えたんだ、私……。そういうことか……(?)



⚫︎ 「まともに考えれば俺だってお前とは終わりにしたい」

そういうことってほんとあるよね……………
レオナルドや花嫁の熱情に共感できるかといえばおおむねできないけど、この台詞に関してだけは「せやな」以外の気持ちがない。
「まともに考えれば俺だって終わりにしたい」って世の中にごまんとある感情だよなあ…それでもやめられないところに自己を見出したりしますよね。
でもそれが破滅への道かもしれない場合があって、そういう時って本当にどうしたらいいんだろうね…………ということを考えたりはする。レオナルドも花嫁もきっと死ぬほど考えたんだろうな。
そんなもんないに越したことないんだけど絶対あるから口に出して言わずにはいられない日本語だな、「まともに考えれば俺だってお前とは終わりにしたい」。



⚫︎ 「目を覚ましなさい、花嫁さん」

まともに考えれば…というので思い出すのがこの言葉。普通に「朝ですよ起きなさい」という意味にも、「ちゃんと現実を見て花婿と幸せになりなさい」という意味にも、「自分に正直になってレオナルドと一緒になりなさい」という意味にも聞こえるすごい歌ですよね…
リズムを「ぽききぽき」という音で入れてくれていているので私でも5拍子だとわかるのですが、それでもめちゃくちゃ難しくない……!?(歌おうとした)どうなってるの?5拍子って何!?


それに引き換え!花嫁の父が入ってきたところの歌の歌いやすさよ!!!!びっくりするわ!!!
あそこは2拍子?とかですよね。「いっちに、いっちに」ってすごいリズムとりやすい。
この違いが鬼だなって……
花嫁のことを歌ってるところは5拍子でめちゃくちゃ拍を取りにくい。
花婿のことを歌ってるところは2拍子でがんばらなくても歌える。
自分がいかに普通や慣れに囚われているか、というのを音楽に教えられているようだなと。
5拍子ところ、6拍子とかにしたらすごく歌いやすくなるんですけど、その心地よさから1拍取り上げられるだけで安定感が奪われて拍を取ることに必死になってしまう。耳慣れた拍子で歌うことがいかに楽かということがよくわかる。
そしてその耳慣れた拍子で歌う花嫁の父や花婿の軽快な様子に「彼らが(少なくともこの結婚式にあたっては)自然体でいられるのはなぜか」を考えさせられます。
あと6拍子にするとぐるぐるしてちょっと幻想的になる気がするんですけど、そこを3+2で切り上げられるとなんか現実を突きつけられる気がしますよね……現実に疑問を持たずに身を任せることがどれだけ楽か、疑問を持たずにいられることがどれだけ幸せで恵まれていることなのかが、自分から「普通」を奪われただけでこんなにもよくわかる。
音楽で変拍子を用いることでこんな効果があるんだなあと感動しました。




しかもこの歌これだけでは終わらなくて、最後の「あんたが家を出るときは」のところ、訳詞の巧みさも相まって「あんたがたどこさ」などの手毬唄を彷彿とさせるんですよね。「あンた」「ぴかっぴかっ」「まっしろ」って撥音や促音が多用されて楽しげな、少女の純真さを象徴するような感じになっていて、それをレオナルドの嫁の話に被せるあたり、残酷だなあと……
ここのレオナルドの妻の台詞「何でも自分の思いどおりになると思ってた」がのちのちの花嫁の女の子たちへの問い「そんなに結婚したいの?どうして?」の答えかもなあとも思いました。レオナルドの妻も花嫁も「そうではなかった(自分の思い通りになどならない)」と気づいてしまっているのに「目を覚ましなさい」と繰り返すのはまるでそれを「気のせいだよ」と抑え込んでいるようにも聞こえますね。
この話って女の子と幼い女の子はいるけど子どもの男の子は出てこなくて、なんで子どもが幼い女の子と幼い男の子の組み合わせじゃダメだったのかな?と考えると、やっぱりこの本は各世代の女性とそれを取り巻くものを描こうとしてるんだなあとあらためて思いますね……



⚫︎ レオナルドの妻のお母さんが好きなワインケーキ

花婿が三ダース(三ダース)持たせようとするあのワインケーキ、どんなのか全然分かりませんがなんかめちゃくちゃ美味しそうに思えて気になっていたんですが、ツイッターで教えていただいた書籍(本当にありがとうございます…)にそのお菓子についての記載があり思わず声が出ました。



あれは「ロスコス・デ・ビーノ」というお菓子だそうで、その書籍ではこのように評されていました。

ロスコスとは輪の形をした焼き菓子のことで、水の替わりにビーノ、つまりワインを使って粉を練った滑らかな舌触りのロスコスは、今でもアンダルシアでクリスマスや復活祭など祝い事の時によく作られる。
(略)
そこで手渡されるロスコスには、この焼き菓子以上にもろく簡単に崩れてしまいそうな張り詰めた空気のなか、人々の揺れ動く不安な思いがこもっている……。
 
(渡辺万里「花嫁のミガス」、『ガルシア・ロルカの世界』行路社、1998年、p.266)

こちらを読んで、心底、物語って人の数だけ鑑賞の切り口があるんだなー!!と感嘆しました。
私が「あんたが家を出る時は」と聞いてあんたがたどこさの無垢な軽快さを思い出してウワッとなるように、結婚式での「ワインケーキ」と聞いてホロホロとした口の中の感触を思い起こして不吉さを感じる人がいる。
お芝居というのは五感で楽しむものなのだなあとあらためて実感しました。面白いなあ。





⚫︎ 丘を逃げてくるシーンの音楽

最高すぎませんか、なんてドラマチックなの。
チェロって人の声に近いってよくいうじゃないですか、そのチェロがまるで咽ぶような声でこの台詞のない脱走劇を雄弁に語っている…!、!!!!!
6拍子っぽいのを基本に、3拍子っぽいてれれってれれってーれーれーれーれーれーが入ってくるとこがすごく「走り」を感じてめちゃくちゃいいですよね(語彙)
そういえばこんなに転がったり土かけられたりしてるのに早見さんも木村さんもむせないのほんとすごいな……本物の土じゃなくてココナッツを使っているということだけど、装置としてすごいということなんだろうな…!!


あとやっぱり二人のダンスのようなやりとりに楽器で音がついているのが素敵で、普通に効果音がつくよりも婉曲的になるから、二人の詩的な雰囲気が引き立ちますよね。二人が動くから効果音が鳴る、ではなくて、二人が動くから音楽が鳴る、というのが彼らがこの瞬間だけは世界を従えて生きている(彼らの激情に世界も従わざるを得ない)みたいで劇的でした。


配信の特典映像には楽器紹介コーナーもあってとても勉強になりました。木村さんが奏でていたあの楽器は…ウクレレじゃなかった…!




あの楽器





(しかもWikipedia見たらスペインに縁のある楽器なんですね…すごい)





⚫︎ 決闘シーンの音楽

決闘シーンの音楽も3拍子な気がするんですよね…つまりもう言いたいことは最初と全く同じです。
このブログのサビなのでもう一度書いておきますね…



巡り巡るみたいな、
運命に弄ばれているみたいな、
輪廻から抜け出せないみたいな、
宿命と対峙せざるを得ないみたいな、
彼らが巡り会ってしまったことみたいな、
歴史は繰り返すみたいな。



そんな彼らの表現としてあの3拍子的な音楽が流れていること、もうほんと……素晴らしすぎて心の中でスタオベしました。




⚫︎ 決闘シーンのこと

ここまで書いていてようやく気づいたのですが、私、これまでの感想にハイステのこと多分一言も書いてないなあって……




この作品を観る前、これだけの感慨を抱えていたというのに、実際に見たら全て吹っ飛んですっかり忘れてしまっていた。
このシーン、完全に相容れない者同士の殺し合いだったから……人というよりけもの同士みたいで怖くて(二人が言葉を忘れたみたいに叫んでいたから)、日向と影山のこと少しも思い出さなかったな……すごいなあ。
最期に二人が花嫁の方へ歩いて行った時、レオナルドは花嫁に、花婿はナイフに手を伸ばしたところに彼らが「囚われていたもの」が明確に表れていて好きでした。
二人の共演がまた見られて、よかったなあ。



⚫︎ 木村さんのお芝居

ドラマ『オールドファッションカップケーキ』で木村さんのことを知ってこの作品を見た方から、「映像のお芝居も凄いし私もそれで達成くんを知りましたが舞台はまた別物でした」「生で観るべき『舞台の人』だと思いました」という旨のメッセージをいただいて、(ブログでの引用についてご快諾いただきありがとうございます、)私もそのご感想を拝読してあらためてそれを実感したというか……
木村さんのお芝居、映像での演技も本当に大好きなのですが、舞台でこんな姿を見せられてしまった日にはまた舞台に立つ木村さんを見たいと思う以外の余地がない………とものすごく思いました。映像のお芝居すごいな!?と思ったけど、舞台で見たらもっと素敵だった……知ってはいたけど今回もやっぱり舞台に立つ木村さんは最高でした。やったー。
これから先、映像でも舞台でも、木村さんのお芝居を見て楽しむために私ももっとインプットしていきたいなーと思った次第でございます。
いよいよ語彙が追いつかない。でも楽しい。


(こんなブログを読んでくださるみなさま、ご感想を教えてくださるみなさま、本当にありがとうございます…)




余韻さめやらぬ中、大千穐楽の翌日にはもう次の作品『管理人』のお稽古に入っていたと知り、素直に私も頑張らなきゃと思いました。仕事の活力をいただいている…私もちゃんとしなくては……

次は不条理劇ということで、おそらく初見は「わからない」ばかりであろう『管理人』、そのわからなさがどんな種類のわからなさになるのか、まだ想像がつかなくて今からとても楽しみです。



以上