王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

アニメ『ハイキュー‼︎』青葉城西戦の音楽について書く


※このブログは一個人の見解です。




他のエントリーでも書いたのですが、今『ユーリ!!! on ICE』という男子フィギュアスケートアニメにハマっています。
で、ディーン・フジオカさんの歌うOP『History Maker』が頭の中ぐるぐる鳴ってて離れないんです。



これ。
youtu.be




個人的にこの曲の何に一番感銘を受けたかって、三拍子っぽいところなんですよね。ワルツ的な。(実際にはたぶん三拍子じゃなくて8分の6拍子かなと思いますが)優雅さもありつつ、3人の運命みたいなものを感じさせるんです。



それで改めて思ったのが、ワルツの醸し出す数奇な運命感は異常ということです。
なんなんですかね?
巡り巡るみたいな、運命に弄ばれているみたいな、輪廻から抜け出せないみたいな、宿命と対峙せざるを得ないみたいな、彼らが巡り会ってしまったことみたいな、歴史は繰り返すみたいな。
この感覚って勝手に人類共通のものだと思ってたんですけど(日本に住む人が桜見ると感じる気持ちみたいな)、なんか知り合いに言ったら「は?」「この表紙の及川さんカッコよくない?」って言われたので、私のワルツ論は机上の及川さんに勝てない。



そんなわけで、私のワルツイメージから入って最終的にアニメ『ハイキュー!!青葉城西戦の音楽について書きます。話題がとっ散らかってますが一応繋がっているつもりなので上から読んでいただけると幸いです。


伊達工戦の音楽についてはこちら。
osmnmmhrb.hatenablog.jp




● 私の中の「ワルツ」①

はじめに、私の中でワルツといえばこれです。
映画『ハウルの動く城』メインテーマ、『人生のメリーゴーランド』
まじあの曲やばくないすか。
聴いているだけで胸が張り裂けそうになります。あっ、なんか初めてこのブログでそれっぽい感想書けたかも。
映画自体はそこまで好みではなかったのですが、劇中でこの曲が流れるだけで込み上げてくるものがありました。すみませんこれは単純に趣味や好みの話ですが、この音楽がこの映画を名作の域に連れていっているのではないかとすら思っています。まるで空中のソフィーをエスコートして歩くハウルのように。
ナウシカ久石譲宮崎駿に抜擢された」ことが果たして偶然が重なった奇跡だったのか予め決まっていた運命だったのか、そこのところ考えちゃうんですよね……
そしてタイトルが本当に秀逸。人生のメリーゴーランド。
もう一度書きますけどなんなんですかね?
巡り巡るみたいな、運命に弄ばれているみたいな、輪廻から抜け出せないみたいな、宿命と対峙せざるを得ないみたいな、彼らが巡り会ってしまったことみたいな、歴史は繰り返すみたいな。
ワルツの醸し出す数奇な運命感は異常
これこのエントリーのサビです。


● 私の中の「ワルツ」②

私の中でもう一つワルツといえば、あれです。
ハチャトゥリアン組曲『仮面舞踏会』より、ワルツ。
2008-2009シーズン(フリースケーティング)、2009-2010シーズン(ショートプログラム)で浅田真央選手が使用したあの曲です。私はフリーのほうのプログラムが大好きなんですけど、特に3分過ぎたあたりから始まる45秒間のステップが鳥肌もので。素人なので何やってるかは全くわからないのですが、最初は運命に翻弄されるヒロインのようだと思って見ていました。
でもその完成度に磨きがかかっていくにつれ、そうじゃない、逆だ、と。彼女は運命に流されているのではなく、その濁流に飲み込まれまいと必死で抗っているのかもしれないと思うようになりました。
その運命とはもちろんヒロインが毒殺されるという悲しい結末のことでもあるんですが、そこに浅田選手自身の天才ゆえの苦悩とか女神に愛されているかとかみたいなメンタル的なものと、3分という時間帯ゆえの疲労や体調や重力みたいなフィジカル的なものが勝手に重なって見えて、ああ彼女は常に何かと戦っているんだなと思うともう手に力が入って仕方ないんですよね。ぐっとこう握っちゃいますね。手に汗を。
ここ、もしサーキュラーステップだったら多分もっと印象が違ってて、それこそ巡り巡る数奇な運命に飲み込まれていくヒロイン像になった気がしますが、リンク上をもがき切り裂いていくようなストレートラインステップだったからこその、運命に立ち向かう姿勢なんだと思うんですよ……。
巡り巡るみたいな、運命に弄ばれているみたいな、輪廻から抜け出せないみたいな、宿命と対峙せざるを得ないみたいな、彼らが巡り会ってしまったことみたいな、歴史は繰り返すみたいな。
このワルツの醸し出す数奇な運命感を、この人は断ち切ろうと今も戦っているんじゃないかと思って、浅田選手が出場しているとどうしても応援してしまいます。


青葉城西戦で流れる音楽

さて、ここからが本題で、アニメ『ハイキュー!!青葉城西戦の音楽について。それとこれとを同列で語るなと言われそうですが、私自身の中では自然な流れのつもりなのでご容赦ください。また、ハイキューセカンドシーズンまでの重要なネタバレがありますので、未見の方はご遠慮ください




烏野vs青葉城西の試合は今のところ練習試合、インハイ予選、春高予選と3回行われていますが、今回は主に後ろ2つについて取り上げます。



● 予言の自己実現という運命



── 飛雄
急速に進化するお前に
俺はいつか負けるのかもしれないね




ハイキュー!!』8巻より、及川さんのモノローグです。

私はハイキューって投擲というか未来に向かってキャストするような言葉が多いと思っていて、キャラが何か言ってそれがのちのちの展開で実現するという、種を蒔いて育てて収穫するやり方が丁寧だよなぁと毎回感心しております。
わかりやすいのは山口の「1年俺だけハズレた…」という台詞がやや反語的ニュアンスを含ませる形で明記されてから覚醒するまでの流れで、いやこれは漫画なのでメタ的にいえば古舘先生による伏線とか布石とかエピソードの丁寧な積み重ねではあるんですが、なんかこう、最初の種がモノローグやスローガンに近い言葉で登場することが多いせいか、なんとなく予言めいたものに思えてしまうんですよね。なので勝手に「予言の自己実現」と呼んでるんですけど。(言葉の見た目がそれっぽいと思ってるだけで実際の意味合いとは異なります。)
山口の例でいうと、8巻の嶋田さんの「でも初めて試合でサービスエースを決めた時思ったよ」のくだりとか、予言っぽい。「ああ、これをいずれ山口も経験するのかもしれない」と事前に想像させておいてくれるんです。
この予言がなければあの運命はなかったなっていう、物語捻じ曲げるくらいの強い自己実現力を感じたのは、やっぱり木兎さんのツッキーへの予言ですね。





そしてその中で、最低最悪の予言、と個人的に思っているのが先程のモノローグです。
これはもはや「呪い」。


この試合で勝つのだから、こんなことを言わせる必要はなかった。そんな悪い予感を口に出す理由はなかった。メタ的にいえば、こんなところで今後の展開をほぼネタバレするような謂れはなかった。
「それは今日じゃない」という本題があったとしても、この前置きは念が強すぎる。
それでもここでこの台詞を及川さんが言ったというのは、これこそがこの時点での及川さんの本質だったからではないかと思っています。
天才に負ける。
それが及川徹というキャラの本質。


しかもこの予言、アニメだと及川さん自身が明示的にキャッチしてるんですよね。
春高予選準決勝で影山がツーアタックを決めた時、這い蹲って漏らした台詞「知ってるよ」
俺が天才に負ける運命であることなんて、知っている。
この台詞コミックスにはなくて、アニメオリジナルなのかな?すごい言葉追加してきたなぁと思いました。


● 決着にまつわる音楽について①

さて、この呪いの言葉が発せられたシーンは、アニメだと1期 第24話『脱・孤独の王様』の後半部分にあたります。インハイ予選第3セット、青葉城西のマッチポイントでいよいよ決着かという場面です。
このシーンでかかっているのが、その通り『決着』という表題の曲、アニメ『ハイキュー!!メインテーマの三拍子アレンジです。
いや実際にはたぶん三拍子じゃなくて8分の6拍子だと思うんですけど、私の耳にはわりとワルツっぽいリズムにも聴こえるので印象は近いよね!!!!!私の耳はふしあななんで!!!
だから上にも書いた通り、私はCM明けにこの曲が流れてきてもう、巡り巡るみたいな、運命に弄ばれているみたいな、輪廻から抜け出せないみたいな、宿命と対峙せざるを得ないみたいな、彼らが巡り会ってしまったことみたいな、歴史は繰り返すみたいな、そんなことを感じてしまったわけなんです。
翻弄感が強いからこのシーン見るたびにどっちが勝ってもおかしくないんじゃない?今回こそはもしかして烏野が勝つんじゃない??と思っちゃうんですけど、運命とは残酷なもので、最後はこの曲ぶった切られて日向の速攻もドシャットくらうんですけどね……。毎回毎回。


メインテーマがモチーフってところがまた大詰め感あって、見終わった後「ふー」ってなります。毎回毎回。


で、これを最近音楽に注目して改めて見返して思ったのが、「ひょっとして、春高予選の決着シーンでも同じ音楽が使われているのではないか?」ということ。
あの試合こそ、どっちが勝ってもおかしくなかった。運命に翻弄される、歴史は繰り返す、その状況に相応しい音楽なのでは?




結論から言うと全然違ったんですけど。




● 決着にまつわる音楽について②

春高予選の青葉城西戦はセカンドシーズン第20話から第24話までをかけて描かれています。こっちはこっちで音楽めっちゃ熱くて、歴代おなじみBGMのいけいけどんどんアレンジバージョンもいくつかあるのでもはやボス戦BGM集の様相を呈しています。
第24話『極限スイッチ』の決着シーンは、伊達工戦音楽のエントリーでもご紹介した『チームの地力』のアレンジバージョン、『真っ向勝負』でした(多分)。ドラムアレンジ激アツすぎるでしょ……



じゃああのワルツは!?『決着』は!?…というと、実は別の場面で使われてまして。「うっはーここかよ!!!言われてみればここしかないよね!!!!」って思ったんですけど。
第22話『元・根性無しの戦い』、第2セットを青葉城西にとられたあとです。
「こいつらとはフルで戦る宿命」という、互いに運命の渦中にあることを自覚した台詞を、メインテーマのアレンジであるこの音楽にのせて言わせちゃうんですよ……!!!しかも大地さんと及川さんのWキャプテンのモノローグが『君の名は。』のCMばりに交錯するの最高だし、え、やだ、アニメハイキュー!!めっちゃ面白くない???


そして追い討ちをかけるように、実はもう一箇所この曲が登場するシーンがあるのです。こっちで流れたのは個人的にかなり意外でした。それが、先程少し触れた及川さんの「知ってるよ」、の、あとです。

“自分の力はこんなものではない”と信じて
只管まっすぐに道を進んで行く事は
“自分は天才とは違うから”と嘆き
諦める事より
辛く苦しい道で
あるかもしれないけれど


及川さんが謎の指導者から言われたこの言葉。
ここで『決着』が流れていることに気づいた時、私はようやく矢巾さんの「及川さん最近変わったよな…?」の意味が理解できたんです。そして「知ってるよ」、の本当の意味も。




俺が天才に負ける運命であることなんて、知っている。
「けど俺は、負けない。」


及川徹は天才には負けない。



前回の台詞と似ているようで違うのが、「でもそれは今日じゃない」とかの時期を先延ばしするような言葉を繋ぐのではなく、明確に「負けない」と言い切っているところです。
つまり、キャラの本質が変化していることを表す台詞だったんですよね…!!


彼は運命に抗い始めたのです。
これまで以上にがむしゃらに、なりふり構わず。




これもまたアニメのオリジナル描写なんですが、及川さんから岩ちゃんへの超ロングセットアップのシーンで、トスを放ってパイプ椅子に突っ込んだ及川さんが再び駆け出そうとした時に「一瞬足元が滑る」という動きが追加されています。このスマートさのかけらもない、スガさんの言葉を借りれば「クソみっともない」無我夢中さ。なんてかっこいいんでしょう。




前回の試合でもし青葉城西が負けていたら、及川さんはそこで終わってしまいそうなイメージがありました。にっくき天才ウシワカとトビオちゃんに負けて、おわり。
でも今回は違う。青葉城西がこの試合に勝っても、たとえ負けても、それで終わりではない。及川さんにはもうすでに新たな予言がなされていたんです。そして彼は変わった、だからこその彼の中の『決着』。
彼は自分でかけた呪いを突き破って、また新たな呪いをかけていた。
「才能は開花させるもの」、「センスは磨くもの」。
いつかチャンスを掴むその日まで、及川徹は天才には負けない。
たとえ試合に負けたとしても。


及川さんは自分自身で運命の連鎖を断ち切って、決着をつけていたんですよね。その結果、今回の試合の決着でワルツは流れなかった。試合はどっちが勝ってもおかしくなかったけれど、及川さんはすでに数奇な運命には翻弄されない、次の境地へ行っていたから。
だから運命にとらわれっぱなしの私のワルツ論は、机上の及川さんに勝てないんです。


● 「戦いは終わらない」

及川さんが呪いから解放されるきっかけとなった指導者の言葉は、漫画『ちはやふる』の原田先生が太一君に言った言葉、「“青春ぜんぶ懸けたって強くなれない”? まつげくん 懸けてから言いなさい」と似た類の発破ではないかと思うんですが、私ほんと及川さんと太一君に言いたくなるんですよね「君は天才ではないのかもしれないが!!君たちのような努力を!!!凡人は続けることができない!!!!」って。たびたび三次元から二次元に大声で叫んでますね。リアルに声出すとあれなんで心が叫びたがってますね。


春高予選の試合や前後の描写からは、及川さんがこれからも「どこか」でバレーボールを続けて行くであろうことが窺えます。
及川さん自身もウシワカに「俺のバレーは何ひとつ終わっていない」と宣言していますが、この予言でもあり辛く苦しい呪いをコミックス17巻番外編で二重に掛け直しているのが、他でもない、「阿吽の呼吸」の岩ちゃんです。
ワルツ論は及川さんに通用しなかったけれど、私は性懲りも無く番外編のこのシーンであの音楽を思い浮かべて、巡り巡るみたいな、運命に弄ばれているみたいな、輪廻から抜け出せないみたいな、宿命と対峙せざるを得ないみたいな、彼らが巡り会ってしまったことみたいな、歴史は繰り返すみたいな、そんなことを想像せざるを得ないなぁと思っているのです。




番外編の中で岩ちゃんは及川さんに対してたくさんの呪いをかけていて、その中のどれが予言になっているのか、もしかしたら全てなのか、今はわからないけれど。


でも、この番外編のタイトルが作品の冒頭ではなく最後に示されているということが一番の明確な呪いであり、祝福であると。そう確信しています。



番外編のタイトルはぜひ、コミックス17巻で。