王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

FNS歌謡祭の勢いで木村達成さんの出演作をまとめました


こんにちは。
私は役者の木村達成さんとアイドルグループのV6を応援している者です。
今日ついに、木村達成さんとV6が『FNS歌謡祭 第2夜』という同じ番組に出演する世界線に来てしまいました。
やば。すご。











やば!!!!!!!











それはそれとして、


もしかしたらFNS歌謡祭を見て「木村達成」で検索しこのブログにたどり着いてくださる方がいらっしゃるかもしれないので、


木村達成さんって他にどんな役をやっているのかな?」
「どんな役者さんなのかな?」
「今何やってるのかな?」


そんな疑問のヒントになればと思い、このエントリーを作成してみました。




……作りながら、よくある
木村達成の誕生日は? 出演作は? インタビュー記事は? 待機作は? いかがでしたか?」みたいなブログだな、と思いました。



※ むしろそういった記事よりも情報の選別に個人の趣味が入りまくりなので内容に偏りがあります。


2020/7/25:こちらに最新版の記事を作成しました。
木村達成さん出演作・今後の予定まとめ



[目次]
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1. プロフィールなど

木村達成(きむらたつなり)さんは1993年12月8日生まれ。
先日26歳になったばかりの役者さんです。
2012年にミュージカル『テニスの王子様』の海堂薫役でデビューしました。



※ 一番左が木村達成さんです。



所属事務所UTYの公式プロフィールによると身長は180cmとなっていますが、現在は182cmに伸びているそうです。
(2020/3/1追記:木村さんは2020年1月、UTYからアルファエージェンシーに移籍されました。新たな公式プロフィールはこちら



個人的に、最初に木村達成さんを知った頃グッときたところは


・とにかく運動神経がいい
・英会話もできる
・小さい頃女の子のように育てられ、飼っていた鳥さんを妹さんだと思っていた


で、最近素敵だなと思うところは


昭和歌謡が好きで、よくスナックで歌っている
・お芝居に取り組む姿勢

(好きになった頃はセンスと勢いと感覚で演じている役者さんだと思っていましたが、最近その裏にはロジカルな役作りと実直な努力があることを知りました)


です。
知れば知るほど設定が盛り盛りな役者さんです。ググってみてください。
素敵なレポがたくさんあります。




2. 出演作

木村達成さんの出演作品と扮装姿を集めました。
最新作から遡って記載しています。



● 現在出演中(2019/12/16まで)
- ミュージカル『ファントム』
- フィリップ・シャンドン伯爵役


【写真】


【動画】
ゲネプロ1(2:41〜)
ゲネプロ2(2:05〜)




● 2019年10月
- 恋を読むvol.2『逃げるは恥だが役に立つ
- 風見涼太役


【写真】




● 2019年6月〜8月
- ミュージカル『エリザベート
- ルドルフ(オーストリア皇太子)役


【写真】


【動画】
舞台映像版PV(1:40〜)
2019年6月8日(土)夜の部カーテンコール(1:08〜)
2019年8月25日(日)夜の部カーテンコール(1:05〜)




● 2019年3月
- 恋を読むvol.1『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(再演)
- 南山高寿役


【写真】




● 2019年2月〜4月
- ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』
- ベンヴォーリオ役


【写真】


【動画】
制作発表パフォーマンス(0:23〜)




● 2018年12月
- DVDドラマ『ランチタイム終わりました2。〜おかわり〜』
- 佐々木勇太役


【写真】




● 2018年10月〜12月
- 日本テレビ開局65周年記念舞台『魔界転生
- 柳生又十郎役


【写真】


【動画】
ゲネプロ(1:40〜)
※ 「おい戸田!!!」と言っている青年です




● 2018年8月
- 恋を読むvol.1『ぼくは明日、昨日のきみとデートする
- 南山高寿役


【写真】




● 2018年3月〜4月
- ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール 〜籠の中の道化たち〜』
- ジャン・ミッシェル役


【写真】


【動画】
舞台映像版PV(0:35〜 「ボク結婚するよ!!」)




● 2017年8月〜12月
- ドラマ『弱虫ペダルSeason2』
- 今泉俊輔役


【写真】




● 2017年3月〜5月
- ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!! “勝者と敗者”』
- 影山飛雄役


【写真】


【動画】
ゲネプロ(冒頭「及川さん あんたを乗り越えていく」)




● 2016年10月〜12月
- ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!! “烏野、復活!”』
- 影山飛雄役


【写真】




● 2016年8月〜10月
- ドラマ『弱虫ペダル
- 今泉俊輔役


【写真】




● 2016年7月〜8月
-ライブ・スペクタクル『NARUTO-ナルト-』(再演)
- 薬師カブト


【写真】




● 2016年6月
- DVDドラマ『ランチタイム終わりました。』
- 佐々木勇太役


【動画】
予告編



● 2016年4月〜5月
- ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!! “頂の景色”』
- 影山飛雄役

【写真】




● 2016年3月
- 舞台『暁のヨナ
- ジェハ役


【写真】




● 2015年11月〜12月
- ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!
- 影山飛雄役


【写真】




● 2015年3月〜6月
- ライブ・スペクタクル『NARUTO-ナルト-
- 薬師カブト


【写真】




● 2012年10月〜2014年11月
- ミュージカル『テニスの王子様』2ndシーズン
- 海堂薫

<日程>
2012年10月〜2013年2月/青学vs比嘉
2013年7月〜9月/全国大会 青学vs氷帝
2013年12月〜2014年3月/青学vs四天宝寺
2014年7月〜9月/全国大会 青学vs立海


https://www.tennimu.com/cast_2nd/se09kaidoh.html
https://www.tennimu.com/blog/tb/entry/1693/
https://www.tennimu.com/blog/tb/entry/1951/






3. インタビュー記事

ネットで読める木村達成さんのインタビュー記事をいくつかピックアップしました。











https://www.tennimu.com/blog/tb/entry/1251/





4. もう少し見てみたいかも……という方におすすめしたい作品


① 最近のお芝居や歌を観たい方

ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』DVD
たくさん歌って踊っています。かっこよくて可愛いです。低音から高音まで幅広く堪能できます。間違いないです。おすすめです。



2.5次元のお芝居を観たい方
ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」Documentary of “頂の景色”(3枚組)DVD (YouTubeの宣伝動画にとびます)
舞台裏映像の特典で公演映像がついているという少し特殊な構成ですが最高です。影山飛雄が生きてます。おすすめです。
※ 2016年「頂の景色」は2015年初演の再演となります。話の内容は同じです



③ 静止画で見たい方
木村達成ファースト写真集「paradox」


電子版もあります。個人的には表紙のシチュエーションの写真と、ハリーポッターみたいな眼鏡の写真と、ディーラーの写真と、あと全部好きです。おすすめです。



④ 役に入っていない姿を見てみたい方
『多和田秀弥・木村達成 おでかけ! in 鎌倉』DVD

ワンちゃんになつかれています。めちゃ可愛いです。げんじつに疲れているときにおすすめです。



⑤ ロングインタビューを読んでみたい方


書籍版もあります。ラカージュ出演前までの集大成的インタビューです。おすすめです。



(2020/4/15追記)
テニミュ時代を見てみたい方
https://www.tennimu.com/discography/MJBD/72096.html
自分が沼に落ちたときのダメ押しがたぶんドリライ円盤でした。ハイステからのファンなので当時のことを知らないのですが、『真逆な二人~一直線上の真逆』はなんだか特別に感じます。すべてが美しい。『不器用っスから』もギラギラオラオラしてて好きです。おすすめです。






5. これからのお仕事


● 2019年12月25日19時から
- 舞台『魔界転生』(2018)テレビ放送
今まで木村さんが演じた中でもかなりテンションが高いほうの役なのではないかと思います。
孫みが強いです。
当時はおばあちゃんみたいな気持ちで見ました。



● 2020年1月3日21時から
- 恋を読むvol.1『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(2019再演)<副音声あり> テレビ再放送
木村さんと清水くるみさんのナチュラルなやりとりが可愛くて可愛くて可愛すぎるのでぜひ見てください。等身大の役なので新鮮に見えるかも。



● 2020年3月27日
- ミュージカル『ファントム』DVD 発売
シャンドン伯爵ほんとキラッキラしてるからみんな見て!
キラッッッッッッッキラしてるから!
まばゆいばかりだから!



(2019/12/18追記)
● 2020年4月〜5月
- ブロードウェイ・ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリー』Season3
- リフ役



ビジュアルめちゃかっこよくないですか。あのウエストサイドストーリーに出演します。ついに回ります。
加藤和樹さんとWキャストです。
※ 全公演中止となりました



(2020/6/11追記)
● 2020年7月4日21時から
- 恋を読むvol.2『逃げるは恥だが役に立つ』(2019年10月) テレビ初放送
かっこよくもほろ苦く甘く青い木村さんです。



● 2020年7月〜8月
- ミュージカル『四月は君の嘘』
- 有馬公生役



あの「君嘘」が東宝ミュージカルになります。
小関裕太さんとWキャストで初主演です。
楽曲がフランク・ワイルドホーンです。
「ブロードウェイ・クリエイター × 日本の若き才能が贈る 世界初演ミュージカル」です。
私は本当に楽しみにしています。
※ 全公演中止となりました



(2020/7/5追記)
● 2020年7月11日19時から
- 『TOHO MUSICAL LAB.』



シアタークリエより、新作オリジナルミュージカル二作がLIVE映像配信されます。
木村さんは一作目の『CALL』(三浦直之さん作詞・脚本・演出)に出演します。



(2020/7/10追記)
● 2020年7月25日21時から
- 『僕らのミュージカル・ソング2020』第二夜


小関裕太さんと『四月は君の嘘』の楽曲「Just Like A Movie」を披露してくださいます。



(2020/7/16追記)
● 2020年9月〜10月
- 音楽劇『銀河鉄道の夜 2020』
- ジョバンニ役
KAAT神奈川芸術劇場10周年記念プログラムのキックオフとして上演されます。白井晃さん演出です。



(2020/7/25追記)
● 2020年秋
- ミュージカル『四月は君の嘘』コンセプトアルバム 発売
公演中止となった君嘘ですが、CDが出るそうです…!!!



(2020/3/1追記)
● 2020年11月〜12月
- ミュージカル『プロデューサーズ』
- カルメン・ギア役

ビジュアルがつよい。
ロジャー・デ・ブリ役の吉野圭吾さんとカップルを演じます。



(2020/3/1追記)
● 詳細未発表
- 短編映画『お茶をつぐ』(篠原哲雄監督)
- 川上貞二役


ハイステ澤村さん役の秋沢健太朗さんと再共演です。映像のお仕事も楽しみです。果たして木村さんはお茶をつぐのか……!?







以上、ざっくりまとめでした。



最後に、ファントムで共演中のエハラマサヒロさんのツイッターにアップされていた謎に中毒性の高い歯磨き動画をご紹介します。





いかがでしたか?


木村達成さんの今後も楽しみですね!

ミュージカル『ファントム』感想メモ(11/16)

ミュージカル『ファントム』(11/16マチネ)を観ました。
めっちゃ泣いてしまった……


以下、感想です。
ネタバレありです。












恥ずかしながら、今まで『オペラ座の怪人』関連の作品にほとんど触れたことがなく、むかし映画(たぶん2004年版)を見たくらいだったので、『ファントム』に関しても予備知識皆無でした。
追いきれてない部分があるのでとんちんかんなことを言ってると思います。すみません。


● フィリップ・シャンドン伯爵(木村達成さん)

かわいいよ〜〜〜〜〜〜〜


見ていてたくさん伸び代があるなあと思ったんですけど、パンフレットを読んでいたらご自身が一番自覚している様が伺えたし、課題の見極めも的確に思えるし、きっとこの役者さんもっともっと上手くなるのだなあと思いました。
インタビューや対談で語られている今回の役作りのヒントとなった疑問や葛藤も面白くて、何度も「確かに!!」と思ったし、そこからたどり着いたのであろう今日のシャンドン伯爵像を振り返って「なるほどな〜」と深い納得感がありました。
まじでむちゃくちゃ応援したい。
推したい!!!(推してる)



それを踏まえて、木村さんのシャンドン伯爵ここが素敵だったよベスト5を選びました。


第5位
胸を撃ち抜かれたジェスチャーをしていた(気がした)時


見間違いかもしれないんですけど、ビストロでクリスティーヌが歌っている時、どこかで右手で左胸を抑えたような気がしたんですよね……
「あっハートを撃ち抜かれてる……! シャンドン伯爵そんなベタなジェスチャーするようには見えないのに……このお方、今、あきらかに浮かれていらっしゃる……!!」と、
つまり、「かわいい」と思いました。



第4位
ビストロの後クリスティーヌと歌って踊っていた時


「この人めっちゃクリスティーヌのこと好きやん」と思いました。
踊りめっちゃかわいいなあ。好きだなあ。
大好きな女性と2人で歌い踊る、というのはラカージュの時と似ているけど、あの頃より歌と踊りがブレないというか、芯がしっかりしている感じがしました。2幕の立ち回りも動けてて綺麗だった。


あと歌に入ってくる台詞っぽいところすごい好きだったんですよね、なんでだろう、すごいときめきました。境目があんまなくて良かった。
「クリスティーヌ」の名前の呼び方とか愛しくて仕方がないっていうのがむちゃくちゃ伝わってくる。目の前のクリスティーヌにうっとりしてるから甘い声になるんだけど、それ聞いてクリスティーヌもうっとりしちゃうみたいなハッピー無限ループ。
そのあとエリックが同じように歌の中でクリスティーヌの名前を呼ぶところで、ああこんなにも2人は遠いのだと感じました。多分同じ「愛」という感情に突き動かされて、同じ名前を呼んでいるのに、こんなにも違うのだと。


そうそう違うといえば、街灯……
このシーンの街灯は、幸せの絶頂にいる2人を照らし出し、際立たせる光。
じゃあエリックの「楽園」にある街灯は……? という。
カラフルな街灯と、優しいグリーンの街灯、後者は一見くすんで見えるけど、ピクニックのシーンを思い出すと、そういう単純な対比ではないのだなあと。
本作の色遣い、個人的には好きでした。ラデュレ資生堂パーラー! って思ったけどそういうことではなかった。パンフに色々書いてあって嬉しいです。



第3位
1幕最後でクリスティーヌの方へ手を伸ばしていた時


「意識が朦朧としていてもクリスティーヌのことを守ろうとするんだ……本気なんだ……!」と思いました。
えっと私も恋に落ちました(単純)。



第2位
おでこにキス


めっっっっちゃ可愛くないですか!?!?!?!!!?
あの短さが最高。
あんな可愛いおでこにキス見たことない。
木村さんと木下さんは天才。



第1位
笑顔


シャンドン伯爵の笑顔すごい好きだなって思いました。
『伯爵とクリスティーヌ』のどこかの歌詞で口の形が「いー」ってなったと思うんですけど、そこで満面の笑みになるのが最高で。


屈託無く笑えるってものすごい才能だと思うんですよね。
木村さんのシャンドン伯爵は、恵まれていて、当たり前に与えられてきた人で、与えることが当たり前にできる人で、好きなものを好きと言える、翳りのない人。
個人的な印象としてはこの「翳りのなさ」が闇(エリック)に対する光として明確に対比になっていたと感じました。
と同時に、そんな彼が恋に落ちた時の「無垢さ」がまた、エリックの幼児性との近似に繋がっていたようにも思えました。
エリックに感情移入していてもシャンドン伯爵のことを憎めないのは、クリスティーヌのことで頭がいっぱいいっぱいな、彼のピュアさ、善良さのせい。





あとは全編を通して、足が長くて腰が細くて顔が小さいなあ……と。


あとカーテンコールの時の髪型と衣装が好きすぎてひっくり返りました。
びしっと整ってる髪型もいいけど、若干スキのある髪型っていうんですかね……漫画とかの前髪上げキャラがたまに下ろした時みたいな。
それと青の衣装があいまってほんと貴公子でしたね。お忍びの貴公子、華やか過ぎて全然忍べてないみたいな。
みんなで手を繋いでお辞儀をする時、片足だけ一歩下げたの「すごく貴公子で良い」と思いました。解釈の完全一致でした。
推したい!!!(推してる)



そういえば聞き間違いかもしれないですけど、劇中でシャンドン伯爵が「シャンパンの王様」と紹介されてて、
「コート上の王様がシャンパンの王様に!!」と感慨深かったです。
木村さん、わりといつも身分が高い。





● クリスティーヌ・ダーエ(木下晴香さん)

いやいやいやすごすぎる……リアル天使じゃん……赤坂オペラ座に天使いた……
キャリエールがベラドーヴァについて「彼女が歌えるなんて知らなかった」みたいなこと言ってたけど「それな!!!」って思いました。木下さんが踊れるなんて知らなかった……!!
事務所のプロフィール見たらほんとに特技:ダンスって書いてあって、あとこちらの対談読んだらバレエも少しやったけどジャズダンス歴が一番長くてヒップホップも好きと……え……見たい……木下さんのヒップホップ見たい……


木下さんのクリスティーヌ、結局フィリップとエリックどっちが好きなんだろうと疑問に感じなかったことにちょっと感動しました。
個人的な印象ですけど、彼女はフィリップに恋をして、エリックには家族のような愛情を抱いたというように見えました。微妙な接し方や距離感の違い。母性とはまた違うんですけど、傷ついたお父さんに寄り添いたい、という気持ちに似ているというか……うまくいえないな。
そして恋は家族の愛(血縁なくても)には敵わないんですよね、ウチとソト、それを感じさせるシャンドン伯爵の引き下がり方だったなと。
フィリップとエリックへの感情が近しいものに見えるとかなりモヤモヤしそうなので、そうなってなくてすごく良かったです。


いや本当に言葉が見つからないんですけど、
最初の方の少女っぽさもベラドーヴァの母性も、そして最後の救いを与える姿も、遷移の段階それぞれすべてにこんなに説得力があるなんて、と……
まだ20歳……すごい……私20歳の時なにやってたかなって思いました。寝てばっかいた。

● エリック(城田優さん)

先に演出の話なんですけど、城田さんって本当に演劇が好きなんだなあって思いましたね……
「役者をやってるからこその演出」だけじゃなくて「観客をやってるからこその演出」もあったように感じるんですよね。オタク目線というか。「みんな(観客)もこういうの好きでしょ!?」っていう。そして「あー、それ好きです」と思う私。
個人的に好きだったのは舞台上にオーケストラがいることが明かされる演出とタイミングですね!! あれ良かったー!


そして、知ってるけど、歌とお芝居が上手い。
2幕、我慢してたけど泣いてしまった。
すごいなあ。木村さんすごいカンパニーにいるねえ。
城田さんエリックの人物像については考えたいことがたくさんある。


● ゲラール・キャリエール(岡田浩暉さん)

岡田さんすごすぎ。
回想シーン、やたら他人事で語るからすごい突っ込みたくなるじゃないですか。台詞覚えてないけど、
キ「しかし神は聞いてくれなかったのです」
私「いやあんただよね!?」
キ「ひどいところに連れていかれたのです」
私「いやあんただよね!?!?」
みたいな。
やることなすことひどいし。
それなのに最後は、彼の父親としての愛を疑う余地がまっっったくないんですよね。
岡田さんのお芝居、城田さんの感性の波長に完全に合わせていて、本当にすごい。


● みなさま

次見た時の感想で詳しく書きたいんですけど、舞台上に立っていた全員が全員、ご自身の役どころをまっとうしている感じがスカッとしました。
埋もれない。出過ぎない。
「この役いる?」みたいなのがなくて、絶対にみんな居て欲しい。もっと見たい。どなたでスピンオフを作っても面白くなりそう。
演出と役者さんの特長がかっちりハマっててすごくいいなーと思いました。





以上。また見ます!楽しみ!!!







(11/17 追記)

ほかのキャストさんについて。


● ジャン・クロード(佐藤玲さん)
大好きでした。(告白)
パンフを読んでもともとは男性が演じていた役と知ってなるほど、と。ジャン・クロードが自分のことを話す台詞なんかないのに、佐藤さんがインタビューでおっしゃっていたことを劇中でもかなり感じていたので、細かな表現に長けた方なのだなあと思いました。


今回この人物を佐藤さんが演じたことによって「クリスティーヌに同性の味方がいる」という事実が端的に提示されてたのって、物語を見る上で実は結構ものすごく大きかったんじゃないかなあと。
序盤でジャン・クロードのようなしっかり者の女性がつい助けてあげてしまいたくなるようなクリスティーヌ、というインプットがあったからこそ、私はクリスティーヌを心置きなく可愛い可愛いと思えていたんじゃないかと思いました。
同性に僻まれる彼女と異性にサポートされる彼女しか知らなかったら、もっと印象が違ったのかもしれない。わからないけど。


そしてジャン・クロードさんのシャンドン伯爵へのきっぱりした接し方が最高なんですよね、ここでまた好感度が上がるし、自動的にクリスティーヌへの好感度も上がるという。
個人的な趣味ですけどシャンドン伯爵とジャン・クロードのバディものが見たい。絶対に面白くなる。2人の並びのビジュアルが好き。
というか木村シャンドン伯爵、木下さんクリスティーヌとの並びも最高に可愛らしくて好きだし、なんなら隣に女性がいる時の木村さん、いつもとても素敵なんですよね……どなたと並んでもしっくりお似合いで……あれは……あれは一体なんの能力なのだろう……



● ルドゥ警部(神尾佑さん)
立ち姿が綺麗。出てくるとピシッとして気持ちがいい。
この作品の人物はわりとみんなふわふわしてるので、ルドゥ警部によって空気が引き締められていたなという感じがします。
場内アナウンスが面白かったし、あれがあることで劇中の彼が真面目な顔して言うことがちゃんと冗談なんだってわかるのが安心感ありました。
彼とキャリエールが並んでいると、2人のバディものが見たくなりますね……(またか)



● カルロッタ(エリアンナさん)、アラン・ショレ(エハラマサヒロさん)
「出過ぎない」の匙加減が一番難しかっだのではないかと思うこのお二人、何が好きって夫婦の仲が良いことなんですよねー!!
もしカルロッタがアランさんのことも利用してのし上がったとかだったら絶対見てられなかった。

今回のファントムの演出のいいなと思ったところはそういうところで、「登場人物たちによる必要とは思えない悪業」みたいなのがすごく少なかったなあと……
もちろん毒を混ぜたり、賄賂渡したり、ダメダメのダメなんだけど、その本人の信念のために突き進む以外の「なんでそんなことするの???」がなかったことが救いだったんです。


アランはカルロッタが大好きだし、カルロッタもアランに好かれていることが嬉しい、そこに一点の曇りもなかったから余計なストレスなく見られたと思います。そしてカルロッタの最期はとても悲しい。アラン、これからどうするの……


エリアンナさんもエハラさんも、歌と笑いというご自身の得意分野で「全力で」かつ「出過ぎない」ことを徹底されていて、すごいよーーーープロだよーーーーー!! と思いました。目指すところが「歌や笑いで自身の力を見せつける」ことではなくて、「お芝居の世界を作り上げる」ことなんですよね。見ていて「ありがたい……(?)」という気持ちになりました。



● 少年エリック(大前優樹さん)
短い出演時間で強烈なインパクト。すごかった。歌が上手いというか、それこそ、芝居歌ってこれだよねっていう……歌とお芝居の境目がない。
「画竜点睛を欠く」って言いますけど、まさに彼の歌がこのお芝居の竜の睛(ひとみ)で、それを欠くことなくしっかり力強く描かれていることに感動しました。



● アンサンブル
大前さんのエリックが睛ならアンサンブルのみなさんは竜。竜あってこその睛です。「劇場中をオペラ座に」、その発想を見事に実現させ世界観を作ってくれていて、心地良かったです。「一歩足を踏み入れると、そこは……!」みたいなの、何歳になっても楽しい。




以上、ざっとですがキャストさんについてした。


今回、Wキャストの廣瀬さんのシャンドン伯爵は見られないのですが、もう絶対素敵ですよね、わかる、見たら絶対惚れる。
ゲネプロ動画ループ止まらなかったです。
だってかっこいいもん……かっこいいが踊ってるもん……めっちゃ大人だもん……


観劇前、城田さん、加藤さん、廣瀬さんと来てなぜ木村さんなのか、その答えが欲しいと思って劇場に向かいましたが、その役作りは期待以上でした。
これからもっともっと上に行く木村さんが見たいです!!

ハイステ “飛翔” 感想メモ

ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー !! “飛翔”』を観ました。


良かったー!!!



今回烏野メンバーが代替わりしたということで、一体どうなるのかな? と思っていましたが、見終わったあとのこの高揚感。
個人的にはハイステをまだ見たことのない人にもおすすめしたいです……!!


以下、個人的に感動した点です。
ネタバレなしになっていると思います。


● 面白い

掛け値無しに面白いと思いました。
前作が春高予選の白鳥沢戦で終わっているので、今作はそこから……の物語ですが、シンプルに脚本が良かったです。
多少違和感を覚えるところもありましたが、原作の面白さをしっかり残してくれたという印象。


連載ものの一部を切り取って2時間にまとめるとなると、始まりや着地の仕方などどうしても流れを変えなくてはいけない部分が生じてしまいますが、今作はそこを逆手にとって物語の巧みなパッチワークを完成させています。


よくできたダイジェスト、というとあまり聞こえが良くないかもしれませんが、精緻に切り貼りされた物語、映像、音楽、照明、舞台装置、役者たちによる怒涛のパフォーマンスを見せられ、圧倒され、最後にふっと息をついた時、「ああ、これはこういう物語だったのか」という、俯瞰の瞬間が訪れる。そんな、「夢中」と「余韻」と「発見」をくれる舞台でした。


● “キャラクター”から人間へ

私はこれまで、2.5次元舞台が提供してくれる唯一無二の価値は「2次元であるはずの“キャラクター”が目の前に存在している」という体験をさせてくれることだと思っていました。
ハイステでも数え切れないくらい「国見ちゃんがいる」「あまりにも大将優」「圧倒的影山」などの経験をしてきたものです。「フィギュアが動き出したみたい」とか、「扉絵から抜け出てきたみたい」とか、何度同じ話をしたことか。


しかし、今作は少し違いました。
言うなれば、
「彼らがリアルにいたらこんな感じかも……!」
“キャラクター”というより、なんだか佇まいがリアルな人間っぽいのです。
もちろん漫画的デフォルメや台詞回し、大仰さはちゃんとあるのですが、それらをもってしてなお残る、舞台上の彼らのまとう「現実の人」感。


人間(役者)をキャラクタライズする方向じゃなくて、キャラクターをヒューマナイズしましたって感じで「こんな顕現のさせ方もあるんだー!」と驚きでした。どちらがいいとかじゃなくて、後者を見たのが初めてだったので個人的に新鮮でした。
またこれが変人コンビの醍醐さん赤名さんが2人とも19歳だから、そのアプローチがぴったりなんですよね。日向と影山が高校生であることに恐ろしく説得力があった。高校生キャラじゃなくて、高校生。2人ともすごい良かったです。
(醍醐さん、主役をやる人、真ん中に立つ人という感じがしたし、赤名さんは天才という役がぴったりだった、すごいコンビだ)


ウィッグの質感のせいもあるのかな? キャラクターを崩壊させない絶妙なリアル加減が全員(本当に全員)素晴らしくて、その中でも個人的に好きだったのは佐久早さんです。「あ、佐久早さんってこんな人だったんだ」ってポンと腑に落ちました。


あとやっぱりどうしても書かずにはいられないのは、
「潔子さんってリアルにいたらこんな感じかー!!!!」
っていう感動がほんとすごかった。
個人的に木村達成さんの影山を観た時と同じくらいの「!?……!!!!!!!」でした。(言葉にできない)
見た目も声もなんだけど、モーションが美しい。潔子さんを再発見した。ほんとに。
ライブビューイングも行こうって思いました。また観たいから。


● チームとしてのまとまりのよさ

これもどっちがいいとかじゃないんですけど、前作まではわりと役者さんたちの個性やスキルがあっちこっちで突出していたように思うんです。だから情報量が多かったし、目が足りなかったし、そこが良かった。
でも今回は、新生烏野含め全体的に均質化されているように感じました。しかもすごくハイレベルなとこに揃っている。チームとしてのまとまりが良く、バランスも良く、落ち着いて見られる。
でんじろう先生の空気砲があちこちからくるか、一つどーんとくるかの違いみたいな……(伝われ!!!!
チームとしての(印象の)まとまりが出て、それと振付との相乗効果で「みんなでやる」ことの青春感みたいなのが上がってて。文化祭とかを思い出すような空気がありました。


● そこに残ったもの

新生烏野、というだけあって、本当に全てが一新されています。
でもその中に、残されていたものがいくつかありました。
たとえばダンスのモチーフ。何度も繰り返されるそれを見るたび、過去の2人を思い出しました。
たとえば和田俊輔さんの音楽。託され、繋ごうとする彼らを抱きしめるような、祝福するようなストリングスは、なんだか、子に対する親の愛みたいでした。
泣いちゃう。
あと、烏野じゃないんだけど金田一が喋るとなんか泣けた。金田一〜〜〜〜!!


● これまでのハイステを見ていない人でも見やすい

のではないかと勝手に思いました。
烏野キャストが代替わりし、演出、音楽等々いろいろ新しくなったことで、これまでのハイステの文脈から解き放たれているので、過去作品を見なくてもこの作品から普通に見られます。


個人的には、普段あまり演劇を見ない人が「ちょっとそのノリはわからない、ついてけない」みたいに思うところがだいぶ少ないんじゃないかなと思いました。


「舞台を観に行くほどじゃないけどちょっと気になる」方にはぜひこの機会にライブビューイングをおすすめしたいです……12月15日(日)18時から全国の映画館で今作の生中継を見られますので……ぜひ……鷲匠鍛治先生のかわいさを見てほしい……


● ポテンシャルがすごい

2時間すごい楽しくて、彼らのポテンシャルの高さをひしひしと感じました。
3年生の安定感とかむちゃくちゃ好き。まんなまだまだ見せてない部分がたくさんありそうなので、すぐにでも次回作をやってほしいです。
また楽しみが一つ増えたな〜。



















(11/4追記)
書こうかどうか迷ったけど、やっぱり備忘として明記しておきます。
今回のハイステを見ていて浮かんだ言葉は、
「スター不在」
そして
「紛れる」。



「● チームとしてのまとまりのよさ」に関わることですが、
新生烏野はみんな上手いしちゃんとしてるけど、圧倒的すぎる存在感、スキル、華、そういったものを感じさせる人がいないと思いました。
否、「いないのかな?」と思って見ていましたが、最後まで見て、「ああ、そうじゃないのかも」と思いました。
どうやらここにスターはいる。
この人もあの人も、多分その人も。


紛れている。
この人たちの、飛び出す瞬間が見たい。
だから、これからも見続けたいと思ったのでした。

恋を読むvol.2 『逃げるは恥だが役に立つ』感想メモ

恋を読むvol.2 『逃げるは恥だが役に立つ』(10月3日昼公演)を観ました。
すっごい楽しかった!!!!
やっぱりハッピーエンドは良い!!!!
公式サイトはこちら


以下、感想メモです。
今作および前作『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の重大なネタバレがあります。




● 細谷さん&咲妃さん

まずは何と言ってもこのお二人、最高でした……掛け合いの間がぴったりだし、演技度合いと朗読度合いのバランス感も揃ってて綺麗だし、発声が安定してるからボケとつっこみが華麗に決まるし、緊張の糸の切れる暇なく観客をグイグイ引っ張っていってくれる。


咲妃さんめっっっっっっっちゃかわいい。
こんな可愛いみくりさんを顕現させてくれる方がガッキー以外にも存在していたなんて……!! ていうかこんなに可愛い役者さん2人に出会わせてくれるみくりさんすごすぎない……!?
ふわふわしてて突飛なこと言い出しても違和感がなくて、でもワイルドなところはむちゃくちゃワイルドで。声がとっても綺麗な上に声色がバラエティに富んでいて、突然太めの声も出るから、「かすみ草がたまに殴ってくる」みたいな意外性があってすごい、良い。次はどう出てくるだろうってワクワクする。素晴らしいコメディエンヌぶり……
前作の清水くるみさんもそうだったけど、恋を読むシリーズで出会う女優さんみんな好きになってしまう……!! とっても愛らしくて強くて本当に可愛い。素敵。


細谷さん、最高だったなー。私ドラマ版を見てたので「星野源さんを超える平匡さんはいない!!!」という謎の強固な姿勢で今回の舞台に臨んだんですけど、開始数分で「ひ、平匡さんがここにいる……!!!」ってなってました。星野平匡も細谷平匡も至高ですよ……いろんな人に最高な体現をしてもらえる平匡さんは幸せ者だよ……いろんな面が見えるよ……すごいよ……
いや、でもよく考えたら原作の平匡さんはどんなに動揺してもあんなにしっかりした発声で大声を出したりはしないと思うので、イメージぴったりだったかと言われると多分結構違うんですけど、そこは全然違和感なかったなあ。
とにかく安定感がすごい。咲妃さんはふわふわ、細谷さんはどっしりしていて、2人とも本当に上手いから「上手いなあ……上手いなあ……………上手いなあ」って思いながら観ました。掛け合いって1人だけ上手くてもダメだし2人とも上手くてもそれだけじゃダメじゃないですか……向いてる方向が揃ってて欲しいっていうか……お二人は歯車が完全に噛み合ってる感があって「ああーーキャスティングの神様ありがとうございます最高です」という感じでした。


● 壮さんと木村さん

このお二方の並び素敵すぎでは……? あの見た目のバランスは奇跡なのでは……? 長身の美男美女……憧れる……


壮さんの百合ちゃんかっこよかったー! 原作の百合ちゃんとは雰囲気が違うのに、百合ちゃんの佇まいと感情の揺れ全てにおいて説得力があった。咲妃さんとの声質の違いがお互いの良さを引き立てあっていて良かったし、木村さんの風見さんの青さも際立つんですよね。


木村さんの風見さん、若い、青いんだーーー! 25歳が演じるとこうなるのか……! と……。
リアルで生々しい。あれだけでも木村さんが風見さんを演じてくれた意味がある。百合ちゃんが躊躇するのがすごくわかる。年齢以上に最後まで引っかかるのがあの青さだと思った。
でも鍵探す時の「んーん」はちょっとお兄さんっぽくて最高でした。ぼく明日の「んーん、送るよ」も優しくてよかったけど今回の「んーん」は押しが強くてよかった。あそこだけ包容力が天元突破してた。
ていうかあんなに「んーん」似合う人いる??? あんな正解の言い方してくれる人いる??? もしまた恋を読むに出演するなんて奇跡があったらその時も「んーん」言って欲しいですね???
あと足首。風見さんすごいあの丈履いてそうなイメージあるわー。なんか知らないけど足首出してそうな感じあるわー。今回、衣装もヘアスタイルも爽やかで好きでした。


平匡さんとみくりちゃんはわりと平場で対話してるシーンが多いんだけど、風見さんと百合ちゃんはお互い奥まったところにいたまま話してるから、結構つねに2人の間に分厚い壁があったじゃないですか。あれがねー!! あの壁の存在が重くてねー!! あれそのまんま2人の心理的社会的壁ですよね。だからこそ最後に風見さんが百合ちゃんを自分の空間に招き入れて、「百合ちゃんが風見さんの空間に入っていく」、というのが重要なことに感じられました。2人が近づいたのが視覚的にも強調されていたし、何よりカーテンが効いてました、、、ないよりあるほうが空間のプライベート感が増す。


あと「そんなこと言わないで」もよかったですね……
風見さんってみくりさんと同じく言葉や理屈や合理性のシステム優位(感情を蔑ろにしているという意味ではないです!)で生きてる人だと思うんですけど、この台詞のところは感情が先に転がり出て言葉の意味が伴っていない感じで「ひゃー!」ってなりました。あそこに木村風見さんの脆弱性が垣間見えた。

彼に比べると咲妃みくりさんはもっと強固なシステムの上に立っている人だなと思うんですけど、やっぱり2人は少し似てて、彼女を発見した時の風見さんの目がキラキラして本当に嬉しそうだったのがグッときました。それまで若干世界を閉じてる感じだったから余計に。
ただこれは単純に好みの話ですけど、もっと表面的な社交性のある風見さん像も木村さんに似合いそうだなと思いました(みくりさんの風見さん評にちょっとだけ違和感があった)。


ところで私、百合ちゃんの「このときめきを丸い結晶に閉じ込めて心の奥にしまい込んで時々眺めてニヤニヤするわね」という台詞が本当に好きで、あれほんと詩的表現とかじゃなくて、究極にリアルな心理描写だなって思うんですよね……ほんとそれという感じ。そうするしかないみたいな時が、ありますよね……。最後に「ニヤニヤ」という表現でユーモアに包むところが百合ちゃんらしくて。
で、そのあと風見さんも「僕もこの気持ちを結晶にして閉じ込めよう」とたぶん言ってたと思うんですけど、百合ちゃんと風見さんとではこの台詞の意味合いが少し違うんだな、と感じられたのが今作での大きな発見で。
壮百合ちゃんのは今後の人生の励みとしての結晶化(将来の不安のあらわれでもある)で、木村風見さんのは、今の気持ちに区切りをつけるための結晶化。だから、百合ちゃんは見た目や質感にこだわる必要があって「丸い」という形容詞がつくけど、風見さんにはつかない(つかなかった気がする)、たびたび取り出して愛でるためのものではないから。百合ちゃんはなんとか綺麗なまま終わらせようとしているけど、風見さんにとってはもうすでに痛みを伴っているんだなあと、
そんなことがよく伝わってくるお二方の声色と表情でした。


● 水を飲む細谷さん

前作では役者さんがペットボトルから直接お水を飲んでいたような気がするんですけど、今作はペットボトルにストローを入れて飲んでいましたね。
飲むときに顔を上に向けるという動作がなくなるのでこっちのほうがいいなと思ったんですけど、
「どっちを向いているかわからないストローを、そちらに目線をやらずにくわえて飲む」
というのが意外に難しかったのか、
最初の方の細谷さんが水を飲むのになんか少し手間取ってて「かわいい……」と思いました。
しかも慣れてきてスムーズになったと思ったら、今度は水の置いてある床とは反対側に手を伸ばして空振りしちゃってて「うっかりほそやーーーーーん!!!!!」って心の中で叫んでしまいました。むちゃくちゃかわいい。
木村さんが「スッ…」ってスマートにカッコよく飲むから余計愛らしく見えました。


● ハグの表現

「本を二人で持って読む」というハグの表現を選択した時点でこの朗読劇は成功したようなものでは……と思いました。
「活字を共にする」という行為の艶っぽさ。実際のハグを見るよりもドキドキしました。


● 『逃げ恥』の舞台化という観点での感想

私は『逃げ恥』は「恋」と「同時代性」が両輪になっている漫画だと思っていまして……
登場人物たちの恋模様の土台として、現代の私たちが抱える悩み、モヤモヤがこの漫画に軽やかに描かれていると感じています。もっと前の時代ならあまり理解されなかった気がするし、もっと先の時代には「古い悩み」になっていて欲しい。そんな、リアルタイムで読むからこそ最高に面白い漫画。
その「同時代性」が、朗読劇ではかなり弱くなっていたので最初は少し「勿体無いな」と思いました。「せっかく逃げ恥をやるのにそこ削っちゃうのかー!」と。
でも裏を返せば潔かった。
しかも、普通片方の車輪を抜いたら残りもぐだぐだになって「だから実写化は嫌なんだよ」ってなることのほうが断然多いと思うんですけど、今回の脚本は「恋」だけできっちり成立させていて、すごい、ものすごい手腕だ……と思いました。そしてそれに耐えうる原作の強さ。
平匡さんみくりちゃん、風見さんと百合ちゃんは、こんな素敵な恋をしてたんだね、とあらためて思い知ったような感じ。原作で描かれている恋の道程をまた新鮮に見せてくれました。


面白かったのは、「同時代性」要素が薄くなった分、みくりちゃんと平匡さんの「何かを『役割』『契約』『定義』などで言語化してから行動する」側面が強く出たところ。
とりあえず夫婦になってみるとか、ハグの日を決めるとか。
2人の間の出来事は基本的に言葉での定義が先で、行動や感情はそのあとを追いかけてくる。言葉が行動の先に立つというか。そしてそこから外れたものがドラマを生むんですよね(キスとか)。
その言語化カップルのありようが、朗読劇にぴったりだったんだなあと。
そして最後に平匡さんが「これはデートですかね?」と確認するのは、言葉よりも2人の行動が先に来たという点で新たなステージを感じさせる良いシーンであったなあと思います。


あと逆に風見さんと百合ちゃんは周りから・自分から貼ってるラベルに苦しんでるんだなあというのもよくわかったな。ドラマや漫画の時は百合ちゃんの言う「呪い」を社会的なものとして捉えていたけど、朗読劇だとちょっと言霊的な感じになってた。木村風見さんの「そんなこと言わないで」は、百合ちゃんが自らラベルを貼ろうとするのを止めようとしたのかな、、、などと思いましたね……原作だともう少し違う印象なんですが、耳で聞く朗読劇だと言葉の力がより強く働くのかもしれません。


● 「恋を読む」シリーズの2作目という観点での感想

たぶん意識して演出されてるんだなあと思うんですけど、前作『ぼく明日』との共通点が色々あるなあ、というのがすごく印象に残りました。以下にいくつか。

・主人公2人がはじめてお互いの名前を呼ぶシーン
前作でも今作でもそういうシーンがあったことで、「はじめて名前を呼び合う」という瞬間の儀式性、お互いの(言葉による)再定義感が強まった感じがしました。自分の中で。

・桜のシーン
前作も今作も、「2人は確かに同じものを見ているのに、同じ『綺麗だ』という感情を抱いているのに、それでも見えているものがこんなにも違う」ということが表現されるシーン。切ない。

・「逃げる者と待つ者」のシーンがひとつの山場になる点
今作は平匡さんの全力ダッシュプロジェクションマッピングで街灯が通り過ぎていく。前作は高寿くんのコインランドリー。洗濯機がぐるぐる回ってる。女性側ばかり待っているなと思ったけど、そういえば風見さんは百合ちゃんの葛藤を待っていたな、と思う。

・◯日目というカウント
両作で意味合いは違うけれど、これがあるだけで登場人物たちが日常を慈しみながら積み重ねている感じが伝わる。

・河川敷と街歩きで仲が深まる点
歩く行為と読む行為の類似性を感じさせる。(今回ここだけ脚本読んでなかったんでしたっけ?)

・「家族」という共同体への思い
平匡さんとみくりちゃんは色んな意味で家族になって、百合ちゃんは「たぶん彼と結婚することはない」と前提を置いて、前作の愛美ちゃんは「どうして私たちは家族になれないんだろう」、と泣いた。
「恋」のゴールがそれだって言ってるわけではないけど、「恋を読む」の中ではどこか家族というものが望ましい未来として意識されているように感じます。今回は百合ちゃんがいたことで、恋の先の選択肢(あるいは「家族」という言葉の定義)はひとつじゃないというのも提示されていて良かったと思います。

・「普通じゃなさ」
前作も今作もわりと普通じゃない設定の2人が日常を積み上げることに尊さがにじむ作品群だなあと。
ただ、最後に平匡さんが、2人が「普通じゃない」旨を連呼していたので、「そんなに言うほど普通じゃないかね??」と疑問に思ったのですが、すぐにみくりちゃんが「私とあなたの普通が違ってよかった」みたいなことを言っていて、「あーっその観点!!!」と思いました。他人の普通じゃなさを受け入れる。というのが、「恋」の先にあるものなのやも。


● 演出のはなし

なんといっても「普通に楽しめる」すごさ!!!
演劇に馴染みがない人でもとっつきやすそうな雰囲気が「恋を読む」シリーズにはあると思うんですよね……いい意味で演劇的な毒が表に出てこないというか……スタッフワークもわかりやすいしかわいいし。
見ていてすごい楽しいです。
なんで楽しいかって、
「この作品めっっっっちゃ良くないですか!? 僕大好きなんですよ!!!!!!」
って演出家の方から言われてるみたいに感じるんですよね。脚本と演出の端々から、ファンが好きな作品について語っているみたいな空気をビシバシ感じる。そしてその作品が、一般的に有名なメジャー作品であることがなんだかとても嬉しい。
演出の三浦さんはKERA CROSSに参加されるとのことで、個人的に今から興味津々です。「恋を読む」しか拝見していないので(?)自分の中で三浦さんの演出とケラ作品とがあまり結びつかないんです。絶対見たいです。早く作品発表されないかな……!!!



以上です。
あと……木村さん、来年も舞台に立ってくれたら嬉しいな……!!

ミュージカル『エリザベート』感想メモ(8/22)


「達成、ルドルフやりなよ!」



そう言って、『NARUTO』で共演した悠未ひろさんが「闇が広がる」を教えてくれた。


というエピソードを初めて聞いた時、
私の中でジャジャーンとひとつ木村さんの未来像が生まれました。
あの帝国劇場で、あの『エリザベート』に出演し、あのルドルフ役をまっとうする!!
……そんな日がいつか来るのかな!?




、、、あれから2、3年。
実際のエピソードの時からは4年くらいかな?(全部曖昧か)
木村さんのことを見くびっていたわけではまったくないつもりだったのですが、
「そんな日」は想像していたよりずっと早く訪れました。



先日、8/22の『エリザベート』マチネを観劇したのですが、もう終始
「えっルドルフめちゃくちゃいいんだけど…!? 最高なんだけど……!?!? えっ木村達成さんっておっしゃるんですか……!? えっファンクラブ入ろうかな……!?」
って思ってました。
うっかりもう一度ファンクラブ入るところだった。
このくだり、舞台に立つ木村さんを見るたびに繰り返してるんですけど、だっていつも新しいんだもんなーーー!!
6月も7月も最高だったけど8月とっても最高だったよーーー!!
本当に、悠未ひろさん……ありがとうございます……。


8/25のソワレまであと3公演、さらに進化するのでしょうけど、それをどうにか見届けたい気持ちはあったけれども、
でも、とっても清々しい見納めでした。
めちゃくちゃ良かったなーーー!!


以下、ざっくりですが感想です。
3回目にして今まで見えてなかったものも見えてきました。



6月の感想はこちら
7月の感想はこちら
ルドルフの楽曲が最高という話はこちら




● ルドルフ


・我ら息絶えし者ども
ダンスの手さばきがすごい綺麗。びっくり!
指先まで細やかに語る手と、腕の使い方と、あと背中!!
ダンスはここだけじゃなくて、独立運動もマイヤーリンクもとっても良かった。とにかく手が優雅で雄弁。そして背中の伸ばし方と反らし方が絶妙。
あの冒頭で頭からかぶってるお召し物がこの時ばかりは羽衣に見えました。天女? 天女かな?


あと歌も譜割り難しいのに(私感です)走らなくてすごいなーと思いました。これは「僕はママの鏡だから」の最初の方もそう! 私はトロイメライの拍子もすぐわからなくなるんで……尊敬しかない……



・父と息子、憎しみ(HASS)
「よく見てください!」が本当に見てほしそうで私もフランツに見てほしくなりました。
そのあとフランツが演説者を見て「誰だ?」って聞いたことに過敏に反応して、「(はっ興味を示した! 今だ! この機を逃すな!!)シェーネラー!! ドイツ民族主義者です!!!」って勢いよく手で指し示す感じだったのすごい良かった。
ここのふたつの言葉の必死さに、彼がちゃんと自身の目で市井の人々を見た実感がこもっている。ルドルフはフランツにその目で、「国」じゃなくて国民を、人々の表情を見てほしいんだなと。
HASS中もルドルフはなんとかしなければという顔で市民たちに触れて止めようしたりもしていて、案じるばかりでなく結構具体的な行動に出る人だとわかるので、独立運動に身を投じるのも唐突感がなかったです。



・闇が広がる(リプライズ)
井上さんトートは表情があまり変わらない分、ものすごい内圧を感じるんですよね……なんかだんだん「ひょっとしてこれは彼なりの『頑張れ』なのでは? こういうやり方しか知らないのでは?」とも思えてきて。これでもかと焚きつけてくる彼に、弱いながらも起き上がり小法師のように応える木村さんのルドルフが見ごたえありました。役同士の会話の上に役者さん同士の会話があるような気がしたり。
そして「我慢できない」の我慢できなさ具合最高に良かったです。「で」にすごい力が込められていた。「王座」もパーンと入って気持ちが良かった。また覚醒した目がいいんですよね。


あとこれは何度でも言いたい(もとはこちら)んですけど、私は「革命の歌に踊る」というところをひそかに推してまして、
頭の「かく」という明瞭な響きが最高だし、「かく めい」という響きの硬さ(かく)と柔らかさ(めい)の対照性が最高だし、「歌に」の「う」で音が上がり弾けるような「た」が続くことで「うた」という言葉の美しい響きが彗星の如く現れる感じが最高。しかもそれら清音のきらめきが最後「踊る」という濁音の世界に収斂されてしまうのが最高の高。
と思ってたんですけど、
この日の木村さんの「革命の歌に踊る」めっっっちゃ良くて、「それそれーーー!!!!」ってなりました。朗々とした発音が語感にゆったりとした空間的豊かさをもたらしていて、推しが推しを最高に輝かせてくれてました。木村さんありがとう……!! 木村さんのカ行の発音本当に好き。


6月に比べて歌声がよく響いていて、歌に感情を「のせる」だけじゃなくて「含める」ことのできそうなふくよかさが感じられました。
6月、「伸び代いっぱいある!!」って思ったのにもうその伸び代伸び切って次の伸び代が見えていて、伸ばしたご本人も環境もめちゃくちゃすごいなと思いました……竹だよ……竹……1日で1メートル伸びるしなやかな竹……



独立運動
覚醒後のルドルフ、精悍な顔つきで声まで凛々しくてかっこいい。のですけど、度々迷いと弱さが顔を出していて、ここが少年時代のルドルフと、あと平方さんフランツを彷彿とさせて良かった。
特に、下に降りてきて逡巡……してからの、「今こそ」と振り返るところがキリッと雰囲気変わってすっごいかっこよかったです。感情の流れ的にもビジュアル的にも弱さあっての緩急だった。ここも目がいいんですよね。眼差し。あと背中の角度。


角度といえば王冠のところ、姿勢の美しさにさらに磨きがかかっていたのでは!!?!?
かなり後ろに膝をついてるんですかね? 肩から膝までまっすぐで、ルート( √ )のような美しさ。もはや無機的ですらある美しさ。シシィの美貌が政治に使われたことを思い出す。ここだけじゃないんですけど、今回初めて、シシィの息子だな、似てるなって思いました。


ハプスブルク……っ!」と姓を名乗った時の表情が、武士っぽいというか、生まれへの誇りと断絶の気配を感じさせて良かった。
この時点でもうこの先どうなるかわかってるような感じがあって、くずおれたまま父の方へ少し這いつくばるように寄ろうとしたけど行けなかったのが切なかった。
「父上……」はすごい普通のトーンだったんだけど、最初から何を言っても無駄だとわかっていたからかな、と思いました。



・僕はママの鏡だから
ママが来る前? にルドルフが目元を拭っていて、汗だったのかもしれないけど涙のように見えました。木村さん、泣いていても歌の言葉が明瞭に聞こえるのほんとすごいんだよなあ。
歌のはじめの方、メロディのドラマティックさがおさえられているので余計にママに訥々と話しかけている感じが出るなあと思うんですけど、
まず木村さんのお芝居が先行していて、あとから歌がついてきていたのがすごく好きです。


あと「打ち明けるよ」の言い方!! 語尾が上がって「打ち明けるよ?(心の準備はいい?)」みたいに聞こえて、すごい、ここへ来てママにそんな配慮をするのか、そんなに優しい子なのかルドルフは、と思いました。この言葉、自分(ルドルフ)のためのワンクッションだと思ってたけど、木村さんの言い方は完全にママのためのワンクッションに聞こえた。なんでこの言い方にしようと思ったんだろう……天才なのでは……?
そして「パパを説得できる」のところ、今度はシシィに対してパパのほうを手で指し示していたのがまた切実さがうかがえて良かったです。パパでもママでもいいから自分の見た現実を一緒に見てもらえたら良かったね、、、


「ママも僕を見捨てるんだね」、も、普通のトーンで、「やっぱりね」みたいな虚無感が漂っていた。
トートの「死にたいのか?」にすら「ああ……君か」みたいな反応で、このルドルフは最初からわりと死に近かったんじゃないか、という印象を受けました。



・マイヤーリンク (死の舞踏)
最初に書いた通りダンスが良かった。上半身のことばっかり書いてるけど脚もいいんだよなー! しっかりしてるっていうか、頼りになるっていうか。(?)
お芝居とダンスが融合しつつあって感動しました。ここも気持ちが先に立ってる感じがした。
あと今まで書くの忘れてたけど白シャツがとっても似合っています。


今回はひきがねを引く前に笑っていなくて、ほとんど表情が見えないくらいあっという間だったんですけど、そのことによって私の中でキスの後動かなかった数秒が強く印象に残ったまま消えなかったんですよね。
ルドルフの最期は、あの余韻の中だったんじゃないか、と思いました。前回はトートの余韻に浸っていたという印象だったけど、今回は「生きたこと」の余韻を感じていたような印象で。ひきがねを引くときにはもう心は此処になさそうに見えました。
吹っ飛ぶ頭からぱっと弾け飛ぶ汗は、やっぱり血に見えますね。やろうと思ってできることじゃないからすごい、、、



この日の木村さんのルドルフは、かなりド直球の、正統派の皇太子であったように感じました。
すごく見応えがあって大好きでした。


● 少年ルドルフ

・ママ、何処なの?
大橋くんのルドルフは、トートに対して最初警戒してるんだけど「来てあげる」って言われてすごく嬉しそうにするところがもう……用心深くて素直でまっすぐで……
成長後のルドルフにもそういうとこの面影があったなって思います。野心がなさそうなところも。


あと「ママ、ママ!」が突き刺さりすぎて胸が痛かったです。「ほんとごめん……早く帰るから……」って思ってしまった。純粋に求めてる感じなんですよね……こんな声で呼ばれてしまったら出掛けられない。


● トート

・愛のテーマ
歌は言わずもがななので……!! 井上さんのお芝居でむちゃくちゃにグッときたところについて。
エリザベートが亡くなる時、トートが抱きしめるシーンがあると思うんですけど、そこがすごく好きです……
トートは抱きしめることができてないんですよね……
さわっても大丈夫かな? 抱きしめても大丈夫かな? 壊れてしまうんじゃないか?
とおそるおそる手を回すのだけど、あまりに柔らかいものに触れたという感じで、それ以上力を入れられない。表情は変わらないけど、彼の戸惑いが手に取るようにわかる。
「うわー! ここで彼は初めて愛、生、体温を知ったんだ!」と気付きました。
彼は初めてエリザベートの体温に意味を感じて、死とはそれが奪われることだと気づいたんだけど、もう遅いっていう……
だから最後に彼はあんな顔をするんだ……ととっても合点がいきました。
井上さんのトート、黄泉の国と人間界の勝手が違うだけで、結構優しい人なんじゃないかって思えたりする瞬間もあったので、つらかったです……


● フランツ

エリザベート(愛のテーマ)
平方さんのフランツは、「誰かと分かり合えない悲しみ」が強くて、ほんとに最初から最後までそのことに苦しんでどこかで諦めている感じだった。そして迷いながらも場をおさめようとする。抱きしめたり、後ろを振り返らないようにしたりして。
彼の歌うこの曲では、シシィのことを優しい優しいと言っているのが強く耳に残って、「シシィってそんな優しいっけ……?」と思ったんですけど、いやゾフィーに育てられたフランツにとってシシィは本当に「優しい」のかもしれない……彼にとっての愛とはシシィそのものなのかもしれない……と思って切なくなりました。


エリザベート

・私が踊る時
愛希さんのシシィの勝ち誇った表情最高ですよね……! 特に流し目のところがすごい好きで。その目にルドルフとの血縁関係を感じました。
あと井上さんトートと愛希さんシシィだとそこまで龍虎相摶つ!! という感じではなくて、「生と死が並び立つ」という雰囲気を感じました。ここの愛希シシィは生の象徴みたいだった。



・死の嘆き
すごく「あっ」と思ったのが、シシィがルキーニに写真を撮られるところ。
花總さんシシィは顔を隠したまま逃げていくと思うんですけど、「こんな時ですら美醜に固執する」というところに私は花總さんのエリザベートの凄みを感じるんです。
一方で愛希シシィは、撮られた瞬間は隠すけれど、あとはとにかくこの場を去りたいという感じで顔は二の次になっていた。
ここがちょっと違うだけで、シシィがそこまでエゴイストじゃないように感じられるなあと。
愛希さんのシシィは、人間として当然の権利を追い求めていただけなのではないか、と思えるところがありました。



・夜のボート
「あなたが側にいれば」と同じメロディで、結局すれ違いっぱなしだった2人の心情が歌われる、シシィとフランツの物語の終わりを飾るような1曲。
今回の愛希シシィと平方フランツの組み合わせでは、フランツが愛を追い求めすぎている……と感じました。
「あなたが側にいれば」ではシシィが自由を追いかける理想主義者で、フランツが自由なんてないと知る現実主義者だったのに、
「夜のボート」ではフランツが愛(=シシィ)という幻想を追いかける理想主義者で、シシィが愛は全能ではないと知る現実主義者みたいになっていて、立場が完全に逆転していた。平方さんのフランツ、本当にすがれるものが愛しかなかった。そして彼にはもう場をおさめる気概もなくて、そのまま悪夢になだれこむっていう……
Wキャスト、トリプルキャストっていろんなところで化学反応が起きていて本当に面白いです……


● ルキーニ

・愛のテーマ
成河さんのルキーニは貼りついたような笑顔の仮面をつけたり外したり忙しい。彼が真顔で見つめている時、どんな気持ちでいるんだろうかと気になってしまう。母の陳情、精神病院、マダムヴォルフ。彼の許せなかったものが見える気がする。
彼が最後に首を吊る時、シシィがまっすぐ立ってる(寄りかかってる?)のと
ルキーニが首をつって伸びているのが体勢的に似ていて、
これはルキーニが牢獄の中で死を選ぶまでの、生と死のせめぎ合いの物語だったのかもしれないと思いました。


● カテコ

むかしむかしカーテンコールに 少年ルドルフ役の大橋くんと ルドルフ役の木村さんがおりました。
とつぜん 大橋くんが 木村さんの手を ぎゅっと握りました。
すると木村さんは とっても嬉しそうに 大橋くんの頭をなでました。
ふたりは仲良く手をつないで 客席に手をふっていました。
世界は平和につつまれました。
おしまい。
……いやもう泣けちゃうくらいハートフルウォーミングニコニコハッピーエンドでした……大橋くん……かわいいが溢れている……




● おわり

木村さんの突き進む姿と、エリザベートの物語に魅了されっぱなしの3ヶ月でした。
語り尽くすには言葉が足りなかった。
楽しかったー!
ありがとうございました。
おしまい。







※ 後日追記
木村さんのルドルフがどんなルドルフだったのかについて、たぶん私の感想では大事なことが書かれていない気がするので補足を…………
Twitter等では多くの方が「木村ルドルフはフランツに似ている」とおっしゃっていたことをここに記しておきます。
また、月刊『ミュージカル』 2019年7月・8月号に当時の木村さんのインタビューが掲載されており、その皆様の印象の一致は偶然ではないことが示唆されております。ご興味のある方は是非バックナンバーをお手に取ってみてください……
また、最期の「飛び散る汗が血飛沫のように見える」はご自身がそのように見えたらといいなと意図してやっていたことだとファンクラブイベントにてお話しされていたそうです。

ミュージカル『エリザベート』 ルドルフにまつわる音楽について書く

ミュージカル『エリザベート』のルドルフにまつわる楽曲について、好きなところがたくさんあるので感想を書きました。
(作詞:ミヒャエル・クンツェ、作曲:シルヴェスター・リーヴァイ、訳詞:小池修一郎



私はミュージカルも音楽も詳しくないので、語るための言葉と知識を持ち合わせておらず、途中でこれは何を書いているのだろうかと我に返ったりしましたが、とりあえず熱い思いの丈を最後まで綴りましたのでここに埋めます。



この文章は主に思い込みと妄想で構成されています。
すみません。



● ♪ ママ、何処なの?


長調なところが好き

この曲、歌詞の内容は寂しいのに曲調は明るい長調なんですよね。
シンプルなメロディと伴奏だけ聞いていると、まるで素朴な童謡のように感じます。
これがもう……!! 気丈に振る舞う彼の健気さと健全さ、彼をそうさせる皇太子としての自覚を感じさせて切ないったらありゃしないんですよね……!!!
そして、「それでもママを信じる気持ち」みたいのも見え隠れしてて、悲しげな短調だったら感じなかったであろう「ルドルフの抱く一縷の望み」が表現されていてつらい。さみしい……



・トートが優しい

トートのメロディめっちゃ優しい。下からそっと上がってくるところが優しい。言葉も優しい。


トートってシシィには嫌がられてるけど、ルドルフにはルドルフがかけてほしい言葉ばかり言ってくれるんですよね。
それがシシィにとっての死とルドルフにとっての死は違うんだなあと思うところの一つで、個人的には、ルドルフはトートに自分が生きるための言葉を言わせているように感じることが多いです。
シシィは死にたくないのに死に魅了されてしまっているけど、ルドルフは、生きるために、前に進むために、自分を鼓舞するために死を意識している。


「呼んでくれれば 来てあげる」って、「死のうと思えばいつでも死ねるから」と思うことで生きる気力を保ってるってことなんじゃないかなと……トート、その出現に関してはわりと受け身なほうですよね。シシィの時と違って。


ルドルフは「♪ 闇が広がる」の前、久しぶりに死への思いが頭をもたげたんじゃないかと思うんですけど、そこでトートが煽ってまた生きるほうへ向かわせたのがすごいなあと。
トートがルドルフを籠絡するという、トート側の物語と利害が一致するのも興味深いです。



● ♪ 父と息子


・繰り返される親子の対立

前半は「♪ 皇帝の義務」の陳情部分のメロディ、後半は「♪ 皇后の務め」のメロディが使われています。この構成は「♪ 第四の諍い」に近い。これはフランツがゾフィーと決別するシーンで歌われるもので、その後「♪ ゾフィーの死」に繋がります。


フランツの母であるゾフィーが亡くなり、入れ替わるように登場する大人のルドルフ。息子である彼ともまた、「親子でありながら対立」してしまっているフランツの姿が、同じメロディラインが使われることで強調されているように思います。
フランツだってそんなこと望んではいないだろうに。


それにしても、「♪ 皇后の務め」があまりに強烈すぎて、しかもその後の意見がぶつかるシーンで何度も同じメロディが使われていたおかげで、「ずちゃちゃずちゃちゃずちゃちゃ」が始まった時の「火蓋切られたー!!」感が半端ない。
初見でもリプライズによって音楽が定着していくのすごい。



● ♪ 憎しみ(HASS)


・消えたメロディ

メロディとハーモニーが消え、リズムと言葉のアクセントが残った音楽。
リズムや全体の構成は「♪ ミルク」がベースになっていると思われます。


メロディやハモり、パート割りがなくなったことで情報の幅がぐっと狭まっており、ミルクの時に見受けられた個々人の多様な怒りがHASSでは画一化されているように感じられます。
ミクロがマクロになったというか。顔が見えにくくなったというか。
ニゾンで「単純なリズムのフレーズ」が執拗に繰り返され、さらに各フレーズの前半にタタッと走るようにアクセントが置かれていることが多いので、全体的に追い立てるような攻め立てるような印象になっています。
ミルクは偶発的な怒りの発露という感じでしたが、HASSはもう少し計画的なもの、近づいてくるシュプレヒコールのようです。どちらも誰か(主にルキーニ)に扇動されていることは変わりないのですが。


ルドルフとフランツが下に降りて向かい合っている時、民衆はなんとなくこの後出てくる旗のシンボルのような形で並んでいるように見えます。
そこがまた、本人達の意思とは関係なく知らず知らずのうちに操られ誘導されているようにも感じられて寒気がします。ハプスブルクの親子は奇しくもそのシンボルの中心にいる。



・歌詞がこちらに飛び出してくる

この短い曲の中に、登場する演説者の掲げた汎ゲルマン主義、反ハプスブルグ君主制、親プロイセン反ユダヤ主義などが詰め込まれていると思うのですが、個人的に特にすごいと思うのが「20世紀」という言葉が出てくる点。
これがあるだけで、観客の私がドキッとしてしまうんですよね……「ハプスブルク+1800年代=昔」みたいな頭で見ている時に、急に「20世紀」というわりと身近な言葉が出てくると、「あれっ?」と思ってしまう。「これそんな最近の話だっけ?」みたいな。
それまでより19世紀末という時代がちょっとこちらに近づいたように感じてしまう。


さらに追い討ちをかけるように、いつの間にかかの独裁者を思わせる風貌に変わっているルキーニ、あの敬礼、そして上から姿を現すあの旗が、私の時代認識に揺さぶりをかけます。「えっこれいつの話だっけ?」と。


急に時系列がとんでくるのでいつも少し混乱してしまうのですが、ただ、この2つの演出にはルキーニが「100年間尋問され続けている」という設定がものすごく活きているなあと思います。ルキーニが1910年に自殺してから100年ということは、だいたい2010年。ほぼ今じゃん!
死後ルキーニの知り得る現代史が随時最新化されていくのかどうかわからないですけど、
ルキーニが見てきたのかもしれない「ルドルフたちにとっての未来」=「私たちにとっての遠くない過去(現代といってもいい) 」を彼が突き付けてくることで、観客の私は急に傍観者から当事者へと変えられてしまうのです。「他人事だと思って見ていただろう、違う、この話とおまえは地続きなんだぜ」と。
市民に蔓延った感情、それを煽ったドイツ民族主義者の原理、その後登場するウィーン市長、彼らに影響を受けた画家志望の青年、そしてそれから何が起きたか、それを知っている私たち。時間が急激に流れて、ルキーニの物語は一瞬だけ私たちの生きる時代をかすめていきます。
フォーカスはすぐにルドルフへと戻り、彼は旗を引き下ろしますが、民衆たちによってまたそれを突きつけられてしまう。


ここでちょっと疑問に思ってしまうのが、「ルドルフにはこの旗の意味がわかるの?」ということです。このシンボルを採用した人物は、ルドルフの亡くなったまさにその年に生まれるはずなのに。
個人的には私は、この作品のルドルフはこれから起こるかもしれない悲劇を少なからず予見していたのだ、と考えています。具体的にとはいかなくても、ハプスブルク帝国崩壊だけにとどまらない世界の不幸が起きる、という漠然とした不安・推測・妄想・恐怖(ここはルドルフを演じる役者さんによって違う気がします)が彼を襲っていたのだと。
憎しみの至る先を彼は独りで見つめていたのかもしれない、それを踏まえると、この後の歌もいくつもの意味が重なっているように聞こえてきます。



● ♪ 闇が広がる(リプライズ)


・人は何も見えない

エリザベートの長女が亡くなった時に歌われた「♪ 闇が広がる」のリプライズ。
オリジナルのほうはだいぶ具体的な内容の歌に聞こえるんですが、リプライズは暗喩表現が多用され、また「何も見えない」のが「皇帝」から「人」へと変わっているので、歌詞の抽象度がかなり高くなっているように思います。
ほんと、いかようにも解釈できる。
「皇帝は何も見えない」だと、前後の内容も合わせて「トートの存在自体見えてない」とか「トートがシシィに悪さ(悪さ?)してることも知らない」とか「(「♪ 不幸の始まり」で歌われているような)栄光の終焉も帝国の滅亡も知らない」とかなんとなく意味がしぼりこめそうな感じなんですけど、
「人は何も見えない」って、すごい、解釈の余地が広大。地平線が見えそう。


私はもともとはここを、
① みんなトートの存在自体見えてない、トートがルドルフに近づいていることもルドルフが闇を抱えていることも誰も知らない
② 帝国滅亡の危機が迫っていることを誰も(特に皇帝)知らない、知ろうとしない
③ ルドルフ自身がトートのこともこれから先のこともよくわからない、混乱のさなか、暗中模索
などなどの意味合いで受け取っていました(①②はオリジナルと似てる)。
でもHASSのあとのルドルフを見ていたら、もうひとつの意味合いも浮かんできたんですよね。
「これから起こる悲劇を、人は誰も知り得ない」。
ルドルフの予見していたものについて、(人でないトート以外)誰とも共有し得なかったのだ(そしてそれは当たり前のことなのだ)、というような。
ただ、面白いことに、ルドルフの見ていたイメージをのちの時代に生きる私たちだけは具体的に共有することができるんですよね。あの旗とルキーニの姿から、理屈じゃなくて肌でびりびりと、悪寒のように。未来を知る私たちだけはルドルフに共感できる。


HASSの前、ルドルフは「よく見てください!」って言うんですけど、フランツはしばらくしたらどっかいっちゃう。ここが「人は何も見えない」に対応してもいると思ってて、
家のことも国のことも、その先の悲劇も、フランツとビジョンを共有することはできなくて、なんかもうルドルフの無力感大きすぎる。



・濁音の良さ

「闇“が”広“が”る」ってタイトルからしてそうなんですけど、この歌は濁音の響きがものすごく効いてると思うんですよね。濁音が特別多いわけじゃないんですけど、「我慢できない」とか「王座に座るんだ 王座」とか「皇帝ルドルフは立ち上がる」とか印象的なところにちゃんと濁音があって、これが発音されることでトートとルドルフの密着感や、閉鎖的で暗澹とした雰囲気を盛り立てている。
もし「やみかひろかる」だったら音がだいぶカラッとすっきりしてトートとルドルフの間に少し隙間があるような印象になるんじゃないかなあと思います。
「やみかひろかる」「やみがひろかる」「やみかひろがる」「やみがひろがる」。口に出して言ってみるとなんとなく最後のが一番距離が近くて重厚な感じがするんですけどそう感じるのは私だけかもしれないすみません。


あと、その濁音群のなかにあると逆に清音も映える気がして、特に「革命の歌に踊る」ってところが最高に推せるんですよね……
頭の「かく」という明瞭な響きが最高だし、「かく めい」という響きの硬さ(かく)と柔らかさ(めい)の対照性が最高だし、「歌に」の「う」で音が上がり弾けるような「た」が続くことで「うた」という言葉の美しい響きが彗星の如く現れる感じが最高。しかもそれら清音のきらめきが最後「踊る」という濁音の世界に収斂されてしまうのが最高の高。推せる〜〜〜!!



● ♪ 独立運動


・出だしのルドルフの高音が好き

出だしのルドルフの高音が好きです!!!



・エーヤンは鬼

「♪ ミルク」のメロディをベースに、「♪ 最後のダンス」ちょこっとと、「♪ エーヤン」。
もうここのエーヤンはほんと鬼で、このメロディが使われるだけでルドルフがかつてハンガリーを助けた母の姿に自分を重ねている感がめちゃくちゃ出ちゃうんですよね!!!! 本人にそのつもりがなくても、周りはきっとそう思っている、というニュアンスも含めて、つらい。



・見てきたものがここに集約される

あとエーヤンとミルクってどっかで見た並びだな……とか思って、いやルドルフのバイト先!! ルドルフ!! どっちもルドルフいるじゃん!!!!! という。
(ルドルフを演じる役者さんは一幕の「ハンガリー訪問(デブレツィン)」と「♪ ミルク」のシーンに市民として出演している)


デブレツィンでは「♪ エーヤン」を歌ってるわけじゃないですけど、BGMで流れてるし……
なんか、そうやって市民を演じているルドルフ役者さんを見ることで、ルドルフがもしハプスブルク家に生まれてなかったらどうだったかな、とか、逆にその市民の彼から見たルドルフ(ハプスブルク家)ってどうよ、とか考えさせてくれるなと思ってたんですけど、そうかその「市民の彼ら」もここに結実するわけなのですね……………エリザベートにエーヤンしていた彼……ミルクがないのは誰のせいだと怒っていた彼……国中に渦巻いているものが見えている彼……彼らの行き着く先はハンガリー独立、ドナウ連邦……そうか…………………


なんか、ミルクを求める青年と、独立運動に加担する皇太子という、本来ならば絶対に交わることのない二人の人物が、同じ役者とメロディによって交叉し重なり合うのすごい運命のいたずらって感じがします……演出の効果なんだけど……素晴らしいなあ。


ダンスのところの音楽も、エーヤンの伴奏からのミルクですね。ほんとエーヤンは鬼。



● ♪ 僕はママの鏡だから


長調なところが好き(2回目)

ルドルフ、歌のはじめは短調で憔悴して本心を吐露している感じだったのに、いざ本題というところで長調になっちゃうじゃないですか。
もーーーそこがルドルフーーーーー昔から変わってないーーーー!!! 「♪ ママ何処なの」から変わってないーーーー!!!!
皇太子としての自覚とママを信じる気持ちが彼をそう振る舞わせるのかなって思わせる長調ーーー!!!


感情のまま話してた時はまだ若干ママが話を聞いてくれるかもしれない空気があったのに、「打ち明けるよ」で少し気を持ち直してからはもう「政治の話ね」ですよ。ルドルフが皇太子らしさを見せた途端にシシィの心の扉が閉まってしまうんですよね……シシィにとっての牢獄、ハプスブルクの血……なんかシシィはルドルフの中にフランツを見てつらそうにするしフランツはルドルフの中にシシィを見てささくれだつし、誰かルドルフのことを見てあげて……


しかも、政治の話になるところ、伴奏の「♪ 私だけに」のメロディを追いかけるように似たようなメロディを歌う感じなんですよね。ママの歌をリプライズしそうなんだけどしないんですよ。もう一度言いたい、リプライズしそうなんだけどしないんですよ。「僕はママの鏡」と言いつつメロディはなぞらないんですよ……!!! ルドルフー!!!!
一方シシィは「♪ 私だけに」のメロディで返してくるんですよずるくないですか!??(ずるくはない)
絶対助けてくれない感じじゃないですか……
ルドルフ、もう短調のまま「ママ助けて父上が虐めるんだここは牢獄だ」と訴えれば良かったんじゃないかと思ってしまいます。ママは「♪ 皇后の務め」でそうしていたのでそっちのほうが通じた気がする。


(8/26追記:8/22に観劇して気づいたんですけど、「♪ 私だけに(三重唱)」のトートソロが「♪ 僕はママの鏡だから」のメロディと同じだったんですね……!!
うわー! ……うわー!! と思いました。
とても闇が深い……エリザベート、本当に見れば見るほど奥行きが出てくる)



・溝が現れる

結局、ルドルフの懇願は最後にほんの少しだけ「♪ 私だけに」のメロディをなぞって終わります。
それに対するママの返答は、あの通り。
最後の返事に使われているメロディは、その「♪ 皇后の務め」の終わりでシシィの訴えをやんわりと受け流したフランツの「♪ 君の味方だ」と同じです。
シシィがやられて傷ついたことを、今度はシシィがやってしまっている。
このメロディは「♪ 第四の諍い」でフランツがゾフィーと決別する時にも使われていて、しかも「♪ 最後のダンス」の出だしに微妙に似ている気もするので、なんだか死があらわれる前触れのメロディのようにも聞こえてしまいます。
ふたりの間にあった大きな溝がゆっくりと可視化されていくようなメロディ。
でも、もともとは「♪ 皇帝の義務」でフランツが「もし選べるのなら……」と本心を垣間見せたメロディであったことも忘れちゃいけないよなあと思います。あの時、あの母子の間にも溝があったんだ。



・「あなたが側にいれば」

これは2016年版のDVDを見ていて気づいたことなので、今年もそうなっているかはわからないのですが(8/26追記:2019年版でもそうでした)、
シシィの歌のあと、クラリネットオーボエが聞き覚えのあるメロディを静かに奏でていたのですよね。
フランツとシシィが2人で歌う曲の、「勇気を失い くじけた時でも」の部分のメロディです。たぶん…………
これは「♪ 君の味方だ」にも「♪ 第四の諍い」にもなかったので、わざわざここに付け足されているものだと思うのですが、そこのメロディだけが流れて、その先に続くことなく中途半端に終わってしまいます。
なんらかの作品を鑑賞する時に、描かれたことと同じくらい「描かれなかったこと」が強いメッセージを持つことがよくありますが、これもそうなのかもしれないと思いました。
続けて紡がれることのなかったメロディがかつて伝えていたのは、歌の表題でもある「あなたが 側にいれば」という言葉。
ルドルフが小さい頃からずっと言いたくて、そして結局言えなかった言葉のようにも思えました。
代わりにルドルフが口にした「ママも僕を見捨てるんだね」というつぶやきの、「あなたは私を見殺しにするのね」というシシィの言葉との小さな差異が、このメロディによって浮き彫りになるようで。
彼のそばにいてくれたのは最初から最後までトートだけ。



長調なところが好き(3回目)

私は、今年ルドルフを演じている役者さんの一人である木村達成さんのファンなのですが、「♪ 闇が広がる」と同じくらい木村さんの歌うこの曲が存外に好きでして……
音域とか専門的なこともあるのでしょうけど、個人的にはこの曲の
長調だけど気持ち的には短調、だけど、長調だ」
みたいな調性が、木村さんがここぞという時に放つ
「光は闇に堕ちた、しかし光り続ける」
みたいな属性と響き合っていてとってもいいなあって思ってます!!!ファンなので!!! !



● ♪ マイヤーリンク(死の舞踏)

・エーヤンは鬼(2回目)

この曲、終盤「♪ エーヤン」の短調ワルツアレンジになるので、「またエーヤン……つらい……」って思うんですけど、「♪ 我ら息絶えし者ども」の「誰も知らない真実エリザベート」のところも同じメロディなんですよね。ほんと、それ、ルドルフもだね、って思います。ルドルフがなぜ死んだのかトート以外誰も知らないじゃないか。



・調子の狂う音楽

前半部分、主旋律と伴奏が微妙に食い違ってる感じなのと、主旋律自体が不自然な感じなのと、リズムパートが落ち着かない感じなので、全体的にちぐはぐ感があってなんだか調子の狂う、奇妙な雰囲気が出ています。
特にリズムパートのせわしなさが「わっ、わっ」ってなる。これが123,456の6拍子として、いわゆる「ずんちゃっちゃっ,ずんちゃっちゃっ」ではなくて、「ずんちゃっちゃっ,ずんちゃー」なのが一回ブレーキかけられるみたいでつんのめるし、3小節目にいきなり「ずんちゃっずんちゃっずんちゃっ」になるから2拍子になった!? と混乱するし。
とにかくパターン通りでないので「自分の思った通りにならない」、ルドルフが何か大きな意志に絡め取られてゆくのを感じます。



・表題の「(死の舞踏)」という文言

私は「死の舞踏」と聞くと「2006年オリンピックのスルツカヤ選手のSPすごかったよね!!!!」と思ってしまうのですが、そのショートプログラムに使用されたリストの曲『死の舞踏』の原題《Totentanz》、まさにトートって感じですね。そりゃそうなんですけど。


この文言が表題に入っているということは、人が死(死者)と踊る「死の舞踏」という芸術的モチーフを多少なりともこのシーンに見出してよいということだと思っていて、
となればここでルドルフと踊っているトートやトートダンサーは死の舞踏の絵でいうところの骸骨なのかなあと考えたりしました。


骸骨といえば、『死の舞踏』と名の付くサン=サーンス交響詩があって、この曲の中では踊る骸骨の骨がかちゃかちゃとこすれあう音を木琴で表現しているんですけど、
2016年版エリザベートのDVDを見返してたら「♪ マイヤーリンク(死の舞踏)」で木琴みたいな音が鳴ってたので「骸骨……!」ってなりました。今年も鳴ってるんですかね……!?


(8/26追記:8/22に見た限りでは、少なくとも1巡目のたーららららーのところでは木琴は鳴っていない。2巡目は微妙にそれらしき音が聞こえるような気もしたけれど、鳴っていたとしてもそんなに全面に出ているわけではないようです。)


どんどん話がそれるんですけど、
その死ぬ時に踊る「死の舞踏」、これがあるからっていうのもあってトートが「最後のダンスは俺のもの」って自信持って言ってるんだと思ってて、
その最後のダンスはまさにこのワルツ(「♪ マイヤーリンク(死の舞踏)」= 結婚式後の舞踏会の「♪ 死の時のワルツ」)で踊るんだと思ってるんですけど、
それ考えると、シシィが「私は好きな音楽で踊る」って言ってるの、すごい、強い。トートが「シシィとワルツで踊ろう ♪ 」って思ってるのに、シシィがそれを「踊る時は全てこの私が選ぶ」と一刀両断してるんですよね!?
「♪ 私が踊る時」には当時のシシィが生きる上での信念が表明されていると思ってたんですけど、それがそのまま死に対する信念にもなっているというのが面白いと思いました。
どう生きたいかと、どう死にたいかは、無関係ではないのだと。
それにしても、トート、フランツとも踊ったんですかね。トートがフランツとワルツを踊りたくなかったからフランツは長生きしたのかな。



短調のワルツなところが好き
短調のワルツなところが好きです!!!!
この曲もそうなんですが、短調ワルツってその悲しげな印象とぐるぐる回るイメージから「数奇な運命」感が漂うものが多くて好きなんですよね……
また全然関係ないんですけど、映画『アナスタシア』に『Once Upon a December』という短調ワルツの曲があって、アナスタシアがそれを歌いながら亡霊たちと踊るシーンがほんとめちゃくちゃ美しいので見てください……BW版のそのシーンも宣伝でちょっと見たんですけど絶対素敵っぽいです……日本版楽しみです。



で、このシーンの音楽がワルツであることには、前述の「トートの死の舞踏がワルツだから」以外にも色んな意味を見出せる気がしていて。
ワルツって男女で回り踊るというイメージがあるので、最期にルドルフと一緒にいた女性の存在を示唆しているんじゃないかとか。
皇太子がワルツで死の舞踏を踊ることで、その最後をワルツとともに歩んだハプスブルク帝国の崩壊の始まりを象徴しているんじゃないかとか。
この作品の他のワルツ曲(「♪ 結婚の失敗」「♪ マダム・ヴォルフのコレクション」)とともに並べた時に見えてくる、どこか皮肉っぽい視線とか。特に後者のマデレーネさんのとこでマイヤーリンクと同じメロディが使われているというのが見過ごせない。引き立てられたのは妖しげな雰囲気だけだろうか?


何より、ワルツのこのリズム感ですよね。
もしこの曲を2拍子とかにしても、主旋律の不自然さが強いので奇妙な印象はそのまま残ると思うんです。なんですけど、2拍子や4拍子だと、直線的なイメージ、死へと一直線に向かっている感じが強くなるんじゃないかという気がします。踊らされている、逃げられない、抗えない、否が応でも死に近づいていくというような。
それを考えた時に私がこのワルツのリズムに感じるのは、トートがルドルフに対して残した死への猶予、選択の自由です。
ルドルフは死に追い詰められ翻弄されているけれど、トートは逃げ道を完全に塞いでいたわけではない。
トートに「選ばされた」のではなく、「ルドルフは最終的に自ら死を選んだのだ」という印象が、このワルツのリズムによって作り上げられているのではないか、と、ちょっと思ったりしました。



● ♪ 死の嘆き

・シシィによるリプライズ

少年ルドルフの「♪ ママ、何処なの?」とほぼ同じメロディ、伴奏。
シシィがリプライズしたことで、やっとルドルフの方を見てくれた、応えてくれたという感じがします。
そしてこの素朴な曲は、大人が歌うと子守唄みたいになるのだなあと。
ひょっとしたらシシィが初めてルドルフに歌った子守唄なのかもしれない。
子供のルドルフはもういないし、大人のルドルフだっていないのに。
シシィが自分のために歌った子守唄。
遅かった。本当に。



● ♪ 我ら息絶えし者ども


・ルドルフが2人いる

最初なんとも思わず見てたんですけど、冒頭の証人たちのシーン、ルドルフが2人いますよね。
少年時代と青年時代で役者さんが違うから、というメタ的な理由は抜きにして、そのことにあんまり違和感がないのが不思議で。
でも、「♪ 死の嘆き」でシシィがなんとなく小さな子供に向けて歌っているように感じるのを体験すると、なんというか、それまで歌われなかったことの重大さに気づくというか、孤独な子供の姿が浮かび上がってくるというか、その孤独な子供をルドルフは大人になってもずっと抱えていたのだなと感じるというか……だから2人いても違和感がないのかな。


ただ、2人いても違和感ないけど、そもそもなぜ2人いるのかと考えると、ルキーニが「子供が巻き込まれた」ということを訴えるために子供の歌声が必要だったのではないのか、と思うんです。たぶん青年の歌声だけでは観客はそのことに気づかない。
自らの演出によってそのように印象を操作しているルキーニは、もうこの時点で信頼できない語り手であることが明らかだったのだなあと思います。
ルキーニが、エリザベートの罪深さを印象付けたかったのか、子供が巻き込まれるなんてあってはならないことだと言いたかったのかはわからないけれど。






以上です!!
ありがとうございました!!

ミュージカル『エリザベート』感想メモ(7/18)

ミュージカル『エリザベート』の7/18マチネを観劇しました。


えっ、嘘でしょ、木村さんのルドルフ、6月に観た時と全然違うんだけど……!?!?!!?
というのが感想。


キャストの違いなのか、『ミュージカル』のインタビュー記事を読んだことによる先入観なのか、席の違いなのか、はたまた進化なのか、多分全部なんですけどとにかく印象が全然違いました。




ルドルフが空っぽじゃない。
それに尽きるんですけど、8月にまた比較したいので自分用に気になったところをメモ。
文章にまとめられなかったので本当にメモ書き。

6月の感想はこちら





● 父と息子、憎しみ(HASS)

台詞が聞き取りやすくなってた!
ルドルフが旗を引き下ろした後にうずくまるところで、己の無力さとハプスブルクの未来を嘆き悔しがっているのがよく伝わってきて、感情が『闇が広がる』へと綺麗に流れていく……!!と思った。



● 闇が広がる

前回より声が出ていた気がした。
1階だったからかもしれないけど1ヶ月で進化したのならすごいなあ。やっぱりボリュームが上がるとそれだけで表現の解像度も上がるなと思いました。一番出やすい声色のままではルドルフっぽくないのはよくわかるし、今作り込まれているルドルフの声色がとても好きなので、とにかく応援したい。



「僕は何もできない 縛られて」のところで両手で自分の首を絞める仕草。歌詞上の意味「世界が沈みゆくのに手出しすることが許されない状況である(己は無力である)」ということに加えて、そのことにルドルフが自身の死にも近いほどの苦しみを感じているということが言外に伝わる。



井上さんトートのスパルタぶりがすごい。
古川さんトートの闇広は飴だったけど、井上さんトートの闇広は鞭。
ぐずぐずしているルドルフに対して「この弱虫が!!!お前はあの猫を殺めたルドルフだろう、英雄になりたいんだろう!?」とでも言うかのような勢い。井上トートが少年ルドルフの告白にギョッとした表情をしていたのがここに繋がる。この俺をわずかでも驚かせた「皇帝」とやらの資質よ、目を覚ませ、がっかりさせるな、と。
この勢いで「見ていていいのか」と迫られて「ハイ」とは言えない。ルドルフにブンブン首を振らせることで形から自覚に追い込む。



「我慢できない」をトートに手を取られて立ち上がりながら歌うの、よく考えたら大変な振りだなと思った。



「王座」での覚醒の表現が好き。
顔つき、目つき、声、ガラッと変わる。ある意味漫画的表現。王道を王道で行くわかりやすさ、定番展開への期待感、「きた」と感じさせる高揚感、それを入れ込むタイミングをかぎわける嗅覚はこれまでの2.5次元作品の経験で培われたのかもしれないと思う。
個人的には「王座ー!!」の最後まで言い切ってくれたら最高。




ハンガリー独立運動

前回は気づかなかったけどトートの「今なら救えるハプスブルク」のところでルドルフが「うん……うん、うん」と何度か小さく頷いている。自身の中でも何か考えを巡らせている、そしてその思考がトートの言葉を聞いてる間にも幾分進んでいることがうかがえる。
こういった仕草や表情の積み重ねを私が拾えたためか、今回はルドルフが自ら考え判断し行動しているように見えた。前回の空っぽルドルフとは異なる、ある程度地に足のついたルドルフ。



手を組む者たちと握手する時に肩や腕をポンポンと叩いたりしている。あくまで上の立場からの歩み寄り、参画、激励なのだなと感じる。そして無自覚な気位の高さ。
ここもルドルフの自発性、積極性を感じるところ。



ハンガリー国王!」夢見るというより現実的な手段として「道筋が見えた」かのよう。テンションは抑えめで浮き足立ってない。
戴冠、覚悟を決めた顔。自分がこれを戴くことでハプスブルクの崩壊を防ぐのだという意志が見える。跪き頭を垂れる姿が様になっていて見目麗しい。



なんとなく前回より意識がトートから離れて、自ら周囲に働きかけているように見える。目の合わせ方とかかな? だいぶリーダーっぽい。
古川さんトートだと甘えるのかな。それはそれで可愛い。



あんまり気にしたことなかったけど、最後のとこルドルフは別に拘束されてるわけじゃないのに逃げないんだな。そこ人柄がうかがえる。



「ルドルフ……ハプスブルク
天を仰いで目をつむる。失敗した……、という声が聞こえてきそう。



「父上……」
前回と同じ弱々しい嘆き。でも前回は父を呼び止めるような言葉に聞こえたが、今回は自分の足元に落ちるような呟き。
失敗してごめん、うまくいけば父を救えたのに、という感じ。自分を責めているふうでもある。
木村ルドルフからは徹頭徹尾、父への敵意は感じられない。強く睨むこともないし声にも必死さや苛立ちはあっても怒気はない。ハプスブルクの名誉を守るという同じ目的のためにぶつかるしかなかった父子。自身の「政治」という言葉の定義に息子を寄せ付けなかった父。


● 僕はママの鏡だから

いい。あと100万回聴きたい。
前回は僕のこと助けてくださいな歌に聞こえたけど、今回は国や家のことも考えているように見えた。
多分今回のルドルフには社会性が感じられたんだと思う。前回は「ママ、パパ、僕、トート、以上」の世界に住んでそうだったけど、今回は他にも人がいる。「孤立無援」も「パパに見捨てられた」だけじゃなく他からの支援も難しいのだというニュアンスに聞こえる。
ママに手を引き抜かれて呆然としているルドルフの顔、差し伸べられていたはずの多くの手の、最後のひとつを失った感。




「ママも……僕を見捨てるんだね」
それまでと同じようなトーンでの「ママも……」からの、振り返ってうわずるような「僕を見捨てるんだね」。大橋くんの少年ルドルフみたいな言い方ー!!!!! 一気に退行した。この「……」で心がぽっきり折れたのがすごいわかった。
ここまでの「皇太子らしい青年ルドルフ」が彼の神経を張り詰めて作られた「振る舞い」であったことがここで初めて明らかになっていた。
ルドルフが唐突に弱さを見せてきて前後が繋がらないように見えるけど、自らの役割、責任、義務を全うしようとして常に気を張っていた人が、ある日突然些細なきっかけで心が折れてしまうことは、よくある、と、思う。
木村さんの死ななそうなルドルフ、亡くなったあと、「そんなふうに全然見えなかったのに」、と、言われたかもしれない。パパもママもそう思ったかもしれない。まさかあの息子が自死を選ぶなんて思わなかったからこそのあの態度だったのかもしれない。木村ルドルフがもっとあきらかに傷つきやすく繊細で内省的だったらどうだっただろう。
皇太子の仮面ががらがらと崩れ落ちて、あとに残ったのは役割を失った幼い青年。



● マイヤーリンク

独立運動もだけどダンスが上達している……! ダイナミックでとてもいい。下から見たからかも。迫力があった。特に舞台中央前方で足後ろに跳ぶやつ(?)が好き。



トートに差し出された拳銃のほうを見るのだけどやや焦点が合っていない。この時点でぞわぞわする。
キスの後、目を閉じたまま少しの間。死の残り香に陶酔するような表情。なんというか、木村さんがそんな耽美な表現をするとは思わなかった。そんな引き出しもあるのか。意外。すごい。好き。
撃つ瞬間、目が三日月に。笑った、かな? わからない、絶妙な一瞬。私には酔い痴れて恍惚としたまま引き金を引いたように見えた。
この時トートから渡されたのが拳銃だったから死んでしまっただけで、お酒だったらお酒だしくすりだったらくすりだし女性だったら女性だし健全な運動だったら健全な運動だったんだろうな。でも、全部やった上で酔えなかったから行き着いた先なのかも。
全然関係ないけどマンガ『進撃の巨人』の「みんな何かに酔っ払ってねぇとやってらんなかったんだな……」という台詞を思い出しました。ルドルフにとって、「ハプスブルク崩壊の危機」の次にようやく酔っ払えたのが死だったのかもしれない。



ところで、前述の『ミュージカル』のインタビュー記事、全編むちゃくちゃ好きなんですけど、特に印象深いところがあって。
井上さんトートとのキスシーンについての、
「僕から死を掴みに行ってキスしようとしたら、顎をガッと止められ、俺からやるんだと逆に迫られて」(『ミュージカル』 2019年7月・8月号)、というところ。後半の内容も大変興味深いですけど、その前の「死を掴みに行く」という表現が面白いなと。
「死」という一般的にネガティブな概念に対して、「掴む」という言葉のポジティブ度がすごい。ポジティブかつアクティブ。しかも「行く」までついてて圧倒的能動。なんだか全然穏やかじゃない。死に臨んでまで生命力がみなぎっている。
この若干粗野な表現が、木村さんのルドルフにおける、井上トートの「死」のイメージをよく表しているような気がしたんですよね。
死を安らぎとか、真の友人とか、帰るべき場所とか、何かもう少し静かな柔らかなイメージのものに捉えているのであれば、このような言葉選びにはならないんじゃないかなと。「掴む」って、対象をある程度つぶしてしまうことも厭わないようなニュアンスもあるから。そこに配慮する必要のないほどの強度のものと捉えているか、あるいは、自分がそこに配慮する余裕がないほどの状況(もがき掴むような)と捉えているか。
どちらにしても、そんな勢いでいくから井上トートにガッと止められるんだよって感じがします。前者でも後者でも、そんな礼を失した状態の青年に閣下が主導権を許すわけない。でもそこが井上トート的には可笑しくも愛しくもあるのではないかな、と思う。面白いです。
はたして木村さんは、古川さんトートの与える死に対しても「掴みに行く」って言うのかな? 多分言わないんじゃないかな? というのが目下気になるところ。もはや知り得ないけれども。



● 悪夢、我ら息絶えし者ども

このルドルフはママに執着しているのではなくて、ママやパパのせいでママやパパを救えなかったことに執着しているみたい。
本末転倒感。



ハンガリー訪問(デブレツィン)

はーーーーーーかわいい。
「よくわからないけど呼ばれたので来ました」感が衣裳とあいまってめっちゃ可愛い。
「今日はお祭りですか?」みたいな。
ふわふわしていて安心する。


● カテコ

少年ルドルフの大橋くん、小さくて健気で本当に守ってあげたくなる。大橋くんルドルフからの木村さんルドルフ、顔立ちや眉毛も似ていて成長した感がすごい……
後ろに下がる時に大橋くんの背中に手を回した木村さん、同じくフォローしようとした秋園さんの手に当たってしまったみたいで二人とも「あっ、あっ、すみません……」みたいになってたのが可愛かった。圧倒的平和。




木村さんルドルフについて、以上。
この間ハイステ映像を見て木村さんの影山役のハマりっぷりにまじ奇跡かよってなって、テニミュドリライ2014のバンダナとった海堂を見てむちゃくちゃイケメンがいるな!?!!!ってなったんですけど、この日ルドルフを見て今の木村さんが一番最高であることを知りました。ロミジュリでも同じこと思った。てかいつも思ってる。





他の登場人物の印象について。




● トート

井上さんトートの帝劇に轟き渡るような歌声が圧倒的。しかもそれが多くの場合シシィたった一人に向けられているにも関わらず、凛と立っていられる花總さんシシィの存在が信じられない。目の前でむちゃくちゃ雷が鳴ってるのに平然としている人を見ている気分。ルドルフに対しても全開だったら今の木村ルドルフでは吹き飛んでしまう。
2人はまるで好敵手。トートがムキになる気持ちがわかる。そしてどんなにシシィに対して強く迫っても失われない、井上トートの沼のような気品が尊い
花總さんシシィ、その美しさがまるで幻想のようで本当に言葉を失う。気高い。
幕切れの井上トートの表情。生きた彼女に愛されたいと望んでいたのに愛されれば則ち死というのはなんと残酷か、と思わずにはいられない。
エリザベートを喪ったのはトートもフランツも同じ。不条理な「北風と太陽」のようだと思った。北風も太陽もエリザベートをなびかせることができず、勝ったのは旅人であるエリザベートただひとり。




● フランツ

6月に観た田代さんフランツについて。
田代フランツはロイヤルで声にも立ち居振る舞いにも隙がなく、正統なハプスブルク家の血筋、まぎれもない皇帝という印象。生まれ持った資質により比較的(あくまで相対的な話)容易に皇帝という役割に順応した人物のように見える。
田代フランツは相手がシシィでなくても、義務を果たすこと、自由を諦めることを誰かに無意識に強要することがありそう。自身がそこに伴う苦痛が少ないから。ルドルフに対してもそう。
シシィとは互いに中央値から反対の方向へと離れているので、最初から最後まで、傑物同士、凡人にはわからない決定的なすれ違いを起こしているという印象。
その彼が、そんな彼が、義務の象徴ともいえそうな母に逆らい、また夜のボートでエリザベートをあんなにも強く求める、その姿がどうしようもなく意外で不器用で切なく苦しい。
彼がエリザベートの死後も長らく国を治め、国父と慕われるようになったのが頷けるフランツ像。エリザベートという大きな自由を失っても、なお、義務に生きることができる(もしくはそれしかできない)人。



一方、田代フランツが適応により皇帝になったのだとしたら、平方さんのフランツは矯正により皇帝になった人。
若かりし頃の平方フランツは口を開けて屈託無く笑う。およそ皇帝らしくないけれど、シシィが彼を好きになってしまったことに強烈な説得力がある。パパも似たような笑い方をしていた気がする。
そこからどんどん皇帝然とした人物になっていく、そのギャップから彼の諦めた自由を知ることができる。
平方フランツはどちらかといえば普通の人で、自由を捨て義務を果たすことにそれなりに大きな苦痛が伴っている、だからこそ、シシィにも同じようなつらい思いをさせてしまうけれども2人ならば、という希望に切実さを感じる。
そんな彼が横に並ぶと、花總さんシシィのエゴの強大さが際立って見える。
『夜のボート』の「わかって 無理よ 私には」、愛希シシィ・田代フランツの時は「あなたの愛には応えられない」、「皇后らしくは生きられない」、「あなたの望みを叶えることはできない」みたいな意味のように聞こえたけれど、花總シシィが平方フランツに言うそれは「私には 他人を 愛することができない」というシシィの痛切な真情の吐露のように思えた。彼女がそれを伝えたことこそ、フランツとの、(愛とは違うかもしれないけれど)深い繋がりの証では。その告白を受け止めるだけの愛の深さが平方フランツにはある気がする。



ふたりのフランツで一番大きく印象が変わったのが『悪夢』。平方フランツは完全に巻き込まれた感が本当に憐れで、可哀想。なんだよもういい加減にしてくれよと無茶苦茶感情移入してしまう。
田代フランツは、実はこの人にこそトートが憑いているんじゃないかと思わせる、何か因縁めいた、ハプスブルク家の血のにおいを感じさせる気がした。
田代フランツがトートに対峙し取り乱す姿は、トートによって全てを奪われ傷ついているのは実はシシィではなくフランツであると気づかせてくれる。そして、愛希シシィも田代フランツも年老いているのに古川トートだけ変わらず若い姿であることが、田代フランツの人間味を唐突に強調してくる。トートはフランツとハプスブルクをどうしたかったのか、結局その結末は描かれないまま物語は終わる。史実をもとにした話だからできることだなと。



● ルキーニ

酔っ払いっぱなしの山崎さんルキーニと、シラフの成河さんルキーニ。
山崎ルキーニは自分(≒トート)に心酔していて、他の人がいる方に目線をやっていても誰のことも見ていない。そう感じられる目の表現が素晴らしい。
そして、自身の外界認識が周囲のそれと所々ずれている(トートが実在するかどうかとか)ことに本人が気づいていない。
だからルキーニが盛り上がれば盛り上がるほど、私の中に得体の知れないこわさみたいなのが湧き上がっていきました。
ヤスリ、すなわち役割を与えられた時の彼の浮かれぶり。


逆に成河ルキーニは完全にシラフであれを喋ってて、彼は多分100年間毎日ソワレをこなしているんですよ。彼の裁判、地下の小さな空間に傍聴者が3人くらいしかいないところから始めて、評判が評判を呼んでどんどん箱が大きくなってついにインペリアルテアトルで開催されるまでになったんですよ。
とかそんな過程を思わせるような、劇場を知り尽くした成河さんの演技のスケールの正確さ、観客を翻弄する間合いと緩急。駆け引きのような芝居の圧の調整。すんごいなあ。演技って他にやることあるんだっけって思うくらい常にあらゆるパラメーターが操作されている気がする。我々は彼に扇動されている。
時折見え隠れする小男ルキーニの素顔が、彼が千両役者であることを証明するというか。成河ルキーニの動機は、売名、だと思う。
こうして見ると、『エリザベート』はrole、役、役割にとらわれた男たちの物語でもあるのだなあと。




ゾフィー

そう考えた時に、ゾフィー、彼女がなぜ「宮廷ただ一人の男」と呼ばれたのかがよくわかるなあと思ったりしました。
自分に与えられた役割のために、誰よりも多くを犠牲にして義務を果たそうとした人物。
香寿さんのゾフィーの死、まるで黒色の鱗がぱらぱらと剥がれ落ちていくようでした。たぶんそれは威厳。どれだけの嘘で自分を塗り固めたんだろう。
現代の価値観に生きる私はゾフィーのやり方には全然賛成できないけど、どうか黄泉の国では安らかにと、
自由の象徴のような翼を得た涼風さんゾフィーの最期の表情を見て思いました。
涼風ゾフィー、お年を召してからお茶目さがあったのが余計につらいんだ……。




シシィについては次もう一度見たら書きたい。
おしまい。