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恋を読むvol.2 『逃げるは恥だが役に立つ』感想メモ

恋を読むvol.2 『逃げるは恥だが役に立つ』(10月3日昼公演)を観ました。
すっごい楽しかった!!!!
やっぱりハッピーエンドは良い!!!!
公式サイトはこちら


以下、感想メモです。
今作および前作『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』の重大なネタバレがあります。




● 細谷さん&咲妃さん

まずは何と言ってもこのお二人、最高でした……掛け合いの間がぴったりだし、演技度合いと朗読度合いのバランス感も揃ってて綺麗だし、発声が安定してるからボケとつっこみが華麗に決まるし、緊張の糸の切れる暇なく観客をグイグイ引っ張っていってくれる。


咲妃さんめっっっっっっっちゃかわいい。
こんな可愛いみくりさんを顕現させてくれる方がガッキー以外にも存在していたなんて……!! ていうかこんなに可愛い役者さん2人に出会わせてくれるみくりさんすごすぎない……!?
ふわふわしてて突飛なこと言い出しても違和感がなくて、でもワイルドなところはむちゃくちゃワイルドで。声がとっても綺麗な上に声色がバラエティに富んでいて、突然太めの声も出るから、「かすみ草がたまに殴ってくる」みたいな意外性があってすごい、良い。次はどう出てくるだろうってワクワクする。素晴らしいコメディエンヌぶり……
前作の清水くるみさんもそうだったけど、恋を読むシリーズで出会う女優さんみんな好きになってしまう……!! とっても愛らしくて強くて本当に可愛い。素敵。


細谷さん、最高だったなー。私ドラマ版を見てたので「星野源さんを超える平匡さんはいない!!!」という謎の強固な姿勢で今回の舞台に臨んだんですけど、開始数分で「ひ、平匡さんがここにいる……!!!」ってなってました。星野平匡も細谷平匡も至高ですよ……いろんな人に最高な体現をしてもらえる平匡さんは幸せ者だよ……いろんな面が見えるよ……すごいよ……
いや、でもよく考えたら原作の平匡さんはどんなに動揺してもあんなにしっかりした発声で大声を出したりはしないと思うので、イメージぴったりだったかと言われると多分結構違うんですけど、そこは全然違和感なかったなあ。
とにかく安定感がすごい。咲妃さんはふわふわ、細谷さんはどっしりしていて、2人とも本当に上手いから「上手いなあ……上手いなあ……………上手いなあ」って思いながら観ました。掛け合いって1人だけ上手くてもダメだし2人とも上手くてもそれだけじゃダメじゃないですか……向いてる方向が揃ってて欲しいっていうか……お二人は歯車が完全に噛み合ってる感があって「ああーーキャスティングの神様ありがとうございます最高です」という感じでした。


● 壮さんと木村さん

このお二方の並び素敵すぎでは……? あの見た目のバランスは奇跡なのでは……? 長身の美男美女……憧れる……


壮さんの百合ちゃんかっこよかったー! 原作の百合ちゃんとは雰囲気が違うのに、百合ちゃんの佇まいと感情の揺れ全てにおいて説得力があった。咲妃さんとの声質の違いがお互いの良さを引き立てあっていて良かったし、木村さんの風見さんの青さも際立つんですよね。


木村さんの風見さん、若い、青いんだーーー! 25歳が演じるとこうなるのか……! と……。
リアルで生々しい。あれだけでも木村さんが風見さんを演じてくれた意味がある。百合ちゃんが躊躇するのがすごくわかる。年齢以上に最後まで引っかかるのがあの青さだと思った。
でも鍵探す時の「んーん」はちょっとお兄さんっぽくて最高でした。ぼく明日の「んーん、送るよ」も優しくてよかったけど今回の「んーん」は押しが強くてよかった。あそこだけ包容力が天元突破してた。
ていうかあんなに「んーん」似合う人いる??? あんな正解の言い方してくれる人いる??? もしまた恋を読むに出演するなんて奇跡があったらその時も「んーん」言って欲しいですね???
あと足首。風見さんすごいあの丈履いてそうなイメージあるわー。なんか知らないけど足首出してそうな感じあるわー。今回、衣装もヘアスタイルも爽やかで好きでした。


平匡さんとみくりちゃんはわりと平場で対話してるシーンが多いんだけど、風見さんと百合ちゃんはお互い奥まったところにいたまま話してるから、結構つねに2人の間に分厚い壁があったじゃないですか。あれがねー!! あの壁の存在が重くてねー!! あれそのまんま2人の心理的社会的壁ですよね。だからこそ最後に風見さんが百合ちゃんを自分の空間に招き入れて、「百合ちゃんが風見さんの空間に入っていく」、というのが重要なことに感じられました。2人が近づいたのが視覚的にも強調されていたし、何よりカーテンが効いてました、、、ないよりあるほうが空間のプライベート感が増す。


あと「そんなこと言わないで」もよかったですね……
風見さんってみくりさんと同じく言葉や理屈や合理性のシステム優位(感情を蔑ろにしているという意味ではないです!)で生きてる人だと思うんですけど、この台詞のところは感情が先に転がり出て言葉の意味が伴っていない感じで「ひゃー!」ってなりました。あそこに木村風見さんの脆弱性が垣間見えた。

彼に比べると咲妃みくりさんはもっと強固なシステムの上に立っている人だなと思うんですけど、やっぱり2人は少し似てて、彼女を発見した時の風見さんの目がキラキラして本当に嬉しそうだったのがグッときました。それまで若干世界を閉じてる感じだったから余計に。
ただこれは単純に好みの話ですけど、もっと表面的な社交性のある風見さん像も木村さんに似合いそうだなと思いました(みくりさんの風見さん評にちょっとだけ違和感があった)。


ところで私、百合ちゃんの「このときめきを丸い結晶に閉じ込めて心の奥にしまい込んで時々眺めてニヤニヤするわね」という台詞が本当に好きで、あれほんと詩的表現とかじゃなくて、究極にリアルな心理描写だなって思うんですよね……ほんとそれという感じ。そうするしかないみたいな時が、ありますよね……。最後に「ニヤニヤ」という表現でユーモアに包むところが百合ちゃんらしくて。
で、そのあと風見さんも「僕もこの気持ちを結晶にして閉じ込めよう」とたぶん言ってたと思うんですけど、百合ちゃんと風見さんとではこの台詞の意味合いが少し違うんだな、と感じられたのが今作での大きな発見で。
壮百合ちゃんのは今後の人生の励みとしての結晶化(将来の不安のあらわれでもある)で、木村風見さんのは、今の気持ちに区切りをつけるための結晶化。だから、百合ちゃんは見た目や質感にこだわる必要があって「丸い」という形容詞がつくけど、風見さんにはつかない(つかなかった気がする)、たびたび取り出して愛でるためのものではないから。百合ちゃんはなんとか綺麗なまま終わらせようとしているけど、風見さんにとってはもうすでに痛みを伴っているんだなあと、
そんなことがよく伝わってくるお二方の声色と表情でした。


● 水を飲む細谷さん

前作では役者さんがペットボトルから直接お水を飲んでいたような気がするんですけど、今作はペットボトルにストローを入れて飲んでいましたね。
飲むときに顔を上に向けるという動作がなくなるのでこっちのほうがいいなと思ったんですけど、
「どっちを向いているかわからないストローを、そちらに目線をやらずにくわえて飲む」
というのが意外に難しかったのか、
最初の方の細谷さんが水を飲むのになんか少し手間取ってて「かわいい……」と思いました。
しかも慣れてきてスムーズになったと思ったら、今度は水の置いてある床とは反対側に手を伸ばして空振りしちゃってて「うっかりほそやーーーーーん!!!!!」って心の中で叫んでしまいました。むちゃくちゃかわいい。
木村さんが「スッ…」ってスマートにカッコよく飲むから余計愛らしく見えました。


● ハグの表現

「本を二人で持って読む」というハグの表現を選択した時点でこの朗読劇は成功したようなものでは……と思いました。
「活字を共にする」という行為の艶っぽさ。実際のハグを見るよりもドキドキしました。


● 『逃げ恥』の舞台化という観点での感想

私は『逃げ恥』は「恋」と「同時代性」が両輪になっている漫画だと思っていまして……
登場人物たちの恋模様の土台として、現代の私たちが抱える悩み、モヤモヤがこの漫画に軽やかに描かれていると感じています。もっと前の時代ならあまり理解されなかった気がするし、もっと先の時代には「古い悩み」になっていて欲しい。そんな、リアルタイムで読むからこそ最高に面白い漫画。
その「同時代性」が、朗読劇ではかなり弱くなっていたので最初は少し「勿体無いな」と思いました。「せっかく逃げ恥をやるのにそこ削っちゃうのかー!」と。
でも裏を返せば潔かった。
しかも、普通片方の車輪を抜いたら残りもぐだぐだになって「だから実写化は嫌なんだよ」ってなることのほうが断然多いと思うんですけど、今回の脚本は「恋」だけできっちり成立させていて、すごい、ものすごい手腕だ……と思いました。そしてそれに耐えうる原作の強さ。
平匡さんみくりちゃん、風見さんと百合ちゃんは、こんな素敵な恋をしてたんだね、とあらためて思い知ったような感じ。原作で描かれている恋の道程をまた新鮮に見せてくれました。


面白かったのは、「同時代性」要素が薄くなった分、みくりちゃんと平匡さんの「何かを『役割』『契約』『定義』などで言語化してから行動する」側面が強く出たところ。
とりあえず夫婦になってみるとか、ハグの日を決めるとか。
2人の間の出来事は基本的に言葉での定義が先で、行動や感情はそのあとを追いかけてくる。言葉が行動の先に立つというか。そしてそこから外れたものがドラマを生むんですよね(キスとか)。
その言語化カップルのありようが、朗読劇にぴったりだったんだなあと。
そして最後に平匡さんが「これはデートですかね?」と確認するのは、言葉よりも2人の行動が先に来たという点で新たなステージを感じさせる良いシーンであったなあと思います。


あと逆に風見さんと百合ちゃんは周りから・自分から貼ってるラベルに苦しんでるんだなあというのもよくわかったな。ドラマや漫画の時は百合ちゃんの言う「呪い」を社会的なものとして捉えていたけど、朗読劇だとちょっと言霊的な感じになってた。木村風見さんの「そんなこと言わないで」は、百合ちゃんが自らラベルを貼ろうとするのを止めようとしたのかな、、、などと思いましたね……原作だともう少し違う印象なんですが、耳で聞く朗読劇だと言葉の力がより強く働くのかもしれません。


● 「恋を読む」シリーズの2作目という観点での感想

たぶん意識して演出されてるんだなあと思うんですけど、前作『ぼく明日』との共通点が色々あるなあ、というのがすごく印象に残りました。以下にいくつか。

・主人公2人がはじめてお互いの名前を呼ぶシーン
前作でも今作でもそういうシーンがあったことで、「はじめて名前を呼び合う」という瞬間の儀式性、お互いの(言葉による)再定義感が強まった感じがしました。自分の中で。

・桜のシーン
前作も今作も、「2人は確かに同じものを見ているのに、同じ『綺麗だ』という感情を抱いているのに、それでも見えているものがこんなにも違う」ということが表現されるシーン。切ない。

・「逃げる者と待つ者」のシーンがひとつの山場になる点
今作は平匡さんの全力ダッシュプロジェクションマッピングで街灯が通り過ぎていく。前作は高寿くんのコインランドリー。洗濯機がぐるぐる回ってる。女性側ばかり待っているなと思ったけど、そういえば風見さんは百合ちゃんの葛藤を待っていたな、と思う。

・◯日目というカウント
両作で意味合いは違うけれど、これがあるだけで登場人物たちが日常を慈しみながら積み重ねている感じが伝わる。

・河川敷と街歩きで仲が深まる点
歩く行為と読む行為の類似性を感じさせる。(今回ここだけ脚本読んでなかったんでしたっけ?)

・「家族」という共同体への思い
平匡さんとみくりちゃんは色んな意味で家族になって、百合ちゃんは「たぶん彼と結婚することはない」と前提を置いて、前作の愛美ちゃんは「どうして私たちは家族になれないんだろう」、と泣いた。
「恋」のゴールがそれだって言ってるわけではないけど、「恋を読む」の中ではどこか家族というものが望ましい未来として意識されているように感じます。今回は百合ちゃんがいたことで、恋の先の選択肢(あるいは「家族」という言葉の定義)はひとつじゃないというのも提示されていて良かったと思います。

・「普通じゃなさ」
前作も今作もわりと普通じゃない設定の2人が日常を積み上げることに尊さがにじむ作品群だなあと。
ただ、最後に平匡さんが、2人が「普通じゃない」旨を連呼していたので、「そんなに言うほど普通じゃないかね??」と疑問に思ったのですが、すぐにみくりちゃんが「私とあなたの普通が違ってよかった」みたいなことを言っていて、「あーっその観点!!!」と思いました。他人の普通じゃなさを受け入れる。というのが、「恋」の先にあるものなのやも。


● 演出のはなし

なんといっても「普通に楽しめる」すごさ!!!
演劇に馴染みがない人でもとっつきやすそうな雰囲気が「恋を読む」シリーズにはあると思うんですよね……いい意味で演劇的な毒が表に出てこないというか……スタッフワークもわかりやすいしかわいいし。
見ていてすごい楽しいです。
なんで楽しいかって、
「この作品めっっっっちゃ良くないですか!? 僕大好きなんですよ!!!!!!」
って演出家の方から言われてるみたいに感じるんですよね。脚本と演出の端々から、ファンが好きな作品について語っているみたいな空気をビシバシ感じる。そしてその作品が、一般的に有名なメジャー作品であることがなんだかとても嬉しい。
演出の三浦さんはKERA CROSSに参加されるとのことで、個人的に今から興味津々です。「恋を読む」しか拝見していないので(?)自分の中で三浦さんの演出とケラ作品とがあまり結びつかないんです。絶対見たいです。早く作品発表されないかな……!!!



以上です。
あと……木村さん、来年も舞台に立ってくれたら嬉しいな……!!