王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

木村達成さん出演作感想メモその2(COLORS、おでかけ、ぼく明日再演)


ちょっと前に見たもの3作品まとめてメモ。

木村達成オフィシャルDVD『COLORS』

周りは就活中なのにやりたいことが見つからない大学4年生が宮古島に行って悩んでいるという設定(多分)でのショートムービー。
謎多きシチュエーションに戸惑う。
とりあえず「撮影地である宮古島に行きたい」と強く思いました。宮古島のプロモーションとしてはかなり刺さった。
泊まってるとこいいなーー休暇ってこういう感じで過ごせるといいよな〜〜。
木村さんのポイントとしては
・スケボーしてるところが見られる!
・朝ごはんを作ってるところが見られる!
・なにか食べているところが見られる!
・パン屋さんにいるところが見られる!
・海辺で戯れているところが見られる!
・よくなにかを飲んでいる!
などなど、見てみたかった姿は盛りだくさんだったように思います。
しかし設定上、晴れやかな笑顔は少なめで悶々としている感じのシーンが多いので、「せっかく宮古島に来たんだし、空は青いし、楽しくやろうよー!」とか言いたくなってしまうんですけどでもよくよく考えたら愁いの表情がこんなに長い時間見られるのは貴重かもしれない。
どうでもいい話ですけど、1回目の朝食シーンでは食べたあと食器が放置されるので、「ちょっと!せめて水にはつけておいたほうが!!」と思ってしまうんですが、精神が安定したと思われる2回目はちゃんとトレイごと持って席を立ったので「細やかな心理描写だな」と思いました。
最後のインタビュー面白かったです。映像のお芝居についてとか、興味深いな〜。


● 多和田秀弥・木村達成 おでかけ! in 鎌倉

対照的なお二人が一緒に鎌倉を散策することで
「なんでも似合う木村さん」と、
「絶対いい人多和田さん」を同時に堪能できる最強DVD。本当にホリプロさんには足を向けて眠れない……ありがとうございます……
多和田秀弥(任益)さんめっちゃいい人。絶対に幸せになってほしい。
木村さんに関しては
・大仏見学に行く木村さん
・鎌倉彫がうまい木村さん
など、特に見たいと思ったことないけど見てみたら最高なシチュエーションがいっぱいあった。
そして、
・豆柴ちゃんにやたら懐かれる木村さん
に関しては思った以上の破壊力。
・犬大好きなのに豆柴ちゃんにあまり懐かれない多和田さん
とあわせて圧倒的「なごみ」が画面から襲いかかってきます。
かわいいよーーー!!
あと
・どんな帽子でも似合ってしまう木村さん
も最高。
多和田さんからスイーツ分けてもらってるのもかわいい。良さが溢れてる。
役に入ってない木村さんはスコーンとしててそのギャップが楽しい。
心が干からびたら見たい映像No.1。





● 恋を読む『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(再演)

CSテレ朝チャンネルで見ました。


劇場で観ることが叶わなかったのでテレビ放送は本当にありがたい……
東宝さんテレビ朝日さんありがとうございます……!!!




初演の感想はこちらなんですが、この感想を書いた回のあとの千秋楽ではさらに木村さんの感情がほとばしっていて、まるで制御不能になったかのようなドライブ感に
「あー、私木村さんのこういうお芝居が好きなんだったなあ」と思ったものでした。
とにかく目が離せなかった。


でも今回は、その時よりもずっと柔らかく、淡々とした印象で。
感情のほとばしる濁流から一転、こんこんと湧き出る泉のようでした。
語弊があるけど、見ていて眠くなるくらい、
穏やかで良かったです。




清水くるみさん演じる愛美ちゃん、今回も本当に素敵でした。
相変わらずの実在感。その辺にいそうでいないようでいそうな絶妙な女の子。
そして、今回初めて気づいたんですけど、清水さんの愛美ちゃんはちゃんと若いんだけど母性というかお母さん感がすごい。
随所で滲み出る「この人を守らなくては」という想い、配慮、慈しみ。
まるで愛おしい子供に言い聞かせるように話していることもあって。
この子、こんなにも高寿くんのことを大切に、守るように1ヶ月を過ごしてきたんだなーと新たな発見がありました。





そして木村さん演じる高寿くん。
好き。
もう好きなシーンあげたらきりがない。
「いいよ」はもちろん好きだし、髪の毛切ってもらってる時に仰け反って後ろ向くのも好きだし、
遮って「んーん、送る」って言うのも好きだし「ええっ?え、教室に貼り出されるって……」の慌てぶりも好きだし「美しい風景を目に焼き付けた」のところで愛美ちゃんと目を合わせるのも好きだし「ツタヤの発祥地」のドヤ顔も好きだし最後愛美ちゃんの話を聞いている時の表情も好きだし「また明日」の一点の曇りもない笑顔も好きです。
高寿くんの笑顔がピュアであればあるほど切なく残酷になるシーン。


木村さんは前回は清水さんに引っ張ってもらっている印象でしたけど、今回はリードしている感じで(優位に立ってるとかじゃなくて、社交ダンス的な意味で)「おおお」と思いました。
木村さんの場作りによって清水さんのお芝居のナチュラルさが全面にきらめいている……!!
すごい良かったです、なんか、包容力があって。



ふたりのお芝居の雰囲気が変わったことから、心に引っかかる台詞も前回とは少し違っていて、
今回特に響いたのが終わりの方の愛美ちゃんのモノローグ。
「だけどそれでもずっと変わんないものがあって それはきっと愛って名前で」。
そうだ、確かにあった、それ、と思いました。
今回木村さんが演じた高寿くんのずっと変わんなかったもの、そのひとつが、愛美ちゃんに伝えようとする姿勢で。
湧き上がる感情に押し流されず、表現することを放棄せず、真摯かつ理性的に気持ちを伝えようとする姿勢。
目の前の大切な人に、自分の言葉で、という一貫した誠意が高寿くんにはあったなあと。
それが愛って言われたら確かにそうだなあと。


前回の、感情に振り回されっぱなしみたいな木村さんの演技も最高に好きだったけど、
今回のお芝居は、感情に負けない演技の良さを教えてくれたし、なんだか高寿くんがいっそう魅力的なひとに見えました。



清水さんと木村さんのペアは本当に相性が良かったように思います。
また共演してほしいです……!!!

ハイステ “東京の陣” 感想メモ

先日、「ハイパープロジェクション演劇ハイキュー!! “東京の陣”」を観劇しました。
すごい面白かった。


以下、感想メモです。



● オープニング

「あれ?ハイパーヒプノシス演劇ハイロー!! を見に来たかな?」と思いました。東京ディビジョン。
あとジャニーズカウントダウンコンサートっぽい感じもある。盆と大晦日が一緒に来たなみたいな。
木兎さん、あの白黒もふもふ衣装を冗談抜きの本気で着てるのほんとすごくて、それだけでオープニング大興奮でした。
あれに着られず着こなしてみせるってトップアイドル並みの存在感だよ!!


3つのグループ(高校)のコンセプトが冒頭ではっきり示されててめちゃくちゃいいし、
何よりそれぞれのグループ(高校)のセンターが誰なのか一発わかるのが最高なんですよね……私はセンタータイプの人のファンになることはあまりないのですが、好きになったグループのセンターには永遠にセンターでいてほしいと願うオタクです。


● 戸美高校

大将さんについて語りたいんですけどその前に、
戸美の5番やばくない……?
広尾さんです。
個人的に容姿が好きというのもあるんですが、動きが!動きがなんかすごい!!
スパイクとかサーブとかなにかのアクションをするたびに余韻で
ニョロロロローン、、、
ってするのがめっちゃ蛇で。
広尾さんの腕なんかのエフェクトかかってる!?と思わず双眼鏡を覗き込みました。生身の腕だった。
戸美は蛇がモチーフになってると思うんですけど、広尾さんは蛇に憑かれてるレベル。ひろおスネイク。阿良々木くんちょっと来て!!!と思いました。そういえば広尾さんと阿良々木くん少し髪型似てるな…


あと、みんなで踊ったりしている時も一人だけニョローンの余韻が微妙に長くて最後まで残っているように見えたのですよね。
それによって、戸美の圧倒的ヘッドである大将さんに対して、尾っぽ、しんがりの広尾さんというイメージが見えまして、より戸美が蛇っぽく猫に絡んでるように感じられたような気がします。
身体の使い方に長けているように見えたのでダンスが得意なお方なのかなー、と思ってプロフィールを見たら「特技 ピアノ」って書いてあって「ピアノ…!」と思いました。
ピアノが特技の佐藤たかみちさん。覚えた。



そして、大将優。
すぐるはあまりにもすぐる。
福澤さんの見た目、演技、ダンス、そして雰囲気、あまりにも過不足なくすぐる。
「これが……2.5次元……!!」と思いました。いつも誰かしらで思わされることですけど、この驚きはほんと何度体験しても快感ですね。
あと声がね!!!
私のイメージとは違ったんですけど、少しざりっとした氷砂糖のような声がヒールらしくもあり、ミカちゃんと話す時とのギャップも生んで最高に良かったです。あとなんか彼が色々言ってるとだんだん「そうですよね……」と思えてくる。脳にじわじわくるっていうか。
すぐるなーーー、本当に良かったんだよな〜〜!!
スター型主将とリーダー型主将に並び立って遜色ないコンセプト型主将〜〜!!
今までの高校のセンターの方々を思い返して、最後にこのすぐるを見せられたら、
新しい日向にも期待しかないな。



戸美、ハイキューにはめずらしくかなり悪役っぽい描かれ方もしていると思うんですけど、
役者さん全員が彼らの信念をちゃんと大事に見せていてくれて嬉しかったです。
舞台上の空気の歪み、捻れた雰囲気を創り出していた戸美はあまりにも戸美だった。
曲もかっこいいしそれを歌負けせずにカッコよく歌って踊る戸美メンの完成度よ。
SHaaa SHi SHi SHi、みたいなフレーズかっこよすぎじゃない??
ヘビってめっちゃイケメンなモチーフだったんだなあ。戸美、デビューさせたい。
そして和田さん、SixTONESに楽曲を提供なさったりしないかななどと思いました。




● 梟谷高校

今回も木葉さんが好きでした!!!!
東さんの木葉さんほんと楽しそうで大好きなんだよな……キラキラして見える。
なんかこう、目が離せないし、応援したくなるし、今この瞬間を生きてるし、教室ではチャラいと思ってたけどたまたま部活中の木葉を見かけて「木葉ってあんなカオ……するんだ」とか同級生に思われてそうだし、小学生にバレーを教えるのが一番うまそう。
なんといったらいいのか、なんか、物語の外にある日常を想像させる佇まいなんですよね。
ハイステのおかげで好きになったキャラ暫定第1位、木葉さんです。


梟谷はみんな楽しそうなんだけど、条善寺の時の楽しさとは違ってやっぱ強豪だな、「楽しむ為には強さが要る」だな、と思えるのがまた演出・役者さんたちのすごいところ。
そして、木兎さんと赤葦さんがむちゃくちゃ安定していてなんかいろいろ泣いた。
良かったね……
赤葦さん役の髙﨑さん、結構滅茶苦茶なセリフ言ってるのに「自分で言って笑ってしまう」を絶対にしないのすごいなと思いました。


梟谷のガッとした勢いと団結には優しい説得力があって、「ああ、音駒、勝てないな」とわかってしまう、そこがまたすごくて胸がぎゅっとなりますね。




● 音駒高校

あかねー!!!!好きだー!!!!
拡声器とあかねちゃんのバランス最高かー!!!拡声器選んだ人ありがとうございます!!!!
私、やばい2.5次元には「フィギュアに命が宿っちゃったみたい」と思うことがよくあるんですけど、重石さんのあかねちゃんはまさにそれ!!
快活で弾けるような女の子、可愛かったな〜。
アリサさんも綺麗で声が耳に優しくてうっとりした。今回、声が良い役者さんが多かった。


あと、私の中で常々「ハイステなぜラップしてしまうのか」問題と「ハイステなぜ歌ってしまうのか」問題が持ち上がるんですけど、いや悪いことだと思ってるわけじゃないんですけど。
今回あかねちゃん見てたらすっごいしっくりきて、
あの試合中の歌は誰に届くか知れない「声」を舞台的に表現したものであり、
あるいは応援歌、あるいはベンチのメンバーの必死の祈り、あるいは、コート内の彼らが心の中で自分自身を奮い立たせている姿のあらわれなんだなってはじめて思い至りましたね……
フィギュアの選手が試合前にテンション上げるために聞く音楽とか、
甲子園で演奏されるチャンステーマとか、
できる、落ち着け、って自分に言い聞かせる言葉とか、イマジネーションとか、
ああいうのの表現なんだなーって。


ハイステは初めからカウントと決まり事だらけの舞台だったと思いますけど、それに慣れて「余白」に感じられるようになった部分にさらに言葉とリズムと節回しが書き込まれていってどんどんどんどん情報量が増えていっているので、次どこに何が書き込まれるのか楽しみです。




音駒はもう超超安定してて、前回の烏野もそうだったけど、もう何も言うことないな…!!って思いました。
信頼と安心で溢れている。
それがほんとうにどれだけ稀有で、ありがたいことなのか。
ひしひしと感じています。


烏野がいなくなってどうなるんだろうと少し不安でしたが、
今作を見て、私個人的には、「ああ、すごい。大丈夫なんだな」と思いました。
仕事でキーマンが抜けるとか、部活でエースが引退するとか、やばいじゃないですか。周りが存続の危機を危惧するじゃないですか。
でも抜けても結構そのまま維持できてたりすると、「なんだ、意外と大丈夫なんだ。」とか言われたりするけど、違うんですよね!!!
あれは抜ける側と残る側の引き継ぎと覚悟と努力の賜物であって、ほんとはぜんっぜん大丈夫なんかじゃなくて、必死に穴を開けないように、抜ける人が渡して、渡して、残る人が受け取って、受け取って、埋めて埋めて、何事もなかったように、何事も起きないようにしてるんだと思うんですよね!!!!
烏野から音駒へ。そして梟谷へ、戸美へ。
繋がったんだね、と思いました。
以前、須賀さんとウォーリーさんと和田さんの対談で「ハイステを長く続けていきたい」と皆さんがおっしゃっていましたけど、これなら本当に続きそうだな、って思いました。
当時は、烏野変わっちゃったら無理じゃないかなー?と思いましたけど。
そんなことなさそうなの、すごいね。烏野。すごいね。須賀さん。礎を作ったね。
そしてそれを繋いでくれた音駒キャストの皆さん、本当にありがとう。




その音駒、理想の兄選手権やってるのかってくらい兄みが強い。
夜久さん海さん2人とも声がいいー!!動きがいいー!!THE安定感。なんなの?キャスティング最高じゃない?(今更)
山本兄さんのさー、守ってあげたい輩感っていうの…?いいですよね…彼の葛藤、いっつも泣いちゃうんだよなあ…
福永さん、キャストが変わってもアクロバティックで嬉しかったです。2年トリオ可愛いんだよなあ。わちゃわちゃとはちょっと違うんだけど。ごちゃって感じで。
リエーフ、研磨との絡みとか良かったー!石倉さんはいろんな強みがありますね。
芝山くんはめちゃ芝山くん。オーディション会場に入ってきた瞬間選考員全員が満場一致で「芝山くんが来た!」って思ったやつなんじゃないかって考えながら見てました。演技も良かった!!





黒尾さん。
近藤さんの黒尾さんは、前も書いたかもしれないんですけど私の中のクロイメージとは結構違ってて、原作の黒尾さんは前世が野武士っぽいんだけど、舞台の黒尾さんは前世がヴィジュアル系貴族っぽい(個人のイメージです)。
だけど根底が確かに同じという印象があって、何度見てもすごいなあと。
彼の懐の深さと、キャプテンとしての背中と、執着と。


研磨の繋ぐ「関係性」が今回の試合ではそんなに多くは描かれていない分、
黒尾さんの紡いでいる関係性が今作の頼みの綱みたいなとこがあって、
登場する高校や人物たちが全員わりと黒尾さんを経由地として繋がってるんですよね。
そして烏野メンバーの残像が舞台上にちらつくのも彼の存在が大きいような気がしました。
第三体育館組だしなあ。
その重さに耐えうる立ち姿。
とにかく背中がさあかっこいいんだよねー!!!
なにかを背負うのが似合う、すっごい頼もしい役者さんだと思いました。



一方研磨くんは、
「やくそく」というキーワードで主役として物語を紡がれてはいましたけど、彼自身に何か劇的なことが起こるかというとそうでもないという、微妙な立ち位置で。
烏野復活の時の日向影山コンビもそうでしたけど、物語を区切った時の、仲間たちが輝く中での「あまりわかりやすいドラマがない主役」ってなんか難しいよなあと思います。
しかも永田さんの研磨は相変わらず、ほんとに、本っ当に立ち姿に覇気がない。


前にも書きましたけど、
「熱量」がひとつの売り文句にもなっているこの舞台で、
冷や水」と言ってもいいような研磨の佇まいは、誰より異質で、危ういなと思います。
生の舞台で、直接他のキャラクターたちの「熱」や「圧」を肌で感じるからこそ、
よりリアルに研磨という存在に違和感を覚えることができて。
音駒の昔の先輩たちは彼の「この感じ」に対して「やる気がないならやめろ」とか言ったんだろうなあって、すっごくわかる。


研磨の、周囲とは方向性の違う「熱」や「圧」や「愛」を、全力で内側に振り切って舞台に立っている永田さんには感服します。永田さん自身は全力で外側に見せたいタイプに見えるので、余計に。
だから、これで春高のゴミ捨て場の決戦にのぞむ研磨が永田さんじゃなかったら、ウソでしょ、と思います。
孤爪研磨ってなんだったのか、
あの境地の研磨を表現できるのは、ここまで爪を研いできた永田さんしかいないでしょ。と勝手に思っている。
待ってます。





以下、ついでに(?)。


● 新生烏野

のんびり書いていたら烏野の新キャストが発表されていました。
いちばんに「おおっ」と思ったのは日向役の醍醐さんで、ペダステの坂道役のあとに新海誠監督の次回作の主役にも抜擢されてたじゃないですか、いやあすごい子がいるなあと思ってたらハイステの日向も掴み取るってほんとすごい。『天気の子』公開後にハイステですよね。むちゃくちゃ楽しみ。
そして月島役の山本さんもびっくり!私は小坂さんを超える月島蛍は未来永劫出てこないと思ってるんですけど、こうやってビジュアルを見ると「確かにこういう月島もいるかも…シュッとしてる…スタイリッシュ…」って感じですでに好き。 山本さん、舞台に立つと余計にシュッとして見えるんですよね。コメントもめっちゃしっかりしている…
あと空手とダンスの心得がある方が演じる影山ってすごい期待しかない。赤名さんの持つバックグラウンド、影山の動きに似合いそうな気がします。木村さんはリアル影山、影山さんはリアル飛雄だったけど、赤名さんはリアルトビオって感じになるかな……!?
そして何より日向影山の変人コンビが2人とも2000年生まれで若い!!一般的には高校を卒業したばっかりの年代ですもんね。次からは変人コンビの若さ、青さが描かれていくターンだと思っているので、ぴったりの配役だなあと思います。
他の皆さんもほんとワクワクします。コメントとかほんと次世代…!
なんか、せっかくなので今までとまったく違うものが見れたら嬉しいですね。
楽しみだなー!!!
















……でも改めて思ったのは、初代烏野最高だったな!!!!!!
ってことです。(交代組含)
あのシーンとかこのシーンとか、初代にやってほしかったのたっっっっくさんある。
だからこそ、新生烏野には期待しています!!!

ミュージカル『エリザベート』感想メモ(6/13)

ミュージカル『エリザベート』の6/13マチネを観ました。
木村達成さんの演じるルドルフについて、記憶が鮮明なうちに、感じたことをメモしておきます。
もう一回観たらちゃんと感想としてまとめたいです。






はじめに

「これは私の楽しみにしていたルドルフとは違うようだ」というのが第一印象。
私はルドルフに、憂国の皇太子とかシシィの面影とか青年の絶望、儚さみたいなのを求めていたんですけど、
木村さんのルドルフは他人の意志でカラカラ動き回る傀儡の皇太子のように見えた。
え、ほんとに?ほんとにそういう方向性なの??
観てる方も演じる方もつらすぎない???




最初、表現力とか理解力とかなにかの力不足でそういうふうに見えてしまっているのかとも思ったんですけど、
家に帰ってパンフレットを読んだら「教育」「子供のルドルフ」というキーワードが木村さんから出されていたので、
うわーーこれほんとにそういう役作りなんだーーーー!と。
なんか木村さんがそっちの方向のルドルフになるとは想像していなくてちょっとびっくりしました。



木村ルドルフ全般の話

木村ルドルフ、もちろん国や家のことを心から思ってはいるんですけど、
なぜか中身は空洞で、周りから吹き込まれたことを鵜呑みにしていいように踊らされているという印象が強いです。
真剣なんだけど本気ではないというか。
常に誰かから何かを教わって、示された方向に素直に突き進むルドルフ。
ハンガリー国王!のとことかトートに手取り足取りくらいの勢いだし。
にも関わらず、本人は自分の頭で考えて行動しているつもりで、なんでも全力なところがつらい。
真摯で実直、あるいは愚直。
どちらかといえば硬質で、儚さは感じられない。
焦燥感に駆られていて、
他人に必要以上にネジを巻かれて生き急いでいる感がすごい。



彼は何をそんなに焦っているんだろう、と思うんですけど、
なんというか、それこそ その「空洞」、「空虚感」を自ら埋めようと躍起になっている、という感じがします。
親の愛で充たすことのできなかったそれを、代わりの何かに打ち込むことで埋めようとしている。
あるいは、その何かを果たすことで愛や承認を手に入れようとしている。
なんなら母や父にこっちを向いてほしい、それだけのようにも思えます。
木村ルドルフの「沈む世界を僕が救わなければ」という皇太子らしい使命感の裏には、「沈む世界を救ったら褒めてもらえるかな?」という息子としての期待が見え隠れしてる。



そしてまた厄介なのがその彼の選んだ手段が悉く父の政治と相容れないという点で、
もしルドルフがフランツと同じような思想のもとに突き進んだのであれば(父子関係的には)そこまで問題なかったのですよね。
でも彼はそうはできなかった。
彼はシシィの価値観に基づく教育を受けてしまったから。



のちのちのシーンで『夜のボート』を聴いていて、このシシィとフランツのすれ違い、溝がそのままルドルフの中に内在化されてしまっていたのだ、と思いました。
精神の在り処の遠さ、価値観の乖離、フランツ(ゾフィー)の教育とシシィの教育の溝。
フランツの器にシシィの型をはめてできてしまった空洞が、誰からも充たされることなく(自分で充たすこともできず)、そのままぽっかり残ってしまった。
それが木村ルドルフの空洞の正体。かもしれない。



『父と息子』〜『憎しみ(HASS)』

ルドルフがフランツに訊かれてドイツ民族主義者の名前を教えるところがあるんですけど、そこがよく聞こえなくて。
このあたりは(中身が伴っているかはどうあれ)ルドルフがフランツよりも見通せているものが確かにあったのだ、ということを示すシーンでもあると思うのでもうすこし強く出てもいいんじゃないかなあと思うなどしました。
木村ルドルフは人の意見に振り回されっぱなしだけど、登場人物の中では誰よりも人の話を聴いているし、周りを見ようとしているし、建設的な話し合いを求めているような気がするんですよね、、、
親身になってくれるのがトートだけじゃなかったら、新たな時代の良き皇帝になれたかもしれないという雰囲気はある。



『闇が広がる』とトートの話(脱線)

もうほんと闇が広がるでのトートの言葉、ルドルフにとっていちいちキラーフレーズすぎて!!
ルドルフの空洞埋める埋める。
呼んだら来てくれるし、そばにいてくれるし、やりたいこと理解してくれるし、応援してくれるし。
ルドルフの欲しそうなもの全部くれる!!すごい!!
しかも遠目に見ると古川さんのトートと木村ルドルフが結構似ているので、「ここに鏡があるな」と思いました。だからわかるんだろうなと。
この2人の組み合わせはトートの「ルドルフを利用している」感が薄いし、ルドルフの「トートを訝しんでいる」感も薄い。




しかも少年ルドルフのシーンで古川トートがあまりにも幼き日の自分を見るような目で少年を見るので、古川トートもまた自分が母親に愛されなかったと感じているのではないかと思ってしまいました。シシィを好きになったのは、母親に似ていたから。ルドルフに(マクシミリアンとかにはしてなさそうな)思わせぶりなちょっかいを出すのは、自分と似ているから。ルドルフの死後シシィの懇願を退けたのは、シシィ(=母親)に愛されなければ意味がないから。古川トートの恋はある種の復讐でもあって、最後にシシィを手に入れた瞬間ふっと表情が消えるのは、復讐を遂げてしまったことに気づいたから。
なんてことをばーっと思い起こさせるトートでした。
黄泉の国がどういうシステムかわからないけど、古川トート(10万歳くらい)の容姿はルドルフと同じくらいの歳で止まってそう。なんかあったんだろな。その時に。
そもそも黄泉の帝王に母親という存在がいるのかわからないけど。



闇が広がるの話に戻って。
木村ルドルフは最初トートのことを忘れていて、拳銃を見て(だったかな?)思い出す感じなんですけど、
「友達を忘れはしない」という言葉が「ずっと覚えていて意識上にあった」なのか「記憶の底に眠っていたけど思い出せる状態だった」なのかでルドルフの孤独感も変わってくるんだなーと思いました。木村ルドルフは後者。思い出すまでひとりぼっち。
あとは正直言うとドキドキしすぎてあまり記憶がない。次回よく見る。
歌のことはよくわからないけど声が出にくそうな箇所があったのでとにかく応援したい。




ハンガリー独立運動

最後の「ハプスブルク!」の表情がとても印象的でした。
少しだけ恥じ入るような感じがあったんですよね。一瞬自分を情けないと思ったような、羞恥心が顔を出したような。
ここは本当にいろんな感情パターンが考えられる台詞だと思うんですけど、
そんな顔するー!?!?と思って。
多分ここが一番、彼にとって王座は目的ではなくて手段なんだなと感じさせられたところかもしれません。
本当に家や国の行く末を第一に案じての行動だったなら、もっと違う表情になりそう。


『僕はママの鏡だから』

木村ルドルフは、魂の解放を求めるような愛希さんのシシィには全然似てないな、と思います。むしろ真逆で魂の拠り所を求めているみたい。
なので、シシィの「わからないわ」は本当にそうだろうなあという感じです。
この歌、今までは魂の共鳴を求める歌だと思ってたけど、
木村ルドルフの場合は「僕はママの望むような人間になれているはずだよ」という訴えに聞こえました。ママの望む教育をしっかり受けて、ママのような人間になれているよ、僕はママのことよくわかっているよと。先天的じゃなくて後天的な類似性の話をしている。
でもはたから見ればその主張はあまりに一方的で、「僕はママの鏡」というのもルドルフひとりの思い込み、もしくはそうありたいという願望でしかなくて、シシィは全然そんなこと思ってなくて、ルドルフの握る手もなんとも思っていなくて、政治の話も今のシシィには届かなくて、結局ルドルフの声は誰にも届かなくて、
なんかもうつらい……!!



シシィはこの時点でルドルフがどれだけ追い詰められていたかなんて全くわからなかったのですよね。
わからないだろうなあと思います。
シシィとルドルフは似ていない。
そういう意味では、フランツだってわかってなかったし似ていない。
というか、誰だってわからないのですよね。他者のことは。だからわかろうとする。
ルドルフはシシィとフランツのことをわかろうとしたけど、ふたりはルドルフのことをわかろうとしなかった。
それだけのこと。




「ママも僕を見捨てるんだね」
という台詞、他と少し違う高めの声色で、
同じような言い方をした「父上」という台詞と対になっているのだと気付かされました。
ママ以外にルドルフを見捨てたのは、父。
木村ルドルフは母と父の二人から見捨てられ(たと感じ)、まるで子供のような声、立ち姿で2つの台詞を発していて、
これって少年ルドルフでは? この言い方加藤憲史郎君の少年ルドルフでは?? と思ってしまいました。
木村ルドルフの中に少年ルドルフが生きている。


シシィは「あなたはもう大人」と言っていたけれど、
彼の中には子供の部分がそのまま残っていて、
その子供が両親から見捨てられ、目の前に拓かれたはずの道も断たれて震えている、
そこにトートがやってくる。



「そうかあ」
と思いました。(語彙力)




古川トート……木村ルドルフのこと全部お見通しだからな……すごい良い友達に見えちゃう……
「そんな家出て、うち(黄泉家)に来いよ」みたいな温かい気持ちが少しでもあったんじゃないかって……(ない)



『マイヤーリンク(死の舞踏)』

木村さんの動き、ダンスというよりも体操の床運動っぽく見えました。なんでだろう?
良いのか悪いのかわかりませんが、木村ルドルフの性格をあらわしているようで好きです。


このシーン、個人的には、木村ルドルフを抗わせるものはなんだろう、とも思ってしまって。
死への恐怖とか、罪の意識だけだったらつらいな……
青年ルドルフは、両親以外にも生きる希望はあるのだと知っていたのかなあ。知っていたらいいなあ……。
最期に虚空が広がったような顔をしたのがとても怖かったです。



『ミルク』

若いパパ感がすごい!!!!
絶対家に赤ちゃんがいる。
細身で足が長くてパンツの丈ちょっと短くても別に気にしないみたいなパパ感がとても良い。
帽子がよく似合っていて可愛い。


カーテンコール

後ろに下がる時少年ルドルフの憲史郎君の背中に手を当てているのが優しい。
そして2人並んで両手でバイバイしてるのが可愛い。
手を振りながら小首を傾げる感じがまた可愛い。


次回の感想に書きたいことメモ

・愛希さんシシィの強さ
・トートに一番多くを奪われているのは田代さんフランツな気がする話
・成河さんルキーニがすごい
・香寿さんゾフィーで泣いてしまう
・HASS




おしまい

唐突にマダム・ヴォルフのコレクションの話なんですが、美麗さんめちゃくちゃ綺麗でした。すごい。すごい。



これから木村さんのルドルフがどの方向に深まっていくのか、とても楽しみです。
もっとつらくなるのも覚悟しよう。


私は観劇前にいつも油断して、木村さんのことを感覚と勢いで演技をするやんちゃな人だと思ってしまうので、
実際に舞台に立っている姿を見て
えええこんな役作りを……!?とか
歌やダンスどれだけ努力したの……!?とか
ものすごく基本的なところから驚いてしまいます。
役者として当たり前すぎることなんですけど、その当たり前をちゃんとやって確かな成果を出しているということに毎回感動してしまう。
努力するのは当たり前のことだけど、
努力できるのは当たり前のことじゃないし、
努力が結実するのは全然当たり前のことじゃないので。
人はソフトウェアじゃないから、普通こんなに着実に刻んでバージョンアップはしていかないんだよな……。
きっともっともっと良くなるはず、と思えるのほんとにありがたいです。
私も頑張って来月まで乗り切ろう。

終わらせるということ ー ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』を見た(2回目)

先日、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』を観ました(2回目)。

前回の感想はこちら



【前回】
ロミオ:大野さん
ジュリエット:木下さん
ベンヴォーリオ:木村さん
マーキューシオ:黒羽さん
ティボルト:廣瀬さん


【今回】
ロミオ:古川さん
ジュリエット:葵さん
ベンヴォーリオ:木村さん
マーキューシオ:平間さん
ティボルト:渡辺さん


ということで、ベンヴォーリオ以外全員異なるキャストさんでした。
どちらも……!!
どちらもすごく良かった……!!
こんなにも変わるものかと。
観終わった後の印象が全然違う。
心底全キャストの全組み合わせを見たかったです。
三浦さんのベンヴォーリオ、私絶対好きだと思う。
そんな予感がひしひしとしている。




以下、感想です。
ネタバレありです。
W・トリプルキャストの役者さん同士を比較する記述が多々登場しますが、
どちらか一方の良し悪しを主張するものではありません。
「みんな違ってみんないい」ですね本当に。
作品への思い入れが深まる。



ロミオとジュリエット

とにもかくにも今回一番驚かされたのが古川さんのロミオです。
なんだか勝手に、闇を抱えたガラス細工のように繊細なロミオなんだろうな…!と思っていたのですが、全然違う!
雰囲気は陰っぽく涼やかなのですが、振る舞いは明るくおっとりまっすぐなロミオ。
たとえがあれですが勉強が得意で世間擦れしていない生徒会長みたいだと思いました。
むしろ大野さんのロミオの方が太陽のような優しさの中に闇を抱えているように見えた。


でも始まってすぐ、「これは…!!」と思わされまして。
目線のやり方なのか声の届け方なのかなんなのか、
『僕は怖い』の意味が全く異なって聴こえたんですよね。
大野ロミオは自分自身にひたひたと迫る死を恐れているように感じたのですが、
古川ロミオは、ただ他者の死を怖いと言っている。
自身の消失ではなく、親しい人の喪失を恐れているように聞こえたんです。
古川ロミオは、喪うことは怖いけれど、自分が死ぬことはそれほど恐れていないのだ、という印象を受けて、
結構衝撃でした。
そんなふうに弱さと強さが逆転するのかと。


その延長線上で何が起こるかというと、
ロミオが自分の死を恐れていないせいで、
死ぬことがロミオにとっての救いであるという印象が強くなるんですよね。
古川ロミオにとって一番怖いのは他者の喪失で、
それから逃れるためにジュリエットのあとを追った。
大野ロミオは自分の死を恐れていたけど、それでもジュリエットのあとを追った。



全然、印象が違う。



古川ロミオは利己的で、だからこそ叙情的でした。
「親しい人を喪うこと」への恐怖は、具体的で、観る側がそれを言葉で想像することができるから。
そして、彼がそれを「連鎖させた」という物語まで浮かび上がっていたから。





葵さんのジュリエット、可愛らしく、はねっかえりで微笑ましかったです。
本当に携帯持ってなさそう。


スマホとかSNSに疎いから逆にそれを過信してしまっているという感じで、
「メール読んでないの!?」っていう台詞も妙に説得力がありました。
スマホもメールも万能ではないと、知らない女の子。
メールというツールの不確実性を知ってたら、神父さんが「ロミオにメールしとくね」って言い出した時「メールじゃなくて電話にしてもらえませんか!?」って言っちゃいますよねーーー
「せめてLINEでお願いできませんか?」
「むしろ今お電話をお借りしてわたしからお伝えしてもいいですか?」
「むしろ使いをやってほしいのですが?」
みたいな。
だから神父さんはさーーー、もうちょっと気を配ってもいいですよねーーー
ロミオもさーーー、荷物とかも普通に他人に預けちゃうしさーーー。
スマホどころか財布とかクレカとか着替えとか家の鍵とか全部失ってそう。
最後に「過失」という言葉が思い浮かぶの、個人的には少し気になるかなあとは思いました。なんかジュリエットが違う意味で可哀想で。
そういう点では直接言いに行ったベンヴォーリオは本当に信頼できる。



あと葵さんは台詞を喋るみたいに歌いますね!
歌と台詞がかなりシームレスな印象ですごいなぁと思いました。
そして古川さんとの声の重なりが!
「相性が良い」というわけではない気がしたのですが、決して混じり合わない二人の声色がとても良かった。
一幕の終わり、なんだか泣けてしまいました。
2人の歌声がチェンバロとフルートみたいだなあと思って。
声を重ねても一つにはなれないのに、そのもどかしさが愛しい。




● ティボルト

渡辺さんのティボルトはつよい。
「う る さ いっ!」めっちゃいい……ときめいた……好き……


廣瀬さんのティボルトはもう「ティボルト」でいられない、つらい、無理、だからロミオを地獄送りにする、という感じでしたが、
渡辺さんのティボルトはまだ公私の分別がついているように見えました。
まだ公の仮面を被った「ティボルト」でいられてて、ちゃんと「本当の自分」との境目を認識できている。


で、だからこそ何が怖かったかって、
『今日こそその日』で
ジュリエットを奪われた→ロミオを地獄送りにする
キャピュレットの名誉を守る→ロミオを地獄送りにする
って、彼の中で公私の利害が完全一致してしまっていたところですね。
とにかくロミオを地獄送りにすればキャピュレットのティボルトとしても本当のティボルトとしても万々歳じゃね…?
みたいになってしまっていたところ。


ブレーキなし。迷いなし。
理性を保ったままの狂気。
むちゃくちゃ怖い。
渡辺さんのティボルトには強さ正しさゆえの危うさが表現されていると思いました。




● マーキューシオ

平間さんや大貫さん、アンサンブルの皆様を見ていると、やっぱり踊れるっていいなあ……と思います。
素直に単純にかっこいい。
「言葉に準じない動き」で雰囲気を作る、思いを滲ませる、時代を形作るって、神業じゃないですか……


そして平間さんのマーキューシオはとても自立しているなあと。
その方向がまっとうかは別として、
黒羽さんのマーキューシオのように、「繋ぎ止めておけば死なない」という感じがない。
どんなに止めても死ぬ時は死ぬだろうな、という印象でした。
そしてその影響で、ベンヴォーリオもマーキューシオを繋ぎ止めようとしているようには見えず、お互い自立した関係に。


マーキューシオ、ロミオがいきなり結婚してしまった上に翻意の説得にも応じないとわかって、「もう終わりだ」みたいなこと言って去っていくと思うんですけど。
その後の平間さんのマーキューシオは、ロミオがロミオ自身の名を(自分たちの「居場所」を象徴するモンタギューの名を)愚弄したように感じられることに対する怒りを、
ロミオ自身に向けられずにティボルトに転嫁しているという感じで。


このマーキューシオの戦いは彼とモンタギューの名誉回復のために必要なことであって、
それがわかるからベンヴォーリオもそれを否定しきれない。
止めてしまえばマーキューシオがマーキューシオでなくなってしまうというか。ちょっと尾崎豊さんっぽくなってますけど。マキュがマキュであるために戦っている。
マーキューシオにも、自由に生きる権利があるんですよね。ロミオが愛による解決を主張するのと同じように、マーキューシオは、マーキューシオのやり方でしか前を向けない。


ティボルトもマーキューシオも、本来はロミオに向けるはずの怒りをいったんお互いに向けていて、
2人とも本当はロミオに対して怒っている。(なんなら怒っている理由も割と似ている)
となればその当事者ロミオが間に割って入ってきた時、躊躇なくいけるほうが本懐を遂げてしまうのは当然で。
マーキューシオはロミオを刺せないよね……だからティボルトに刃物を向けてるんだもんね……


その「ロミオを刺せない」ことの根拠である愛情が、最期にロミオへとまっすぐ向けられるのも切ない。
結局ロミオのことは憎めないし、逆に心配するという……マーキューシオー!!!




● ベンヴォーリオ

一幕ではしゃいで古川ロミオに結構強めに突っ込まれていたのがかわいい。


古川ロミオと平間マーキューシオの間にいる木村ベンヴォーリオは、誰にも依存していないなあと。
そしてとても聡い。
これは木村さん自身の演技の変化というより、周りのキャストさんの違いによってそう見えるのだと思うのですが。


一番その差に感動したのが、ベンヴォーリオがロミオを庇うために言う「僕たちは犠牲者だ」のところ。
黒羽マーキューシオ・大野ロミオの時は、共感性感受性の高いベンヴォーリオが2人の代わりに「僕たちは(ロミオは、マーキューシオは)犠牲者だ」と必死に訴えているという印象でした。


今回は、悲しみに動転しつつ藁にもすがる思いで「僕たち(ヴェローナの子供たち)は犠牲者だ」という切り札を切った、という印象に変わって。
全部が全部本心ではない、
大人たちと刺し違えるためのとっさの機転。
憎しみの継承という言説、あなたたちなら身に覚えがあるでしょう、と。
彼は大人たちの使う「憎しみ」という言葉を覚えていた。


これが「全部が全部本心ではない」というところが重要で、
ティボルトは憎しみを大人たちに植えつけられたと本気で思っていたけど、
ベンヴォーリオやマーキューシオはそういうのそこまで興味なさそうだったんですよね。
自分たちは自分たちの意志で動いているんだって思ってた。
そこの感覚が、「違った、僕たちはやはり犠牲者だった」と完全に翻ったか、
「僕たちは犠牲者なんて弱きものではないけれど」と思い通している部分があるか、の差。
たぶん、マーキューシオの弱さに共鳴している(対、黒羽マキュ)ように見えるか、強さに共鳴している(対、平間マキュ)ように見えるかの違いによるものかなあと。



大公様に対してロミオを庇うように手を広げていたのが、子供っぽくて、兄を守る弟みたいでね……
ロミオにそうやって守られたことがあるんだろうな。




ところで当のベンヴォーリオはロミオがティボルトを刺すところを見ていないんですね!
マーキューシオを抱きしめて項垂れていて。
憔悴していたからというのもあるだろうけど、まさかロミオが復讐するとは思ってもみなかったんだろうなあと。
裏を返せば、ベンヴォーリオ自身に復讐という発想がなかったということにもなりそうですけれど。
彼は最初から最後まで憎しみにとらわれてはいない感じがしますね。



あと『どうやって伝えよう』、今回は冷静に聞けたんですけど、
最初のほうむちゃくちゃ優しいトーンで歌ってたんですね……めっちゃロミオのこと考えてるじゃん……「俺たちが」夢に見ていた世界じゃなくて「君が」夢に見ていた世界の話をしてるの、俺と君の方向性が若干ずれていたことを示唆しているしその上でむちゃくちゃロミオのこと尊重してるじゃん…………自分の痛みは後回しでロミオの痛みに思いをはせるベンヴォーリオつらい……
キャピュレット側はわりと自分のことを歌っている歌が多かったなあって、
相手のことばかり考えてるベンヴォーリオの歌を聴いてたら思いました。



でも、そんな優しいモンタギュー第1位(私の中で)のベンヴォーリオですけど、
狂気の沙汰のとこで思ったんですが
もし亡くなったのが他の仲間でも、ベンヴォーリオは喪が明けるまでちゃんと待ったんですかね?
これ、役者さんと演出によって全然違うと思うんですけど、
木村さんのベンヴォーリオだと、他ならぬマーキューシオだからこそそういう気持ちになったんじゃないのかな、と思えるんですよね。
みんな狂っていると言うけど、ベンヴォーリオだってマーキューシオを亡くすまではそっち側だったんじゃないか、という気がします。
ある意味しっぺ返しを受けているのかも。
彼も。




ヴェローナの大人たち

ロレンス神父がメールの件もそこそこに歌い出した時、
「ちょっと待って!!そこに正座して!!!」って言いたくなったのに、歌声を聴いていたらそんなことすぐ忘れてしまったので岸さんはすごい。
気が散っても本筋に呼び戻してくれる。


シルビアさんの乳母、一番感情移入してしまったかもしれません。
ジュリエットに幸せになって欲しかったんだよ〜〜本当に〜〜〜!!
心の底から大切なんだよ〜〜ジュリエットのことが〜!
ロミオなんかよりパリス伯爵の方がいいよ、って言うの、つらいし、でも半分は本当にそうである気もするし。
家族愛を押し付ける気はないけど、でも、ジュリエットなんで死んじゃったの……


パリス伯爵もっと見たかったです。
めっちゃいい人。
姜さんだからこその人の良さ、おとぼけ加減、チクチク感。
翌日結婚するつもりで来るかもと思うと心が痛いんだよな……


ヴェローナ大公、カズさんー!!!
ヴェローナで一番カッコいい。
大公様が階段を降りてくるのほんと好きで。
登場するだけで場が締まるのですよね。


モンタギュー夫妻とキャピュレット夫妻は、この悲劇の一番の加害者であり被害者なんですよね。
我が子の死を見るまで、ほとんど何もできなかった。
でもロミオってそこまで憎しみを植えつけられていなかった印象なんですけどどうだったんですかね…
モンタギュー夫妻についてはあまり多くは語られませんでしたが、登場するたびにつらくなりました。
ロミオはまっすぐ育っていたようなのになんでこんなことになってしまったんだろう。
ジュリエットパパの歌はどうしてもほだされてしまいます。
あんな風に歌われたら、パパのこと憎めなくなってしまう。



ヴェローナの子供たち

大人たちに罰がくだって、争いは終わったけれど。
親の世代が和解したからといって、子の世代で新たに生まれた確執は別になくならないじゃないですか。
ロミオとジュリエットの死よりもマーキューシオやティボルト、その他犠牲になった仲間(がいるかわからないけど)の死のほうがよほど悲しいという人たちがいるはずで、
彼らの傷は、ロミオとジュリエットの愛ゆえの死を知ったところでどうにもならないじゃないですか。
残った若者たちの中にその葛藤を抱えている人がいると思うんですけど、
そんな彼らと共にこれから歩んでいくのがベンヴォーリオの役目なのかなあと思いました。
彼も大切な人を敵方に奪われた当事者で、いま喪失の連鎖の末端にいる。
その彼が「許し合おう」と声を上げるのは、大人たちが言うのとは少し違う意味合いを持つ気がします。
争いを終わらせよう。
この喪失に耐えよう。
ここの木村さんの声が、思ったよりずっとよく通るのが私はとても好きです。


最後ロミオのおでこに自分のおでこを寄せるところ、お別れをしているようにも見えるし、「君が」夢に見ていた世界になるよって伝えているようにも見えました。
「俺が」夢に見ていたのはこんな世界じゃないけど、
「君が」夢に見ていた世界はきっとこんなんだろ、と。




そんな見方もあるかもねと水に流してください。





以上。

テクノロジーは悲劇に敵わず、役者は悲劇を塗り替える。ー ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』を見た

先日、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』を観ました。
面白かったー!!


話の筋は知っているし、物語そのものにそれほど思うところはないのに、なんでこんなに面白いのか。
このロミジュリは何回でも観られる、と思いました。
以下、感想です。ネタバレあり。
とても一方的な解釈の話です。
そんな見方もあるよねと水に流していただけたら幸いです。
公式サイトはこちら



● 推しがめっちゃいい

推しのお芝居がいい。輝いてる。楽しそう。最高。
私は木村達成さんのファンなのですが、舞台上でベンヴォーリオが動いているのを見て
「えー!やだ!あの人いい!誰!?
……え!?木村達成さん!?」
ってなりました。
推しじゃん!みたいな。


だって、こんなに歌えるなんて聞いてないし!!
一年前の『ラカージュ・オ・フォール』では「譜面を真摯かつ丁寧に追えている」という感じですごいよかったんですけど、
今年の木村達成さんは「譜面通りの歌はマスターしている」って感じで、少し余裕が!!生まれている!!
「何を歌うか」から「どう歌うか」に変わっている。


ダンスも一年前は若干どんくさい感じがあって、それが役に合ってて可愛かったんですけど、
今年の木村達成さんはダンスにこなれ感があって、
「あーっっ!!去年のあれ演技だったんだーっ!!」って一年越しに思い知らされました。
ステップしっかり踏むジャン・ミッシェルかわいいよジャン・ミッシェル。



お芝居もね……楽しそうで……
ベンヴォーリオという役を全力でまっとうしようとしている様が眩しくて、思わず目を細めました。


この日グッズ買う予定じゃなかったのに、終演後気分が昂ぶっちゃってものすごい勢いで物販行ってアクリルキーホルダーなど買いましたよね。
「あれっ今日手持ちあったっけ!?」って焦った。あってよかった。


木村さんのお芝居、ここからさらに上に行く感がましましだったので、次ほんと観るのが楽しみです。
もっと通えたらよかったー!!!!



ベンヴォーリオについてはまたあとで書きます。



ロミオとジュリエット

大野さんのロミオと木下さんのジュリエットの組み合わせ、光り輝くばかりで眩しすぎません…!?
ただでさえ推しが眩しいのに、このお二人がさらに眩しくて、気持ち的にはサングラスが必要。


大野さんのロミオは、なんかこう、うまく言えないんですけど、「外側がクッションでできているのかな…?」っていう素材感。
どんな衝撃でも吸収する緩衝材みたいで、柔らかくあたたかい。
対して木下さんのジュリエットは「外側に吸音材が施されているのかな…?」と。周囲の音を吸い込んでしまうような凛とした何かがあって。


だからこの二人が向かい合うと「ふわっ」「スッ」とすべてが静かになるんですよね。
めっちゃ喋ってるんですけど。
そこに二人の世界が出来上がっていて、一瞬で惹かれあってしまったことにも説得力がありました。


それに、二人が周りの言うことをあまり聞かない感じもとてもしっくりくるんです。
自身の性質に守られて、外からの働きかけが届かない。
特にロミオのクッション性は、ジュリエットにも仲間たちにも優しいけど実は本人を一番に外の世界から守って(≒阻んで)いるんですよね。
だから仲間に好かれるし、本人は愛を探している。
その彼にもっとも寄り添うことができたのは、内側から湧き上がる死、という。


大野さんのお芝居は初めて拝見したのですが、とにかく誠実な演技をされる方だなあと思いました。
最後の挨拶の時に「皆様の一生の思い出になるように……」というようなことをおっしゃっていて、
ああ、そんなにも高い志で挑まれているのだな、だからこんなに必死で、命を少しずつ燃やすような演技をするのだなと思いました。
「一生の」って、言葉としてかなり強いですよね。


木下さんの感極まったような挨拶にもうるっときてしまったのですが、
その時に感じたご本人の繊細な感じ、ジュリエットの時はまったく感じなかったなと思ってまた驚きでした。
木下さんのジュリエットは意外と一本気で勇気があるんですよね。
可憐なのだけれど、走るのとか速そうで。
「そうなりますように」?みたいなことをボソッというシーンとか最高でした。
思わずハッとさせられる、そんなお芝居が多くて。
彼女のジュリエットの歌は心地よくて永遠に聞いていられます。



● ティボルト

ティボルトかわいそう……。
ティボルトとロミオは二人とも跡取りだしジュリエットのことを好きになってはいけないのも同じなのに、なんでこんなことになってしまったんですかね??
と見ていて考え込んでしまうような、生真面目ティボルトでした。


ティボルトは名前を守るために戦い、己を抑え込み、苦しんでいて、それにひきかえロミオは……
ティボルトがあれだけ俺はティボルトだと言い聞かせて自身を律していたのに!
ロミオは名前なんかどうでもいいみたいなこと言っちゃってて!!ぱっと結婚しちゃうし!
ジュリエットを奪ったことに加えて、その名前なんて意に介さないみたいな感じが本当にはらわた煮え繰り返って仕方ないだろうなあと。
ティボルトはこれまでの人生のすべてを否定されたのですよね。ロミオに。
そして、人生のすべてを奪われるのですよね。ロミオに。


廣瀬さんのティボルトは、刺される直前にロミオに対してそれほど敵意をむき出しにしてはいないような感じがして、
それがまた悲しい。
私にはティボルトが少しだけロミオに赦されようとしたように見えてしまいました。
なぜ。なぜ。



● マーキューシオ

黒羽さんのマーキューシオ、未成年性がすごい。
自分も含めて何も守ろうとしていない。
守られようともしない。
そういう概念がない。
だから生き急いでしまう。
ただ何も奪われたくないから戦っている。
もーーだから木村さんのベンヴォーリオが思ったよりマーキューシオ寄りの立ち位置にいるの、すごいわかるんですよ……
肩掴んでないと死んじゃいそうなんですもん。
一緒にいれば安心、今日も生きてる、楽しいねと。
存在が刹那的。
大野さんのロミオもふわふわしてるけど、そのへんは大丈夫そうだから。


「天真爛漫キャラ」を演じるのと同じくらい、生きるための頼みの綱のひとつが切れてしまっている状態を演じるのは難しいと思うのですが、
黒羽さんは普通にやってる感じですごかったです。とても安定感があった。


最初の方は2人のちびっ子ギャング感が可愛いかった……全然ちびっ子ではないんだけど。



● ジュリエットのお母さん

春野さんのキャピュレット夫人、こわかった……!!
彼女の体現する「母親の思い」って、今この現代の日本では「呪いである」と評価が定まりつつある種類のものであって、
それを反映したお芝居になっていると思うのですが、
時代が違えば私も「あれが本当の優しさ」と認識したかもしれず。
そういう意味でも恐ろしく、悲しかった。
彼女もまたかつての子供であったからこそ。



● 死

大貫さん……
この作品の空気を決定している役ですね。
いるなあ、いるなあって常に気になるし、油断するとすぐ飲み込まれるし。
なんか、『旅の絵本』を眺める時の言い知れぬ不安に似ていた。
大貫さんの死は外からの訪問者ではなく、内にいる影という印象を受けました。
何を実体にしているかは、知らない。



● テクノロジーの発展はロミオとジュリエットの悲劇を完全喪失させ得るのか

っていう実験の側面があると理解したのですが。
結論はスマホをもってしてもロミジュリの物語には勝てないという。
人が関わる以上、悲劇は継続させることができる。
人が関わる以上、死はいかようにも忍び込むことができる。
そして人はミラーボールの下でも恋に落ちることができる。



ほんと『ロミオとジュリエット』という悲劇の強度すごすぎで、
世界設定はちゃめちゃなのに成立してるし
スマホはすごく浮いてるのに物語は瓦解してないし
背景にチェキ的なのが映し出されてもベンヴォーリオは歌うんですよね。
何が面白いのかわからないのにむちゃくちゃ面白い。
見せ方、潤色、演出、楽曲、何らかのきっかけで鷲掴みにされてしまえば整合性なんて気にならなくなるんだなと思いました。



● ベンヴォーリオ

木村さんのベンヴォーリオはすごく普通の人でした。
ふわふわしてるマーキューシオとロミオをつなぎとめて、ただ楽しくやってた子。


でも急に終わりが始まって、
自分は地に足がついている、という自負が苦しみに変わり、
全能感はまぼろしだったと知って、
自分だけが狂えないという事実に絶望する。
「マーキューシオの喪が明けるまで」という言葉が誰にも、ただの一人にも届かないあのシーンが本当に悲痛で。
王でもリーダーでも器用者でもないただの凡人。
ジュリエット服毒前のソロ、すごい良かったです。


「どうやって伝えよう」は大人になる過程を見せてくれているようで、
でもロミオが亡くなった後は風船の紐を手放してしまった子供みたいでした。
彼がみんなに生きていてほしいと思ってやったこと、全部裏目に出て、みんな飛んでっちゃった。
「争いはもういい」という感情がリアルで、あれは愛とか自由とか理性とかよりも「疲れ」だな、っていう。


観る前は、ベンヴォーリオには一歩引いた常識人というイメージがありましたが、
木村さんのベンヴォーリオはどちらかというとずっと火中の栗を拾いにいってる人で、他者への共感性が高く、境界が曖昧ですらあるように見えました。
「僕たちは犠牲者だ」って、「僕たち」に自分を入れないで言ってるみたいな。
まるで自分が引き裂かれたみたいに、仲間の死を心から悲しみ、いとおしむ、無力で心優しい青年でした。
彼はひとり取り残されて大人になってしまった。もうかえれない。行くしかない。


そういうベンヴォーリオもあるんだなあと。
このベンヴォーリオは私が思っていたよりもあわれで、悲しい。



……でもなんか、なんだかんだ、この人たぶん死なないな、という感じがあって、それがこの街に残された希望なのだなと。
悲劇は繰り返し演じられることで、その悲しみも、喜びも、何度でも新しく塗り替えられるのだなあと思いました。
当たり前のことだけれど。



キャストの組み合わせ総当たりで全部見たいです。



以上。

ハイステ “最強の場所” 感想メモ

はーーーー……
終わってしまった……




今回はライブビューイングでの観劇でした。
最後のカーテンコール、小坂さんの挨拶の途中でだんだん声が小さくなって画面がファー〜って白くなって終わってしまい、むちゃくちゃ「エーー!」だったのですが、
後日烏野キャストのカーテンコール映像がWebで公開されるということで、公式様どこまでもありがとうございます……





今日は、なんだかもう、書くことないな、と思いました。
「やりきった!」という気持ちでいっぱいです。
私、何もやってないのに。無関係者なのに。
観ていただけなのに。
なんの達成感なのかわかりませんが、
「私も明日からまた頑張ろう!」と思っています。




あー!でもこれだけは言わなければ!!!




及川さん、めっっっちゃ良かった……!!




遊馬さんは、本当に3年間かけて最高の及川さんになっていったのだなあと思いました。
「3年間ありがとう」という台詞が二重の意味に聞こえて、
及川さんの3年間、遊馬さんの3年間、高校の部活という時間、舞台を作り上げた時間、そういう、想像し得る彼(ら)の想いみたいのが一気に胸に去来しました。





あと狂犬ちゃんとSATORIさん、すっごい「マンガっぽい」キャラなのに「うわーーーー3次元にちゃんといるーーーーー!!」って感じがしてすごいワクワクしました……動きがまたリアル。リアルってなんだろう。
そういえば、その覚さん役の加藤さんをはじめ、白鳥沢メンバーのカーテンコールの挨拶が本当にしっかりしていて「これなら会社のちょっとしたパーティーのスピーチも任せられるな……」と思っていたところに、ウシワカ役の有田さんの挨拶がすごいふにゃふにゃで映画館中がホンワカしてたの控えめに言って最高でした。



あとねあとねやっぱりツッキーと山口が最高でね…………!!!!!
山口の槍の殺陣めっちゃカッコよかったなあ。
ツッキーはほんともう言うことないなあ。
感無量。小坂さん超ツッキーですよね。





……だめだ!!
このまま行くと全員書くことになる!!!
点呼になってしまう!
点呼っていうか、語彙力の消失した金八先生の最後のホームルームみたいになってしまう。
まだ6人しか書いてないのにもう3回最高って言葉使ってるし。
だってみんな最高だったから!!




観劇中は、なんだか、思い出のつまった宝箱に触れているようでした。
久々に学習机の引き出しを開けて、「あー、この楽譜、あのコンクールの時のだな」とか、「あー、この手紙、授業中にまわってきたやつだな」とかって、
ひとつひとつ昔の思い出を愛おしんでいくみたいに、
「ああ、この音楽、日向と影山が初めて会った時のだな」とか、「ああ、このシンクロダンス、最初はグダグダだったな」とかって、自然と思い出されて、懐かしんで。


ものを取り出していけばいつかは底が見えるように、
いつの間にか舞台の終わりも見えてきて。
「これがスガさんの最後のプレーだな」、とか、思ったりして。




ハイステと出会ってからの時間の積み重ねが、記憶になって、思い出すとそこに感情が伴って、いつの間にか自分でも驚くほどの愛着になっていた。



名残惜しくて、
でもこれで本当に大団円という感じがして、
聞こえるわけがないのに
映画館でもやっぱり拍手をしてしまうのは不思議だなあと思いました。




楽しかったなあ。
烏野キャストのみなさん、本当にお疲れ様でした。
キャストの皆様、スタッフの皆様、関係者の皆様、何もかも忘れて夢中になれる時間を、ありがとうございました。
そして須賀さん。素敵な日向を、素敵な劇団を作り上げてくださり、
本当に。ありがとうございました。

NHKドラマの岡田将生さんがすごいことになってる噺

「イケメン俳優」ってのは
なかなかにつらい稼業でございまして、
コケれば「やっぱり」
当たれば「たまたま」
ブレイクした日にゃ「のぼせるな」、
まして漫画アニメの実写なんざ出ようものなら
「やめてよして」の大合唱にございます。



ところが昨今、
そんなそしりをそっと宥めるような
えらいドラマがありまして。






えっタイトル?







タイトルはほら、
あのーーーほら……アレです、




NHKのーーー、
金曜夜10時からやってるーーーー、
岡田将生さん主演のーーーーー、
あーー!ここまで出てるのに出てこない。




しょうがないからタイトル出るまで
もう少しお付き合いくださいね。
えっいやだ?
そんなあなたは
金曜10時にNHKをつけてみてください、
たぶんアバンの後に
タイトルが出るんじゃないかと思います。



聞いてくれる方はもう少し。


このドラマはね、
とにかく主演の岡田将生さんが
ものすごいんですよ。
なんでかってね、
主人公の八雲さんって落語家さんをね、
青年期からおじいさんになるまで
ずーっと岡田さんが演じているんですよ。



若い頃はともかく、
おじいさんになってからを演じるのは
難儀なことでしょう。
だって岡田さんまだ29歳ですよ。
私も第一話を見て驚きましたよ。
ご年配のメイクを施した岡田さんが、
そんなに歳の変わらない竜星涼さん(25)を
小僧っ子扱いしてるんですからね。
「いやこんなの間が持たないだろ」
って普通に思いましたね、
だって29って30にもなってないですからね。



ところがね。
これが不思議なもんで、
なぜだかすぐに気にならなくなったんです。
まだまだ若いはずの岡田さんが、
お年を召された八雲さんに見えるんですよ。
なんでだと思います?





「岡田さんのおじいさん演技がうまいから」、
まずはそれにつきます。
きめ細かな特殊メイクを真実のものにする、
岡田さんの緩慢な動き。
「老いとは何か」、その定義について
こちらも思わず考えてしまう。
この演技は本当に見ものです。
そして、ここにはまた別の仕掛けもありそうで。



私が思うにね、
八雲さんは、
「どこかで時間が止まってしまった人」なんですよね。
歳は取っているけど、
時代は過ぎているけれど、
彼の中の時計は止まっている。




だから、「おじいさん」を「若者」が演じているという小さな違和感が
そのまま八雲さんの「見た目」と「中身」のアンバランスさとなって
滲み出ているんですよね。



これは一種の暗喩でもある。



青年期を演じた役者に
老年期まで続投させるというのはよくあることだけれども、
そのキャスティングがここまでカチリッとはまるのは
見ていてたいそう気持ちがいいものです。




第二話からは回想に入りましてね、
八雲さんの幼少期から壮年期までの人生が語られるんですがね。
青年期の八雲さんがこれまた大変に美しい。


どのくらい美しいかっていうと、そりゃあもう
「有楽亭八雲 岡田 美しい」
で画像検索してもらうとよくわかりますね。



さてここでいう「美しさ」とは、
容姿だけに限ったことではございません。
立ち居振る舞い、仕草、視線、
そのひとつひとつに隙がない。
美しい八雲で在ろうと自身を律している、
その内向的な縛りに「品(ひん)」が宿っているんですね。




これが劇中で彼のやる「落語」にも
大きな影響を与えていて、
なんとまあその発される声の、
艶やかなこと。



正直言うと、私、
少し見くびっていたのですね。
風貌は完璧かもしれない、
だけども落語のシーンは
それなりでしかないだろうと。
芸では八雲さんに近づけないだろうと。
しかもアニメ版石田彰さんだぞと。
アニメ版、石田彰、さんだぞと。





いや知ってました?
岡田さん、むちゃくちゃ
か細い声が出るんですよ。



言われてみればこれまでも
たまに素っ頓狂な声出してた気はしますけどもね、
でもそれがね、
こんなに巧みに操られた声技になるとは思わなんだ。




落語家として上手いというのとは違うかもしれない、
けれども、
役者としての意地と凄みがそこにはある。
ドラマで有楽亭八雲を演じているのは自分なんだと、
睨め付けて譲らない心根の強さが見える。






岡田将生さんがこんなに役を愛する役者さんだなんて、
知りませんでしたよ。






さて、回想は第六話で終わり、
第七話からは再び六十代の八雲さんが現れます。
ここでこの作品への驚きを新たにしてくれたのが
竜星涼さん(25)の本格的な登場なんですね。




彼は刑務所帰りにそのまま八雲に弟子入りを志願するという、
元チンピラの与太郎役を演じています。
またこの与太郎が実に与太郎でしてね。
与太郎与太郎、まあ見事な与太郎具合なんです。



少し話があっちゃこっちゃしますがね、
実はこの作品、ここまでの回想で
山崎育三郎さん演じる有楽亭助六という
もう一人の落語家が出てきていましてね。


八雲の親友でありライバルである彼は、
繊細な八雲とは正反対の性格、
言ってみれば「根明」なんでございまして。
その彼の人ったらしな落語がまたうまい。
山崎さんの才能は
こういう方向でも活かされるのか、
と思わず唸ること三度。




一方、与太郎与太郎でまた「根明」なんですね。



「根暗」な八雲さんに縁のあるこの「根明」二人、
同じ根明でも微妙に違う。
助六がどこか危うさを抱える
「一寸先は闇落ち」タイプの根明なら、
与太郎は何があっても光属性、
「石橋を叩いて踊る」タイプの根明なんです。




似ているようでどこか違う、
そんな助六与太郎の「差分」を、
山崎さんと竜星さんは二人で
見事に表現してしまっている。
与太郎が動けば動くほど、
助六という人物の輪郭がより鮮やかになる。




第六話、回想の中で山崎さんは
これ以上ないであろうという
助六の「芝浜」を披露してくれます。
本当に素晴らしかった。



その「芝浜」を、
第八話で与太郎が受け継ぐ。
そんなシーンで、
斜めに見ていたこちらが
ぐうの音も出ないような
あの台詞の言い方。




うまい、うますぎる。
役者も演出もうますぎる。






第八話まで見てきましたけれどもね、
もう本当に、
山崎さん、岡田さん、竜星さんの
三つ巴。
それこそ助六、八雲、与太郎のように
三者三様、全員が輝いている。





そしてその中でもやはり、
主演として、
ひとりの人間の青年期から老年期までを
生き抜こうとする岡田さんの佇まいには
目を見張るものがあります。










……いや、ほんとのところ、
私、少し大袈裟に言ってるかもしれません。
ちょっと大仰かも。


でもこのドラマを見てるとね、
これくらい諸手を挙げて絶賛したくなるんですよ。
なんででしょうね、わからないけど、
この岡田さんの挑戦は、
なんとなくもっと誰かに見てほしいって思ってしまうんですよね。




もし自分が岡田さんのファンだったら、
これって贔屓目に見てるだけかしらなんて
思ったかもしれませんけどね、
私は岡田は岡田でも
V6のほうの岡田さんのファンなんで、
もう堂々と言ってしまいます。



このドラマの岡田将生さんはとても良い!!!








ここまで読んでくださったあなた、
ありがとうございます。
いや、ドラマ見てくださいなんてことは言いません、
ただ岡田将生さんがすごいよってことを言いたかっただけなんです。



少々長くなってしまいましたので
私の感想はこの辺で。
原作を尊重し、
ろくでもない改変もなく、
落語を「演じる」ということに
真摯に向き合った作品です。
充分すぎるほど満足な「実写化」でした。






それにしても結局タイトル思い出せませんでしたね。
なんだったかなー、
しょう、しょう……
え?縦?微妙な縦読み?上の文?
「少々長く……」
いやそんな回りくどいことしても何も面白くないですね。



NHK総合 毎週金曜夜10時から、
昭和元禄落語心中』、
残り二話ですが
どうぞお見知りおきを!