王様の耳はロバの耳

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ミュージカル『エリザベート』感想メモ(6/13)

ミュージカル『エリザベート』の6/13マチネを観ました。
木村達成さんの演じるルドルフについて、記憶が鮮明なうちに、感じたことをメモしておきます。
もう一回観たらちゃんと感想としてまとめたいです。






はじめに

「これは私の楽しみにしていたルドルフとは違うようだ」というのが第一印象。
私はルドルフに、憂国の皇太子とかシシィの面影とか青年の絶望、儚さみたいなのを求めていたんですけど、
木村さんのルドルフは他人の意志でカラカラ動き回る傀儡の皇太子のように見えた。
え、ほんとに?ほんとにそういう方向性なの??
観てる方も演じる方もつらすぎない???




最初、表現力とか理解力とかなにかの力不足でそういうふうに見えてしまっているのかとも思ったんですけど、
家に帰ってパンフレットを読んだら「教育」「子供のルドルフ」というキーワードが木村さんから出されていたので、
うわーーこれほんとにそういう役作りなんだーーーー!と。
なんか木村さんがそっちの方向のルドルフになるとは想像していなくてちょっとびっくりしました。



木村ルドルフ全般の話

木村ルドルフ、もちろん国や家のことを心から思ってはいるんですけど、
なぜか中身は空洞で、周りから吹き込まれたことを鵜呑みにしていいように踊らされているという印象が強いです。
真剣なんだけど本気ではないというか。
常に誰かから何かを教わって、示された方向に素直に突き進むルドルフ。
ハンガリー国王!のとことかトートに手取り足取りくらいの勢いだし。
にも関わらず、本人は自分の頭で考えて行動しているつもりで、なんでも全力なところがつらい。
真摯で実直、あるいは愚直。
どちらかといえば硬質で、儚さは感じられない。
焦燥感に駆られていて、
他人に必要以上にネジを巻かれて生き急いでいる感がすごい。



彼は何をそんなに焦っているんだろう、と思うんですけど、
なんというか、それこそ その「空洞」、「空虚感」を自ら埋めようと躍起になっている、という感じがします。
親の愛で充たすことのできなかったそれを、代わりの何かに打ち込むことで埋めようとしている。
あるいは、その何かを果たすことで愛や承認を手に入れようとしている。
なんなら母や父にこっちを向いてほしい、それだけのようにも思えます。
木村ルドルフの「沈む世界を僕が救わなければ」という皇太子らしい使命感の裏には、「沈む世界を救ったら褒めてもらえるかな?」という息子としての期待が見え隠れしてる。



そしてまた厄介なのがその彼の選んだ手段が悉く父の政治と相容れないという点で、
もしルドルフがフランツと同じような思想のもとに突き進んだのであれば(父子関係的には)そこまで問題なかったのですよね。
でも彼はそうはできなかった。
彼はシシィの価値観に基づく教育を受けてしまったから。



のちのちのシーンで『夜のボート』を聴いていて、このシシィとフランツのすれ違い、溝がそのままルドルフの中に内在化されてしまっていたのだ、と思いました。
精神の在り処の遠さ、価値観の乖離、フランツ(ゾフィー)の教育とシシィの教育の溝。
フランツの器にシシィの型をはめてできてしまった空洞が、誰からも充たされることなく(自分で充たすこともできず)、そのままぽっかり残ってしまった。
それが木村ルドルフの空洞の正体。かもしれない。



『父と息子』〜『憎しみ(HASS)』

ルドルフがフランツに訊かれてドイツ民族主義者の名前を教えるところがあるんですけど、そこがよく聞こえなくて。
このあたりは(中身が伴っているかはどうあれ)ルドルフがフランツよりも見通せているものが確かにあったのだ、ということを示すシーンでもあると思うのでもうすこし強く出てもいいんじゃないかなあと思うなどしました。
木村ルドルフは人の意見に振り回されっぱなしだけど、登場人物の中では誰よりも人の話を聴いているし、周りを見ようとしているし、建設的な話し合いを求めているような気がするんですよね、、、
親身になってくれるのがトートだけじゃなかったら、新たな時代の良き皇帝になれたかもしれないという雰囲気はある。



『闇が広がる』とトートの話(脱線)

もうほんと闇が広がるでのトートの言葉、ルドルフにとっていちいちキラーフレーズすぎて!!
ルドルフの空洞埋める埋める。
呼んだら来てくれるし、そばにいてくれるし、やりたいこと理解してくれるし、応援してくれるし。
ルドルフの欲しそうなもの全部くれる!!すごい!!
しかも遠目に見ると古川さんのトートと木村ルドルフが結構似ているので、「ここに鏡があるな」と思いました。だからわかるんだろうなと。
この2人の組み合わせはトートの「ルドルフを利用している」感が薄いし、ルドルフの「トートを訝しんでいる」感も薄い。




しかも少年ルドルフのシーンで古川トートがあまりにも幼き日の自分を見るような目で少年を見るので、古川トートもまた自分が母親に愛されなかったと感じているのではないかと思ってしまいました。シシィを好きになったのは、母親に似ていたから。ルドルフに(マクシミリアンとかにはしてなさそうな)思わせぶりなちょっかいを出すのは、自分と似ているから。ルドルフの死後シシィの懇願を退けたのは、シシィ(=母親)に愛されなければ意味がないから。古川トートの恋はある種の復讐でもあって、最後にシシィを手に入れた瞬間ふっと表情が消えるのは、復讐を遂げてしまったことに気づいたから。
なんてことをばーっと思い起こさせるトートでした。
黄泉の国がどういうシステムかわからないけど、古川トート(10万歳くらい)の容姿はルドルフと同じくらいの歳で止まってそう。なんかあったんだろな。その時に。
そもそも黄泉の帝王に母親という存在がいるのかわからないけど。



闇が広がるの話に戻って。
木村ルドルフは最初トートのことを忘れていて、拳銃を見て(だったかな?)思い出す感じなんですけど、
「友達を忘れはしない」という言葉が「ずっと覚えていて意識上にあった」なのか「記憶の底に眠っていたけど思い出せる状態だった」なのかでルドルフの孤独感も変わってくるんだなーと思いました。木村ルドルフは後者。思い出すまでひとりぼっち。
あとは正直言うとドキドキしすぎてあまり記憶がない。次回よく見る。
歌のことはよくわからないけど声が出にくそうな箇所があったのでとにかく応援したい。




ハンガリー独立運動

最後の「ハプスブルク!」の表情がとても印象的でした。
少しだけ恥じ入るような感じがあったんですよね。一瞬自分を情けないと思ったような、羞恥心が顔を出したような。
ここは本当にいろんな感情パターンが考えられる台詞だと思うんですけど、
そんな顔するー!?!?と思って。
多分ここが一番、彼にとって王座は目的ではなくて手段なんだなと感じさせられたところかもしれません。
本当に家や国の行く末を第一に案じての行動だったなら、もっと違う表情になりそう。


『僕はママの鏡だから』

木村ルドルフは、魂の解放を求めるような愛希さんのシシィには全然似てないな、と思います。むしろ真逆で魂の拠り所を求めているみたい。
なので、シシィの「わからないわ」は本当にそうだろうなあという感じです。
この歌、今までは魂の共鳴を求める歌だと思ってたけど、
木村ルドルフの場合は「僕はママの望むような人間になれているはずだよ」という訴えに聞こえました。ママの望む教育をしっかり受けて、ママのような人間になれているよ、僕はママのことよくわかっているよと。先天的じゃなくて後天的な類似性の話をしている。
でもはたから見ればその主張はあまりに一方的で、「僕はママの鏡」というのもルドルフひとりの思い込み、もしくはそうありたいという願望でしかなくて、シシィは全然そんなこと思ってなくて、ルドルフの握る手もなんとも思っていなくて、政治の話も今のシシィには届かなくて、結局ルドルフの声は誰にも届かなくて、
なんかもうつらい……!!



シシィはこの時点でルドルフがどれだけ追い詰められていたかなんて全くわからなかったのですよね。
わからないだろうなあと思います。
シシィとルドルフは似ていない。
そういう意味では、フランツだってわかってなかったし似ていない。
というか、誰だってわからないのですよね。他者のことは。だからわかろうとする。
ルドルフはシシィとフランツのことをわかろうとしたけど、ふたりはルドルフのことをわかろうとしなかった。
それだけのこと。




「ママも僕を見捨てるんだね」
という台詞、他と少し違う高めの声色で、
同じような言い方をした「父上」という台詞と対になっているのだと気付かされました。
ママ以外にルドルフを見捨てたのは、父。
木村ルドルフは母と父の二人から見捨てられ(たと感じ)、まるで子供のような声、立ち姿で2つの台詞を発していて、
これって少年ルドルフでは? この言い方加藤憲史郎君の少年ルドルフでは?? と思ってしまいました。
木村ルドルフの中に少年ルドルフが生きている。


シシィは「あなたはもう大人」と言っていたけれど、
彼の中には子供の部分がそのまま残っていて、
その子供が両親から見捨てられ、目の前に拓かれたはずの道も断たれて震えている、
そこにトートがやってくる。



「そうかあ」
と思いました。(語彙力)




古川トート……木村ルドルフのこと全部お見通しだからな……すごい良い友達に見えちゃう……
「そんな家出て、うち(黄泉家)に来いよ」みたいな温かい気持ちが少しでもあったんじゃないかって……(ない)



『マイヤーリンク(死の舞踏)』

木村さんの動き、ダンスというよりも体操の床運動っぽく見えました。なんでだろう?
良いのか悪いのかわかりませんが、木村ルドルフの性格をあらわしているようで好きです。


このシーン、個人的には、木村ルドルフを抗わせるものはなんだろう、とも思ってしまって。
死への恐怖とか、罪の意識だけだったらつらいな……
青年ルドルフは、両親以外にも生きる希望はあるのだと知っていたのかなあ。知っていたらいいなあ……。
最期に虚空が広がったような顔をしたのがとても怖かったです。



『ミルク』

若いパパ感がすごい!!!!
絶対家に赤ちゃんがいる。
細身で足が長くてパンツの丈ちょっと短くても別に気にしないみたいなパパ感がとても良い。
帽子がよく似合っていて可愛い。


カーテンコール

後ろに下がる時少年ルドルフの憲史郎君の背中に手を当てているのが優しい。
そして2人並んで両手でバイバイしてるのが可愛い。
手を振りながら小首を傾げる感じがまた可愛い。


次回の感想に書きたいことメモ

・愛希さんシシィの強さ
・トートに一番多くを奪われているのは田代さんフランツな気がする話
・成河さんルキーニがすごい
・香寿さんゾフィーで泣いてしまう
・HASS




おしまい

唐突にマダム・ヴォルフのコレクションの話なんですが、美麗さんめちゃくちゃ綺麗でした。すごい。すごい。



これから木村さんのルドルフがどの方向に深まっていくのか、とても楽しみです。
もっとつらくなるのも覚悟しよう。


私は観劇前にいつも油断して、木村さんのことを感覚と勢いで演技をするやんちゃな人だと思ってしまうので、
実際に舞台に立っている姿を見て
えええこんな役作りを……!?とか
歌やダンスどれだけ努力したの……!?とか
ものすごく基本的なところから驚いてしまいます。
役者として当たり前すぎることなんですけど、その当たり前をちゃんとやって確かな成果を出しているということに毎回感動してしまう。
努力するのは当たり前のことだけど、
努力できるのは当たり前のことじゃないし、
努力が結実するのは全然当たり前のことじゃないので。
人はソフトウェアじゃないから、普通こんなに着実に刻んでバージョンアップはしていかないんだよな……。
きっともっともっと良くなるはず、と思えるのほんとにありがたいです。
私も頑張って来月まで乗り切ろう。