王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

テクノロジーは悲劇に敵わず、役者は悲劇を塗り替える。ー ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』を見た

先日、ミュージカル『ロミオ&ジュリエット』を観ました。
面白かったー!!


話の筋は知っているし、物語そのものにそれほど思うところはないのに、なんでこんなに面白いのか。
このロミジュリは何回でも観られる、と思いました。
以下、感想です。ネタバレあり。
とても一方的な解釈の話です。
そんな見方もあるよねと水に流していただけたら幸いです。
公式サイトはこちら



● 推しがめっちゃいい

推しのお芝居がいい。輝いてる。楽しそう。最高。
私は木村達成さんのファンなのですが、舞台上でベンヴォーリオが動いているのを見て
「えー!やだ!あの人いい!誰!?
……え!?木村達成さん!?」
ってなりました。
推しじゃん!みたいな。


だって、こんなに歌えるなんて聞いてないし!!
一年前の『ラカージュ・オ・フォール』では「譜面を真摯かつ丁寧に追えている」という感じですごいよかったんですけど、
今年の木村達成さんは「譜面通りの歌はマスターしている」って感じで、少し余裕が!!生まれている!!
「何を歌うか」から「どう歌うか」に変わっている。


ダンスも一年前は若干どんくさい感じがあって、それが役に合ってて可愛かったんですけど、
今年の木村達成さんはダンスにこなれ感があって、
「あーっっ!!去年のあれ演技だったんだーっ!!」って一年越しに思い知らされました。
ステップしっかり踏むジャン・ミッシェルかわいいよジャン・ミッシェル。



お芝居もね……楽しそうで……
ベンヴォーリオという役を全力でまっとうしようとしている様が眩しくて、思わず目を細めました。


この日グッズ買う予定じゃなかったのに、終演後気分が昂ぶっちゃってものすごい勢いで物販行ってアクリルキーホルダーなど買いましたよね。
「あれっ今日手持ちあったっけ!?」って焦った。あってよかった。


木村さんのお芝居、ここからさらに上に行く感がましましだったので、次ほんと観るのが楽しみです。
もっと通えたらよかったー!!!!



ベンヴォーリオについてはまたあとで書きます。



ロミオとジュリエット

大野さんのロミオと木下さんのジュリエットの組み合わせ、光り輝くばかりで眩しすぎません…!?
ただでさえ推しが眩しいのに、このお二人がさらに眩しくて、気持ち的にはサングラスが必要。


大野さんのロミオは、なんかこう、うまく言えないんですけど、「外側がクッションでできているのかな…?」っていう素材感。
どんな衝撃でも吸収する緩衝材みたいで、柔らかくあたたかい。
対して木下さんのジュリエットは「外側に吸音材が施されているのかな…?」と。周囲の音を吸い込んでしまうような凛とした何かがあって。


だからこの二人が向かい合うと「ふわっ」「スッ」とすべてが静かになるんですよね。
めっちゃ喋ってるんですけど。
そこに二人の世界が出来上がっていて、一瞬で惹かれあってしまったことにも説得力がありました。


それに、二人が周りの言うことをあまり聞かない感じもとてもしっくりくるんです。
自身の性質に守られて、外からの働きかけが届かない。
特にロミオのクッション性は、ジュリエットにも仲間たちにも優しいけど実は本人を一番に外の世界から守って(≒阻んで)いるんですよね。
だから仲間に好かれるし、本人は愛を探している。
その彼にもっとも寄り添うことができたのは、内側から湧き上がる死、という。


大野さんのお芝居は初めて拝見したのですが、とにかく誠実な演技をされる方だなあと思いました。
最後の挨拶の時に「皆様の一生の思い出になるように……」というようなことをおっしゃっていて、
ああ、そんなにも高い志で挑まれているのだな、だからこんなに必死で、命を少しずつ燃やすような演技をするのだなと思いました。
「一生の」って、言葉としてかなり強いですよね。


木下さんの感極まったような挨拶にもうるっときてしまったのですが、
その時に感じたご本人の繊細な感じ、ジュリエットの時はまったく感じなかったなと思ってまた驚きでした。
木下さんのジュリエットは意外と一本気で勇気があるんですよね。
可憐なのだけれど、走るのとか速そうで。
「そうなりますように」?みたいなことをボソッというシーンとか最高でした。
思わずハッとさせられる、そんなお芝居が多くて。
彼女のジュリエットの歌は心地よくて永遠に聞いていられます。



● ティボルト

ティボルトかわいそう……。
ティボルトとロミオは二人とも跡取りだしジュリエットのことを好きになってはいけないのも同じなのに、なんでこんなことになってしまったんですかね??
と見ていて考え込んでしまうような、生真面目ティボルトでした。


ティボルトは名前を守るために戦い、己を抑え込み、苦しんでいて、それにひきかえロミオは……
ティボルトがあれだけ俺はティボルトだと言い聞かせて自身を律していたのに!
ロミオは名前なんかどうでもいいみたいなこと言っちゃってて!!ぱっと結婚しちゃうし!
ジュリエットを奪ったことに加えて、その名前なんて意に介さないみたいな感じが本当にはらわた煮え繰り返って仕方ないだろうなあと。
ティボルトはこれまでの人生のすべてを否定されたのですよね。ロミオに。
そして、人生のすべてを奪われるのですよね。ロミオに。


廣瀬さんのティボルトは、刺される直前にロミオに対してそれほど敵意をむき出しにしてはいないような感じがして、
それがまた悲しい。
私にはティボルトが少しだけロミオに赦されようとしたように見えてしまいました。
なぜ。なぜ。



● マーキューシオ

黒羽さんのマーキューシオ、未成年性がすごい。
自分も含めて何も守ろうとしていない。
守られようともしない。
そういう概念がない。
だから生き急いでしまう。
ただ何も奪われたくないから戦っている。
もーーだから木村さんのベンヴォーリオが思ったよりマーキューシオ寄りの立ち位置にいるの、すごいわかるんですよ……
肩掴んでないと死んじゃいそうなんですもん。
一緒にいれば安心、今日も生きてる、楽しいねと。
存在が刹那的。
大野さんのロミオもふわふわしてるけど、そのへんは大丈夫そうだから。


「天真爛漫キャラ」を演じるのと同じくらい、生きるための頼みの綱のひとつが切れてしまっている状態を演じるのは難しいと思うのですが、
黒羽さんは普通にやってる感じですごかったです。とても安定感があった。


最初の方は2人のちびっ子ギャング感が可愛いかった……全然ちびっ子ではないんだけど。



● ジュリエットのお母さん

春野さんのキャピュレット夫人、こわかった……!!
彼女の体現する「母親の思い」って、今この現代の日本では「呪いである」と評価が定まりつつある種類のものであって、
それを反映したお芝居になっていると思うのですが、
時代が違えば私も「あれが本当の優しさ」と認識したかもしれず。
そういう意味でも恐ろしく、悲しかった。
彼女もまたかつての子供であったからこそ。



● 死

大貫さん……
この作品の空気を決定している役ですね。
いるなあ、いるなあって常に気になるし、油断するとすぐ飲み込まれるし。
なんか、『旅の絵本』を眺める時の言い知れぬ不安に似ていた。
大貫さんの死は外からの訪問者ではなく、内にいる影という印象を受けました。
何を実体にしているかは、知らない。



● テクノロジーの発展はロミオとジュリエットの悲劇を完全喪失させ得るのか

っていう実験の側面があると理解したのですが。
結論はスマホをもってしてもロミジュリの物語には勝てないという。
人が関わる以上、悲劇は継続させることができる。
人が関わる以上、死はいかようにも忍び込むことができる。
そして人はミラーボールの下でも恋に落ちることができる。



ほんと『ロミオとジュリエット』という悲劇の強度すごすぎで、
世界設定はちゃめちゃなのに成立してるし
スマホはすごく浮いてるのに物語は瓦解してないし
背景にチェキ的なのが映し出されてもベンヴォーリオは歌うんですよね。
何が面白いのかわからないのにむちゃくちゃ面白い。
見せ方、潤色、演出、楽曲、何らかのきっかけで鷲掴みにされてしまえば整合性なんて気にならなくなるんだなと思いました。



● ベンヴォーリオ

木村さんのベンヴォーリオはすごく普通の人でした。
ふわふわしてるマーキューシオとロミオをつなぎとめて、ただ楽しくやってた子。


でも急に終わりが始まって、
自分は地に足がついている、という自負が苦しみに変わり、
全能感はまぼろしだったと知って、
自分だけが狂えないという事実に絶望する。
「マーキューシオの喪が明けるまで」という言葉が誰にも、ただの一人にも届かないあのシーンが本当に悲痛で。
王でもリーダーでも器用者でもないただの凡人。
ジュリエット服毒前のソロ、すごい良かったです。


「どうやって伝えよう」は大人になる過程を見せてくれているようで、
でもロミオが亡くなった後は風船の紐を手放してしまった子供みたいでした。
彼がみんなに生きていてほしいと思ってやったこと、全部裏目に出て、みんな飛んでっちゃった。
「争いはもういい」という感情がリアルで、あれは愛とか自由とか理性とかよりも「疲れ」だな、っていう。


観る前は、ベンヴォーリオには一歩引いた常識人というイメージがありましたが、
木村さんのベンヴォーリオはどちらかというとずっと火中の栗を拾いにいってる人で、他者への共感性が高く、境界が曖昧ですらあるように見えました。
「僕たちは犠牲者だ」って、「僕たち」に自分を入れないで言ってるみたいな。
まるで自分が引き裂かれたみたいに、仲間の死を心から悲しみ、いとおしむ、無力で心優しい青年でした。
彼はひとり取り残されて大人になってしまった。もうかえれない。行くしかない。


そういうベンヴォーリオもあるんだなあと。
このベンヴォーリオは私が思っていたよりもあわれで、悲しい。



……でもなんか、なんだかんだ、この人たぶん死なないな、という感じがあって、それがこの街に残された希望なのだなと。
悲劇は繰り返し演じられることで、その悲しみも、喜びも、何度でも新しく塗り替えられるのだなあと思いました。
当たり前のことだけれど。



キャストの組み合わせ総当たりで全部見たいです。



以上。