あまり校舎が静かなので、はてな? と思って事務所へ行ったら、ここにも人の気配が無い。ハッと気附いた。きょうは靖国神社の大祭で学校は休みなのだ。孤立派の失敗である。きょうが休みだと知っていたら、ゆうべだって、もっと楽しかったであろうに。馬鹿馬鹿しい。
この一節を読んだ時、「これは私だ」、と思った。
全体を読めば全くそんなことはないのだけど、ところどころ猛烈に共感してしまう描写があり、戦前戦中にこのような(今で言うなら「陰キャな」だろうか?)感覚を持っている人がいたことに新鮮な驚きを覚えたのだった。
太宰治。
その作品を読み進めるうちに、その暗さはユーモアと表裏一体だと感じるようになった。
太宰治の作品を全部読んだことがあるわけではないけれど、いくつか読んでみた感じでは、結構、好きだ。
好きな作家を告白するのは恥ずかしい。
ましてどこに共感を覚えたのかなんて語った日には、心を曝け出したような気分になる。
自分がどんな人間なのか見透かされているような心持ちがする。
だけどこの作品を語る上で、これは結構重要なことだという気がするのだ。
好きだ。好きだ好きだ好きだ好きだ。
私は、太宰治の作品が、好きだ。
そんな!!!!太宰治の作品に!!!!!
好きな役者さんが出ると知ったら!!!!!
観るしかなくない!??!!!!??
というのが情報解禁時の私。
そこからさらに、ラジオでの「僕のことが書かれてる。」という木村達成さんの発言を聞いて、
家庭の事情ぶっちぎっても観るしかなくない!!?!!!!?!????!!
となりました。
本を読んでいて「これは自分だ」って感じることって、なかなか稀有な読書体験だと思っているので、木村さんがそう感じた作品なんて絶対観てみたいと思ったんです。木村達成さんってどんな人なんだろうって、応援していていっつも思っているので。
ですが、結果、ちょっと日常で色々あり、観れなかったのです………………
〜終〜
そこに朗報が!!!!
配信ありがとうございます!!!!!!!
観ました!!!!!!!
オタクの命がつながれた…………
いやほんっとに観られて良かった……………
上手い人しかいない………原作を読んだ時「太宰の延々と続く独り言」のように感じられた長台詞が長くない……………否、長いのにその長さを感じさせない役者の皆さんの巧さ…………素晴らしい………装置、衣装、照明、小道具、観ていて違和感がない……スマホとか出てきただけで拒否反応出そうなのにスッと受け入れられるのすごすぎる…………ハムレットがスマホではしがき読んでるだけで「太宰の新ハムレットを紙じゃなくて電子で読む人」って定義されて衣装とあわせてもう「こんな感じの人」ってわかるのすごいよね……デンマークって言ってるのにあの衣装で違和感ないのほんとすごい、「狙いすぎ」って感じてもおかしくないのに全然思わなかった。衣装って象徴なんだなあ。
松下由樹さん、オフヰリヤとのシーンの情動的なお芝居によって唐突になりそうなあの結末に納得感を持たせてるのすごいし、池田成志さんの舞台上の空気を支配する道化師っぷりもすごいし、平田満さんの言葉の裏に影をつくる明るい台詞回しもすごい、大人組の皆様がすごければ若者組の皆様もすごくて、駒井健介さんの最後のシーンで担った印象的な「表象」、加藤諒さんの本から抜け出したかのような具象化、島崎遥香さんの思いもかけないオフヰリヤの闊達さ、そして木村達成さんのハムレットの「それな」感。すごい、すごいしかない。カーテンコールの時の「えっ7人しかいなかったんだ!?」っていう感じもすごい。
あとやっぱりすごく好きだったのは太宰治のユーモアがそのまま現代の笑いとして目の前に現れてくれたこと。これはさすがに現代人が入れたでしょと思えるプロレスシーン(原作では「組打ち」)ですら台詞は原作ほぼそのまんまっていうのとか最高だなと思いました。
この作品のコメディ要素が浮かなかったことで太宰治が浮かばれたのではないかと思うほどでした。
逆に原作と違うところで、ハムレットが亡霊を見た時にいう台詞は大元のハムレットからの引用だと思うんですけど、あれが聞けたことで本物のハムレット役を演じる木村達成さんも観てみたいな…!!!!!と思えたのも最高でした。
亡霊といえば亡霊役のところ木村さんが喋ってるって一瞬気が付かなかったなー!!
ラップも良かった!!!!!言われてみればあの太宰の感じはラップだよなあと本気で思った。なにげに「尊敬されたい」って原作のハムレットは一度も言ってないんだけどリリックとして出てきたのがすごいなと……なんか合ってる気がするから………
個人的にすごく好きだったのはハムレットがオフヰリヤを覗き込む仕草です。木村さんが好きな子と目線を合わせようとする仕草は必殺妙技なのでそろそろ名前がついてもいい。何度かやってたけど最後の「議論はこの次にまたゆっくりしよう」のところ、ぱるるの嬉しそうな表情もあいまって「ああ二人は愛を語らいあっていたんだな」と微笑ましい気持ちになりました。これは原作からは読み取れなかったので嬉しい驚き。言われてみればそれはそうだなと。
演出の話をすると、赤い円形がどれだけ象徴的であるかをいやというほど思い知らされました。
原作と同じ1941年に書かれた『十二月八日』を読むと、太宰がこの作品を書いた時に戦争に果たして批判的であったのかどうか考える足掛かりになって興味深いのと、あわせて1947年に書かれた『猿面冠者』あとがきを読むと、太宰自身は実は新ハムレットを書いていたその当時にはクローヂヤスについてそこまで性悪とは考えていなかったのではないか……と勘繰ってしまったりもして、時間が流れたからこそ、あの戦争を経たからこそ、太宰の中でクローヂヤスという人物が「近代悪」たり得たのではないかと思いました。太宰の中の「近代悪」と今回舞台上にあらわれたクローヂヤス&対峙するハムレット、そのシンクロが必然であれ偶然であれ、興味深く、面白い。
最後、音楽がぶつ切りになって木村さんの足だけが動いていたの、暗闇の中に印象が散乱して良かったです。「あとはあなたの考えにお任せします」はよくあるんだけど、印象が散乱したおかげで感想はいくつもあるはずであるということを全肯定されたような気になりました。
それにしても、この作品の台本を読んで「僕のことが書かれてる。」とおっしゃっていた木村達成さんは、毎日どんな気持ちでこの舞台に立っていたのでしょう。
勇気のような何かしらを飲み込んで、毎日心を曝け出していたのでしょうか。
嘘や謎のような盾なく立つのって、どんなに怖いことでしょう。役者ってすごいなあ。
実際のところはわかりませんが、今回もまた、舞台の上でその姿を見せてくれてありがとうございますという気持ちでいっぱいです。
そしてこれ、この台詞たち、当たり前だけどほとんど全部太宰が書いてるんだよなあ。太宰ってこんなこと考えてるのかなとか思われながら読まれたり舞台化されたり観られたりするのってどんな気持ちなんだろう。さっき「どんなに怖いことでしょう」って書いたけど、役者も、作家も、怖いだけならきっとやってないですよね。何かあるんだろうなと思うし、あってほしいし、私はそれを応援したいし、観客や読者の一人としてまっすぐに受け止めなくてはと思いました。そこは、本題ではないのだけれど。
いやー本当に面白かったなー!!!!
木村達成さん次はスリル・ミーに出るんですって?
いや大激戦な上に行けそうな日程が少なすぎたせいで全戦全敗したんですけどね……どうしよう……配信とかないのかな…………え……無理…………
いや、だって木村達成(さん)と前田公輝(さん)がスリルミーやってるのに正気でいられるわけなくない!!??!?!??!
推しは推せる時に推せというけれど、推せない時が来たオタク、人間として正気を保つのが難しくなりましたね…………これからもしばらく低浮上になりますがまた機会がありましたら何卒よろしくお願いいたします……!!!(ここまで読んでくださってありがとうございます…!!)
スリルミー、絶対やばいって!!!!!!!(みんな知ってる)