「ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛を、ぼくはまだ知らないように思います。」
これは、ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー 』*1 日本版の制作情報の解禁時に発表された、主演ダニエル役・木村達成さんによるコメントの冒頭の一文である。
この岡田麿里氏が降臨されたのかと見紛うキャッチーな導入に当時、全私がざわついた。
なんと見事な一文だろう!
個人的な見解だが、このコメント文が見事だと思った理由は5つほどある。①「罪を犯してしまうほどの愛」という言葉でダニエルという役の核心を端的に提示していること②「『ぼくは』まだ知らない」と明かし自身の紹介に結びつけたこと③「まだ」という言葉を入れることにより変化を予期させていること④このタイミングでしか出せないコメントであったこと⑤あえて詳細を省くことで「いやそれどんな愛よ?」と思わせたこと。
それぞれについてもう少し語らせてほしい。
①「罪を犯してしまうほどの愛」という言葉でダニエルという役の核心を端的に提示していること
物語の登場人物の魅力を誰かに説明する時、どの部分を切り取って紹介するかというのは(できれば相手の好みに合わせたいというのもあって)なかなか難しい問題だと思うのだが、殊にこのダニエルという役の場合、「良さ」を語れば語るほどネタバレになるらしいので非常に悩ましい。
その条件下にあって、「罪を犯してしまうほどの愛」というおそらくギリギリの線をついてきた嗅覚と、「罪」「ほどの」「愛」という言葉のチョイスにより「おたくの好きなやつ」だとめちゃくちゃ“
②「『ぼくは』まだ知らない」と明かし自身の紹介に結びつけたこと
さて、この不躾に差し出された「ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛」について、そこからどのように調理するのかと思えば、なんと次は「(…ほどの愛を、)ぼくはまだ知らないように思います」と来るのである。役の説明からの、役者・木村達成自身の紹介への転調。
役には、どうあがいても役者本人の持つものが反映される(と私は思っている)ので、「どんな人が演じるのか」というのも観劇を考える際にはなかなか重要な情報になり得る。それを、この一文に混ぜ込んでみせているのだ。
ここで、この情報の価値を、他にあり得たコメントを想像して考えてみよう。
たとえば、
「ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛。私は、身に覚えがあるのです。」
だったらどうだろう。なんとなくその役者の熟練感や安心感を感じるとともに、「身に覚えがあるの…!?」と、ちょっとその人が演じるダニエルにどんなリアリティが出てくるのか興味を引かれないだろうか。え?私だけ?
それを踏まえてもう一度オリジナルに戻ろう。
「ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛を、ぼくはまだ知らないように思います。」
なんとなく、この告白文からはピュアさ、若さ、真っ直ぐさ、不慣れ感、未熟さ、無名感…のようなものが想起されないだろうか。そんな人が演じたらどうなるのか?そもそも演じられるのか?という点も気になる。
そしてこれらのふわっとした印象はすべて、コメントを出した張本人、つまり木村達成さん自身のイメージとそのまま結びつくことになるのである。今回、彼はミュージカル初主演であり、未知な部分も多いため、ある程度の色付けが必要であった。そこに適合したさりげない印象付けであったと思う。
③「まだ」という言葉を入れることにより変化を予期させていること
この文、おたくとしては「罪」とか「愛」とかに気を取られるが、実は「まだ」という一言の効果がかなり大きい。
「ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛を、『ぼくは知らない』ように思います。」
これではあまりに素っ気無いし、役者と役が重なる余地がない。
「ぼくは『まだ』知らない」とたった一言あるだけで、「まだ」という言葉の持つ時点的な概念が織り込まれ、「これから」知らないものを知っていく変化のイメージと可能性を滲ませることができるのである。
そう、この一文は、「これから知っていく」「ダニエルに近づいていく」ことへの言外の決意表明と言ってもいい。そうでなければ「知らない」ことをわざわざここで宣言する意味がない(生半可な愛ではないのだと強調できる効果はあるが)。
ここから生まれるのは、役への接近と役者としての成長への期待感しかないではないか。
④このタイミングでしか出せないコメントであったこと
「まだ」の効果にも関連するのだが、「ぼくはまだ知らない」というこの告白は、稽古の始まる前、制作の発表時点であったからこそ有効なコメントであったと思う。
なぜなら、たとえば開幕後の初日コメントで
「ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛を、ぼくはまだ知らないように思います。」
とか言っていたら、「え、ちゃんと役作りとかした……?」とめちゃくちゃ不安になるからである。
最高のタイミングで、最高のカードを切ったと言えるだろう。
⑤あえて詳細を省くことで「いやそれどんな愛よ?」と思わせたこと
ここでコメント全文を見てみよう。
ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛を、ぼくはまだ知らないように思います。
白井晃さんのもと、共演者、スタッフの皆さまと共に粉骨砕身取り組み、豊かな作品を創りたいと思います。また、日本版の初演という事でとてもプレッシャーを感じておりますが皆様応援よろしくお願いします!
(ホリプロステージ公式サイトより)
くだんの文が出たと思ったら、次はもう白井さんの話なのである。このものすごい話題の切り上げ方により、「待って、ダニエルの愛のこともうちょっと詳しく!」と思ってしまう。ここが味噌なのだ。
思わせぶりなことを言っておいて、詳細は語らず、「いやそれどんな愛よ?」という引っ掛かりを残す。このフックにより、作品についてもう少し情報がほしい……と思ってしまうのである。ここで深く語らなかったこと、あまりに潔い。
ところで、そのせいもあってか、このコメントが発表された後日、ライターさんが「この発言について詳しく聞かせてください」と質問しているインタビュー記事が出た。
それに対する木村達成さんの反応はこうである。
どの取材でもこの発言について深掘りされるのですが、本のタイトルやキャッチコピーになってしまいそうなワードを僕は出してしまったんですね(苦笑)。
これだけ語らせておいて本人苦笑しとるーーーーーーーッッッッ
いや私が勝手にここで語っているだけだが。
なんだこれどういうニュアンスだ……
対外インタビューで自身の失敗エピソードについて語る日本バレーボール協会の黒尾鉄朗か……?(イメージです)
しかしやはり、他の人にとっても少し深掘りしてみたくなるコメントであったのは確かなようだ。
狙ってやっているのか偶然なのか、わからないところもご本人の魅力である。
全文はこちらを参照していただきたい。
木村達成 トップ俳優との共演で決意「身長が2mぐらいに見えるような俳優になりたい」
(おや?見出しがまたキャッチーだぞ……?)
以上が、私が『ジャック・ザ・リッパー 』という作品を観る前に感じていた木村達成さんのコメント文のすごさの全容である。
さて先日、私はこのコメントにまんまと惹かれ、ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー 』を観劇した。
(ファンなので惹かれなくても観たが)
え、愛ってなんだっけ?
そんなふうに思わせてくれる作品であった。
勘の良い方はコメントを見ただけでダニエルのいくつかの運命を予想できると思うが、それが当たっているかどうかはもはや重要ではないのである。
「ダニエルのような、罪を犯してしまうほどの愛を、ぼくはまだ知らないように思います。」
今、この文章に、寒気を覚える。
印象は180度変化した。
そもそもこれは誰への印象付けだったのか?
この一文は巧みで見事な、『ジャック・ザ・リッパー 』という物語そのものへの”導入”だったのである。
……観劇予定の方は、ぜひこのコメントも頭の片隅に置いて観てみてほしい。
以上
◆◆ 以下、本心 ◆◆
チケットは本日いっぱいで売り止めになってしまうのですが、もし配信やテレビ放送などがあった日には、この一文が刺さった方にはぜひ観ていただきたいです。
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