王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

歴史は背後に立ち昇る。ー ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール』を観た

先日、ミュージカル『ラ・カージュ・オ・フォール 籠の中の道化たち』を観ました。
次回の観劇に備えて感想メモ。
あらすじ等は公式サイトにて。



木村達成さんのファンなので贔屓目にみまくりです。
「かわいい」「好き」を書き連ねるだけなので読んで得することは何もありません。すみません。



● ジョルジュ

こんなすっとぼけたチャーミング紳士いる!??!!!?
妻にのらくら、息子にでれでれしてるかと思えば急に真心を差し出すような『砂に刻む歌』。
私落ち着きのない人間すぎてテンポのゆっくりな歌は少し苦手なんですけど、ジョルジュの歌は永遠に聴いていられる……深く艶のある大人の男性の声。
「聴き惚れる」ってこういうことなのですね……この歌声にずっとつかっていたい。肩まで。本当に心地よく、心が満たされていくようでした。愛を語られた後のアルバンのうっとりした顔、それはそうなるだろうと思う。


● アルバン

ジョルジュの『砂に刻む歌』が「聴き惚れる」歌ならば、息子の思いを聞いたクラブの看板スター“ザザ”(アルバン)が歌う『ありのままの私』は「心震わす」歌。
声とはただの振動なのだと思い出すような、空気をつたってびりびりと体表に突き刺さるエネルギー。しかもそこにわかりやすい感情なんてなくて、それなのにこちらの心は勝手に共鳴してしまう。歌声が寛大なんです……観る側の自己投影を許容するほどに。この歌は観客の前に掲げられた鏡なんだと思う。
歌い終わったあとの毅然とした退場、かっこよかったなあ。ジョルジュの歌にある「身を引く」って、後ろに下がりそうなイメージがあるけど、アルバンは前に歩いて行くんですよね。
私はこれをプライドだと感じたので(ただの個人的解釈です)、二幕でジャン・ミッシェルがアルバンの捨てるべきものとして「プライド」を指定した時、「わかってるじゃん!わかってないけど、わかってるんじゃん!」と思いました。「解釈合ったね!」みたいな。それがあるから簡単にジャン・ミッシェルの思う通りになんて動けないんだって、わかってるんだねジャン・ミッシェル。でも記憶違いな気がしてきた。


鹿賀さんと市村さん、このお二方はもう、たとえ衣装や台詞がなくてもジョルジュとアルバンになれるのでしょうね……ラカージュコンビとして10年、劇団四季時代から数えれば45年のお付き合いだそうで、その歴史が佇まいの中に高密度で詰め込まれていてまるでブラックホールみたいでした。喩えのセンスが悪い。
だってすごい重力で視線が吸い込まれて目が離せないんだよ!!目が足りないんだ!!!あと耳も吸い込まれたよ!!!
でも2人は何もしてなくて肩の力を抜いてそこにいるだけなんだよ。


ラストで2人が星空に溶け込んで行くかのように観客に背を向けるの、とても美しいです。ラカージュはかなり舞台(架空)と客席(現実)の境界が曖昧な作品だと思うのですが、このシーンで2人が「架空の世界に帰ってしまう」のは寂しくもあり、嬉しくもあり。なんで嬉しいのかよくわからないけど、「きっとこれからも仲良くやってくれるだろう」と思えるからかな。


● カジェルたち

「ミュージカルを観に行ったと思っていたらいつのまにかレビューを見ていた」
な… 何を言ってるかわからねーと思うが(略)。
歌、ダンス、鞭、アクロバット、カンカン!
お腹いっぱい盛りだくさんの百花繚乱全力パフォーマンスが見られるのはラ・カージュだけ!
新納さんと真島さんの「そんなに出てないのにめっちゃ出てた気がする」感がすごい。やっぱり「存在感」っていうのは実在するんだなぁ。
この作品の主役は間違いなくジョルジュとアルバンだけれども、その土台を組み上げているのはカジェルたちなんですよね。
衣装もきらびやかで、まさに銀鱗躍動ですよ。黒髪おかっぱの方の最初の衣装がかわいいんだー。朝顔みたいな柄の。


● マエストロ(塩田明弘さん)

上の方の席だったのでマエストロもとい指揮者の方が観客を煽り盛り上げていらっしゃるのがよく見えて、ああこちらにもパフォーマーがいらっしゃる目が離せない目が足りない……5つほしい……と思っていました。
この作品は出ているみなさんがとても楽しそうでパワフルで、それに呼応して客席まで生き生きとしてきて(まるでクラブの客という大役を任せられたかのように)、あっという間に劇場中が幸せに包まれるんですね。ピンク色の、猥雑で、理不尽をも跳ね除ける幸せ。
その裏には、アルバンの歌う「マスカラ」みたいなものが役にも役者本人にもなんならお客さんにもきっとあるはずで、それをチラリと意識させた上での「それでもね!!!!!」というところが余計に心を打つんですよね。


● ジャクリーヌ

声とノリが最高に気持ちいい。AIスピーカーの声をカスタマイズできるようになったらジャクリーヌさんにしたい。爽快な毎日を送れそう。でも勝手に「よく眠ってるみたいだからアラーム1時間遅らせとくわねん」とか言い出しそう。困る。


● アンヌ

ジャン・ミッシェルが「アンヌといると僕が誰よりハンサムって気にさせてくれるんだぜ」的なことを歌うんですけど、実際登場するアンヌがそのたわ言に説得力持たせすぎててやばい。めっちゃかわいい、めっちゃいい子。
最初に飛び出してきたところ、あのシーンだけで3億回納得する。そらこんな子に「愛してる」とか言われたら「えっ俺もしかしてめっちゃイケメンなんじゃね?」って思うわ。それか「えっこれ結婚詐欺師じゃね?」の二択。でも実際こんな子と腕組んで歩いていたら自然と背筋は伸び顔つきは引き締まり表情は朗らかとなり海は凪ぎ空は晴れ小鳥たちは祝福するであろう……そんな御子である……
ちなみに私は木村さんファンなので「別にアンヌといなくてもハンサムやで」と思ってます。


● ダンドン夫妻

ダンドン夫妻かわいくない……?ダンドン夫妻かわいいよね……?
ダンドン議員、ジャクリーヌさんにのせられて踊っちゃうんだもん……隙ありすぎ……好き……
ダンドン夫人、アルバンとわーってやってるとこめっちゃかわいい。推せる。
ダンドン議員から「全部お前のせいだ」だか「お前の育て方が悪かったんだ」だかみたいなこと言われていたと思うんですけど、その台詞だけでどんな環境で母親をやってきたのかちょこっと察せられるからそんな彼女が『今この時』を一緒に歌っていたあの姿は忘れちゃいけない気がしますね。
ダンドン議員が最後に出てくるシーンもとてもカタルシスがありました。リアリティのかけらもないんだけど、現実にはありえないことをやってしまうのがフィクション、ミュージカルなんだなとあらためて。逆にこれがなければミュージカルとして成立しないんだろうなとすら思う。リアリティなんてくそくらえなのかもしれない。


● ジャコブ

動きが昔のディズニーとかワーナーのアニメみたいでとてもかわいい。ジャン・ミッシェルとドライに仲良しなのもかわいい。2人とも人間関係にとてもドライだと思う。「パパのがいつも一番いい」ってところ私も入れてほしい。AIスピーカーたまにジャコブにするから私が元気ない時「これは僕のこれは君のこれはパパの、からの〜〜〜??」って聞いてほしい。


● ジャン・ミッシェル

かわいいぞーーーーー!!ジャン・ミッシェルかわいいぞーーーー!!!!!


そして足が長い。
あと声が高い。
そして背が高い。
あと顔が良い。
そしてチャイルディッシュ。



結果、「見た目は大人、頭脳は子供、その名はジャン・ミッシェル!」みたいになってる。
チャイルディッシュなのかチャイルドライクなのかは意見の分かれるところだと思うけど、「かわいい!!!身勝手!!浅はか!!待て!!おい!!それ以上喋るな!!自分が何言ってるのかわかってるのかわいい!!!!!」って感じだったので個人的には前者ですかね……ジャン・ミッシェル24歳でしょ……? 爛漫すぎでしょ……かわいい……ずるい……浅薄……


何年か後の再演でジャン・ミッシェルにキャスティングされた俳優さんのファンの方へ私見すぎる伝言を残しておくと、ジャン・ミッシェルは両親に大切に育てられたお坊ちゃんで、自分の蒔いた種であたふたオロオロし、「パァパ」と甘えて父親を手玉に取り、急に低めの声を出して彼女を翻弄し、母親に最高の笑顔でひどいことを言います。なんてやつ!!!なんてやつだ!!!!
つまりこんなやつなのに憎めないように仕上げるという、推しの愛嬌力が最大限に発揮される役です。おめでとうございます。


今までわりと低めの声の役が多かったと思うので、地声に近いというのはもうそれだけで新鮮です。周りを制するほどに声を張り上げるとめっちゃ高くなるの、これまでのイメージとのギャップが大きくてすごく面白い。かわいい。
そして何よりもーーー、歌声がーーーーー!!
伸びやかで、高音に甘い響きがあって、最高か……!!『お皿の絵』の時の瞬発力も好き。
私、木村さんが演技をしている時の声に惹かれてファンになったんですけど、いざ歌い出したら歌声も最高に好みだったとか本当に奇跡じゃないの? これ真顔で言ってる。
ミュージカルへの出演自体が2作目で、普段歌のお仕事をなさっているわけでもなく、経歴だけみれば舞台を台無しにしてしまいかねないことになってしまうリスクだってあった中で、他のお仕事をしつつも一年間レッスンを続けてここまで漕ぎ着けたの本当にすごい……ご本人はもちろんだけど、それを支えた周囲の方も、そこの実現可能性を見極めた方も。
抜擢を無謀の策にしない人財育成……長期展望を下支えにした根気強いプロジェクトマネジメントやで…………


今とても歌声がまっすぐなので、情感を書き込む余白がまだたっぷりあって、それがまたチャイルディッシュなジャン・ミッシェルの姿と重なっていてよいのです…….
気が早いけど、これからももっともっとたくさんの感情を込めた色んな歌を聞いてみたいと思いました。


歌、演技、ダンス、どれも手を伸ばしてやっと及第点に達している気がしていて、何かに食らいついてスタートラインに立ちに来たんだなあという背後の過程に感動しつつ、
あちこちのびしろだらけで、「これからどこをどう、どんなバランスで強化していくんだろう!?」っていう本当にもう将来性の塊がここにいますみたいな……「RPGのはじまり」みたいな。とにかくどこにでも行ける感がすごい。そして、思えばいつもどこかに飛び込んだあとどんどん良くなっていくんだよなあ……ずんずん進んでて次見た時にはすげーレベル上がってるみたいな。「えっもうそこまで行ってんの!?」っていう。


と言っても、いかんせん木村さんがこのままミュージカル俳優の道を進もうとするのかどうかとかは全然わからないのですけど。でもやっぱり歌は聴きたいなあ。他人を演じて、他人の心情を歌ってほしい。


とりあえずなんか、観劇して「ほっとした」というのがなんか正直な感想です……何目線なのか知らないけど…………ファンの端くれがすみません………
「頑張ったんだね」とか「努力したんだね」とかはあんまりしっくりこないんですけど、私が近所のおじさんだったら「よくやった!!!!」って言いにいきますね。
「よくやった!!!もっとやれ!!!!!」かな。
後半にまた観に行くので、どうなっているのかとても楽しみです。






以下、お話についてだらだらと。


同じ脚本家の『キンキーブーツ』が2012年初演、こちらが1983年初演と知って納得。
『キンキーブーツ』は特に違和感なく世界に入り込めたのですが、ラカージュは観ながらいくつか疑問を感じたのです。なぜなら私が舞台上の時代の空気感をわかっていなかったから。『キンキーブーツ』は現代と言って良さそうな時代設定でしたが、『ラ・カージュ』は、もう、違う。間も無く過去になる時代なのだと思いました。今では違和感を覚えるような主張や言葉を議員が声高に叫ぶ、「そんな時代もあったのだ」と振り返るような時代。
なにしろ初演からはもう、ジャン・ミッシェルとアンヌの子が「僕、結婚するんだ!」と言い出してもおかしくないくらいの歳月が流れているんですもんね。


私は最初そこの頭を切り替えられていなかったので、なかなかうまく登場人物の心情を汲むことができず。
特に滑稽に見えてしまったのがジャン・ミッシェルの「他に方法がないんだ!」という台詞。なぜそんなに必死なのか、なぜそんなに悲痛な叫びをあげるのか、なぜそこまでしてアルバンの存在を隠そうとするのか。「そうさせるような時代だったから」、と気づいて(遅い)ようやくしっくりきました。
そこを踏まえると、アンヌという女性の存在がより一層際立ってきて、彼女がいかに希少な人物であったかが想像できます。そりゃ失いたくないよね……嘘をついてでも、と思うのも理解できるし、そのジャン・ミッシェルの予想を遥かに超えたアンヌの言動に驚きもする(彼はあれだけアンヌを高く評価しているにもかかわらず、結果的に彼女をみくびっていたことになってしまった)。そして、家族同士の和解には到底至っていない、棲み分けと言えるような結末も腑に落ちます。「来ないでね」という台詞、意外性(による笑い)のあとに納得感が来るんですよね。その正体はこの空気感だったんだなあと。時代に即した落とし所のリアリティ。まず先にこれがあって初めて「リアリティなんてくそくらえ」ができるのかもしれません。


日本での初演は1985年、(指標として適切かはわからないのですが)例の高裁判決が1997年ですから、自分の記憶も含め、日本でこの時代の空気感が過去のものになり始めたのはそう遠い昔ではないと推測します。でも、もしかしたらもう観客の中には「笑いどころがわからない」人もいるかもしれない。教科書の近現代史を読むような感覚で触れるような人もいるかもしれない。
そこまではいかなくても、この時代にはまだ浸透してなさそうな価値観をもって観ている方がいらっしゃるのではという気がします。
ストレートかつステップファミリーの子であるジャン・ミッシェルの「理解してほしかった、尊重してほしかった」という主張は、アルバンへの浅慮はともかくとして(ともかくとしちゃダメなんだけど)、本当にあの答えで一蹴されるべきものだっただろうか?とか。
ジャコブに対するジョルジュの言動と、ジャン・ミッシェルがアルバンに対してやっていること、何が違うんだろう?とか。
超優秀だけれど勤怠に難のある同僚のフォローを残業手当てもなしにさせられているメルセデスさんは、いつか報われる日が来るだろうか?とか。
アルバンに対して私は「母親よりも母親らしく、女性よりも女性らしく」などと思っていないか?とか。
いやすみませんよくわかんないで書いてますすみません。
そういうものに照らした時、また見えて来る新たな側面もあるのだろうなと思います。そしてそこで浮かび上がる問いの包含に耐えうる作品であるのだと思います。
とにかく現代劇でなくなるからといってこの作品が傑作であることに変わりはなく、ただシェイクスピアエウリピデスに近づいていくだけなので、これからも何度でも何度でも上演して、時代が違えど変わらないもの、いつの時代も面白いと感じるものを見たいなあと思った次第です。


まだ続くんですけど、ジャン・ミッシェルはカジェルたちやジャコブとのやりとりを見るに棲み分けをごく自然に、自由に行き来する者として描かれていると思うのですが、その彼の、父親との最後の抱擁の意味が気になっています。
ジャン・ミッシェルはやたらと周りの人物とハグするんですけど、なんとなく、大体はこれは愛情だねとか感謝だねとかなんかそれっぽい理由を想像できるんですよね。
でも最後だけはよくわからない。
一度ダンドン一家を送ってから、(ザザが一幕で歩いた客席通路を駆け抜けて)わざわざ戻ってきて、父親とハグをして、また(同じ通路から)ダンドン一家の方へ戻っていく。その行動と2人の演技、演出に込められた気持ちが、私には「さようなら」にしか見えなくて、なんでだろうと。
確かに町を出て行くとは言っていたけど。なんか家族の集まりとかもあるってアルバンが言ってたじゃん。またすぐ会えるじゃん。なんでなんだろう。
普通に、「ありがとう」なのかなあ。ハッピーエンドを象徴するシーンなんだろうか。そう見えなかったのは単なるこちらの心持ちかなあ。ていうかちゃんと見てなかったのかも。


個人的には、そもそもジャン・ミッシェルがどのタイミングで感化され何に気づいたのかもまだ考えあぐねています。
そのヒントを拾い集めていて思ったのですが、彼は取り繕いや仕草はジョルジュに似ているけれど、根底はアルバンに近い気がする。そりゃそうだ、アルバンにだって、似るよ。
お芝居って面白い。
そういう気になっているところも、また確認できたらいいなあと思います。





それにしても2016年の夏、「その他」カテゴリで『キンキーブーツ』の感想を書いていた頃、まさか2年も経たないうちに「木村達成さん」カテゴリで『ラ・カージュ・オ・フォール』の記事を書くことになるだなんて夢にも思っていなかった。


そんな感傷に浸っていたら、ふと「君は永遠の驚きだ」というジョルジュの台詞を思い出して、その“あてにならない”過去の膨大な積み重ねに思いを馳せつつ、ああなんと初々しい喜びに満ちた言葉だろうと思ったのでした。


おしまい。

ハイキュー!! コンサートに行ってきた(2018)



行ってきた!!!!!!




2017年版の感想はこちら




さすがに2回目だし、そんな泣くことないだろと思ってたんですけど、結構予想外のところでグッときてしまいました。



なんでもそうですけど、同じものを見聞きしても、何が心に刺さるかっていうのはその時その時の自分の状態によって違うんですよね。



ので、今年個人的に刺さったところ3つのメモ。


● 会場とイベントの相性

前回の会場は東京国際フォーラムホールAだったんですが、今回の東京公演は片柳アリーナにて行われました。
会場が関係あるかわかりませんが、個人的には前回の方がマイクの存在をあまり感じさせない音だったような気がしたのですが……


が、今回の会場にはそれを補ってあまりある利点があって!


それは「室内競技アリーナとして使える」という点です。つまり体育館っぽい。
だから!!観客席とかが!!!アニメ映像に出てくる試合会場に似てる!!!


結果、ハイキューメインテーマの冒頭に入ってるシューズとかボールの音が本当に会場の中で響いているように錯覚するというか。
映像内で試合会場のドアを開けるシーンもまるでここに繋がってるような臨場感があったりしました。


会場選びって大事なんだろうなとは思ってましたけど、こういう効果もあるんですね。面白い。


春高予選 青葉城西戦

休憩明けでいきなり青葉城西戦なんですけど、初っ端の『“上”』で日向と影山が前回のトラウマを払拭して「これ最終回なんじゃないかな?」ってくらい盛り上がったあと、さらに『元・根性無しの戦い』でそれを超えるクライマックスが来て「あっこれが最終回だった」って思い直したらそこから『超速攻』『極限スイッチ』『真っ向勝負』の怒涛のコンボでこれでもかと叩きのめされてほんとすごいなハイキューやべーなとおもいました。
及川さんの指差しとか完全に最終回でしょ。


ちなみにそのあと白鳥沢戦でもああもう言うことない完璧な最終回だって思ったし今稲荷崎戦でもまごうことなき最終回だったありがとうございましたハイキュー……って思ってます。


本当に、「この先もうこれ以上の展開ないだろ」って何回思ったことか。そしてそれを超えられて「いやいやいやいやでもさすがに、さすがにこの先もうこれ以上の展開ないだろ」って何百回思ったことか。
ハイキューやべーな。


話を戻して、私前回気づかなかったんですけど、スクリーンの両側にある細長いモニュメントみたいなの、曲に合わせて色が変わってたんですね。
『極限スイッチ』か『真っ向勝負』の途中であれがスッ…と青くなった時、そこまで上がり続けてたボルテージが一気に及川さんの体温にまで下がった感じがして、「『信じてるよお前ら』でみんなが感じてる空気感これか」と疑似体験した気分になりました。最低限で最大限の演出すごい。


● 『元・根性無しの戦い

青葉城西戦の中でも今回特に刺さってきたのがこの曲です。
もともと山口が映ったら泣いてしまう病ではあったんですけど、初めてこの曲がきちんと耳に入ってきた気がします。こちらの受け入れ態勢の甘さ!!!


最初の切ない旋律もいいし、そのあと入って来る結婚式で流すのにぴったりな低めのストリングスも上品だし、秒針のようなリズムパートも山口の運命をいまかいまかと待ち構えているようで最高。


何より、それらが青く塗られた天井とばかりにつきぬけて本物の空を見せてくれるような、後半に展開するたゆたう音の動きが本当に素敵です。
コンサートではここに山口のジャンプフローターサーブが重なっていて、視覚と聴覚の調和具合に思わずため息が出ましたね……そして嶋田さんの顔とツッキーの目線にグッとくるという。


ハイキューって「当事者」たちはもちろんだけど、「見てる側」の人の顔にもむちゃくちゃ感情移入しますよね……(及川さんやツッキーの「見ない」という選択も含めて)
今回は『コンセプトの戦い』の時も鷲匠監督にグイグイ感情移入しまくってましたし……
ハイキューにおいて「見てる側」からラベリングされる言葉ってたくさんあると思うんですけど、ある意味その言葉同士の戦いでもあるということがこのあたりで初めて明示されたんですよね。
それ踏まえてみると稲荷崎の「思い出なんかいらん」は本当に最終回で出していいコンセプトやで………ハイキュー……恐ろしい子……(何万回でも言う)


『元・根性無しの戦い』というからには、『根性無しの戦い』という曲もあって。
さっそくサントラで聞いたんですよ。
ツッキーの『月の出』と『月の輪』みたいに曲同士になんらかの連続性があるんじゃないかと思って。


そしたら、『根性無しの戦い』にリンクしていたのは『元・根性無しの戦い』じゃなくて『月の出』、『根性無しの戦い』にリンクしていたのは『元・根性無しの戦い』じゃなくて『月の出』でした。
会場アナウンスで影山が日向に大事なことを2回言わせてたから2回書いておいた。



「見てる側」の存在は、「当事者」に大きく作用するんだよなあ、と思います。









以上3つ、2回目なので今回は短めに。


とかいってもうひとつ。
開演前、日向と影山のアナウンスで「作曲家の林ゆうきさんと橘麻美さんも演奏に参加するぞ!」と言っていたのでいつかな〜いつかな〜とワクワクしてたら本編終わって、挨拶の時にはじめて「ずっと舞台上にいらっしゃった」ことに気づいたので、やはりコンタクトの度が合ってない時に何か観るならとりあえずオペラグラスは必需品ですね。
いやだって、ずっと演奏してくださるなんてそんな贅沢なことが起きてると思わないじゃないですか!!びっくり!!!
アンコールも『地上戦』と『次の戦い』で、また選曲が渋くてかっこいいですよね……
今回もハイキューの世界にどっぷり浸かることのできた二時間半でした。

ハイキュー!! コンサートに行ってきた(2017)

今週のジャンプ(第285話)を読みました。最高でした。
なんだか居ても立っても居られなくなったので思い切って書こうと思います。





ハイキューコンサート!!(※1)
すごくよかった!!!(※2)




※1:2017年2月26日開催分
※2:2018年1月15日に改めてこみあげてきた想い






こちらは、
2018年1月27日(土)【大阪】
2018年2月12日(祝・月)【東京】
にて開催される『ハイキュー!! コンサート 2018』に向けて、今更ながらも
「2017年版、すごくよかったです、ハイキューの、コンサート、すごく、よかった」
と独り言を言うだけの記事です。


内容のネタバレがありますので、まっさらな状態で2018年版に臨まれたい方はご遠慮いただければと思います。


なお一年寝かせた記憶による曖昧な感想ですので、誤りや勘違いが多くあることと思います、すみません。


それではよろしくお願いいたします。





● とにかく泣ける

いきなりですが2017年版について個人的にすごいと思った点がこちらになります。


○ 1. 開始5分で泣ける(※1)
○ 2. そこから5分おきくらいに泣ける(※1)
○ 3. 結果だいたい泣いてる(※1)
○ 4. BGMに興味ない人も泣けるんじゃないかと思う(※2)
○ 5. アニメ見てない人も泣けるんじゃないかと思う(※2)


※1:私が
※2:憶測


「は????泣くとか??それしかないの???泣けばいいってもんじゃないでしょ????邦画のCMかよ?????」
って思われるかもしれないんですけど、
「泣く」って実際「ほろっ…ぽろぽろっ………グスッ………」みたいなんじゃなくて、
「んんんんんんんんん及川徹んんんんんんんんんんんんんんんんんんnんn:;;k、」
みたいなやつです。
頭の中でばんばん机叩いて突っ伏したのちに顔を上げたら頬を静かに涙が伝ってるやつ。


終演後「はあ…………」しかなかったですからね。
翻弄されまくった。感情が。




● 構成が泣ける

まずは、「どのような公演だったのか」をご紹介させていただきたいと思います。
イメージ大事!


手っ取り早く、2018年版CMをどうぞ。
www.youtube.com



こんなかんじです!!わかりやすいね!!!!



2017年版は開演前に日向と影山による新録アナウンスがありました。
開演後は、ただひたすらにアニメ『ハイキュー!!』の劇伴(BGM)が演奏されるシンプルな構成です。


動画の通りステージ上にオーケストラの皆様がいて、バックにスクリーンがあって、演奏とともにアニメ『ハイキュー!!』の映像が上映されます。
基本的に映像側は無音、ただし要所要所で音声オンになります。
あのセリフとかあのセリフとかね……多分ずっと音声オンよりもズシンとくるんですよね……



さて私が何より感銘を受けたのは、出演者の方のお話が一切なかったという点です。
演奏者の方々も、指揮者の方も。作曲者の林ゆうきさん、橘麻美さんでさえ。
誰一人、一言も。


こんなことがあるのかと。
今回のようにサウンドトラックの楽曲を中心としたコンサートでは、大抵、作曲家さん等関係者の方が楽曲の誕生秘話や制作意図などをお話ししてくださる時間があったように思います。
なので、なんとなく今回もそのような感じだと思っていたのですが……



舞台上から発せられる言葉がねえ。


音楽しかねえ。









……つまり。





とにかく聴けってことです、音楽を。
























……と思ったんですけどきっとそれもちょっと違うんですよね!
そうならアニメの映像延々と流したりなんかしないんです。
それシャットアウトして目の前の音楽だけを堪能してってなるんです。
だからたぶん、この公演のスタンスのひとつは
「この音楽が盛り上げている『ハイキュー!!』を見て」
なんです。


なんたる矜持。
これこそ「劇伴音楽」そのものじゃないですか……!



でもね、映像見てると気づくんです。
ちゃんと曲にあわせて映像が編集されている。
曲側の持つ意味と“間”が尊重されている。
曲のタイトルが表示されている。
単体では意味を成さない、曲ありきの映像になっている。


やっぱりもうひとつのスタンスとして
「『ハイキュー!!』を盛り上げているこの音楽を聴いて」
というのがちゃんとあるんです。
どっちやねん!すみません。


とにかく「解説がなくても映像を見ていれば伝わる」感はかなり強いです。
理屈じゃねーなという。


約二時間半、合間の休憩以外ノンストップで演奏&上映が続きますが、本当に飽きる暇がありません。



「劇伴は、そのモチーフである映像と共にあってこそ最も輝く」

そのことがよくわかる構成だったと思います。



……やだ……「俺が居ればお前は最強だ」みたい……







● 映像が泣ける

「そんな音楽だけ延々とやられてもなあ……」と思う方もいらっしゃると思うんですが、
上記の通り、音楽と一緒にずっと映像が流れていて、これがちゃんと物語の順番に沿っているので、
「二時間半で振り返るこれまでのハイキュー!!
だといっても過言ではない気がしています。
本当に名場面が怒涛の如く押し寄せるので、目は足りないし感情が追い付かない。
特別音楽がどうこうとか意識しなくても、楽しい時間になるのではないかと思います。(憶測です)


ほらあれですよ……映像や音楽の力を借りてベストな彼らを脳に焼き付ける、HAIKYUU SUGEE DOUGA!! 的な。
大阪(東京)の舞台……沢山の観客の前で……数多の音色が渦巻く場所で……ピカッピカキラッキラのでっかいスクリーンで……
上映される推し 最高の推し 見ようや。






● 音楽が泣ける

なんといってもやっぱりこれです。
なんて言ったらいいかわからないので個人的に好きだったところ5選。


曲名をクリックするとレコチョクのページで試聴できますので、「どんな曲だったっけ」と思われた方はぜひ。


なお、こちらに2017年版のセットリストが掲載されていますのでご参考までに。
ていうかこの公式レポート素晴らしいな。この通りですほんと。


www.animatetimes.com





○ 1. 『頂の景色』~『ハイキュー!!
開演1曲目と2曲目なんですけど、「メインテーマにのせた登場人物の紹介映像」はもう何のジャンルでも泣くでしょ……。
楽曲『ハイキュー!!』は特に、その先で彼らを待っている物語がただの勝利だけじゃなく少し悲しかったり、悔しかったり切なかったりするにもかかわらず長調で明るい曲調ってところが余計に泣けてくるんですよね……
期待と希望がつまった4月を祝福するのにぴったりの曲で、彼ら彼女らの未来に幸あれと願ってしまいます。漫画(アニメ)なんだけどね!!!!



○ 2. 『神業速攻』&『超速攻
チェロとかバイオリンとかドラムとかピアノとかギターとかまじですごいから!!見て!!!!!
まじで「神業」だし「速く攻めてる」し「超速く攻めてる」から!!!
日向と影山の速攻を初めて見て驚く他校生の気持ちって多分こんな感じじゃないかなあ。
ここは本当に視聴覚的に強烈なインパクトがあって、これぞ生演奏の醍醐味という感じでした。
私が子供ならこれ見て楽器始めてた気がする。それくらいかっこいい。



○ 3. 『完全未知の司令塔』〜『チームの地力』〜『http://recochoku.jp/song/S1005919663/=決着
この推し曲だらけの流れは熱い。


『完全未知の司令塔』
タイトル通りインハイ予選青葉城西戦の菅原さんの曲で、流れる映像もその時のなんですけど、なんか軽やかで穏やかな、スタッカートからのスラーみたいなとこがほんとスガさんですよねっていう……これこの時の影山の音楽では絶対ないよねっていうのひしひしと感じますよね。絶対こんな跳ねないもん。
優しい曲調の中に音を切る「跳ね」と音をつなぐ「流れ」が同居していて、"烏野のもう一人のセッター"の完全なる強みがここに表れているようで尊い


『チームの地力』
この曲は伊達工戦でむちゃくちゃに素晴らしい使われ方をしているんですけど(こちらの記事参照)、実はタイトルから推察できる通りおそらく青葉城西戦をモチーフに作られてるんですよね。
コンサートではそこの空気の変化とこの曲の入りがぴったりで「あーー、そうだよなーーーー」と。やっぱり生で見ると金管のビジュアルも映えて眩しいです。


『決着』
私が無意識に及川さん推しになってるだけなのかもしれないんですけど、2017年のコンサートにおける及川徹というキャラクターの引力と遠心力めっちゃ大きくなかったですか。気のせいですか。
単純に青葉城西戦が2回あるからかなあ……いや、でもなあ……
この曲については過去に語り尽くしたんですけど(こちらの記事参照)、あらためて及川さんの背中にチェロの音色ってよく合うなあと思いました。
あとこの曲ってチェロ→バイオリン→ホルン→オーボエ→フルート→トランペット…みたいな感じで(楽器名は自信ない)明確にメインパートを交代しながらメロディラインを繋いでいくので、ベタなこと言いますけどほんとまさにバレーボールみたいなんですよね。同じフレーズでもチェロとバイオリンでアーティキュレーションというか音の切り方が違うのも示唆的に聞こえてくるなあとか。
キャラクターひとりひとり順々にスポットが当たるハイキューのストーリー運びにもとても近いなと思いました。



○ 4. 『月の出』&『月の輪
タイトルだけでわかりますね、ツッキーの曲です。
ハイキューには省エネキャラが何人かいますが、その中でも「たかが部活」と本気で思っているという点でツッキーはかなり異質なキャラだと思っています。
その異質性は音でも表現されていて、比較的生っぽい楽器の音が多いハイキューの劇伴の中にあって、ツッキーの曲はかなり目立つ形で電子音が使われています。
人工的な音、(聞く人によっては)感情の薄い音、そういった響きが「本能より理性」なツッキーにぴったりで、特に『月の出』は半端な入り・けだるいリズム・ぐるぐるフレーズと最高にツッキーなんです。内山昂輝さんの声の覇気のなさ(の演技)との相乗効果でどんどんテンションが下がってくっていう。最高に良い。
コンサートだとそれが演奏姿やホールでの響きにもあらわれてくるので、余計に他とは違う感じがします。


ただこれ熱いのは、『月の出』ってたとえば東京合宿の「(木兎さんのスパイクを)止めなくてもいいんですか」とかまさに月の出的なタイミングでかかってて、コンサートも多分そのあたりの映像だったと思うんですが、アニメの3期ではあのシーンでもかかってたんですよね。
白鳥沢戦の、「相手セッターに ブロックを欺いてやったという快感も 達成感も与えてはならない」のところ。
そしたらすごいんです、「半端な入り・けだるいリズム・ぐるぐるフレーズ」が、「ツッキーのもやもやした内的心象風景」だけじゃなくて、「いつの間にか白布さんが陥っていたツッキーの罠」を表す曲になってたんです。かの異質性が「ツッキーの葛藤」から「ツッキーの武器」になってるっていうね、すごいね。


そしてその異質性を最高の形で継承、昇華しているのが『月の輪』です。
ツッキーのガッツポーズとともに入ってくるこの曲は、「半端な入り・けだるいリズム・ぐるぐるフレーズ」の全てを一旦失って、その電子音だけがハイキューらしい音の世界に飛び込んでいます。むしろさらに感情的というか、いっそJ-POP的な気さえする。
アレグレットの四拍子と迎え入れるような伴奏の上で、自律的に動き回る電子音にほんとグッときますね……電子音なんだけど、いきいきしている。
明らかに何かが動き始めたというのが最初の数小節だけではっきりわかる、キャラクターの造形にまで踏み込んだ劇伴です。
ツッキーの「その瞬間」までの物語は本当に20巻近くかけて糸のように細く長く、丁寧に紡がれていたと思うのですが、そのスタンスがきちんと音楽でも受け継がれていることになんだか感動してしまいました。



○ 5. 『コンセプトの戦い
コンサート本編最後の曲です。(このあとクレジットとイマジネーションアレンジ、アンコールでメインテーマがきます)
白鳥沢戦クライマックスの映像が流れるんですけど、試合結果知ってるのに本気で手に汗握りました。
「これ白鳥沢勝つんじゃねーの!?」みたいな。
この曲や前述『決着』はメインテーマ『ハイキュー!!』のアレンジ曲なんですが、このメロデイラインが流れてくると「どっちも負けないで」って気持ちになってくるから不思議です。それこそ両者に幸あれと思ってしまうんですよね。ましてやさっき、この結末を知らない頃の彼らの映像で登場人物紹介見ちゃってるから。どっちにも肩入れしちゃう。


あとこの曲、コンサートでは確か烏養さんの「バレーは常に上を向くスポーツだ」から入ったと思うんですが、
劇伴の話からは少しそれるんですけど、この言葉って、個人的には、第一話から繰り返しここぞという時に使われるとか、あるいは逆に漫画自体の最終回直前のクライマックス中のクライマックスまで出し惜しみするとかしてもいいくらいの渾身の台詞であり定義だと思うんですよね。
それを(白鳥沢戦のクライマックスとはいえ)漫画の途中も途中で出してくるのほんとすごいなーと。
この先これを超えるような発破があるってことなの……古舘先生の言葉の組立て能力どうなってるの……
と、漫画でのタイミングに慄いたものの、コンサートでこの台詞を聴けた時は、ああ、ここだったんだ、このタイミングだったんだと思いました。ほんとうに。



● 未来を想像して泣ける

今回は5選に限定してみましたが、アニメ『ハイキュー!!』のサウンドトラックには、全部でおよそ120ほどの作品が収録されています。
すべて『ハイキュー!!』という物語のため、『ハイキュー!!』の彼ら彼女らのためだけに作られた楽曲です。
2017年のコンサートでは、その中から38曲が演奏されました。
大好きだった曲が、映像と共に奥行きを持ってホール中に広がっていくのを体感したり、残念ながら聴けなかった曲があったり、生で聴いて初めて良さに気づいた曲があったり。
なんて贅沢で濃密な時間だったんだろうと思います。


コンサート中、なんとなく古舘先生の巻末コメントが頭の中に浮かんでいました。

「“文字”を持っている漫画に、音楽もあれば最強なのにな!と、よく思います」
(18巻 巻末コメントより)

この言葉に照らすなら、アニメは逆に文字を持っていないけれど、アニメ『ハイキュー!!』には持てる武器として最高の音楽がついているんじゃないかなあと、個人的には思っています。



ところで話めっちゃ戻りますけど、
今週のジャンプ(第285話)を読んだんです。最高でした。


それで私ひとつ気になってることがあるんです。
ミックス派の方もいらっしゃると思うので詳しくは書きませんが、
あのへん、音楽どうなるんだろうって。


なにぶん一人、「劇伴音楽」というものの対極に行こうとしているキャラがいるんですよね。
第285話のサブタイトルに顕著にあらわれてるんですけど。
はたして、あのサブタイトルを冠する劇伴って、作れるんだろうか。




いまの彼の背景に、音楽は必要とされるんだろうか。





……と、そんなことを考えていたらこのコンサートの素晴らしさを思い出したのでした。
非常に気になるので、アニメ4期5期、そしてコンサートが2019年、2020年とぜひ続きますようにとの願いを込めて。
まずはコンサート2018、楽しみですね!


www.j-haikyu.com

岡田准一さんにまつわる音楽の話をしよう

20年くらいこっそり応援している岡田准一さんがご結婚されました。
そこで彼にまつわる劇伴について書きたいと思います。



謎の急展開ですみません。
あと画像でっかくなっちゃった。



劇伴とは、ここではドラマや映画、アニメなどの劇中で流れる音楽のことを指します。
サントラやBGMというとイメージしやすいかもしれません。


さて、岡田准一さん主演作における劇伴の充実ぶりは異常です。
せっかくなのでランキング形式で発表したいと思います。
なんのランキングかはよくわからない。


あとぜひ実際に聴いていただきたいんですけど、いろいろ難しいので苦肉の策で試聴できるページへのリンクをはりました。
お手数をおかけいたしますがご査収の程宜しくお願い申し上げます。




第5位 軍師官兵衛 メイン・テーマ / 菅野祐悟

○ 作品:NHK大河ドラマ 軍師官兵衛(2014年)
○ 試聴:
※「収録内容」のところで試聴できます
www.sonymusicshop.jp



官兵衛の法号「如水」を思い起こさせる、美しく流れるような三拍子の曲です。
こちらはオープニングテーマですが、本編の第28話、本能寺の変のしらせのあと秀吉にギラついた目で「御運が開けました」と言って「主人公がダークすぎる」と評されたシーンで流れました。
ここぞというところでオープニングテーマが本編で流れるっていうのは、やっぱりどのジャンルでもアツいですよね。
今聴いてもあのシーン思い出します。めっちゃ怖かったもん。目。




第4位 Security Police / 菅野祐悟

○ 作品:SP 警視庁警備部警護課第四係(2007〜2011年)
○ 試聴:
※Tracklistで試聴できます(開いている試聴プレイヤーの子画面はいったん閉じてください)
www.billboard-japan.com



作品は見たことないけどこの曲は聞いたことある、という方も多いのではないでしょうか。
でっでっでっ、ででっでっでっ
ぱーぱらぱーーー
でおなじみのやつです。
あっ、お気付きですか。
そう、この曲、先程の軍師官兵衛メインテーマと同じ菅野祐悟氏が作曲されています。
全然印象が違いますね。しかも菅野さん30歳の時に作ってます。まじかよ。
軍師官兵衛メインテーマがじわじわと耳に馴染んでいったのに対して、こちらは一発目のインパクトが絶大でした。
これだけでドラマ見られると思ったくらい。
個人的には、『SP』という作品の看板のひとつとも言えるプロダクトです。




第3位 永遠の0佐藤直紀

○ 作品:永遠の0(2013年)
○ 試聴:
※Disc1の曲名一覧で試聴できます(開いている試聴プレイヤーの子画面はいったん閉じてください)
victorentertainmentshop.com



映画の冒頭、そして最後のシーンで流れていた曲です。緊迫、不安、飛翔感。それから。
あのシーンで観客の内面に沸き起こるすべての感情を、煽り、操り、増幅させてしまう。
この曲があるのとないのとでは空気感が大きく異なります。
そして個人的には今でもあまり気軽には聞けません。特にメインの弦楽器の音が恐いのです。
ところどころラピュタの劇伴(特に『ロボット兵 復活〜救出』)を参考に作られているのではないか…?と感じる部分があるのですが、確認したくてもなかなか向き合って聴くことができない、それくらいあのシーンに絡みついているように感じます。
劇伴というものの力、そしてその目的がなんたるかを強く感じる一曲です。




第2位 Library Wars / 高見優

○ 作品:図書館戦争(2013〜2015)
○ 試聴:
※ジャケット写真のところにある三角の再生マークで試聴できます
recochoku.jp



この曲は、思い入れがある人とない人とで聞こえ方がまったく変わってくると思います。
なんとなくボヤっとした曲に聞こえる人もいるかもしれません。
私も一作目の時はそうでした。


でも今の私は、思い入れ強すぎてもうめっちゃ泣ける。
映画二作目で、確か始まって1時間くらい経ってやっとこの曲が流れたんです、で、本が映ったんです、で、涙腺だばーですよ。
何言ってるかわからないですよね。私もわからないです。
メインの牧歌的で一途なバグパイプは郁、低音で下支えに入ってくる金管は図書隊、思わず感化されたかのように主旋律を受け継ぐトランペットは堂上教官です。
ええわかります何言ってるかわからないですよね。
だけど……きっと何年もこの記事を公開していたらおひとりくらいはわかってくださるんじゃないかって……!


たぶん一作目、スピンオフ、宣伝、などと続けて見ているうちに、いつの間にかこの曲に聞き慣れていたんです。知らず知らずのうちに。
そうすると、なんとなく音の「見分け」がつくようになる。そして勝手に自分の思いを「投影して見る」ようになる。
音楽は聴くものですが、これらの劇伴を聴くとき私は何かを見ている気がします。
不思議ですね。「これから見るシーン・今見ているシーン」の空気を作るだけではない、「今まで見たシーン」、すなわち過去を呼び起こす音楽への変貌です。
時間を積み重ねた、シリーズ物だからこそできることなのでしょう。




第1位 Kisarazu Cat's'n Roll / 仲西匡

○ 作品:木更津キャッツアイ(2002〜2006年)
○ 試聴:ない!!どうしてもない!!!



たぶん聞いていただければすぐわかると思います。オフィシャルな試聴ないけど!!!
なんか、ニュースやバラエティ番組のコミカルな風景とかの時によく流れてるようなイメージがあります。


その軽快でご機嫌なナンバーは木更津キャッツアイというドラマのために生まれた曲です。
もう15年も前ですね。
初めて聴いた時、「ああ、何かが始まろうとしている」と思いました。
まあ、ドラマの第1話が始まったんですけど。


当時視聴率がめちゃくちゃ悪くて、岡田くんをはじめとした出演者たちが土手かなんかで「俺らダメだわ」ってへこんでいたそうですが、
実際にはその後DVDが売れて、二度の映画化にまでつながり、そして、岡田くんの役者としての人生が開けました。
開けました……御運が開けました……わかりますか……
作品の枠を超え、シリーズが完結した今なお、様々な映像を盛り上げている一曲です。





終わりに

なぜ今、急にこんな記事を書いたかというと、単純に、そういえば岡田くんの背景に流れてきた曲が好きだったなあと思ったからです。
では岡田くん自身が歌い踊ってきた曲はどうだったのかって、
そりゃ最高に決まってます!!!
役者の御運は確かに開けましたけどね……歌って踊る岡田くんもとってもかっこいいんですよ……
それはまだまだ書けない書ききれない。記事にまとめるにはあと十年くらいかかります。
だからせめて願いを込めて。


これからも岡田くんの人生が素敵な音楽で彩られますように。



岡田准一さん ご結婚おめでとうございます
どうか末永くお幸せに!!

ドラペダ今泉ここが良かったコレクション2017冬



ドラマ『弱虫ペダル Season2』12話を見ました。
そうしたら今泉くんが最高にカッコよかったので、タイトル通り偏差値2くらいの記事を書きます。
偏差値ってそういうんじゃないよね!!


本当はもう少し理性の残ってる記事を書こうとしたのですが、どんなに知恵をしぼっても
「ひゃ〜〜かっこいい〜〜〜〜」
以外に言えることほとんどなかったので、
素直に感情の赴くまま、12話の好きなところについて思ったことだけ書こうと思います。


推しの演技が好きすぎた
記事を書くのにこれ以上の理由が要るのかい


ってやつです。



シラフの方すみません。
私もシラフです。







1. 小野田くんに肩を叩かせようとする時のちょいちょい

手をくいっくいってやってるとこです。
かっこいいですよね〜。























※ 本当にこんな感じで書いていきます。








2. 行かせないって 言ってんだよ!!

(すいすいすいすい)
擬態語です。漕いでるとこの。
素人の私は11話からのこのキレイな走りだけで「確かに今泉覚醒しとるね」って思ってしまいます……めっちゃ説得力ある。
さすが今泉と同じSCOTT買って普段から乗ってるだけある……え……木村さんてリアル今泉なのでは……?


3. だからおまえは 絶対についてこい!!

……って小野田くんのほうを見ながら言ったあと、前を向いてダンシングする直前に、もう一回後ろをちらっと振り返るじゃないですか。
この動作、原作にはないんですよね。
見ちゃったんだろうなーーー、小野田くんがついてくること、しっかり確認したかったんだろうなーーー、と思ってすごくグッときました。
というか、細かいこと言うと原作で今泉が小野田くんのほうを見るのは「(とり返す) オレが!!」のところなんですけど、ドラマではそこは見てないんです、「心配すんな」と「だからおまえは絶対に(ついてこい)」って言う時に振り向いてて、あああドラマの今泉が振り向いてまで小野田くんに伝えたい言葉はそっちなんだなーーー、と。
こういう動作ひとつひとつが積み重なって木村さんの今泉が出来上がっているんですよね。
すみません、以下、原作やアニメ・舞台等の話が頻繁に出てきます。苦手な方はご注意ください。


4. おるああああ 鳴子ぉォォ!!

ここまでのくだり全部ひっくるめて、とにかく言い方と声が好きすぎる。


5. 先頭は オレが走んだよ!!

ガンガンぶつかりあってヘルメットが少しずれて前髪が乱れた状態でのこの台詞。
最高にかっこいいですよね〜。











……なんか「ちゃんと見てんの?」って感じなのでここで長文書いてしまうんですけど、
私、ドラマの覚醒今泉はちょっとギラギラオラついていて、かつ少し子供っぽい印象を受けています。駄々っ子みたいなイントネーションの叫び方する時あると思うんですよね。
「〇〇なんだよォ!!!」って末尾にアクセントいくみたいな。すみませんうまく書けないんですけど、自分の要望を外に向かって強く主張することでむりやり叶えようとするみたいな言い方。


個人的な印象なんですけど、鳥海さんのアニメ今泉は叫ぶときでも抑えて抑えて、そのなかに感情がこもって圧が高まってる感があるし、何より「先頭は静かだから」っていう理由がぴったりな雰囲気なんです。まさにイメージカラー青という感じ。かたちでいうなら円錐みたいな。
太田さんの舞台今泉はかたちでいうなら球体で、これほんとにすごいと思うんですけどがむしゃらになってもスマートさとクールさがちゃんと残るんですよね。多分、太田さんの声が少し高めでカドがなくて、涼やかなんです。その相反する視覚情報と聴覚情報のギャップによって底知れなさと若干の狂気まで漂っている、とっても舞台映えする今泉だなあと思っています。


そのお二人の今泉が頭にあったので、ドラマの今泉のこの感じはちょっと意外だったんですけど、原作読み返したら、確かにそういう側面があるんです、今泉に。かたちでいうなら星型八面体みたいにギラつく瞬間が。
ただ、言葉のイントネーションはわからない。言い回しは大体一緒なんですけど、どんな言い方してるかは漫画からは読み取りきれないんですよね。だから木村さんの子供みたいな言い方も正解なのかもしれない。現に、ドラマの流れの中では、表情と合わさってすごくしっくりきていると思います。
そして私はこのイントネーションがものすごくツボなんですよね……ちょっと待って……今泉にそんな萌えポイントがあるなんて知らなかった……
演じる人や演出によって、同じ役、同じ台詞でもこんなに様々な側面が引き出されていくんだなあとちょっと面白かったです。


6. いいぜ!!来いよ御堂筋!!

そんで、ドラマ、原作ともに最高にギラついてたのがここ。私、12話でここが一番好きでした。ニヤッとした口もだけど、目が最高にイカれててすごい良かったです。
ここより前の「どけよ御堂筋!!」の時も結構な目をしてるんですけど、「来いよ」の時と違って挑発するような余裕のある目ではないんですよね。
先頭に立っていてもなお挑戦者から抜け出しきれなかった今泉が、ここで無意識に「受けて立った」ことによって逆に御堂筋が挑戦者になったかのように心理的形勢が逆転している。
木村さんがこの表情を見せたおかげでひそかな劇的転換シーンになってるなあと思いました。
舞台だと細かい表情までは見えないこともあるから、これを堪能できるのはドラマならではかもしれない。

あと私やっぱり木村さんの容姿の好戦的なところに惹かれてるんだなと思い出しました。ご本人の内面とは別の、好戦的な空気。


7. 勝てた

手で口を覆う仕草も原作とはちょっと違って(原作は拳を眉間に当てるような感じ)、今泉のイメージにはない動きなんですけど、なんとなくドラマの今泉には合ってるなあと思いました。


8. 上がれ 坂道!!

ここ原作では今泉が前向いたまま言ってて、それが従えてる感と信じてる感が同居しててめちゃくちゃかっこいいんですけど、ドラマの今泉はさっきのダンシングの時と同じで小野田くんのいる方を向かないと言えなかったんだろうなーーー、見ちゃうんだろうなーーーと。人にものを頼むときに顔向けないって失礼ですもんね。ドラマの今泉はそういうの無意識にしみついてるんだろうなあ。
あとこのシーンはSeason1の手嶋さんを抜くところに若干似てるんですけど、今回は冗長なところもなく間抜けにも見えず、とても良かったです。


9. 手のふるえは自分で止めろ

このあたりの今泉、なんか半分泣きそうな顔してるじゃないですか。それが最高に意外で子供っぽくて、目が離せなかったですね……こう振り返ってみると結構意外に思ったところにぐっときてるみたいですね。


10. オレがあいつに

ここは台詞が最高なんです。


オレが あいつに ついてこいっつったんで
したら あいつは “わかった”っつったんで


自由律短歌みたいな。
しかも今泉ってそこまで砕けた話し言葉だったかなって思うせいかなんか違和感あって、耳で聞いてると余計にひっかかるんですよね。個人的にはアニメを見ていた時にも印象に残った台詞の一つです。


11. ファスナー

ジャージの襟噛んでファスナーあけるのはSeason1の3話でもやってたのでドラマ今泉の専売特許です。あと羽生くん。


12. 全力で走れ 坂道!!

一番最後の小野田くんに思いを託すモノローグ、太田さんはしっとりバトンを渡すように語りかけてるし、鳥海さんなんて巣から落ちた雛をそっと親鳥に返すかのような雰囲気なんですけど、ドラマの今泉は全力で豪速球投げてて最後までドラ泉らしいなあと。
あと、アニメの今泉はかなり清々しいやりきった顔なんですが、太田さんと木村さんは「笑ってる」と言いつつちょっとだけ諦めの色が浮かんでいるというか、太田さんは悔しそう、木村さんは悲しそうで、生身の人間がこのシーンを演じたときに、諦観しきれないのがリアルなのかもしれない、とちょっと思いました。





最後に。

今泉って、インハイで小野田くんの背中を実際に押す最後の人物なので、もしちょっと物足りなかったりして原作好きなほうの私がずっこけたらどうしようって思ってたんですけど、見たら期待以上の今泉くんが余すところなく役割をまっとうしてくれていたので最高でしたね……
あらためて、作品上で推しがかっこいいってこれほど幸せなことないですね。しかも二重にですからね。どんなお祭りだよ。


それと今回思ったのは、同じ「かっこいい」でも見ている人によって琴線に触れてる部分は全然違うんだなあということです。
ドラマの感想を拝見していると気づきもしなかったようなところを語られている方がいらしたりしてとっても面白かったので、
もっともっとたくさんの感想が読みたいなーと思いました。








(12/23 13話放送後 追記)

13. ああ 信じてた

12話じゃなくて13話だけど!!
原作にもちゃんとあるシーンなんですけど、忘れてた!!完全に頭から抜け落ちてた!!こんなシーンあったよそういえば!!!なんで忘れてたんだ私は!!!むしろなんで忘れられたんだ……!!
心の準備もしてなくて完全に油断してたから思いっきりやられましたね……


あまりにひょいっと小野田くんを持ち上げるもんだから
エエエエエエエ ですよ……
そんな顔するの……ですよ……


そんな屈託のない笑顔でそんなまっすぐ小野田くんのこと見ちゃうわけ……
原作の今泉くんはそんな顔じゃないよ……
あとゴールする前に巻ちゃんにツッコミ入れるとこも……嬉しくってもうテンション上がっちゃって顔がにやけて隠しきれないうえに巻ちゃん先輩への懐き具合が出ちゃってるその感じ……
負けた…………
完敗だ……なんの勝負かわからないけど……原作は原作……ドラマはドラマだ………ドラマで実現し得る最高で最上の今泉だ………ありがとう……木村さんが今泉で本当に良かった……いい夢見れそう……おやすみなさい……

ドラマ『弱虫ペダル』のだめなとこぜんぶ言う

※ 最初に書いておきますが、これはドラペダの批判的感想に見せかけたただの個人的なドラペダ推し記事です。



12月22日(金)に最終回を迎えるドラマ『弱虫ペダル Season2』(通称ドラペダ)。
今この記事を見てくださっているということは、「ドラマ 弱虫ペダル 感想」などで検索された可能性が高いのではないかと思いますので、参考までに私が個人的に感じたドラペダのだめなとこを全部書きます。


1. 画面が安っぽく見える

背景の合成が多いのでどうしても安っぽく見えてしまうことがある。予算と人体の限界を感じる。

2. 画面が知らない人ばかり

舞台俳優中心のキャスティングのため、テレビや映画で活躍している役者さんがほとんどいない。
つまり大多数の人にとっては馴染みがなく、知らないアイドルグループを見ている時の「みんな同じ顔に見える」「どこがいいのが全然わからない」と同じような心理状態になる。

3. 演出が古い、あるいは子供っぽい

人物の周りに赤いオーラが出たりする。
その他、画面に台詞の一部が表示されたり、盛り上がってくるとテーマソングが流れるなど、前時代的、あるいは子供向けのような演出が多く見られ、仕事や家事に追われる現代人はそのテンションについていけず振り落とされることがある。

4. テレビ向きではない演技

舞台を中心に活躍されている役者さんが多いため、テレビサイズではない演技になることがある。仕事や家事に追われる現代人はそのテンションについていけず振り落とされることがある。

5. あきらかに高校生ではない人がいる

高校の自転車競技部の話なのに、部員の中に高校生に見えない人が割と多くいる。仕事や家事に追われる現代人は「あれ?この人自分と同い年くらいじゃね?」と思うことがある。

6. なんだか不自然な風貌の人がいる

髪の毛が緑色の人やアホ毛が強調されている人など、「現実にこんな人そうそうおらんやろ」な人が普通の顔でいる。たまたまテレビの前を通った人は二度見する。

7. お金を払わないと見られない

BSスカパー!」で放送しているため、スカパーに加入していないと見られない。環境によってはアンテナ設置まで必要になる。
よってちょっと興味があっても気軽には見られず、大抵の人は別にわざわざ加入手続きするほどの興味はないのでそのまま忘れる。









あとは……











……あとはー。












……そんなとこですかね。
そんなとこです。それくらいです。
それくらいしか思い浮かばないです。
むしろこれも相当しぼりだしてます。
ていうか内心これ「だめなとこ」だとも思ってないです。
正直タイトルつけてて心痛くなりました。関係者の方すみません。
だってドラマ『弱虫ペダル』は本当によくできているから!!!







どのくらいよくできているかというと、昨今における実写化七不思議


○ 謎のオリジナルキャラクター
○ 謎のオリジナルストーリー
○ 謎のオリジナル設定
○ 名前だけが生き残ってしまった別人
○ 消えた推しの推しどころ
○ なんの関連性もない主題歌
○ とにかく原作のいいところ皆無


これらのミステリーがひとつも生じていないんです。
謎なし!見ている途中の「?」「???」「?????」なし!!
「あいつどこいった?」「あれどうなった?」「え、今の何?」「は?」「こんなの○○じゃねーー!!!!」なし!!!
ストレスフリー!!
(※個人の感想です)





この作品のすごいところは、「原作を実写化する」、ただその一点に勝負をかけている点です。



原作を実写化する。
漫画の実写化作品なのだから当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、この作品ではそこに並々ならぬ情熱が注がれています。


キャラクターの再現。
自転車の再現。
ロケーションの再現。
走りの再現。
レース展開の再現。
ストーリーの再現。
これらをとらえる構図の再現。


漫画に描かれている事、物、すべてをこの3次元の現実世界で忠実に再現したい、そんな気概が画面の隅々にまで溢れているのです。




先程あげた「だめなとこ」(だめじゃないけど)は、その「忠実な実写化」のいわば弊害(害じゃないけど)です。
「マンガ」を2次元から3次元に引っ張り出す時に生じたノイズと時空のゆがみです。テレビサイズにはまらない、そこがいいんですよ。


だってほら!ジャニーズが実写化やったら「またジャニありきで原作選んだんだろ、そうじゃないだろ原作ありきでキャスト選べよ無名でもいいから〜〜〜〜〜〜!!!」って思うじゃないですか。あれを実際にやってるのがこのドラマです。
いや私はジャニオタなのでこの現象についても思うところあるんですけどそれは今は置いておいて。



テレビでほぼ無名の彼らは、今は全員同じような顔に見えるかもしれませんが、実はキャラクターを確実に召喚するために選ばれし精鋭たちなのです。


見た目、声、体力、運動神経、熱量。
すべてを兼ね備えていないと、この漫画のキャラクターは再現できません。
たとえばお腹から声が出せるかどうかとか、全力で自転車漕ぎながら叫んだりするこのドラマではものすごく重要なんです。
それを彼らはやってのけている。
もっと言うと、それをやってのけるような役者さんたちを、制作陣がきちんとキャスティングしている。


こんな感じで。

youtu.be



いやーーー委員長(メガネの女の子)、めっちゃ委員長。ちょっと「弱虫ペダル 委員長」でググってみてくださいよ……。
御堂筋くん(紫の人)なんてむちゃくちゃハマってるけど現役MEN’S NON-NOモデルさんですからね。本当によくこんな方見つけてきた……





これと同じようなことが役者以外にも言えます。
なんといっても自転車。
メーカーやモデル、カラー等々原作に忠実に、丹念に、全員分。
こんな感じで。

www.ysroad.co.jp



現場が原作を尊重してくださっている。
そしてそれを阻害しない環境がある。ここ大事……。





昨今の実写化七不思議は、いろんな事情があることと思うんですけど、
私はこのドラマが成功して、「原作に忠実に実写化することは、作品の成功につながるひとつの要因になりうる」という認識が少しでも広まってくれたらいいのになあと思っています。
だからたくさんの方に見ていただきたい……。




でも、きっと上記のようなところが気になって「引いちゃう」人も多いのではないかと思います。あとは推しキャラの役者が好みじゃないとかね。
それは仕方ないです。ドラマなんて我慢して見るものではない。




ただ、少しでも「興味はあるけど……」、と思ったら。
ぜひ、だめなとこにはちょっとだけ目をつむって、しばらく見続けてみてください。
もしかしたら、だんだん気にならなくなるかもしれません。そのうち慣れてくるかもしれません。愛着がわいてくるかもしれません。「推し」ができるかもしれません。主題歌が流れてくるだけでウルっとくるかもしれません。原作をポチっているかもしれません。キャストの名前をググっているかもしれません。「えっ、この人この役もやってるの!?」
ほら、もうそこは沼のほとり。
ようこそドラペダ沼へ。





ちなみにアンテナがなくてテレビで見られなくても、スカパーに加入できればネットのスカパーオンデマンドで全話見るという方法もありますので!ぜひ。
最終回が終わった後もしばらくは見られるのではないかと思います。





最後に、弱虫ペダルにもキャストにも自転車にも興味がないのに、ここまで読んでくださった方へ。


このドラマについて「原作ものである」という点を抜きにして見たとき、じゃあ他にどこが素晴らしいかというと、
「十数人のメインキャラクター全員に見せ場が用意されており、それを役者全員が誰一人として場を壊すことなく全身全霊をかけてまっとうしている」
ところだと思うのです。


これも何かのご縁なので、お時間と機会がありましたら、ぜひ。


www.bs-sptv.com




※追記
スカパーには2週間無料お試し体験というのもあるみたいですが、加入してまで…という方は、Season1がNetflixその他で配信されています。DVDレンタルもあります。
ただしSeason1はさらにクセが強いです、が、そのままSeason2まで見続けると役者の演技やこの実写化プロジェクト自体の成長をむちゃくちゃ堪能することができます。Season1の加入者数・視聴者数的成功あってのSeason2なので。数字大事……
GyaoのSeason1第1話は無料で見られます。
ドラマ「弱虫ペダル」 話数限定 第1話 アキバにタダで行けるから-動画[無料]|GYAO!|ドラマ

Season2もそのうちソフト化されると思いますので思い出したらお手にとってみてください…




ハイステ“勝者と敗者”DVD感想メモ


ハイステ“勝者と敗者”のDVDをようやく見ることができましたので、思わず巻き戻してしまったシーンなどの感想をメモします。
観劇時の感想はこちら。当時結局書ききれなかった思いも今回綴ります。
ところで「巻き戻し」ってもう死語なんですね。どうしよう。むしろ「DVD」もあれな感じ?え?まあいいや。





※最新作“進化の夏”は未見のため、おかしなことを書いていたらすみません。



開幕前のチューニング音

どこからともなく聞こえてくる音合わせの音。
はじめにこの音を聞かせるだけで、「今回のモチーフはオーケストラ」という情報と「演奏(試合)が始まる直前の静かな高揚」の双方を表現し、観客の気持ちを一気に試合会場へと引き込んでしまっているのが非常に効率よく、お見事。劇場では、開演前に流れていたアナウンス(インターハイ予選会場のアナウンスを模したもの)とも相まってさらに臨場感がありました。
ちなみに巻き戻したのは「ひょっとしてこのあとのオープニングで各自が演奏している楽器の音が出てるのでは!?」と思って確認しようとしたからなんですけど、まあ、ぜんっぜんわからなかったですね。



「“うちの連中は”」

迷ったー!!!菅原さんに関してはどのシーンについて書くかとても迷ったーー!!!
けど、今回はこれで。すみません、いきなりすごい最後の方のシーンの話になっちゃってます。順不同です。
菅原さんってめちゃくちゃいい先輩じゃないですか…?
今回見てて心底そう思いましたね……菅原さん本人に関わる改変あるいは解釈のせいというよりも、周辺の人物、たとえば及川さんの影山に対する「怯え」みたいなものがより濃く表現されていたがために、もう一人の三年生セッターである菅原さんの在りようもさらに色濃く浮かび上がってきていたというか。
及川さんが影山にかけている言葉と、菅原さんが影山にかけている言葉。
個人的には及川さんの方がリアルに思えるくらい、菅原さんは人としてできすぎててもう……己を省みてしまいますね……
そしてそんな菅原さんの「優しさ」と「矜持」をなんの違和感もなく両立させている猪野さんがすごい。



「ミスじゃないから 謝るな」

試合が終わった後、立ち上がれない日向をそっと抱きしめる大地さん。
今回の公演で最もハッとしたシーンです。
慈愛に満ちた背中だなあ、と思って。
原作の大地さんとは思いやりの種類が少し異なるかもしれないのですが、なぜかこの時「秋沢さんが舞台の上にいてくれて良かった」と感じたんですよね……不思議で貴重な瞬間でした。



おすわりのノヤっさん

「居酒屋おすわり」のシーンのノヤっさんです。
武田先生が話している時、みんなうつむき加減なんですけど、ノヤっさんは顔を上げてしっかり武田先生のことを見つめているんですよね。
話している人の目をまっすぐ見る。
誰よりも早く上を向く。
すごくノヤっさんらしいあり方で、橋本さんは最後の最後まで原作に忠実なノヤっさんでいてくれたなあと。どちらが正解とかはないけれど、やっぱり原作そのもののキャラクターが舞台上に”いる”と感じた時、シンプルに感動が湧き上がってくるのは確かです。



「隣の人が迷惑です」

そういった意味で、ここの影山のポケーっとした感じアニメの影山みがあってとてもよかった……感動した……研磨君の手に何かついてたけど……



国見ちゃん

永遠の国見ちゃんびいきなので、国見ちゃんが映るたびに巻き戻してました。有澤さん(184cm)が小さく見える青城ってすごくないですか?
観劇後に書きなぐったメモを見返してみたら、「国見ちゃん is セーラーマーキュリー」って最初のほうに書いてあって、メモの最後にもう一度「国見ちゃん is セーラーマーキュリー!」って書いてありました。何が言いたいねん。
ちょっとクラシックバレエっぽくて優雅でしなやかでスマートなダンスが国見ちゃんをはじめとした青城メンバーにぴったりで好きです。国見ちゃん is セーラーマーキュリー
青城って他校と違ってわかりやすいモチーフ(烏とか猫とか)がないので、ある意味拠り所がなくて高校のカラーを出すのって難しいんじゃないかと思っていたんです。
でも今回の青城はそこを逆手にとって「モチーフに頼る必要はない」と言わんばかりのチームを作り上げていて、奇をてらわない「正統感」みたいなものが出ててすごく好きでした。



「及川は優等ではあるが天才ではない」

原作の及川さんは普段フラフラーっとしてても試合中はずっしり体重が感じられるんですけど、演劇版の及川さんは原作よりも軽やかで、いろんな意味でふわふわしてるので、いつ糸が切れるかわからないような危うさがあったように思います。
そこが遊馬さんの演じる及川さんの魅力であり、だからこそ相棒である小波津さん演じる岩ちゃんの重量感も引き立っていました。しかめっ面で風船の糸を握りしめて立っている小学生男子みたいな。なんだそのたとえ。
オープニングではティンパニだったしそれぴったりだけど、その一方で岩ちゃんには青葉城西のコンマスであってほしい……ティンパニだけど……及川さんが指揮者ならコンサートマスターは岩ちゃんであってほしい……特に理由はないけど。なんですかね、ここでビシッと明確な理由言えたらかっこいいんですけどね。とにかく岩ちゃん is コンマス!国見ちゃん is セーラーマーキュリー!気持ちだけで乗り切る!!(私が)
キャストに青城の監督がいないという事情はあれど、及川は天才ではない、と岩ちゃんに言わせるこの脚本は的確なんだか、残酷なんだか。



オープニング

やっぱりこれは外せないですね。


○ 青葉城西高校
みんなが及川さんに跪き、及川さんが彼らを立ち上がらせ、後ろに原作及川さんの「信じてるよお前ら」の顔が映っているところが至高です。



○ 音駒高校
ここのアレンジ、金管の音色が気高く朗々と響いていて好きです。今回の水先案内人っぽい立ち位置にもよく合ってる。
本公演のもうひとつのモチーフである「風」を担っていた研磨君ですが、原作の研磨さんはそんな思わせぶりなこと1億円もらっても言わないだろうなと思いながらみてました。勝手なイメージですけど。ゲーム取り上げられたら言うかな……いやひょっとして言ってたか……?
というより、原作って比喩表現は豊富に出てくるんですけど、こういった抽象的というか、読者(観客)の想像力に委ねるような、何を指しているのかわからない可能性があるような比喩ってほとんどないんだなーと気づきました。
正直、今回の風がなんのことだったのか正しく理解できてる自信はないですが、ただ風というモチーフ自体は青葉城西のユニフォームやイメージによく似合っていて、相性も良かったと思います。布を使っていたところは菅原さんの台詞とも綺麗にかみあっていてとてもよかった。



○ 大人組
圧倒的鼓笛隊感。オープニングは大人組が一番かわいい。



○ 烏野高校
実は私、今回のオープニングにひとつだけ不満があって……
なぜ!烏野のところで全く新しいメロディを使うのかって!なんで今まで積み重ねてきた耳なじみのあるメロディじゃないんだって!!
わかるけど!新しいのも烏野っぽいけど!!
でも……!!青城パートはいつものメロディのアレンジなのに……!!
とか思って。
でもオープニング自体は好きだからやっぱりリピートするじゃないですか。
それでやっと今頃気づいたんですけど、あの烏野のパート、冒頭のハンドクラップとリズムが同じじゃないですか…!
タ・タ・タ・タ・ターンターン・タ
タ・タ・タ・タ・夕ー ンタ・ンタ・ンタってやつ。
あのクラップのリズムにメロディをつけたものだったんですね。
初演のオープニングで打ち込まれた「これから何かが始まる予感がする!」という期待感のかたまりみたいなあの音が、いま烏野が奏でる音楽の核になってるんだと思ったら、もう、和田さーん!!!!(作曲家)
なんかそれに気づいたらもう満足しちゃって一回「~完~」てなりましたね。
ちなみに上のタ連発のところひとつだけ漢字の「夕」を混ぜていますのでお時間のある方は探してみてください。
それにしても、編成はジャズっぽいけど曲調はエルクンバンチェロとかみたいなラテン音楽っぽい雰囲気もあるしでもベースはヒゲダンスでダンスはソイヤ!してて、いかにも烏野らしいガチャガチャした雑食な音楽ですごいですね。和田さーん!!!!!(天才作曲家)
登場してから後ろに「烏野高校」って出るまで、烏野メンバーが統一感のかけらもなくてんでバラバラに演奏してるのもカッコいい。劇中にも出てきた「完成されたハーモニー 無駄のないリズム きらびやかなメロディ これが青城の音楽だ!」に対する烏野の答えがこの音楽ですよね。とても対照的。
ノヤっさんソロのあと、後ろにメンバーの演奏姿のシルエットが流れてると思うんですけど、大地さんトロンボーン、菅原さんトランペット、旭さんサックス、田中さんギター、ノヤっさんベース、縁下さんシンバル、山口マラカス、月島キーボード、影山ドラム………ときて日向はボーカルなのかな?あの細長いのはマイクスタンド???
とりあえず月島ソロはただのピアノじゃなくていかにもな電子音出してたのが「デスヨネ!」って感じでした。烏野の理性はやっぱりキーボードしかもシンセやで……
あと影山がみんなと一緒にいてすごい楽しそうにドラム叩いてて嬉しい。今までは1人で王様背負ってたからなー、、、それも孤高って感じでかっこよかったけど、あんな生き生きとドラム叩かれたら思わず目を細めて飴ちゃんあげたくなってしまう。
それで最後に日向だけなんの楽器も持たずに踊ってるの、当時は特に気にならなかったけど、最近のジャンプを読んでからあらためて見たらなんか泣けて泣けて仕方なかったですね……この時の日向は何も持ってなかったんだって。本当に「ちょっとジャンプ力があって素早いだけの下手くそ」だったんだって思ったらもう……世の中にこんなに泣けるソイヤ!ソイヤ!があったのかっていう。なんかそれに気づいたらもう満足しちゃって一回「〜ソイヤ!〜」てなりましたね。
なんかふつーにソイヤ!って書いてますけど、あの日向たちがやってる両手をあげる動きってなんていうんですかね?一世風靡セピアがソイヤ!してるのしか思い浮かばなかったんですすみません。



「“ちゃんと皆強い”」

このシーン。
こんな顔してたんですねえ……これは絶対見たかったやつ……でも多分、客席に背を向けて仲間たちと向き合っているからこそのこの表情なんですよね……客席のほうを向いていてもこの顔はできたかもしれないけど、それだと違うんですよね……わかる……
影山だけが観客に背を向けて、観客は仲間たちの顔と彼の背中を見つめて。これってきっとオーケストラの立ち位置なんですよね。指揮者は、観客でもライバルでもなく、“うちの連中”と向き合っているのが正しい。
さらに、この影山の表情を引き出した先述の菅原さんの言葉「“うちの連中は”」。
実はさっきの項では具体的な感想書いてなかったんですけど、この言葉、原作と違って優しいトーンで問い掛けられているのが印象的でした。原作は影山の意識を引き戻すような、活を入れるような言い方だったと思うのですが、猪野さんの菅原さんはまるで影山の気持ちをふわっと咲かせるような言い方で、その呼び起こされた感情を大切そうにかみしめる影山の後ろ姿といったら。
このシーンはもはや原作とは少し意味合いが変わっていて、もし菅原さんが原作通りのトーンで声をかけていたら、この影山の反応は見られなかったのだと思います。
舞台上で彼らが実体と体の重みをもってキャラクターを存在させる時、そしてたとえば私がバックステージでの彼らの関係性の変遷を重ねて観てしまう時、このような原作とのトーンの違いは時として非常に大きな意味を持って私の胸を打ちます。原作とは違うニュアンスに行き着いた理由が、(決して演出上の都合だけではなく)役者自身の中に必ずあるはずだと勝手に思ってしまうから。そこに彼らがキャラクターを演じてくれた意義を感じ取るからです。
もう少し踏み込んで言えば、私はこのシーンに、初演時の最初のバレー練習で木村さんが怖くて及び腰になっていたらしい猪野さんと、なんでちゃんとやらないんだと不満に思っていたらしい木村さんをどこかで重ねて見てしまっているんだと思います。その出会ったばかりの頃にこのシーンを演じていたら、このようなニュアンスになっていただろうか、とか、多分無意識に考えてる。
キャラクターが辿ってきた道と劇団ハイキューのメンバーが辿ってきた道が交錯して、後でも先でもなく、交点が“あの一点”であったからこそ、あの表情がこぼれ落ちたのだと、多分、思ってしまってるんです。それは、あまりに酔いしれすぎた見方だとわかってはいるけれど。いるけれど!!!



特典映像で須賀健太さんから花束を受け取る前の木村達成さん

いや、特典映像で木村さんが映っているところはほぼほぼ巻き戻しましたよ。だってなんか映画みたいなシーンばっかりだったじゃないですか。舞台袖から出て行くシーンの逆光と背番号なんて、どこぞの監督が演出したんだよと思うくらい映えている。すごい……映像としてできすぎている……ファン??これを撮ったの影山くんが好きなたつなりファンの方ではありませんか??
いや、真面目に、メイキングスタッフさんありがとうございます……
余談ですけど、ハイステの袖から見る舞台上の映像って、すごく眩ゆいですよね…山口がウォーミングアップゾーンから見ていた景色ってこんな感じなのかなと思うし、『ガラスの仮面』で真澄さまが言ってた「舞台の上は虹の世界」っていうのめっちゃ頷けますね。
また話が逸れましたけど、その中で、他とはちょっと違う気持ちになったのがこのシーンで。
話が長くなりますが、私は初演DVDで木村さん演じる影山飛雄に魅了されて以来、他の役を演じる木村さんやイベントでの木村さん、あとはインタビューなどいくつか拝見したんですけど、結果として「この方完全予測不能だな」という感想を抱きました。全然わからん。
非連続で存在するというか、その場その場で印象がまったく違い、それぞれに適応した言動や表情が鮮やかに“ある”ので、「木村さんはこういう方」というイメージみたいなのがあまり作れなくて、何を見ても「あ、これ木村さんっぽいな〜」「木村さんらしいな〜」と感じる経験がほとんどなかったのです。
もちろん私が目にしたものが少ないというのは大きいと思いますが、それにしても面白い七変化。ご自身が自然に“そうである”ように見受けられるので、八方美人とか取り繕ったりしているというのとは全然違うのでしょうし。しかもその一方で裏には一個人としての明確な意志、ポリシーの存在をはっきりと感じますし。だけどそれがなんなのかはわからない。
木村さんにとって役を演じるというのも、この七変化の延長線上で、「〜になる」というより、「〜である」のつらなりなのかなあと思ったり思わなかったりしました。becomeじゃなくてbe動詞!
I am 影山!!
長くなりましたが、そんなわけで今回の特典映像も意外に感じたところばかりだったのです。
その中で、このシーン、大千秋楽の終演後ボロボロに泣いている木村さんが、須賀さんから名前を呼ばれて笑ったあとに発した言葉は、めずらしく「木村さんらしいな」、と、感じたのでここに記しておきます。

須賀さん:本当に……二年間ありがとうございました!
木村さん:(ゆっくりと頭を下げながら)こちらこそ。


……別に、ごく普通の、ありふれた、一般的なやりとりなんですけどね。
ただ同世代の気心知れた仲間に、謙遜も驕りもなく、対等に与えあった実感を込めてこんな言葉を返せることが、単純にかっこいいと思ったのかもしれません。






以上、厳選に厳選を重ねた感想メモでした。厳選しないと「やはばさんおもしろい」「やはばさんこっち向いて」みたいなのでいっぱいになっちゃうから。
それにしても一年半楽しかったなぁ。
ありがとうございました。
まだ見られてないけれど、影山さんの影山も楽しみです!!まさに影山 is 影山!
国見ちゃん is セーラーマーキュリー
岩ちゃん is コンマス
木村さん was 影山!!!
お疲れ様でした!解散!!!!!