王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

ハイステ“勝者と敗者”DVD感想メモ


ハイステ“勝者と敗者”のDVDをようやく見ることができましたので、思わず巻き戻してしまったシーンなどの感想をメモします。
観劇時の感想はこちら。当時結局書ききれなかった思いも今回綴ります。
ところで「巻き戻し」ってもう死語なんですね。どうしよう。むしろ「DVD」もあれな感じ?え?まあいいや。





※最新作“進化の夏”は未見のため、おかしなことを書いていたらすみません。



開幕前のチューニング音

どこからともなく聞こえてくる音合わせの音。
はじめにこの音を聞かせるだけで、「今回のモチーフはオーケストラ」という情報と「演奏(試合)が始まる直前の静かな高揚」の双方を表現し、観客の気持ちを一気に試合会場へと引き込んでしまっているのが非常に効率よく、お見事。劇場では、開演前に流れていたアナウンス(インターハイ予選会場のアナウンスを模したもの)とも相まってさらに臨場感がありました。
ちなみに巻き戻したのは「ひょっとしてこのあとのオープニングで各自が演奏している楽器の音が出てるのでは!?」と思って確認しようとしたからなんですけど、まあ、ぜんっぜんわからなかったですね。



「“うちの連中は”」

迷ったー!!!菅原さんに関してはどのシーンについて書くかとても迷ったーー!!!
けど、今回はこれで。すみません、いきなりすごい最後の方のシーンの話になっちゃってます。順不同です。
菅原さんってめちゃくちゃいい先輩じゃないですか…?
今回見てて心底そう思いましたね……菅原さん本人に関わる改変あるいは解釈のせいというよりも、周辺の人物、たとえば及川さんの影山に対する「怯え」みたいなものがより濃く表現されていたがために、もう一人の三年生セッターである菅原さんの在りようもさらに色濃く浮かび上がってきていたというか。
及川さんが影山にかけている言葉と、菅原さんが影山にかけている言葉。
個人的には及川さんの方がリアルに思えるくらい、菅原さんは人としてできすぎててもう……己を省みてしまいますね……
そしてそんな菅原さんの「優しさ」と「矜持」をなんの違和感もなく両立させている猪野さんがすごい。



「ミスじゃないから 謝るな」

試合が終わった後、立ち上がれない日向をそっと抱きしめる大地さん。
今回の公演で最もハッとしたシーンです。
慈愛に満ちた背中だなあ、と思って。
原作の大地さんとは思いやりの種類が少し異なるかもしれないのですが、なぜかこの時「秋沢さんが舞台の上にいてくれて良かった」と感じたんですよね……不思議で貴重な瞬間でした。



おすわりのノヤっさん

「居酒屋おすわり」のシーンのノヤっさんです。
武田先生が話している時、みんなうつむき加減なんですけど、ノヤっさんは顔を上げてしっかり武田先生のことを見つめているんですよね。
話している人の目をまっすぐ見る。
誰よりも早く上を向く。
すごくノヤっさんらしいあり方で、橋本さんは最後の最後まで原作に忠実なノヤっさんでいてくれたなあと。どちらが正解とかはないけれど、やっぱり原作そのもののキャラクターが舞台上に”いる”と感じた時、シンプルに感動が湧き上がってくるのは確かです。



「隣の人が迷惑です」

そういった意味で、ここの影山のポケーっとした感じアニメの影山みがあってとてもよかった……感動した……研磨君の手に何かついてたけど……



国見ちゃん

永遠の国見ちゃんびいきなので、国見ちゃんが映るたびに巻き戻してました。有澤さん(184cm)が小さく見える青城ってすごくないですか?
観劇後に書きなぐったメモを見返してみたら、「国見ちゃん is セーラーマーキュリー」って最初のほうに書いてあって、メモの最後にもう一度「国見ちゃん is セーラーマーキュリー!」って書いてありました。何が言いたいねん。
ちょっとクラシックバレエっぽくて優雅でしなやかでスマートなダンスが国見ちゃんをはじめとした青城メンバーにぴったりで好きです。国見ちゃん is セーラーマーキュリー
青城って他校と違ってわかりやすいモチーフ(烏とか猫とか)がないので、ある意味拠り所がなくて高校のカラーを出すのって難しいんじゃないかと思っていたんです。
でも今回の青城はそこを逆手にとって「モチーフに頼る必要はない」と言わんばかりのチームを作り上げていて、奇をてらわない「正統感」みたいなものが出ててすごく好きでした。



「及川は優等ではあるが天才ではない」

原作の及川さんは普段フラフラーっとしてても試合中はずっしり体重が感じられるんですけど、演劇版の及川さんは原作よりも軽やかで、いろんな意味でふわふわしてるので、いつ糸が切れるかわからないような危うさがあったように思います。
そこが遊馬さんの演じる及川さんの魅力であり、だからこそ相棒である小波津さん演じる岩ちゃんの重量感も引き立っていました。しかめっ面で風船の糸を握りしめて立っている小学生男子みたいな。なんだそのたとえ。
オープニングではティンパニだったしそれぴったりだけど、その一方で岩ちゃんには青葉城西のコンマスであってほしい……ティンパニだけど……及川さんが指揮者ならコンサートマスターは岩ちゃんであってほしい……特に理由はないけど。なんですかね、ここでビシッと明確な理由言えたらかっこいいんですけどね。とにかく岩ちゃん is コンマス!国見ちゃん is セーラーマーキュリー!気持ちだけで乗り切る!!(私が)
キャストに青城の監督がいないという事情はあれど、及川は天才ではない、と岩ちゃんに言わせるこの脚本は的確なんだか、残酷なんだか。



オープニング

やっぱりこれは外せないですね。


○ 青葉城西高校
みんなが及川さんに跪き、及川さんが彼らを立ち上がらせ、後ろに原作及川さんの「信じてるよお前ら」の顔が映っているところが至高です。



○ 音駒高校
ここのアレンジ、金管の音色が気高く朗々と響いていて好きです。今回の水先案内人っぽい立ち位置にもよく合ってる。
本公演のもうひとつのモチーフである「風」を担っていた研磨君ですが、原作の研磨さんはそんな思わせぶりなこと1億円もらっても言わないだろうなと思いながらみてました。勝手なイメージですけど。ゲーム取り上げられたら言うかな……いやひょっとして言ってたか……?
というより、原作って比喩表現は豊富に出てくるんですけど、こういった抽象的というか、読者(観客)の想像力に委ねるような、何を指しているのかわからない可能性があるような比喩ってほとんどないんだなーと気づきました。
正直、今回の風がなんのことだったのか正しく理解できてる自信はないですが、ただ風というモチーフ自体は青葉城西のユニフォームやイメージによく似合っていて、相性も良かったと思います。布を使っていたところは菅原さんの台詞とも綺麗にかみあっていてとてもよかった。



○ 大人組
圧倒的鼓笛隊感。オープニングは大人組が一番かわいい。



○ 烏野高校
実は私、今回のオープニングにひとつだけ不満があって……
なぜ!烏野のところで全く新しいメロディを使うのかって!なんで今まで積み重ねてきた耳なじみのあるメロディじゃないんだって!!
わかるけど!新しいのも烏野っぽいけど!!
でも……!!青城パートはいつものメロディのアレンジなのに……!!
とか思って。
でもオープニング自体は好きだからやっぱりリピートするじゃないですか。
それでやっと今頃気づいたんですけど、あの烏野のパート、冒頭のハンドクラップとリズムが同じじゃないですか…!
タ・タ・タ・タ・ターンターン・タ
タ・タ・タ・タ・夕ー ンタ・ンタ・ンタってやつ。
あのクラップのリズムにメロディをつけたものだったんですね。
初演のオープニングで打ち込まれた「これから何かが始まる予感がする!」という期待感のかたまりみたいなあの音が、いま烏野が奏でる音楽の核になってるんだと思ったら、もう、和田さーん!!!!(作曲家)
なんかそれに気づいたらもう満足しちゃって一回「~完~」てなりましたね。
ちなみに上のタ連発のところひとつだけ漢字の「夕」を混ぜていますのでお時間のある方は探してみてください。
それにしても、編成はジャズっぽいけど曲調はエルクンバンチェロとかみたいなラテン音楽っぽい雰囲気もあるしでもベースはヒゲダンスでダンスはソイヤ!してて、いかにも烏野らしいガチャガチャした雑食な音楽ですごいですね。和田さーん!!!!!(天才作曲家)
登場してから後ろに「烏野高校」って出るまで、烏野メンバーが統一感のかけらもなくてんでバラバラに演奏してるのもカッコいい。劇中にも出てきた「完成されたハーモニー 無駄のないリズム きらびやかなメロディ これが青城の音楽だ!」に対する烏野の答えがこの音楽ですよね。とても対照的。
ノヤっさんソロのあと、後ろにメンバーの演奏姿のシルエットが流れてると思うんですけど、大地さんトロンボーン、菅原さんトランペット、旭さんサックス、田中さんギター、ノヤっさんベース、縁下さんシンバル、山口マラカス、月島キーボード、影山ドラム………ときて日向はボーカルなのかな?あの細長いのはマイクスタンド???
とりあえず月島ソロはただのピアノじゃなくていかにもな電子音出してたのが「デスヨネ!」って感じでした。烏野の理性はやっぱりキーボードしかもシンセやで……
あと影山がみんなと一緒にいてすごい楽しそうにドラム叩いてて嬉しい。今までは1人で王様背負ってたからなー、、、それも孤高って感じでかっこよかったけど、あんな生き生きとドラム叩かれたら思わず目を細めて飴ちゃんあげたくなってしまう。
それで最後に日向だけなんの楽器も持たずに踊ってるの、当時は特に気にならなかったけど、最近のジャンプを読んでからあらためて見たらなんか泣けて泣けて仕方なかったですね……この時の日向は何も持ってなかったんだって。本当に「ちょっとジャンプ力があって素早いだけの下手くそ」だったんだって思ったらもう……世の中にこんなに泣けるソイヤ!ソイヤ!があったのかっていう。なんかそれに気づいたらもう満足しちゃって一回「〜ソイヤ!〜」てなりましたね。
なんかふつーにソイヤ!って書いてますけど、あの日向たちがやってる両手をあげる動きってなんていうんですかね?一世風靡セピアがソイヤ!してるのしか思い浮かばなかったんですすみません。



「“ちゃんと皆強い”」

このシーン。
こんな顔してたんですねえ……これは絶対見たかったやつ……でも多分、客席に背を向けて仲間たちと向き合っているからこそのこの表情なんですよね……客席のほうを向いていてもこの顔はできたかもしれないけど、それだと違うんですよね……わかる……
影山だけが観客に背を向けて、観客は仲間たちの顔と彼の背中を見つめて。これってきっとオーケストラの立ち位置なんですよね。指揮者は、観客でもライバルでもなく、“うちの連中”と向き合っているのが正しい。
さらに、この影山の表情を引き出した先述の菅原さんの言葉「“うちの連中は”」。
実はさっきの項では具体的な感想書いてなかったんですけど、この言葉、原作と違って優しいトーンで問い掛けられているのが印象的でした。原作は影山の意識を引き戻すような、活を入れるような言い方だったと思うのですが、猪野さんの菅原さんはまるで影山の気持ちをふわっと咲かせるような言い方で、その呼び起こされた感情を大切そうにかみしめる影山の後ろ姿といったら。
このシーンはもはや原作とは少し意味合いが変わっていて、もし菅原さんが原作通りのトーンで声をかけていたら、この影山の反応は見られなかったのだと思います。
舞台上で彼らが実体と体の重みをもってキャラクターを存在させる時、そしてたとえば私がバックステージでの彼らの関係性の変遷を重ねて観てしまう時、このような原作とのトーンの違いは時として非常に大きな意味を持って私の胸を打ちます。原作とは違うニュアンスに行き着いた理由が、(決して演出上の都合だけではなく)役者自身の中に必ずあるはずだと勝手に思ってしまうから。そこに彼らがキャラクターを演じてくれた意義を感じ取るからです。
もう少し踏み込んで言えば、私はこのシーンに、初演時の最初のバレー練習で木村さんが怖くて及び腰になっていたらしい猪野さんと、なんでちゃんとやらないんだと不満に思っていたらしい木村さんをどこかで重ねて見てしまっているんだと思います。その出会ったばかりの頃にこのシーンを演じていたら、このようなニュアンスになっていただろうか、とか、多分無意識に考えてる。
キャラクターが辿ってきた道と劇団ハイキューのメンバーが辿ってきた道が交錯して、後でも先でもなく、交点が“あの一点”であったからこそ、あの表情がこぼれ落ちたのだと、多分、思ってしまってるんです。それは、あまりに酔いしれすぎた見方だとわかってはいるけれど。いるけれど!!!



特典映像で須賀健太さんから花束を受け取る前の木村達成さん

いや、特典映像で木村さんが映っているところはほぼほぼ巻き戻しましたよ。だってなんか映画みたいなシーンばっかりだったじゃないですか。舞台袖から出て行くシーンの逆光と背番号なんて、どこぞの監督が演出したんだよと思うくらい映えている。すごい……映像としてできすぎている……ファン??これを撮ったの影山くんが好きなたつなりファンの方ではありませんか??
いや、真面目に、メイキングスタッフさんありがとうございます……
余談ですけど、ハイステの袖から見る舞台上の映像って、すごく眩ゆいですよね…山口がウォーミングアップゾーンから見ていた景色ってこんな感じなのかなと思うし、『ガラスの仮面』で真澄さまが言ってた「舞台の上は虹の世界」っていうのめっちゃ頷けますね。
また話が逸れましたけど、その中で、他とはちょっと違う気持ちになったのがこのシーンで。
話が長くなりますが、私は初演DVDで木村さん演じる影山飛雄に魅了されて以来、他の役を演じる木村さんやイベントでの木村さん、あとはインタビューなどいくつか拝見したんですけど、結果として「この方完全予測不能だな」という感想を抱きました。全然わからん。
非連続で存在するというか、その場その場で印象がまったく違い、それぞれに適応した言動や表情が鮮やかに“ある”ので、「木村さんはこういう方」というイメージみたいなのがあまり作れなくて、何を見ても「あ、これ木村さんっぽいな〜」「木村さんらしいな〜」と感じる経験がほとんどなかったのです。
もちろん私が目にしたものが少ないというのは大きいと思いますが、それにしても面白い七変化。ご自身が自然に“そうである”ように見受けられるので、八方美人とか取り繕ったりしているというのとは全然違うのでしょうし。しかもその一方で裏には一個人としての明確な意志、ポリシーの存在をはっきりと感じますし。だけどそれがなんなのかはわからない。
木村さんにとって役を演じるというのも、この七変化の延長線上で、「〜になる」というより、「〜である」のつらなりなのかなあと思ったり思わなかったりしました。becomeじゃなくてbe動詞!
I am 影山!!
長くなりましたが、そんなわけで今回の特典映像も意外に感じたところばかりだったのです。
その中で、このシーン、大千秋楽の終演後ボロボロに泣いている木村さんが、須賀さんから名前を呼ばれて笑ったあとに発した言葉は、めずらしく「木村さんらしいな」、と、感じたのでここに記しておきます。

須賀さん:本当に……二年間ありがとうございました!
木村さん:(ゆっくりと頭を下げながら)こちらこそ。


……別に、ごく普通の、ありふれた、一般的なやりとりなんですけどね。
ただ同世代の気心知れた仲間に、謙遜も驕りもなく、対等に与えあった実感を込めてこんな言葉を返せることが、単純にかっこいいと思ったのかもしれません。






以上、厳選に厳選を重ねた感想メモでした。厳選しないと「やはばさんおもしろい」「やはばさんこっち向いて」みたいなのでいっぱいになっちゃうから。
それにしても一年半楽しかったなぁ。
ありがとうございました。
まだ見られてないけれど、影山さんの影山も楽しみです!!まさに影山 is 影山!
国見ちゃん is セーラーマーキュリー
岩ちゃん is コンマス
木村さん was 影山!!!
お疲れ様でした!解散!!!!!