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王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

怒濤の巻頭カラー2時間半。─ ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!! 』“烏野、復活!”を観た(ネタバレなし)




やりたいことは全部やる、
立ってるものはネコでも使え、
アレしないとは言ってない!!


まさに“雑食”、なんでもござれ。



なんかすごいもん見た。








10月28日、ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』“烏野、復活!”を観てきました。
とりあえず第一弾の感想を書きます。ネタバレは極力避けたつもりです。
あらすじ等は公式サイトにて。




私にとっての初・生ハイステ、最高でした。



まずオープニングが…、かっこよすぎて…!!
そもそもオープニングの前も…、かっこよすぎて…!!
以下全部同じテンション。
・烏野が安定すぎて
・合宿が色んな方面にスゲーすぎて
・音駒がしなやかすぎて
・伊達工が鉄壁すぎて
青葉城西とマートさんが可愛すぎて
・演劇としての構成が綺麗に決まりすぎて
・とりあえずなんかあれこれやりすぎてて



ええもう、2時間半の間に色々なことがありました……
目を疑ったことも…耳を疑ったことも…



個人的に感じた前作との決定的な違いは、
前作の要所要所に存在していた「あっここ見せ場だな、力入ってるな」と思わせるレベルのシーンやギミックが
今作ではなんの出し惜しみもなく怒涛のように次から次へと繰り出されて、もはや最初から最後までずっとクライマックスになってるところ。


前作は見せ場がハマればいいけどハマらない観客はだいぶ居心地が悪いっていうところがあったと思うんですけど、今作はなんかもうどれかしら当たるだろコレか!?コレか!?じゃあコレは!?みたいな感じでバンバン見せ場投げてくるんであっハイ、うーん、あっいっすね、えっなんスかソレあっいいと思いまあっめっちゃいいっすえっあっ、ちょ、ちょっ、まっ…!みたいになって余計なこと考えらんなくなるんです。


え、「見せ場」ってそういうもんだっけ?
って思うんですけど、これをキャストさんスタッフさんが全部全力投球できちゃってるから、できるならやるよね、そりゃそうだわってなる。
特に音駒キャストのイメージ体現能力がすごい高くて、彼らがそれをもって「烏野の前に立ちはだかるチーム」としての説得力の具現化に成功したことで演劇ハイキューの可能性が一段上に引き上がったと思う。



そんでまた見せ場の「量」が規格外なら「質」というかやってること自体もほんとあっちゃこっちゃしてて、固定概念ぶっこわせっつって色んなところのジャンルやカテゴリの壁をガンガン叩いて回ってましたね。
須賀健太になんのスキル求めてんだよって思いました。好きです。
なんでもアリすぎて「あれ?これ笑っていいとこ?」って観客の戸惑いみたいなのすら舞台にのみこむ懐の深さが生まれてる。
伊達工はその極みで、手段を問わない演出のもとにスタッフとキャストが総力を結集して舞台上のチームのカラーを作り上げてる感じがあります。伊達工キャストの中にはある種の壁を取っ払うことに抵抗があった人もいるかもしれないと思いましたが、ここを迷いなく、躊躇なく、思いっきりやってくれていて観ていてスカッとしました。あれはすごい。



もうひとつ感心したのが、舞台から放出されてるものすごい「熱量」、これが「若さ」ではなく「手練れ」によるものであること。
もちろん若いからこそあんなに動き回れるっていうのはあるんですけど、あれ、若さとかがむしゃらさとか勢いで出せるやつじゃないです。
綿密な演出プランのもとに舞台上の役者が頭と身体を使って生み出してる計画的な犯行。一見押せ押せでやってるように見えるけど、烏野キャストが「引くところはかなり引いてる」のとかすごいな、若いし主役校なのにそんなことできるんだなって思います。役者が立つことじゃなくて、演劇としてのバランスを第一に考えてみんなが動いてる。



そんな手練れ集団の中で、一人だけわかりやすく未熟さを身に纏っている人がいました。
松田裕さんです。
常波高校の池尻隼人を演じる彼は、あきらかに主役級のオーラではないのに一人で場違いなスポットを浴びていて、なんて、なんて勇気のいる佇まいなんだろうと思いました。
まるで素人が舞台に上がってきてしまったような、意図的な未熟さ。巧く見せることを禁じられた人。
彼が出てくるたびに空気はグラッといびつになって、舞台上でこんな役割を担うって、どれだけ恐ろしいことだろう。
会見でのコメントを見て、彼が背負っているものの大きさを知りました。


◼︎ 松田裕 池尻隼人役
タイトルが“烏野、復活!”なので、烏野がどのような出会いと経験を経て復活するのかがもちろん描かれますが、裏に隠されたもう一つの側面があります。スポーツは勝ち負けですので、烏野が復活するということはどのような人たちが存在するのか、という面にも注目してもらえたらうれしいです。

シアターガイドより



“タイトルの裏側”にある、池尻隼人という存在。
その役割を全うする覚悟がうかがえて、とてもいい役者さんだなと思いました。
未熟さを「表現する」という点において、彼の演技はまだまだ進化しそうな気がします。





今作も前作再演に引き続きライブカメラが使われてるんですが、これに新たなセットの仕掛けが加わったことでかなり明確に漫画の「コマ」の概念が導入されています。
今回役者さん29人いるらしくて舞台上もかなりごちゃごちゃしてるんですけど、対象を囲むことによる観客の注目の限定と、大写しにすることによるインパクトの増幅とで、あの人数とやってることにしてはだいぶ情報のトラフィックがコントロールされてるように思います。視線を誘導するギミック的な工夫もたくさんあって、基本的な立ち位置や照明もバリエーション持たせつつ見やすい。
ただ、どうしても原作を知らない人が見たら「バレーボールの試合として何が起きてるのか」がわかりにくいところもあるだろうなーとは思いました。日向の囮のとことか、もっと行ける気がする!





そして同じく漫画の舞台化という点で面白いと思ったのは、普通に「ストーリー」を追うということに加えて、原作を「イメージ」レベルで立体化しようとしてるように感じたこと。漫画の物語部分だけじゃなくて、ジャンプの表紙とかコミックスの装丁とか扉絵とかそういうのもひっくるめてぜんぶえいやっ!で二次元から引っ張り出そうとしてるというか。
あの巻頭カラーカッコいいんでまるごと演劇でやっちまいました!!!みたいなノリ。
一休さんが縄持って「屏風から虎を追い出してください」っていうとんちあるけど、ヤベーほんとに虎出てきたみたいな。2時間半、その驚きの連続です。
原作の持つイメージカットや比喩的表現、台詞の字面の力が無視できないくらい「あまりにも強い」っていうのが多分にあると思うんですけど、漫画的なイマジネーションと演劇的なイマジネーションがぶつかりあってなんかすごいもんが生まれようとしてて、こんな前次元的な舞台化がありえるんだ…!って…!!ジャンルを超えた融合とクリエイション…!(それっぽいカタカナ使いたいだけ…!)


その立体化の手段として、役者、セット、照明映像とかの目から入ってくる情報はもちろんなんですけど、知らないうちに耳から入ってくる音響がめっちゃ効果的で良かったです。
音楽は相変わらず全力で素晴らしかったけど、それにのるSE(効果音)がほんとうに効いてた。聴覚刺激は漫画にないものだし、音楽に乗って煽ってくるSEはアニメでもそんなにないと思うので、かなり演劇版ならではの見どころ(体感しどころ)だと思います。
嗅覚も使うからほんとにこの舞台は五感に畳み掛けてくる。






(これでもしぼって)いろいろ書いたんですけど、実は具体的なことはあんまりよく覚えてなくて、「なんかすごいもの見たな」という感覚だけが残っています。
ただひとつだけ今でもふっとよぎる光景があって、観てる時強烈に感じたわけでもないのにどうしてこれが目に焼き付いたんだろう。じわじわと思い起こされる、











…影山の足。










いや変態かよ!











ってそうじゃなくて、


なんかおかしな角度に曲がった、仰向けの影山の足






あんなのもう、動けないのでは…?














ああ、「堕ちた」ってそういうことだ。
「飛べない」って、そういうことだ。





“堕ちた強豪”
“飛べない烏”


この異名が何を意味するのか、こう呼ばれるということが一体どういうことなのか、影山の体勢と目から滲み出ていた気がします。
私は今までこの言葉の持つ本当の残酷さに気付けなかった。




“烏野、復活!”
というタイトルの裏側にあるもの、
そしてタイトル以前にあるものがこの舞台を支えていて、
それがあるからこそあの「熱量」が舞台上にとどまるんじゃなくて客席に届くんだろうなあと思いました。




役者さんの話やオープニングのかっこよさは、別のエントリーで密かに書きます。
ハイステだけで何万字書くんだ。