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映画『ラストマイル』感想

映画『ラストマイル』を観ました。
前情報ほぼなしで臨んだんですけど、あとからこの作品は「ビールとポップコーンが合う映画」を目標に始まったと知って「制作陣、鬼か」と思いました。
以下、ネタバレありの感想です。




[目次]


 
 
 

1. 筆者のバックグラウンド

観る人のバックグラウンドによって作品の解像度がだいぶ違ってくると思うので、「この状態で観ました」というのを開示します。


・普段ドラマや映画はあまり観ない。最近『虎に翼』と『アンメット』と『光る君へ』を観たがドラマ複数視聴は珍しい。甲斐性がないためだいたいのドラマは完走できない。

・好きな俳優さん(木村達成さん)が舞台作品を中心に活動しているため、いつもはどちらかといえば舞台界隈に生息している。

・たぶん7年ぶりに映画館で映画を観た。子供が生まれてからずっと行けなかったが木村達成さんがここ1年間舞台作品をお休みされていたので最近あまり外出機会がなく、映画を見る余裕ができた。

・観た理由:野木亜紀子さん、岡田将生さんに惹かれて。

・野木作品履修状況:岡田准一さんのファンなので映画『図書館戦争』シリーズで野木さんを認識。『掟上今日子の備忘録』『逃げるは恥だが役に立つ』で「この方の原作ものなら安心して観られる」、『アンナチュラル』『MIU404』で「この方は本当にすごい」との認識。

岡田将生さん作品履修状況:色々お見かけしてはいたがドラマだと『掟上今日子の備忘録』『昭和元禄落語心中』で「この方すっごいな」、『虎に翼』で「チャーミングな方だな」との認識。素がどんな方なのかとかは全然存じ上げない。

・シェアードユニバース的な履修状況:『アンナチュラル』はリアルタイムでは観ておらず、いつかの再放送で完走。『MIU404』リアルタイムで完走。どちらも「やばい、すごい」との認識。体力が持っていかれるので複数周回はできていない。現実で何かあるとドラマを思い出すことがある。

・物流業界、アンナチュラル界隈、MIU404界隈で働いたことはない。「絶対に止めてはいけない」界隈に従事しているので「絶対に止められない」あの感覚はすごくわかる。わかりたくないが。

・事前情報をシャットアウトして映画を観たので、物流業界の話であるということも知らなかった。

・米津玄師の歌は好き。


作品や出演者さんスタッフさんの濃いファンだったり、映画ファンだったり、物流等関連界隈だったりではないので、解像度はだいぶ低い自覚があります。

その中で、個人的に考え込んだ点について感想を書きます。

ひとつ、岡田将生さんの役の「薄さ」について。
ひとつ、「あなたの番」について。
ひとつ、米津玄師さん『がらくた』の役割について。
ひとつ、彼女はなぜ死ななければいけなかったのか。
ひとつ、私たちの役割について。



感想というか、個人的な考え事です。




2. 岡田将生さんの役の「薄さ」について

物覚えが悪いので、最初に配達員さん親子を観た時「あれ、この人うのしょうへいだよね……?と、ひのしょうへい……?え?Wしょうへい?合ってる?」と混乱しました。
エンドロールを見て実際に「ポケットモンスター火野正平宇野祥平」状態だったと知って安心しました。火野正平さん、自転車の「こころ旅」が中止になった覚えがあったので心配していたけれど、お元気そうで何よりでした。
この親子と安藤玉恵さん扮するシングルマザーの家庭が確かな筆致で描かれていたことが、野木さんの「優しさ」であり「社会への愛」であり、この作品の良心だよなあと思う。逆にいえば救いがほぼここにしかなくて、彼らすら人質に取ったかのような翻弄のさせ方はだいぶ心臓に悪かったです。小さい子をベランダに一人で行かせないで……!


舟渡エレナ役の満島ひかりさん。
めちゃくちゃ上手い方だな……と思って観てました。JTCの優秀な女性って本当にこんな感じの方いるなって。DAILY FAST(デリファス)はJTCじゃないけど。
特に岡田将生に詰められて「私がどうしてここまで……っ!!」って一瞬泣きそうになる→でも泣かないのとこ最高に解像度高かったです。8Kかと思った。以前『虎に翼』の感想で寅子が穂高先生に泣いて食ってかかったことについて「こんなところで感情的になったら!!!『これだから女は』って言われる!!!」みたいな感想書いたんですけど、エレナはそれと正反対で「ほんとこれ!!!!」ってなりました。一瞬の顔の歪みで「泣く!?」と思わせてからの瞬時に涙と感情引っ込め仕草、本当にそれだった。そうやって生きてきたんだろうなって……男性や男性社会で生きる女性に「めんどくさい」と思われたら終わり、みたいな。あのシーンだけでこの映画観て良かったなって思ったんですけど、箱開けたら爆発するってなった時の演技もすごかった。
あとその「女性の感情の綻び」みたいなとこだけじゃなくて、ブルドーザーみたいに仕事する姿にスケールの大きさがあって「物流を動かす女」って感じでかっこよかったです。この物流の「圧倒的量の力」に太刀打ちできる若い俳優さん、滅多にいなさそう。「女傑」って感じで、女性はこれくらい優秀じゃないと男性と並べないよね感があって絶望的でよかった。


それに比べて、ですよ。
岡田将生さん演じる梨本孔の役の薄さにびっくりしました。複雑な過去もない、トラウマもない、目立った活躍もない、いわゆる「癖(ヘキ)」に刺さるようなところがほとんどない。
あれ?岡田将生の役、どんな人物だったっけ……?元サッカー部って嘘をついて、元ブラック企業勤めのホワイトハッカーで……マック食べてた。あ、じゃがりこも食べてた。あとは……なんだっけ?あ、次のセンター長に任命されてた……?
これ、あのヘキ量産ヤーの野木さんが無自覚にそんな人物を描くわけもなく、まして岡田将生さんや塚原あゆ子監督の力不足でキャラが立ってないわけもなくて。
あえて印象に残らないように、のっぺらぼうになるように梨本孔という人物が作り込まれている。まるで名無しもと権兵衛、そこにぽっかり空いた孔のように。
「次はあなたの番」、その「あなた」に嵌るのは梨本孔でも梨本孔じゃなくても、別に誰でもよかったんだと思いました。それこそ私でも、という。丸くくり抜かれた梨本孔の顔出しパネルから顔を出す私。次は私の番かもしれない。
それならこの役を演じるのは岡田将生じゃなくてもよかったんか?というと全然そんなわけなくて、こんな朧な役なのに満島ひかりのエレナの横にピカーンと並べ立てる人なんて岡田将生さんくらいしかおらんのよ!!!!!エレナと同等の存在感を発揮しつつ存在感のない人物を演じるという謎の技術!!!!テクい!!!!!
この二人、特にバディっぽくなってるわけでもなく、ついでに恋愛に発展することもないのがすごくよかったです。筧まりか役の仁村紗和さんもそうなんですけど、女性陣や彼女たちに対する男性陣が余計な色香を出していないのがすごく観やすくて好きでした。
岡田将生さんにヘキを盛らなかった制作陣からのお詫びです」と言わんばかりに梨本孔が一瞬メガネかけてたのが面白かったです。ありがとうございます。かっこいい。


岡田将生じゃなくても良さそうなのに岡田将生ほどの力量がないと演れない梨本孔とは逆に、いかにもディーンさんぽい役をそのままディーンさんが演っていたのも良かったです。これはディーンさんでしょう!と満場一致で決まりそうな役をディーンさんが演ってる気持ち良さってありますよね。


3.「あなたの番」について

作品中で「次はあなたの番」的な台詞が出てくるたびに「あれ、なんかそういうのあったよな、なんだっけ」とずっと思ってたんですが、思い出しました、『進撃の巨人』だ!!!!最初『あなたの番です』ってドラマあったよなー、でも一回も見たことないしな……とか思ってたんですけど、進撃だった。私のボキャブラリーは半分ハイキュー、半分進撃でできているので最終的に全てがそこへ繋がっていきます。


ハンジさんがサネスに言われてずっと気にしていた台詞。「こういう役には多分順番がある…」「役を降りても…誰かがすぐに代わりを演じ始める」「がんばれよ…ハンジ…」
この言葉はハンジさんにずっとまとわりついていて、後半で言うんです、「たぶん順番が来たんだ」と。
自分はずっと変わらない信念のもと歩いてきたつもりなのに、ある日見える景色がドラスティックに変わることがある。当事者にならなければ見えずにすんだのに。意味不明だったものに急に意味が宿る時がある、きっと梨本孔も実感を込めて山崎佑の書き遺しを見る時が来る。こういうのは順番で、ベルトコンベアのようにぐるぐると回っていて止められない。
となった時に、ここから「降りた」エレナはすごいなあと。物流を止めて上に要求を突きつけそれを飲ませたエレナはたぶん、「ベルトコンベアを止めた」んじゃなくて「ベルトコンベアから降りた」んだと思うんですよね。一方で梨本孔はまだベルトコンベアの上に乗ってる。いつか順番が来る。あなたはどうする?
これ怖いのは、「メディカル便が届かない」という騒動を通して、実際に物流が止まった先に「人の命が止まる」ことがありうる、それも大量に、ということを身をもって感じてしまったことなんですよね。
山崎佑がやったことはそういうことで、「おれの命とその他大勢の何人もの命、どっちをとる?」とやられたディーン・フジオカがベルトコンベアを動かそうとするのは、狂ってるように見えるけど自明といえば自明なんですよね。センター長が背負っているものはそういうもので。常にトロッコ問題のようなものを突きつけられ続けて、株価だけじゃないもっと大きな何かに常に脅迫されている、そういう仕事に従事する人々がいるんですよね……私の番が来たら、私は選ばなければいけない、人間性を捨てたように見られても。



4. 米津玄師さん『がらくた』の役割について

『がらくた』を最初エンドロールで聞いた時、「ずいぶん優しい曲調の歌だな」と思いました。アンナチュラルの「夢ならばどれほどよかったでしょう」以外に言えることあるか!?!?みたいな物語ドンピシャな重なり方でもなければ、MIU404のこれ以上この二人を言い表すのに適切な言葉選びあるか!?!?みたいな関係性ドンピシャな重なり方でもない。
ただ、誰かが掛け直してくれる毛布のように、そっと優しく寄り添っている。
最後に「(正確には忘れてしまったんですが)つらい時はしかるべきところを頼ってね」みたいなメッセージを見た時、この歌は、このメッセージとともに作品のセーフティネットとして機能しているんだ、と思いました。
一緒にずーんと絶望するのでもなく、関係性に萌えるのでもなく、「この作品を見た人は、どうか、どうか生きて」と優しく守ろうとしてくれている。
飛ばないように、飛んでも無駄なように吹き抜けにネットを張って私たちを間接的に包み込んでくれている。


そして、あえて言うなら、この歌は筧まりかが「山崎佑が飛ぶ前に伝えられたら良かった」と死ぬほど後悔したであろうメッセージが込められているんだ、と思いました。
筧まりかは、山崎佑のあとを追ったとかじゃないんですよね。山崎佑はまだ生きているから。「待ってて、私もそっちへ行くからね」じゃない。それがすごく特殊だなと思っていて、それでも「死んでしまった」のはなぜなのかなと考えると、これは本人が言っていた通り「私の罪を贖った」ということなのかもしれなくて。「世界は罪を贖え、私も罪を贖う。」筧まりかは恋人の自死を止められなかった自分をどれだけ責めただろうか、と思います。理由が自分との結婚だとしても、そうじゃなくて仕事のせいだったとしても、どっちにしたって自分はそれを止められたんじゃないか?と、何度も何度も頭を壁に打ちつけたのだろうと思っていて。
でも、どうでしょう。
たとえば友人の、Am○zonとかの正社員で、自分なんかよりよっぽどたくさんお給料をもらっていて、優秀で、中村倫也の容姿を持っていて、超美人な婚約者のいる人が、「おれ、ブラックフライデーがこわいんだよね」と言い出した時。「いやそれいうなら私の方が悲惨よ〜!!」と言い出さずにちゃんと話を聴けるだろうか?
私は、この作品にある「感情移入の難しさ」は、山崎佑、筧まりか、舟渡エレナ、梨本孔のメイン4人が「どちらかというと搾取する側」の人間であることが要因であると思っていて。
作り手側が意図的に、観る側がこの作品にスッと感情移入することを拒んでいる。アンナチュラルの坪倉さんの回みたいに「ああああああああああーーーーーーー」とわかりやすく感情移入させてくれないようになっている。
「どちらかといえば恵まれている側の人たちの悲劇」という、ものすごく難しいところに手を伸ばしているんじゃないかと。
アンナチュラルの坪倉さんや今回の配達員さん親子、シングルマザーの家庭のように、わかりやすく「上の人たち」から搾取されているのではない、貧困ギリギリのところであえいでいるわけでもない、なのに抽象的な概念に「勝手に」追い詰められているようにも見える「ホワイトカラー層」の人たちをあえて中心に据えて描くことで、そこにある闇にスポットライトを当てている。彼ら、彼女らは、優秀で恵まれているように見えるのに、一体何に苦しんでいるんだろうね?と。それを見て見ぬ振りしては、この国の病巣に対峙することはできない、と言うように。


そういう、優秀な人たちが抱える闇がある、ということを、この映画で指摘されて初めて気付かされました。そして「確かにそういうものがある、私もそばで見たことがある気がする」と思いました。
山崎佑の家で伊吹が「いい服着てるじゃーん俺の趣味じゃないけどー」みたいなことを言っていたのが妙に印象に残っていて。
それなりに経済的に困っていないはずの層の労働者が、それでも追い詰められてしまっている、そこを「恵まれているのに」とか思ったりしないで直視しないと、彼ら彼女らが回している社会のこと、良くしたりなんてできないのかな、と思いました。


話を元に戻すと、『がらくた』は、はたから見たらがらくた扱いなんてされるはずのない人たちが、自分ががらくたになる恐怖と背中合わせで生きていることにスポットライトを当ててケアしている歌、という印象でした。だから、本当は歌の前に、山崎佑の身近な人がそういう声掛けができたらよかったのかなって、それを筧まりかは一生後悔して、罪を贖おうとしたのかなと。


5. 彼女はなぜ死ななければいけなかったのか

でもなんで死ぬまでいかなきゃいけなかったのという話で、またこれが「どちらかといえば恵まれている側の人たちの悲劇」であるということに立脚していて。
恵まれている人たちは、死ななきゃ死ぬほど悩んでるって認めてもらえないんですよね。
本当に死んでようやく「見上げた根性だな」と認めてもらえる。
家の状態とか、精神状態とか、「どうしてこんなになるまで黙ってたの」って状況があると思うんですけど、実際に壊れなきゃ、「壊れそう」ってこと、証明できないんですよね。「壊れる前」に助けを求めても、壊れてないから見過ごされてしまう。
だから、「つらい時はしかるべきところを頼ってね」が実行できたとしても、壊れる前、死ぬ前だったらまともにとりあってもらえない可能性がめちゃくちゃ高くて。
でも、それでも、実際に壊れたり死んだりして証明してはいけないし、まして壊れさせたり死なせたりして証明させる社会のままではいけないよね、という気持ちがこの映画にはあるような気がして。


6. 私たちの役割について

だから、飛ばない飛ばせないために、私たちが意識できることは、「しかるべきところ」につなぐためのラストマイルになるということではないかと思っていて。
きっと声は上げてるケースの方が多いはずなんです。でも、「しかるべきところ」のはずの産業医だったり、メンタルクリニックだったり、役所だったり相談所だったりが「大丈夫そうだから」と向こうからつながりを切ってくることもきっと多くて、その繰り返しで疲弊してしまう。
誰かが、自分が壊れてしまうと自覚している人のラストマイルを繋げられないか、たとえば相手の言うことを全部信じて話を聴くとか、通院可能な範囲のメンタルクリニックのリストを作って片っ端から予約の電話をしてみるとか、使えそうな公的支援をピックアップして役所の担当部署に繋ぐとか、ケースによっては知り合いの弁護士や自治体議員に繋げないかとか、なんかそういう試行錯誤を相手が壊れる前にSOSを信じてできたらいいよね、と……いやもちろん、死ぬ気もないのに死にたいって言い続ける人もいるかもしれなくて、そういうテイカーに搾取されてはいけないんですけど、でもなんかそういう意識くらいはできるかなと思ったりしました。


死ぬほど苦しい、生きているのが申し訳ない、消えてしまいたい、このままでは自分が何をしでかすかわからない、
そう言ってきた人が本当に「そう」なのかを本人に証明させてはいけない、
たとえその人が笑っていても、小綺麗な身なりをしていても、メイクがばっちりでも、ふざけているように見えても、恵まれているように見えても、
それが最後のその人のぎりぎりかもしれない。


あと一歩でなんの役にも立たなくなって、生きる資格がなくなると思っている人に、
なんの役にも立たなくていいから、全部やめていいから、まずは生きていてほしいと、
そう伝えられるような社会の仕組みになっていたら。
と、映画を観て、『がらくた』を聴いて考えていました。


例えばあなたがずっと壊れていても
二度と戻りはしなくても
構わないから
僕のそばで生きていてよ


「生きていてよ」、
山崎佑と筧まりかには「間に合わなかった」言葉だけど、米津さんが発することで「間に合う」人たちがきっといるのだと思います。
祈りに似たこの気持ちこそ、『アンナチュラル』『MIU404』に続く物語の核のひとつであると思いました。