王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

SLAPSTICKSを待つ日記、と、観た感想

KERA CROSS第四弾『SLAPSTICKS』を観ました。


情報解禁時からリアルタイムで更新しようと思って「SLAPSTICKSを楽しみに待つ日記」的なのを書き始めていたのですが、結局アップすることなく初日を迎えたので、ひとつの記事にしました。
感想は後半に飛んでください。
※ネタバレしています。



前半:待つ日記(自分語り)
後半:初日の感想






SLAPSTICKSを待つ日記



2021年12月からの舞台『SLAPSTICKS』をドキドキワクワク戦々兢々としながら待つ日記です。
ネタバレツイートになるといけないのでこちらに書いています。
2003年公演版などのネタバレをしています。
木村さんのファンとしての感想よりも自分語りが多いです。




2021年9月22日
KERA CROSS 第四弾『SLAPSTICKS』の情報が解禁されました。
なんと主人公のビリー役に木村達成さん……!!!!



KERA CROSS第四弾の演出がロロの三浦直之さんであるという話は以前すでに発表されていて(2019年7月31日解禁)、
当時ちょうど木村さんが2018年の『ぼく明日』に続き『逃げ恥』にも出演するということがわかったばかりだったので(2019年6月27日解禁)、
「おおおこれは三浦さん&東宝さんとのご縁が続いているから、もしや木村さんがKERA CROSSに出演したりする…!?!?」と一瞬思ったりしたけど、「いやないか…」と即座に思い直したのでした。
なんかケラさん作品に出てきそうなイメージがなかったので……
なのでまさかのまさかだった。


でもそもそも当時の私にはケラ作品と三浦さんというのも全然結びつかなくて、「そうなの!?なんで!?」と思っていた上に、よくよく振り返ってみたらケラさんの作品はフローズンビーチ再演以来劇場で観ていないっぽくて(去年コロナ禍の配信は見たけど)、私はただただ単純にケラさんのことも三浦さんのことも何も知らないだけなのだった。


なぜほとんど見られていないくせに謎にケラさん作品に思い入れが強いかというと、その劇団ナイロン100℃フローズン・ビーチ』再演が私が初めて劇場で観た演劇作品だったからである。
もうだいぶ記憶があやふやなのだけど、新宿紀伊國屋ホールで人の業に圧倒され、「フニクリ・フニクラ」にのまれてケラさんのサイン本を買って帰ったおぼえがある。本をバッグに入れた時のあの宝物を手に入れたような感覚だけはすごく覚えている。
「人の業」そのものにというより、紙に書かれた「人の業」が舞台の上で何回も何回も繰り返し再現されているらしい、という事実に驚いたのかもしれない。なんかそんな気がする。


その後体調を崩したので結局生の演劇というものにはあまり触れてこられなかった。
にもかかわらず、私は生まれて初めて観たケラさんの作品を親だと思って生きてきてしまったので、その方の脚本の作品に現在好きな役者さんである木村さんが出ると聞いて驚きとわくわくが止まらないのです。



9月某日
さっそくDVDで2003年版『SLAPSTICKS』を観ました。
いやこれ、本当にこのキャストでやるの!?大丈夫!?!
東宝ミュージカルキャスト×シアタークリエ×ロマンティック・コメディのつもりの頭で見ると大混乱する。思ってるようなロマンティックはもらえない。なんかすごい。「大丈夫!?」っていうのは演出・キャストと作品のミスマッチを危惧しているのではなくて、キャストの布陣から観客が想像するものと実際の作品のギャップが大きそうという意味です。


昔映像で『ウチハソバヤジャナイ』とかの初期のナイロン作品を観たんだけど、その時と同じような感覚でした。
不条理、ナンセンス、ブラックジョーク、この物語はどこへ向かっているのか、どこにも向かっていないのか、「どうしよう、よくわからない…」と思う感じ。
と思ったら初演『SLAPSTICKS』はフローズンビーチより前のまさにナイロン初期の頃の作品でびっくり、そうなのかー!と。


あとこの作品はケラさんやナイロンやナイロンの役者さんというコンテクストの中にあるからこそより笑えたり泣けたりするのではないか…?と思ったので、これを東宝、クリエの文脈に移植するの大変そう…!と思いました。だからこそ面白いのですよね。どうなるか全然予想がつかない、本当に楽しみ。


三浦さんがコメントで
KERAさんのサイレントコメディに対する偏愛の物語でもあるとおもっています」
とおっしゃっていたのと、
あと2003年版のDVDの特典映像でケラさんが
「すごく個人的な作品」とおっしゃっていたのがすごくわかる気がしました。
この作品はケラさんの愛するサイレントコメディのお話で、要所要所で当時の映画の映像(本物)を流してくれるんだけど、
これって私がカミセンの物語を書いて私物のカミセンのMステ映像を流すようなものかもしれないと思うと(思うな)、ケラさん以外の人が演出するの無理じゃない!?って思ってしまうんですよね 同じくらいサイレントコメディを愛する人じゃないと難しくない!?と。
ちなみにカミセンとはV6の森田さん三宅さん岡田さんの3人組のことです。私はV6ファンで岡田さん担で特にカミセンを偏愛しています。
そのカミセンへの思いを戯曲にして当時の映像もみんなに見せて…ってやることを想像すると本当にめちゃくちゃ偏愛の物語だし個人的な作品なんですよね それを「V6は知ってるけどカミセン……とは……?」みたいな若い方々に任せられるだろうかって話ですよ。でもそうか、「カミセン全然知らなかったですけど過去の映像見ました、めちゃくちゃ良かったです」みたいなこと言われたら「じゃあ任せる!!!!あなたの感性でカミセンを魅せてくれ!!」みたいな気持ちになるかもしれないな……などと思いました。



オダギリさんの役、主人公ビリーはヒネてない心優しい青年でした。この役を木村さん、わかるー!このような木村さんは超見てみたい。キャスティングしてくださった方ありがとうございます……
初演(1993年12月)は三宅弘城さんが演じていらしたらしくて、すごく想像できる気もするしその想像とは全然違うんだろなとも思う。ていうか「1993年12月」ってちょうど木村さんの生まれた月ですね…!!
オダギリさんはぱっと見かっこいいけどすごくチャーミングで可愛らしかったです。
木村さんはどんな感じになるのかな〜これだけコメディな木村さんは初めて見られる気がする。でも配信で観た魔界転生再演の「どうせ女はまだかとか思ってたんでしょ!!」とかめちゃくちゃ愛敬があって可愛かったからな〜〜絶対いいと思うんだよな〜!楽しみだな〜!!


山崎一さん演じる17年後のビリー、しみじみといいなあって……今年の小西遼生さんは18年後のビリー役になってましたよね。1年違うのは何か意味があるのかな…
クライマックスのところで小西さんがどのような表情で木村さんを見つめるのか本当にドキドキする…
小西さんはたぶんビリーの父親役もやると思うんだけど、木村さん・小西さん・桜井玲香さんの3人でお話しするシーン、見目麗しすぎてやばい。
想像するだけで美しすぎて会話とのギャップでシュールさすらあって、そういうおかしみみたいなものもコメディの一部になるのかもしれないと思いました



あととにかく峯村さん村岡さんがうまくてすごくて……やっぱすごいすごすぎる。
ロロのみなさんがどう演じるのかとても楽しみ。
金田さんは古田新太さんの役かなあ。全然想像つかないし意外だけど、だからこそこだわってたどり着いたキャスティングなんだろうなと思う。
黒沢さんはルイーズ、マギーさんはマック・セネット、壮さんはメーベル・ノーマンドかなあ?
壮さんはすごくすごく想像できる、とってもぴったりだと思う かっこいいだろうなあ。衣装も楽しみ。
元木さんだけどの役か全然予想つかないんだよなー、ハリーなのかなあ?どんなふうになるんだろう!?


さっきコンテクストの話をしたけど、この物語の根幹にはサイレントコメディを作る人々とナンセンスコメディを作るナイロン100℃の人々の共鳴があるように感じたのですが、ここの部分を三浦さんやロロの役者のみなさんが担ったときにどのような作用が生じるのかというのが全く想像がつかなくて興味津々です。



10月某日
実家でざっと本棚を見てもらったけどフローズン・ビーチの戯曲本は見つからず。どこかにしまい込んだ…?え…もしかしてこの記憶間違ってる…?妄想…?
でもケラさんの『ナイス・エイジ』などの他の戯曲本は何冊かあったと。そうだったのか…昔のこと忘れてしまってるな。


昔のことで覚えてることといえば初めての観劇にフローズン・ビーチを選んだ理由。初演の評判を聞いていたのもあるけど実は全然違うところに一番の動機があって、私は犬山イヌコさんを見てみたかったのだった。
犬山イヌコさん(ナイロン100℃)はむかし古田新太さん(劇団☆新感線)と日曜の夜にラジオをやっていて、子どもの頃の私はそのラジオを何度か聴いていたんですよね……聴き始めて結構すぐに番組は終了してしまったんだけど、日曜の夜の憂鬱さを吹き飛ばしてくれるようなお二人の豪快な感じはなんだかよく覚えている。
そのラジオでお二人がそれぞれ異なる劇団の役者さんらしいというのを知って、でも演劇なんて全く縁のない子どもだったので気にも留めてなかったんだけど、のちのち犬山イヌコさん(当時は犬山犬子さんだったと思う)のお名前を見た瞬間「あの時の…!」と思わずにいられませんでした。
で、フローズンビーチを見た。犬山イヌコさんは本当にすごかった。ナイロンの女優さんってどうしてあんなに皆さんすごいのだろう。すごい以外の言葉で語ろうとすると論文になりそう。
うーんやっぱり私その後にも犬山さんの舞台を拝見している気がするんだけど、なんだったかなあ……絶対圧倒されたの一回だけじゃないんだよな。忘れたくない思い出はちゃんと整理しておかないとだめですね……と思ってブログを書いている。


そういえば、2011年に髑髏城の七人(ワカドクロ)にどハマりしたのでフローズンビーチが母ならワカドクロが父くらいに思ってしまってるんだけど、こんな子どもの頃からナイロンと新感線の伏線が張られていたことに今更気がついて震えている。
どこに出会いがあるかわからないものですね…




10月22日
ビジュアル、キャスティング、スタッフ情報が解禁されました。

かっこいい!!
小西さんも木村さんも2003年版を見て想像してたビジュアルとイメージが違う!
というか雰囲気からして話のイメージと違う。
もしかして本当にこんな感じのスタイリッシュロマンチックコメディになるのかな…!?それもすごくいいな…!!それともあくまでイメージかな?どちらにせよ楽しみだな…!!


キャスティング、他の皆さんは多分予想通りだったけど元木さんがデニーなんだ!? すごい驚き。小西さんと同世代くらいの方が来ると思ってたので…!!小西さんビリー&元木さんデニーは山崎さんビリー&住田さんデニーとは関係性もバランスも変わってきそうでこちらも面白そう!もしかしたらデニーは「当時のことやサイレントコメディをあまり知らない若者」というお客さんに近い立場で話を聞く役になるのかな…?


あとクレジットに「喜劇映画研究会」の協力があって安心感。映像流れるかな?


10月某日

ケラさんと喜劇映画研究会の新野さんによるサイレントコメディのレクチャーがあるとのこと…!
2003年版の特典映像にも入っていたレクチャー。
全然無関係なのにどきどきする



きっとこの時にはもう『SLAPSTICKS』であることは決まっていたのかな……
戯曲はどうやって選ばれたのかな。それぞれ演出家さんが自ら選んだのだろうか。
三浦さんはどうしてこの作品を演出することになったんだろう。ケラさんはどうして全てを預ける気になったんだろう…!?


シアターガイド2012年10月号の「1テーマ2ジェネレーション」で、「夢」というテーマでケラさんと三浦さんが対談されているのを読みました。
三浦さん、夢のひとつとして「大きい劇場で作品を作りたい」とおっしゃっていて、シアタークリエは三浦さんにとって大きい劇場かなあ、それともまだまだ通過点かな、ロロ本公演やオリジナル作品ではないからまた別枠かな?でもいろんな記事やツイートなどを拝見した感じだとナイロン100℃の存在は三浦さんやロロの根っこのほうに関わっているのかなと思ったので(わかんないけど)、ケラさんの脚本の作品をロロのメンバーと一緒にやるということはやっぱり小さなことではないんじゃないかなあと勝手に想像して、思い入れを異にする木村達成さんという役者さんはそのような作品の主役としてどのように劇場に立つのだろう……?
…とここまで考えて、いやそういうの関係ないな、ただただいつだって全力を尽くして役と向き合い、その下から上まで組み立て、人生をまっとうしてくれる役者さんだったな、と思いました。だから楽しみに思えるんだよなあ。
ロロ、『Every Body feat. フランケンシュタイン』はどうしても予定が合わなかったんだけど絶対見てみたくて配信情報を待っています。
JtRで木村さんダニエルも「フランケンシュタイン博士のような心情でした…」って言ってたのでフランケンシュタインつながりじゃんとかいって勝手に縁を感じている。




11月4日
キャストコメントムービーが公開されました。

木村さんの「とても個性的なキャラクターたちがたくさん出ていて本当に混乱しました」ってコメントにふふってなりました、すごくわかる!
なんだかいつもの木村さんとはちょっと違う、こちらを説得するような前のめりな喋り方で新鮮なんだけど、オダギリさんのビリーは全然こんな感じのキャラではなかったので「なぜ…!?」とワクワクしました。木村さんのビリーはこんな感じなのかな!?それともビジュアル撮影限定でこんなイメーだったのかな。
あと桜井さんの「(三浦さんは)真逆な作品をされてるイメージが強い」「三浦さんが持つ柔らかさがミックスされた時にどういう化学反応が起きるのかとても楽しみ」というコメントも、「私もそう思います!!!」と思いました。言語化してくださった…
あとマギーさんの「30歳の才能溢れる若造が書いた、青い、真っ青な台本」という評になるほど…!!と。28年前に初演を迎えた作品だということはわかっていたけど、具体的に30歳と言われると何かこう見る目がまた少し変わるような気がする。見る目というか、通すレンズが増えるというか。そしてこの印象を「青さ」といって良いのか!と膝を打つような気持ちにもなりました。
で、そのように「青さ」と捉えた時、私の中でものすごく三浦さんと繋がったんですよね……!私は、三浦さんには青さと対峙したり抱えたりぽーんと紙風船のように打ち上げたりしているイメージを持っていたのかも。なんとなく。そうかこれはビリーの、そしてケラさんの青春の話なのか…と思ったら、それを三浦さんが手掛けるということにすごく合点がいったし、個人的に「青さ」「まっすぐさ」というキーワードには木村さんもすごく親和性が高いと思っているので、ますます楽しみになりました。三浦さんとやった作品の木村さんはどれも青さが漂ってて好きだけど特に『ぼく明日』、本当に良くて大大大好きだったので……東宝さんSLAPSTICKS前にテレビで再放送してくれーーーCALLも大好きだからテレビでやって!!逃げ恥は何度も再放送してくれてるのになあ。
ところでマギーさんといえばジョビジョバの銀行強盗の作品を映像で見て好きだった記憶がある……あれいつだったんだろう……!?この作品が解禁になってから昔のことよく思い出すな〜。




11月某日
ロロの『Every Body feat. フランケンシュタイン』を配信で見ました。すごく良かった……
以下、文章にまとめる時間が取れなそうなのでいつか振り返るためのメモ書き

・現代性でも同時代性でもなく批判や問題提起でもなくコロナ禍を受けたものでもなくそれでも「ねえ、今、私たちってこうだよね」と呼びかけてくる
・残響は死後
・「もし…もし…」祈りのような呼びかけと仮定が印象的、ラジオの「JOLF JOLFこちらはニッポン放送です」を短編通話劇『窓辺』でも思い出したのを思い出した 「あなた」のいる芝居
・脚本の時点で彼がどうしてこんなことをしたのかの答えがきちんと描かれている、こちらの想像力に任せても来ない
・母性神話にならないよう気をつけて描かれている
・幻想的までいかないけれど半分夢みたいな微妙にありえないシーンを作るのが上手い
・シーンごとにバトンを渡すようにつながりを残していくのが上手い
・真っ直ぐで素敵な比喩
・JtRよりもファントム
・ファントムでも出てきたウィリアム・ブレイク、その詩の使い方が素敵、森本さん朗読とても上手い
・冒頭3人が交わるところ、目を背けたくなる不気味さ、あれが冒頭に提示されたことで森本さん演じるあの子のすごさがわかる 私なら「それ」を見て「こわい」と思ってしまうだろうというのがわかる
・人が人を愛する物語
・カーテン越しの詩の朗読美しい
・足音のシーンから母が亡くなるシーンにつなげるのすごい ノックノックノック
・あれは愛じゃなかったと知った次の日に亡くなる  その流れよく描けるな……
・悼む、弔う、あなたを思う
・あなたといると私は楽しい、あなたがいると人生がきらめく、そんなことが描かれてる 「あなた」は異性じゃなくていい、人じゃなくてもいい
・その考えを否定断罪してくるのがマチズモではないか、というのもふんわり描かれていた気がする わからないけど
・女性が客体化されてない、聖母でもない
・男はみんな本質的にマザコンなのだみたいな価値観が感じられなくてすごくいい
・自分たちに無意識に刷り込まれた価値観に抗っている、重力に抗うみたい 浮遊感はそこから来てるかも
・でも女性は地に足がついてる
・少しでも気を抜けば絶対に冷蔵庫の女案件なのに全然冷蔵庫の女がいない すごい
・弱くていいんだというお父さんが嫌だったというのが描けるのすごい 〇〇しなさいという母親が嫌だったになりそうなところなのに
・人間の醜いところは描いてないと思う すごい
・「それ」に友達でも家族でもない特に思い入れのない人が入ってるのがいい そこに重みの違和感がないのがすごい
・slapsticksのヒロインは男性から見た女性の強さと弱さを併せ持ってるけど三浦さんが演出することでどうなるのかな









ここで手記は途切れている---
(日常が急にバタバタして何も書けなくなっただけ)





初日の感想



12月25日
観ました…KERA CROSS第四弾『SLAPSTICKS』
初日マチネ。
この話を今直視できるだろうかと不安でした。
日常があまりに忙しなく、観劇の余裕がなかったというのもありますし、その他にも、いろいろと…
でも、思っていた以上にというか予想外のところから抉ってくるものがあって、演出の三浦さんが「まっすぐに対峙している」ことがすごくわかったので、このお芝居をもっとよく観て、もっと理解したいと思いました。クリエの公演が楽しみです。


以下、ざっくりした感想です。ネタバレします。
演劇は比較や差分で観るべきものではないと思いますが、丸ごと全体を見るには今の私には少し負担の大きな物語であったので(いい意味で)、今回は主に2003年との「違い」にばかり目が行ってしまっていること、ご容赦ください。




まずは、ビリー役の木村達成さん。
前半はかわいいねえ、とニコニコしながら見てしまいました。


( ◜◡◝ )


ビリー本人は大真面目だからこそ微笑ましかったり滑稽だったり、というのがすごく良くてニコニコしました。


あと「また膝をついて泣いている…!!」
と思いました。お家芸になりつつある。
あの状況であんな子どもみたいに泣くの、木村さんのビリーならではなんじゃないかなあと思いました。
「お風呂入らなきゃいけないのはわかってる!でもお風呂入りたくない!!もっと遊んでいたい!!!」って泣く子どもみたい。
大人ってあの問いでなかなかあんな泣かないじゃないですか、苦しんだり辛かったり悩んだり思い詰めたりするのはわかるけど、木村ビリーはあんな、駄々をこねかねない勢いで泣くんだなあと。
心が優しいね…
2003年版の同シーンは個々人の熱気や凄みと狂気がドンドン攻め立ててくる印象だったんですけど、今作のあのシーンは「集団」の狂気(狂気じゃないんだけど)という印象で、ビリーという良心を軸にしてコマが回ってるみたいだったな…白黒なのに回すと色がついて見えるコマがあるじゃないですか、あれみたいだった。



「え?」「え?」のとことか全体的にテンポや間もすごく好きだったし、アリスと踊ってるところの猫が獲物をくわえてきた顔みたいな感じも可愛らしいし、丁寧なアクションリアクションも大好きだし、「うん…うん…!!!!」と思いながら観ていました。やっぱり木村さんのお芝居が好き。
そういえば粉吹っ飛ばした時たまたま双眼鏡で見てて、「うまいな…」と感心しました。


あとなんか、なんだろな…ビリーとして何をやっても何を言っても生々しくならないのがすごくいいなと思ったんですよね、声がオブラートに包まれているというか…
カップ倒してしまった時の反応とかリアルでそこに液体を感じるんだけど、手を繋ごうとしてる姿とかに生々しさはなくてファンタジーなんですよ……生々しさとリアルの違いってなんだろね……
生々しさが必要な時もあるけど、今作ではビリーにそれがなかったことが個人的に救いになったような気がします。




それにしても、今年は
日テレさん・スペクタクル時代劇の魔界転生で謹厳居士、
アミューズさん・2人だけのオフブロードウェイミュージカルTL5Yで有頂天小説家、
ホリプロさん・サスペンスミュージカルJtRで闇堕ち医師、
東宝キューブさん・ロマンチックコメディSLAPSTICKSでちょっとぬけてる助監督…
と、出演作の作風もスケールも役柄も多彩でしたね……観ていて本当に楽しかったです。ありがとうございます。





もう1人のビリー役の小西遼生さん、木村ビリーが大人になってる…!と感動しました。木村ビリーの子どもっぽさがいい意味で残ったままで、でもやっぱり大人で。経てきた時間を感じさせるような…小西さんビリーと木村さんビリーが並ぶと泣いちゃう。あ、二人が並んで飲み物飲んでるシーンもかわいかったなあ。小西さんビリーがサイレントコメディーもかつての自分も愛しているのがめちゃくちゃわかるから、それだけで彼の物語についてはハッピーの様相を呈していて、良かったね…と思う。あんなふうに語れる思い出や過去の自分があるの、幸せだよね…小西さんの醸し出すやわらかな雰囲気が、この作品の全体の空気感を決めているんじゃないかなと思う。


アリス役の桜井玲香さん、すごく良かった!!
想像より大きな声とか想像より大きな歩幅とか出てくるからすごい面白い。すっごい好き。声も好き。2003年版を見て難しい役だと思いましたが、後半の彼女も事情を酌みたくなる佇まいで、それがすごく良かった。アーバックルとのシーンすっごく可愛い。可愛いよ…どうか幸せになって………………
そうそう、小西さん木村さん桜井さんのシーン、シュールな笑いになるかと思ったらもっと血の通ったあたたかみのあるシーンになっててめっちゃ良かったです。桜井さんが思いのほか元気なんだよな!
ミュージカルに出演する桜井さんをまだ観たことがないので、早く観たいと思いました。WSSリベンジしてー!


壮さんとマギーさんの安定感。
見る前からぴったりだとわかるし、実際にぴったりだし、ということのただならぬ安心感よ……壮さんがとても綺麗でかっこよくて、綺麗でかっこいい人が綺麗でかっこいい役をやるのって最高だなと思いました。あえて外しにいくキャスティングとかもあるけど、ど真ん中に投げて決まるとやっぱり気持ちいいですよね…
マギーさんのコロッケネタ、ちょうど先日友人からモノマネのコロッケさんについてLINEが来たこともあり(そんなことある????今まで生きてきた中でコロッケさんに関するLINE来たの一度しかないよ????)すごい面白かったんですけど、あそこは日替わりですかね?木村ビリーがめちゃくちゃ笑いをこらえてましたね。こらえられてなくてかわいかった。


元木さんも良かったー!つっこみも上手だし。
元木さん木村さん桜井さん黒沢さんなどの若い方々が令和の時代にそぐわない変な演技をやらされることなくそれぞれの良さを活かして輝いていたの、すごく安心しました。あと元木さんデニーのオレンジ色の上着選んだ方、わかってるな!!!と思いました。あれでアクロバットがよく映える。


アーバックルの金田さん。
2003年は古田新太さんが演じていて、古田さんのアーバックルはもっと人がよさそうな感じがあった気がするのですが、金田さんの方はそれもわりとぎりぎりまで削られてる感じがして、三浦さんも金田さんもすごいバランス感覚だなと思いました。より観る側に判断をせまるような人物造形というか…金田さんの飄々とした口跡、動き、すごく良かったです。すごく良かったですしか言ってないけど、言い換えのバリエーション考える余裕がなくてすみません。


ロロの皆さん。
亀島さん、この作品のモヤる人物を全部担っていてすごい。今の時代になってより受け入れられ難くなった行為をやってることが多く、しかしながら芝居を超えて「ほんと無理」とならなかったギリギリのところにとどまっていたのが、いかに三浦さんや亀島さんが「受け入れ難さ」に自覚的であったかを感じさせました。


篠崎さん、「その役!?」と思ったけど、亀島さんと同じく、そこから悪ふざけに出なかったことが良かった。一歩間違えたら時代錯誤になってた。篠崎さんもっと見たかったな。


望月さん、大人ルイーズの時すごく良かったな。あっけらかんな感じがルイーズが生き延びてくれたことに説得力あった。「そんなことありましたっけ?」って、この作品の重要な言葉のひとつよね…作品というか、思い出なんてそんなのばっかりなんだろうなあと…


森本さん、CALLにも出てたし、ロロのEvery Bodyで感動したこともあってか、舞台上に出てくると安心する存在に。
2003年版だと望月さんの役はナイロン100℃村岡希美さん、森本さんの役は同じくナイロンの峯村リエさんが演じていらしたんだけど、このナイロンのお二人はもう本当に存在感がすごくて、お二人のキャリーとドロシーはどこか達観しているような感じがあって。(実際にはそんなことない、というのがまた大事なのだけど)
峯村ドロシーがルイーズに言った「それはね、余裕よ」(でしたっけ…)はめちゃくちゃかっこよかったと記憶している。それに比べると、森本ドロシーは、達観までは全然いってなくて、通り過ぎてなくて、まだ「そこ」にいる感じ…ルイーズのいる場所、その最中にドロシーもまだいるような感じを受けた。あのシーン、2003年版はルイーズのシーンだったけど、今作ではルイーズと、ヴァージニア・ラップと、ドロシーのシーンになっていたような気がしました。
私はフローズンビーチでケラさんの描く女性に圧倒されたような気がするけど、三浦さんの描く女性には別の角度から泣けてくる。


そしてルイーズを演じた島田さん。と、ロロではないけど、ヴァージニア・ラップの黒沢さん。
いや、私、最初出演者が発表された段階でもう完全に黒沢さんがルイーズだと思い込んでたので、キャスティングが発表された時そこは全然見てなかったんですよね。だから今日島田さんがルイーズで出てきた時めちゃくちゃ驚いて。「あれ!!!??!!黒沢さんは!!?!!エッ!?ヴァージニア・ラップ!!!???」って。
以下、2003年版のネタバレをするので、今後観る予定のある方は読まない方がいいかもしれません。






2003年版だと、たしかヴァージニア・ラップは亡くなったところで出番は終わりなんですよね。
だからそこまで出番は多くなくて、その役に黒沢さん??と思ってとても意外でした。まずそこで自分の偏見に気付かされた感もあり。
二幕が始まる時、舞台上を歩いている彼女を見て、三浦さんが何かを表現しようとしているんだな、と気づき、ルイーズが木にボールを投げるシーンで「ああ……」と思いました。(12/27追記:すみません、Twitterのみなさまの感想を拝見していたら、ボールじゃなくて石ですね!?すみません!)
あのシーンは、2003年版でも眩しく感じていて、島田さんがルイーズだと知るまではこの台詞を黒沢さんがどんなふうに言うんだろうと思ってたんですけど、実際に言ったのは島田さんで。私は、『窓辺』と『Every Body』を見て島田さんはイタコっぽさがあるというか、この世とあの世をつなぐみたいな声と台詞回しの方だなと思ってたので、島田さん演じるルイーズが言葉を発して、そこに黒沢さん演じるヴァージニア・ラップがいて……というのがなんだか胸が締め付けられるようで、黒沢さんは喋ってないんだけど島田さんが喋ってるというのが「ああ………………」と。
別にあのシーンや台詞は「女性」に限定したものではないんだけど、でもあの場にはルイーズとヴァージニア・ラップとドロシーの静かな共有なのか共鳴なのか、何かが確かにそこには感じられて、あのシーンがこんなシーンになるのか……と思いました。
そして、この新たな物語にどんな決着をつけるんだろうと思っていたら、あのラスト。
Every Bodyで「声を残そうとする」「伝えようとする」ロロを見たので余計に、「声が聞こえない」「伝わらない」ことが今思い出しても悲しくてしょうがなくて。「あちら」から「こちら」には伝わらない、それが現実なんだなあと思ったらなんかもう……。「サイレント」をこんなふうに使ってくるとは。


たぶん、私はこれがとってつけたように見えたら「オリジナルとの差別化を図って迷走したのかなー」と穿った見方をしたと思うのですが、ボールのシーンやアリスなど女性陣の描き方を見ていると、三浦さんが「ともすればこぼれ落ちそうな何かを拾おうとしている」感じがしたので、作品や今を生きる人々に対峙している中でのこの演出なのかなと思えました。ラストシーンの時間、少し、いやかなり長いと思ったけど、「長いな」と思わせることに意味があるのかなと。黒沢さんの喜怒哀楽どれとも読み取れない表情、すごいですよね。



これは2003年版を見てなければそんなことないと思うのですが、良くも悪くも「トレーシングペーパーに描かれた三浦さんの二次創作が重ねられている感じ」には見えました、が、もとの作品自体が何層にも重なっており、さらにはあのフレームのセットが空間も時間も次元も現実と虚構も区切って重ねていたので逆に効果的だったかなとも。
セットや空間の使い方、区切り方も好きでした。
ピアノが「リビングにありがちな棚」になった時の「おおっ」って驚きとか好き。最後にセットとか道具みたいなの全部?出てきたの良かった。



作品のいくつかの肝の部分についてはまだ言葉にできるほどちゃんと見られてないのですが、子どものように泣く木村さんのビリーを見て、彼は「享受する側」の人だったのかなと思いました。サイレント・コメディーを愛して、大好きで、でも向こう側へは行けなかった人。
ただ、だからこそ純粋に「好き」という気持ちから語り継ぐということができたりもするんだろうなと。
自分と対象が混ざってしまう前の「好き」という気持ち、あのままでいたら良かった、って思うことありますよね…



ビリーの「好き」という気持ち、向こう側へ行った人の「愛」、あちら側からの「声」、クリエでもっとよく観られたらと思います。



初日感想追記


12月30日
『SLAPSTICKS』後日ぼんやり考えたことなど追記。おもに三浦直之さんの演出の話です。


・ロロ『本がまくらじゃ冬眠できない』と東宝「恋を読む」シリーズのこと
ロロの「いつ高」シリーズ、vol.7の『本がまくらじゃ冬眠できない』がYouTube国際交流基金のチャンネルで無料公開されていたので観ました。
ロロや三浦さんの文脈の一部を知ることができたような気持ちになり、もうとにかく思ったのは、「東宝の『恋を読む』シリーズってむちゃくちゃ三浦さんありきの企画なんだ……!!!」ということでした。
いや、なんか、たまたま「恋を読む」という東宝の朗読劇のシリーズがあってそこにいまのところ三浦さんが3連続で起用されているみたいなイメージを勝手に無意識に持ってたんですけど(本当にすみません)、三浦さんあっての「恋を読む」なんじゃん!!!!と……いや実際のところはわかりませんが……こんなに「恋を読む」というフレーズがしっくりくる人そんないないんじゃないかって……


私は「恋を読む」シリーズのvol.1『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』&vol.2『逃げるは恥だが役に立つ』の木村さん出演公演とあと他のチームのテレビ放送をいくつか観てすごく好きだなあと思っていたのですけど、
あれは三浦さんだからこその「恋を読む」だったんだ、とすごく感じて深夜に勝手に盛り上がっていました。vol.3は木村さん出てないけど録画してあるので時間ができたら桜井さんのを見たいんですよね



『本がまくらじゃ…』を見てて真っ先に思い出したのは『逃げ恥』でハグの表現として「活字を共にする」という行為が出てきたところ、当時「すご!!!!!!」と思ったんですけど、以下当時の感想なんですけど、

「本を二人で持って読む」というハグの表現を選択した時点でこの朗読劇は成功したようなものでは……と思いました。
「活字を共にする」という行為の艶っぽさ。実際のハグを見るよりもドキドキしました。


『本が…』を見てたら「そらあんな表現も全然思い付きますわな!!!!」と超納得でした。わかったつもりになる気は全然ないけど、ないけど!!『本が…』でも、なんてことない普通の動作なのにとても艶かしく見えるシーンがあって、ほんと魔法みたいでした。前提を置くだけで全然違って見える。読むとか読んだとかが食べるとか食べたとかその先でもいいんだけどちょっと生々しいイメージに置き換わる感じがするんですよね 身体的な行為にイメージを変換させられるというか


『ぼく明日』もさ~~『本が…』を踏まえて「三浦さん×ぼく明日×朗読劇」って聞いたらドンピシャな予感しかしない!ドンピシャだった!知ってる!!もう見た!!『ぼく明日』という物語自体が「読む」話だから……………「読む」「なる」「演じる」「すれ違う」「見つめる」「同じ時を過ごす」……………なるほどね……(?)


木村さんの話をしていいですか、『ぼく明日』初演の稽古1組目が木村達成さん・清水くるみさんチームだったのでそこで大枠をつくったとどこかで見た記憶がかすかにあるんですけど(間違ってたら本当に本当にすみません)、vol.3まで続いていてたくさんの方が出演されているシリーズの始まり付近に木村さんがいたのすごいなあと思うしそこで木村さんの線と三浦さんの線が初めて交わったのすごく面白いなって…お二人のそこまでの辿ってきた道だけ見たら全然交わらなそうなのに……
あとこれは良し悪しじゃなくてイメージの話で、(特に再演の)木村さん清水さんチームは様々なタイプのチームの中で「読む」という行為からすこし遊離するというか線形よりもドーム型のタイプだった気がして、「恋を読む」より「恋をする」「恋をする空間を作る」感があったような気がするんだけど、それも今考えると面白いなって…「読む」「朗読劇」というキーワードにだけ照らすと三浦さんぽさ(いや「ぽさ」なんて知らんのだけど)からは逸脱してるように感じるんだけど、三浦さんの創作には「『They』のいる世界をつくる」という側面もある気がしたのですよ、その「『They』のいる世界をつくる」に木村清水ペアはめちゃくちゃハマっていた気がするんですよねーーいや知らんけど!!


あとTOHO MUSICAL LAB.『CALL』も、三浦さんのオリジナル脚本で木村さんが演じたのってたぶんとってもとっても貴重なことだったんだな……と今更ながらに思いました、よく考えたらミュージカルであてがきされることなんてめったになさそうだもんね…!?
ヒダリメがあてがきかどうかはわからないけど、あの役を脚本から立ち上げたのはすごいことだったな、今後何度でも見返していきたいなと思いました。
そしてヒダリメやぼく明日の高寿くんのこと思い出してたらビリー、もっといけるんじゃないか!!?と思い始めた。初日のビリーもとても良かったけれど、木村さん、もっともっといける気がする。クリエでまた見るの楽しみだな。



・「そんなこともあったかもしれませんね」と「そういうことってありますよね」
前者は大人になったルイーズの言葉で、後者はそもそもそんな台詞があったかどうかも怪しいんですけど、なんか、元木デニーが焼き物?が勝手に割れる現象の話???みたいなのをしてたじゃないですか…で、それを2回くらい小西ビリーの昔話に適用してた気がするんですけど………その「そういうことってありますよね」みたいな言い方に『ぼく明日』の桜の話(高寿くんの「桜って不思議だよね 花が咲いて初めてああここにあったんだって気付くっていうか それ以外の時は全然意識しないなって」)とかを思い出したなあ……と。自分の中で見出した法則と科学と発見と共感と諦念…がごちゃまぜになったみたいなもの。
2003年版も2021年版も「そんなこともあったかもしれませんね」あたりの会話が「主観はどこまでも主観なんだなあ」と思わされてすごく印象的だったんですけど、2021年版は「そういうことってありますよね」的なのがその対比…ではないんだけどちょっと捻れた対極にそっと目立つように(?)配置されていたような感じがあったような気がするなあ……と……いやでも全部幻かもしれない。
(→気になって2003年版のDVDをざっと見返したんですが、デニーがその話をビリーの昔話に当てはめたシーンはなさそうでした。私は幻を見たのかもしれない…クリエで見直して無かったら消します)


・元木さんデニーの話
デニーを演じる元木さんと青年ビリーを演じる木村さんは93年生まれで同い年でいらっしゃるので、小西ビリーが(当時の自分と同じくらいの)元木デニーを相手に昔話するのがエモいなあと思ってたんですけど、パンフで元木さんがデニーは30代後半とおっしゃっていて「そうなんだ!」と思いました(若いのに配給の権限とかあるのかな…ご両親のコネ…?とか思ってた)。若々しくて溌剌としたデニーさん、なんかいいね!
あと物語冒頭の元木さん見てたら、もし元木さんがビリーやったらオダギリさんや木村さんビリーとは全然違う初演三宅弘城さんビリーの系統になるんじゃないか…!?!見たいな…!?って思いました。動きの派手さと瞬発力とドライな声がいいなって。
カラッとした元木デニーの適度に無神経で他人事なところがビリーの物語に合いの手のように客観性を突っ込んでいてすごく効果的ですよね。観客の代弁者的な立ち位置でもあると思うのですが、元木デニーのノリのおかげで見やすくなってるところがある気がするなーと思いました。


・木村ビリーと桜井アリスの話
あらためて今作のビリーを思い返すと、木村さんのビリーはとてもセンシティブだなあと。すごく人の反応を窺ってるし、相手の心情をどうにか量ろうとしている。そしてそこで入ってきたものがいちいちビリーの心に刺さって、そのリアクションが全部顔や仕草に出る。
昔の桜井アリスはビリーとは真逆で、相手の心情をそこまで気にしないし言いたいことは言うしコーヒーに砂糖は全部入れるし豪快。で、あんなに楽しそうにアーバックルと会話するし笑ってピアノが弾けなくなるくらいだった彼女が、にこりともせずピアノを弾いて、ラジオであの証言をして、あんな表情が固くなって、コーヒーに砂糖も入れなくて、ってもう絶対何かあったに決まってるじゃん……………って思わせる桜井さんの後半の佇まいがすごく刺さって……
2003年版のともさかりえさんのアリスは、たとえが微妙ですけど「『子どもを産んだら嫁が変わってしまった』みたいに言う男の人には女の人がこういう感じに見えてるのかもしれない」と思わせる雰囲気のビフォーアフターで、すごくうまいんですよね……大人になって、多分色々と守るべきものができて、そんなはしゃいでもいられないのであろうしっとりと落ち着いた雰囲気で、「なんかちょっと近寄り難い感じになってしまったなあ」って思わせるような…
一方の桜井さんの後半アリスは、ちょっと機械的だから外的要因とケアの必要性を感じさせるんですよね……ともさかさんはひとの体温を感じさせたままだった気がするのですが。
あとやっぱり金田アーバックルが「本当はいい人で無実なのにマスコミが無茶苦茶書いて……」という印象になるように描かれていなかったことによりアリスの証言も「嘘つかされてるよね…」という印象にならないのでそのあたりでもなんかこうアリスのこといろいろ心配になってしまう……
で、そんな桜井アリスに再会して話しかけるビリーが木村ビリーで良かったなと思うんですよ、木村ビリーは「なんかよくわからんけどアリスが変わってしまった(済)」じゃなくて「今こうなのは何か理由があるんだろうな(済んでしまったことではない何か現在進行形の問題の認識)」って前提で接して、本人は「対話」をしようとしてるから、優しいなあと…「元気だった?」の言い方とか優しいよね……あと砂糖をたくさん入れてるのはきっと昔アリスがそうだったからで……私はその姿に救われた?かも。あの時の桜井アリスの周りに、アリスとの対話を試みようとした人が木村ビリー以外にいたとは思えんのですよ……
で、途中でトイレ行っちゃうのが、というかトイレから笑顔で戻ってくるのが「そういうとこ……(泣き笑い)」だなあと。そこに桜井アリスが待ってるわけないのよ……それが優しい木村ビリーにはわからんのよ……


・木村ビリーの話
初日みたあとすぐの感想で、膝をついて泣く木村ビリーについてこう書いたんですけど、

あの状況であんな子どもみたいに泣くの、木村さんのビリーならではなんじゃないかなあと思いました。
「お風呂入らなきゃいけないのはわかってる!でもお風呂入りたくない!!もっと遊んでいたい!!!」って泣く子どもみたい。
大人ってあの問いでなかなかあんな泣かないじゃないですか、苦しんだり辛かったり悩んだり思い詰めたりするのはわかるけど、木村ビリーはあんな、駄々をこねかねない勢いで泣くんだなあと。
心が優しいね…


なんかあとから「あれ…?」と思って。

笑いのためなら、弱者や大切な人を虐げられるか、傷ついている人に鞭が打てるか?

これを書いた時の私は多分、
「それくらいの覚悟がなきゃいけない、それがプロ、大人」
「そのくらいの熱意、狂気なければ創作は成立しない」
と思ってた気がするんですけど、
木村ビリーのこの子どものような反応は
「本当にそうだろうか?」を問う三浦さんのカウンターではないかと思えてきたんですよね。


本当にそこまでしないとダメだろうか?


パンフの対談の金田さんの無茶振りエピソードとかを読んでいたら、ますます疑問に思えてきて。
「そこまでしないといられない」というのが創作(笑い含む)の衝動とは思うけど!!!!!
自分がキャリーさんだったら、木村ビリーみたいにできないって泣いてくれる人がいたらコメディエンヌの自分は「うおい!」って思うかもしれないけど「嬉しい自分」もいるんじゃないか…?みたいな。
「誰か」の中にもまた「覚悟をした自分」と「覚悟の裏で泣いた自分」がいたんじゃないかなと思うと、木村ビリーが子どもみたいに泣いて違和感を表明することが、その「誰か」の中の「覚悟の裏で泣いた自分」の弔いになるのでは…と。
それが一方的な消費に曝された「誰か」ならなおのこと。


(ただ、これはビリーの心象風景だからだと思うんですけど、周囲の人々が「他者を傷つけられるか?」と迫ってくるのはズルいと思うんですよね、「笑いのためなら自分が突き落とされても平気か?」と「笑いのためなら人を突き落とせるか?」は大分心持ちが異なると思うんですよね…)



これはサイレントコメディや関わった人々を否定するものでは全くなく、その偉業に敬意を表し、しかしその「聞こえぬ声を聞こうとしてみる」という試みというか、それは勝手な妄想かもしれないけれど、そのための今の上演なのでは、というようなことを考えたりしました。


以上は、三浦さんがパンフで「暴力」という言葉を出していたことから思ったこと。かも。






・サイレントコメディ
とはいえ、木村ビリーは助監督はやめたけど映写技師(だっけ…)として関わり続けたわけで、実際に現場で危険な目に遭っている人がいるとわかったあとも倫理観を揺さぶられたあとも愛し続けたわけですよね。そこには「すご!!!!!!!」という感動や覚悟への熱狂があったんだろうなあ、というのが、実際の映像を見るとわかるなーと。だって「本当にすごい」から。ドキドキして心が揺さぶられるから。もっと見たい!と思ってYouTube検索したし。ドロシーはどんな女優さんがモデルなんだろうって調べたりしたし。
その懐古で終わらせてくれても良かったと思う。見る側も気持ちが楽なので。
でもそこにもうひとつの眼差しを向けずにいられなかったのが三浦さんの演出なのかなと…


近年、「アスリートのメンタルヘルス」が語られ始めているけれど、これに近い要素も含んでいるんじゃないかと思ったりします。
見る側の愛は大事、でもそれが一方的な消費になってはいないか?無意識に何かを強いてはいないか?みたいな…
そこにいるのは同じ人間である、とあらためて認識する必要があるというか
でもそこを探りすぎるあまりに、当事者たちの熱意やパフォーマンスまで変に牽制するようなことになってはいけないのですよね、過去までさかのぼってパフォーマンスそのものが一方的に断罪されていくようならそれもたぶん健全ではないのですよね、でも今の倫理観に照らしてこれからを考えることは大事よね 今踏みつけているものがあるなら気づきたいよね 踏みつけられていることに気付いたなら声を上げたいよね


・これはなんとなくだけど、男たちのロマンと、肩を並べて活躍した女性たちを少しだけ違うレイヤーに置いている気がする ここはケラさんがもとから意識していたのか、三浦さんがそうしたかはわからないけど。
・ドロシーやルイーズがキャリーの訃報に笑ったのは、木に石を投げるシーンでルイーズ、ドロシー、ヴァージニア・ラップが共鳴した部分について「彼女(キャリー)もまた同じだ」「私たちは逃れられないのだ」と思ったからかもしれないな ビリーのように悲しむだけではいられなかったんだな
(→気になって2003年版のDVDの同シーン見返したら、そちらは2人とも泣いたり泣きそうになっているところで終わっていて、笑っていなかった。2021年版って最終的に2人とも笑ってませんでしたっけ…?記憶違いかも)
・アーバックルとの会話でセネットでもビリーでもなくメーベルさんが「人のことなんてわからない」と言うのが刺さるよねと思う



・大人ビリーが「振り返ればどれもこれも笑っちゃうようなことばかり」と言うの、ビリーの物語としては全然それでよくて、いい思い出だよね、そういうのあるの幸せよね、うんうん、とニコニコするのだけど、もう1人の私は「本当に?」と言っています。生存バイアスという言葉が聞こえてくる。キャリーさんは死後、自分の人生を笑い話にできただろうか?
アーバックルさんたち(だったかな?)が「先に死んでおいて良かった」と言っててそれもわかる、そう思える人がいるのもわかる、
でも、きっとそうじゃなかった人もいて、
そして、そういう人は「今の時代もいる」から「今語らなければいけない」のだと思う。
2003年版にはいなかった後半のヴァージニア・ラップが描写されたのはそれを可視化する役目もあるかな…とか。
言いたいこと、たくさんあるだろう。
そして今も、たとえ亡くなっていなくてすらこうやって声の届かない状態に置かれている人がたくさんいる と思う
・これは妄想に偏見を重ねた上での妄言だけど30代女性がこの演出をやったらボロカスに言われたと思います
・この物語にヴァージニア・ラップのさまよえる魂を見出す男性がいるのか、という驚きがあります 私個人としては泣きたくなるような驚きです
・木村さんや元木さんや桜井さんや黒沢さんが2021年版のこの作品の改変をどう思ってるのかちょっと気になっていたのですが木村さんが28日の配信イベントでこの作品に関して挙げた言葉を聞いてハッとしたし「この役者さんのことやっぱり好きだな…」と思いました
・木村ビリーにはヴァージニア・ラップのさまよえる魂が見える瞬間があるかもしれない、それくらいセンシティブかもしれない、とも思うし、でも(トイレいっちゃうような)鈍感さを持ち続けてほしいとも思う



・セネットさんのメガホンが大きいの、デフォルメが効いていてすごくいいなと思う。戯画的で、あくまでこれはビリーの物語で現実ではないのだということを思い出す。語り手ビリーのカチンコは普通の大きさなのがみそだなーと。


・木村ビリーが手袋を口でくわえるシーンでドラペダの今泉くんがジャージの襟元噛んでジッパーおろしてたのを思い出しました かっこいいですね
・白手袋がとても似合うのでオークショニアの役とかやってください


・ビリーがメーベルさんに「あんたセネットさんのとこ戻った方がいいよ~」っていうシーン、「『ファン』だなーーーー!」と思う


・初日マチネでビリーとビリー父とアリスのシーンで木村ビリーがお盆の上のカップを倒したんですけど、それが元々決められたことじゃなくてハプニングだったらしいことを知りました(他の回は倒してなかったそう)。言われてみれば、なんかこぼれたお茶(架空)にあたふたしてなかなか倒れたカップをもとに戻さないなーと思った気がするんですが、小西ビリー父が振り返って「一度倒してしまったカップ」であることの認識を共有できるまで待ってたんかなーと思いました そういうところ好きです


・「〇〇しちゃっちゃ」って言ってたのビリーでしたっけ?可愛くてふふっとなる言い回し


・(前半に書いたシアターガイドの対談に出てきた)「大きな劇場」の話でこの記事を思い出して、広い空間をどう埋めるかって難しいんだろうなあと思っていました。今回のカンパニーのセットはすごく好きだった。ただ個人的にはメーベルさんの汽車シーンとビリーアリス再会シーンの「高さ」と枠組みの使い方が、その効果がどこにあったのか私はまだよく理解できてないのでまた見て考えたい



・今から20年前の映画って「M:i-2」とか「トイ・ストーリー2」とかで、わりと最近じゃんという感覚があり怖い。大人ビリーや当時の人たちにとって20年前って今の私にとってのどのくらい前の感覚なのかなと考えている。


・また見たらまた全然感想が変わると思う。金田さんのアーバックルについてももっと書きたいけどもう一度見て考えたいです