王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

舞台『魔界転生』(2021)又十郎と坊太郎のシーンについて書く

◆ はじめに

舞台『魔界転生』(2021)を配信で観た。(配信情報はこちら
残念ながら劇場での観劇は叶わなかったので、上演中はこの画像だけを頼りに新生又十郎に思いを馳せていた。





私「ほっぺが赤くない…!」


2018年の初演時には、木村達成さん演じる柳生又十郎は「声とリアクションが大きく真面目一徹で威勢が良いがビビリ」という感じのキャラでどちらかというと物語のコミカルな部分を多めに担っており、ほっぺが赤かった。
当時の私はそんな彼の一挙手一投足にご年配の方々が微笑ましそうにクスクスと笑う現象をして「明治座の孫」と勝手に呼んでいた。



私「くまモンとお揃いのほっぺだな…」





ただ、当時の感想にも少し書いてあったが、個人的に、木村達成さん演じる柳生又十郎と松田凌さん演じる北条主税の役回りについては少しだけ気になるところがあった。
役者さんの演技についてではなく(そこは松田さんも木村さんも素晴らしかった)、いくつかの台詞が各々の立場に照らしてしっくりこないなあと思う部分がちょっとだけあったのである。


たとえば、上川隆也さん演じる柳生十兵衛は、自分と弟・又十郎の剣を比較し「俺の剣は殺人剣、又十郎の剣は活人剣」と評していた。しかし、又十郎は剣での立ち回りにおいてそこまで目立った活躍はしていなかったばかりか、どちらかというとヘマをしてしまった印象が強く、その対比の意味も「活人剣」のイメージもあまりピンとはこなかった(あくまで私のあやしい記憶では……です……)。


また、主税はかつての朋友で魔界転生してしまった田宮坊太郎から「俺とお前とでは背負ったものの重さがあまりに違う」と言われるシーンがあったが、私には同じ柳生の弟子で対等の親友のように見えるこの二人にどんな背負っているものの違いがあるのか、こちらもあまりよく想像できなかった(後述するがここはおそらく私の理解不足だった)。



そして思ったのである。
「又十郎と主税がひとつの役だったらしっくりくるな……」
両者が合わされば、上記の他者からの評のどちらも納得がいくような気がしたのだ。
将軍家お家流の跡取り息子が、人生の無念から魔界転生してしまったかつての親友と対峙する。
彼は「俺はおまえを斬りたくない」と言って最後まで剣を交えることを避けようとするのである。
彼の背負っているものの大きさ、活人剣、諸々なんとなくスッと道筋が通るのではないかと思っていた。



だから、再演のキャスト発表で主税という役がなくなってしまったのを見て、又十郎は今回まさにそのような役になるのではないだろうかと思った。
親友との友情を貫く、凛々しき青年に。



ところが、である。
坊太郎が登場してすぐ、意外なことが起きた。
確かに又十郎には初演の主税の登場シーンがスライドしていた。その見立ては間違っていなかった。
しかし配信で初めて見た又十郎と坊太郎の関係は、私の3年越しの予想とは大きく異なっていたのだった。



以下、初演の主税と坊太郎から、再演の又十郎と坊太郎の関係の変化について、個人的に感じたことをつらつらと。


これだから木村達成さんのお芝居を観るのは楽しい。


◆ 身分の差 > 友情

最初に結論を言ってしまうと、配信版における又十郎と坊太郎は、朋友ではあったかもしれないが「親友」ではなかったように感じられた。そればかりか、その間には歴然とした身分の差が横たわっていた。
これは木村さんの又十郎(以下、木村又十郎)と坊太郎(田村心さん:以下、田村坊太郎)の醸し出す雰囲気だけの話ではなく、台詞からしてそうだった。


田村坊太郎は、魔界転生する前に再会した木村又十郎のことを「又十郎様」と呼び、敬語で話したのである。
初演の坊太郎(玉城裕規さん:以下、玉城坊太郎)は主税(以下、松田主税)のことを「主税」と呼び捨てにして敬語なしで話していたので、今回は身分差あっての改変だろう。
そして魔界転生後も、玉城坊太郎が「おまえ」と呼んでいたところを、田村坊太郎は「あんた」と呼んでいた。


これは偏見かもしれないが、たとえ身分の差があっても、二人の間にそれなりに深い友情が育まれていたように見せたければ「又十郎」「おまえ」と呼ばせるのが自然のような気がする。
「又十郎様(+敬語)」「あんた」には一定の距離を感じる。つまり、脚本の時点で木村又十郎と田村坊太郎を「身分の差を越えた親友」にするつもりはなかったということではないかと思うのである。


◆ 松田主税と玉城坊太郎の対決

ではなぜそもそも、私は親友としての又十郎と坊太郎の対決が見られると思ってしまっていたのか。それは、初演の際の松田主税と玉城坊太郎の対決がめちゃくちゃ良かったからである。


あれは親友だった。たぶん。私は親友だったと思う。親友を斬らなくてはいけない、その苦しみが松田主税からも、玉城坊太郎からすらもひしひしと伝わってきた。老若男女入り乱れる魔界転生という舞台の中で、若き血潮を感じる、とてもエモーショナルなシーンだった。

対等で、かつて確かな友情を育んだと強く感じられる二人だからこそ、最後の対決で主税の言う「どちらが死んでも、来世でまた友となろうぞ」が力を持ち、坊太郎の心を動かすのである。


初演のこのシーンでは、松田主税は舞台前方下手、玉城坊太郎は前方上手に立ち、距離はあるが横並びとなっていた。この立ち位置もまた二人が対等であることを印象付けていたのではないかと思う。
最後、坊太郎は主税が斬りにくるとわかっていたのに剣を抜かなかった。松田さん・玉城さんの熱演と並びのバランスの良さから、「とっさに主税の言葉を信じたから」という理由に深く頷くことのできる、まさに親友同士の対決だった。


◆ 木村又十郎と田村坊太郎の対決

「あれが木村さんと田村さんで見られるんか〜!!!」と私はワクワクしていた。でも、違った。けど、こちらもとても良かった。彼らの対決は、物語のまた新たな道筋を見せてくれた。


松田主税と玉城坊太郎の対決の拠り所が「友情」であったとすれば、木村又十郎と田村坊太郎の対決の拠り所は何か。
私は、「正しさ」であったと思う。
木村又十郎には、田村坊太郎の心を動かすほどの深き友情は感じられなかったが、圧倒的な「正しき人の心」があった。田村坊太郎は、その正しさに呆れ、諦め、そして信じてしまったのではないかと思う。
順を追って見ていきたい。


◆ 10年ぶりの再会

配信0:46頃、木村又十郎は病に冒された田村坊太郎に再会する。前述の「又十郎様」や敬語、やりとりの内容から、このシーンだけで身分の差をこれでもかと感じる。「その朋友呼ばわりがかえって残酷だとは思わんのですか!」と言われて言葉を返そうとするも何も言えない又十郎、もうここに全てが詰まっていると言ってもいい。


初演でも残酷であったが、再演は二人の間に身分という見えない段差のようなものがついてしまったことで余計に残酷だった。又十郎は上から話しているつもりはさらさらないと思うのだが、坊太郎には又十郎の足元に踏み台のようなものがありありと見えただろう。「荒木先生の方がよほど朋友に思える」みたいな台詞も、さもありなんという感じだった。


なお初演ではこのシーンで「俺とお前とでは背負うたものの重さがあまりにも違う」というような坊太郎の台詞があったのだが、今回はカットされていたようだった。(で、気がついたのだが、この台詞、坊太郎の背負ったもののほうが重いということだったのか……逆の意味で捉えてしまっていた。3年越しに理解した。単純に私の理解力不足でした。感想を書いていてよくあることです。穴があったら入りたい!)



◆ 最後の対決

順を追って見ていきたかったが、残り時間(残り時間?)がやばいのでもう最後のシーンの話に行く。
配信2:38頃以降の対決シーン、私の心に刺さったのはこのやりとりである。


又「坊太郎、今日よりは正しき道に生きると誓ってくれ。そうすれば俺はお前を見逃す」
坊「どこまでもめでたい奴」


ここが二人の関係性をよく表していると思ったのである。
又十郎は、坊太郎を朋友と思い、正しき道に生きてほしいと願っている。
坊太郎は、そんな又十郎を「めでたい奴」だと呆れている。


その通り、ここまでの物語で見てきた又十郎はお人よしで、優しく、正しすぎた。
だからこの期に及んでこんなことを言うし、「俺はお前を斬りたくない」と言ってしまうのだ。


そして、この動機に深き友情のない木村又十郎の特筆すべきところは、彼がお人よしで、優しく、正しいがゆえに「これが坊太郎でなくても同じことを言うであろう点」なのである。
松田主税と玉城坊太郎の間には、親友だからこそ主税が彼を思い、ゆえに坊太郎もそれに共鳴してしまうのだという特別感があった。
しかし、木村又十郎と田村坊太郎は違う。その間には身分の差が歴然と横たわり、少なくとも坊太郎側には又十郎と特別仲が良いという認識はおそらくない。


ではなぜ彼はこんなことを言うのか?それは、木村又十郎自身が正しき道に生きる人間だからではないだろうか。
正しき人は、誰に対しても分け隔てなく優しい。それが魔界転生してしまった友であっても、本気でその身を案じ、病が消えた幸いに思い至ることができる。
それが坊太郎でも、小栗でも戸田でも千八でも、彼は同じことを言うだろう。彼は本心から友を助けたいのだ。
「どちらが死んでも、来世でまた友となろうぞ」。
彼は勝ち目のない勝負で自分が死ぬかもしれないと思っていて、それでもなお、真正面から相手にこの言葉を投げかけて笑う人なのである。


この時、又十郎は舞台のやや奥にいるが、彼を見る坊太郎は斜め前方にいる、つまり客席からは坊太郎の表情はあまりよく見えない。
初演の対称的な立ち位置とは異なる二人の並びによって、坊太郎と又十郎が非対称的な関係であること、そして顔の見える又十郎の圧倒的な光、すなわち「正しき人の心」が印象付けられる。この構図はまるで救いだ。


そしてここでのもうひとつの白眉が、それを受けて振り返る田村坊太郎の無表情なのである。何を感じたのか、どう思ったのか、明確には悟らせないが、動揺したらしいことだけは伝わってくる。ここの反応、すごく難しかったのではないかと個人的に思う。田村心さん、すごいなあと…


圧倒的正しさを前に、人は何もできない。ただそのおめでたさに呆れ、その光が自分なんぞに向けられていることに戸惑い、自身のその反応に動揺した……という感じだろうか。
最後、坊太郎は剣を抜かなかった。「俺としたことがとっさにあんたの言葉を信じたのか」、田村坊太郎は、血迷ってしまったのだと思う。木村又十郎の「正しき人の心」にふと身を委ねてしまった。目の前に差し伸べられた救いの手をうかつにも取ってしまった。
そしてその正しき人は、目を瞑って剣を抜いた。一か八か、天に二人の運命を任せるように。



この又十郎の光、この戦い、実は対になっている(気がした)ものがある。柳生十兵衛柳生宗矩の戦いである。


柳生十兵衛柳生宗矩の対決

完全に明け方になってしまい明日がやべーので端折って書くと、対比を感じる点は下記の通り。
又十郎は「正しき道」を語ったが、十兵衛は「正気の人間がなすべきこと」を語ったこと。
もうひとつは、又十郎は正面から(しかも目を瞑って)斬りに行ったが、十兵衛は宗矩の虚をつくようなかたちで斬ったこと。
最後に、又十郎はなかなか斬ろうとせず、最後も斬る覚悟斬られる覚悟半々のような心持ちで臨んでいたように見えたが、十兵衛は最初から斬る覚悟で臨んでいたこと。
(又十郎の「あんたに勝ち目などない」と言われて剣を鞘におさめてから「わかっておる」と言うあの一連や、「よし」という台詞も個人的にとても印象的なのである…)


十兵衛は又十郎に父親を斬らせるなんてかわいそうだと言っていたが、又十郎がもし父と対峙していた場合どのような展開になっていたかは、坊太郎への対応を見ても想像に難くない。
そして、二人のこの違いが、十兵衛の「俺の剣は殺人剣、又十郎の剣は活人剣」という評に繋がるのであろうということがなんだかスッと納得できるような気がするのだ。



◆ 木村又十郎の「優しさ」

最後に最初の話をしたい。個人的に一番最初に又十郎のその正しさ…優しさに驚いたのは、配信0:14頃、宗矩が十兵衛と又十郎に島原一揆について語ったシーンである。
木村又十郎はその犠牲者の数を聞いて、声を張り上げて驚くのではなく「3万7千…」と、痛ましい、という気持ちが前面に出るような表情、言い方をしたのだ。一瞬ではあったが心根の優しい、当たり前に人を思いやることのできる青年であると、はっきり伝わってきた。前回の声の大きな又十郎のイメージを払拭するに十分なお芝居だった。


その印象の変革が最初にあったからこそ、彼の行動原理がどこにあるのか、考えながら観るのがとても楽しかった。
そして坊太郎との関係が友情に見えなかったことがとても新鮮だった(木村さんがどのような意図で演じられていたかは存じ上げないのであくまでそう見えたという話で……)。
私から見た又十郎は、正しき道に生きる、優しく凛々しい青年であった。




思わずメモをとりながら見てしまったので、明日からの日常がいずれ落ち着いたら、個人的な備忘として追記したいと思う。
自由な時間が無限にあればいいのに。




どんな字だよ。
通話中の落書きか。
「ムライさんうまい」は3回書いてた。
アーカイブ配信はこんな感じでも見られるから良いなあ……




以下、後日追記用ゾーン。