王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

この物語の主人公は誰なのか? ー ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』を観た

2021年9月29日、ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』の東京千穐楽公演を観劇しました。



過去の記事はこちら
初日の感想
木村達成さんコメントの感想
Cチーム(松下アンダーソン、木村ダニエル、加藤ジャック)を中心とした感想




2週間ぶりの観劇だったのですが、木村さんのダニエルに終始圧倒されてしまいました。
どこにというのを言葉にするのが難しいのですが、強いて言うなら……「濃化」……?
元々良かったところをさらに煮詰めて濃くしたようなダニエルでした。


観終わったあとは魂が抜けてしまい言葉が出てこなかったので、YouTubeを開いたらリコメンドされた「何にでも牛乳を注ぐ女」を延々と見ていました。
なんでこれオススメされたのかわからないけどちょうど良かったです。


ファンなので特大の贔屓目で見ていますが、この贔屓目で何を見たのかは私が自分で書き残さないと永遠の闇に消えてしまうので書きました。




以下、印象的だったシーンについての感想です。
ネタバレありです。





⚫︎ M8 誰だろう?

馬車に轢かれてしまった女性を救うダニエルが神々しくて目を見張りました。
ここは木村さんの演技が変わったというより、神々しさを演出されていることに私が今回初めて気づいたのだと思います。いつもは木村さんの手元が美しくてそこばかり見てしまっていたので。

処置をするダニエルをロンドンの人々が囲み、ロンドンの「外」から来た医者である彼を「誰だろう?」と言っているこのシーン。
同じように「連続殺人犯は誰だ?」と言っている時よりもロンドンの人々が一歩引いていて、畏怖の念のようなものが見えたのが興味深いと思いました。本来なら殺人犯のほうにこそおそれを抱きそうなものなのに。
その輪の中心にいるダニエルは煌々と光が当たっていて、本当に神様のようでした。この作品の中で唯一、命が救われた場面でもあり、ダニエルが人の生死を握る神に近い存在であると印象づけられたシーンでした。

この前提があって初めて、二幕でダニエルの言う「神と戦う」というような台詞に意味を感じることができたように思います。

(10/1追記)
書き忘れ!!!!
以前フォロイー様のご感想でこの曲とM16『グロリア』のメロディが同じだと知ったのですが、ここでダニエルが歌われていたメロディを今度はダニエルのほうが突っ伏してグロリアに歌う光景、それを知って観るとより壮絶でした。ありがとうございます…!!


⚫︎ グロリアと話すシーン

「食べる!!?、??!」と驚いて鞄を構えるダニエルがかわいい。


⚫︎ M10 取引

この歌でダニエルが最初に歌う、「絶望の淵にいる人をこの手で救いたい」みたいなフレーズ…だったと思うのですが…全然違ったらすみません、とにかくここがすごくまっすぐ耳に入ってきて鳥肌が立ちました。

今まで見てた時もまっすぐでピュアで真面目な人だなと思っていたけど、この彼を動かす動機、信念、正義が心に届いたことでよりクリアにダニエルの人物像を描くことができました。そういう人なのかとここで知り、そして最後まで観てそれは確かに彼を貫くものであったと思わされました。


⚫︎ M13 もしかしたら

「ああ…」の間の長さが見るたびに違って、毎回毎回ちょっとずつ違う新鮮な感情がダニエルの胸の内を巡っているんだろうなと想像できました。木村さんのお芝居のそういうところが好きです。いつでも新鮮な感情が流れているしそれに従って生きている。

そして、この日はグロリアのはしゃぎっぷりがとても可愛かったです。
なんかもうリアルに「イケメン医者に好かれて夢みたい!!えっ詐欺じゃないよね!?えっ嬉しいどうしよう!!!!」っていう感じに見えたので、「めちゃくちゃわかるわ〜〜〜そんなことあったら絶対嬉しいわ〜〜〜〜」と思いました。
もっと精神的な邂逅、運命の出会いみたいなのもいいけど、こういう喜びも全然あるなあ、そういうのもいいねと思いました。


⚫︎ M14 みんな、聞いてくれ!

この日最初の「感服です」みたいな気分になったのはここかなと思います。

愛の旅とか夢の旅とか、そんなんかっこよく言えるのJALANAかDNL(ダニエル)くらいだろってくらいド直球な、言ってしまえばどメジャーすぎて陳腐ですらあるこのキラキラした言葉たちを、こんなに堂々となんのてらいもなくストレートに陰りなく朗らかにキラキラキラキラと明るく歌えるのが本当にすごい!と。

この歌、調もメジャーじゃないですか、長調の歌をこんなに闇を感じさせずに歌えるのもすごい。
長調の歌って大人がにこにこ笑って歌うと明るすぎるから逆に切なくなったりノスタルジーを感じたりすることもあるし、つらい過去を感じさせたり悲しい未来を予想させたりすることすらあるというのに、木村ダニエルにはそういうの一切ない。

明るく!まっすぐ!輝いて!!
心の闇なんてひとつもありません!!!!
という。

めちゃくちゃすごくないですか。
私もともとは太陽か月かで言えば月タイプのキャラや人にハマってきたので、こんなに純度の高い光、あんまり見たことないんですよ。何も忍び寄らないの、すごいよ。
よくわかんないけどこれは木村さんの強みなのではないかって思ったんですよ……
「メジャーの木村」と呼びたい。


⚫︎ M15 風とともに

グロリアのソロ、最初の出だしのところで、「ああ、彼女は小さい頃から愛の旅を夢見てたんだろうな…」とふっと思わされました。外の世界への憧れを今だけじゃなくて子どもの頃からずっと抱えてきた人なんだろうなと。

グロリアのやっていたことって(どこまで知っていてどこまで関わっていたのか分かりませんが)強い罪悪感に苛まれてもおかしくないような気がするんですが、彼女からはそういったものはあまり感じられなかったので、その無邪気さ…?のようなところはもしかしたらダニエルと少し似ていたのかもと思いました。


⚫︎ M17 取調室

ダニエルの地獄の始まりである「僕のせいだ」というフレーズ、あそこでまず怖いのは彼の思い込みの強さだと思うのですが、
「毎晩夢に見た理想の人」と恋に落ちたという点、
出会ってすぐアメリカに連れて行こうとする点、
7年後の彼女に気づき、抱き締めようとした点(この7年間には想像の余地があって、ずっと思い続けていたかもしれないし、アメリカで結婚していたかもしれないとも思うんですよね)、
そして「人を救いたい」という強い思いを持っている点、
諸々繋がってここに至るのだなあと……。
思い込んだら一直線で、すごく極端で。

(そうだ、あと、木村ダニエル、なんだったかな額に手をやるんだったかな……なんかたまにやる癖みたいなのがあって、あとスーツの乱れを正したりするのもよくやってて、そういう細かい仕草から、部分的に神経質でちょっとせっかちなところがあるんだなって印象付けになってた気がするんですよね。
特に「せっかち」ってなんだかこの結末に至る説得力がありました。個人的に。)

薬もダメ移植もダメとなって「あいつだけが希望をくれた」って言った時、木村ダニエルは笑ったように見えました。たぶん彼にとってそれが本当に「希望」という明るい嬉しいイメージのものだったから笑ったんだと思うんですけど、そこがはたから見たら狂気に見えるという、二幕に続く大きなうねりの小さな発露という感じでした。


⚫︎ M19 狩りに出かけよう

この歌、疾走感とともに結構爽やかに始まるから一瞬「車(4WD)のCM始まった!?」みたいに思えるのが好きです。全然そんなこと言ってる場合じゃないんだけど。


⚫︎ M21 もう止められない

ここ凄かったなあ……

この日聴いていて、この歌は3部構成なんだなあと思ったんですよね……そんな長い曲ではないですけど。
最初、悪い夢を見ているみたいな気分になっているところが1部。ここの低音の響きがほんと好きで……なんて美しい声なんだろうと思いました。

彼女の人生…みたいなこと言ってたかな……本当に歌詞を覚えられない……比較的穏やかなところが2部。最初の3拍子から拍子が変わって4拍子になるのが、なんだか正気に戻ったような、本人の時間軸が一瞬現在に戻ったような感じがして、切ない。

そこからまた3拍子になってしまうところからが3部。私は(3/4拍子と6/8拍子の区別がつかないけど)自称物語ワルツ大好き芸人なので、もうここからは私の中でワルツなんですよ。
ワルツ、私の勝手なイメージですけど運命に巻き込まれていく、どんなに抗おうとも足が勝手に踊ってしまう、アンデルセンの赤い靴みたいなイメージがあって、『エリザベート』のルドルフの最期のシーンとかワルツ流れててまさにそれなんですけど、
この日のダニエルは違ったんですよ。

たぶんこれまではワルツによってダニエルが運命に巻き込まれていく姿が見えるみたいな感じで聞こえてたんですけど、この日はダニエルが自分で3拍子を踏んでいる、巻き込まれるのではなく自ら運命を呼び込んでいる感じでした。
木村さんが演出の白井さんから言われたという「自ら物語のページをめくる」とはこれか、と、この時すごく納得させられました。
あの時確かにダニエルは自ら物語のページをめくりワルツのリズムを自ら生み出していた。主導権はすべてダニエルにありました。

この歌、ラストに向かうところで、執拗に同じ音が続くんですよね。
たーたーたーたーたーたーと音とリズムだけ見れば多分すごく単調で、だからこそ難しく、しかしこの音に木村さんの声の圧が乗り自分を焚きつけるような気迫、激情が駆け上がっていくのが目に見えるようでもう本当に圧倒されました。すごかった。


⚫︎ M27 ずっと昔の話

この歌の前、ポリーが雪だって言ってんのにアンダーソンが「工場の灰だろ」みたいなマジレスするじゃないですか、あれ「雪だって言え!!!」みたいに思ってたけどここでポリーが「初めて会った日のこと覚えてる?」みたいに歌い出すの、うわもしかして初めて会った日もアンダーソンがなんらかのマジレスかましたのかなだからその日のことを思い出したのかなって思って泣いた。雪だって嘘のつけないアンダーソンが好きなんだポリーは……


⚫︎ M28 俺がジャックだ

さっきの『狩りに行こう』もそうなんですけど、この歌もわりと重いシーンでいきなり途中からズンチャカ始まるじゃないですか。あそこの急な軽妙さがいいんですよね。チェコ版からなのか韓国版でのアレンジなのかわからないですけど、あの道化っぽさを入れるセンスあっての「オタクの好きなやつ」だと思う、本当に。


⚫︎ M29 カオス

ダニエルがグロリアに「すべて君のためだ!」みたいなこと言うの、彼の犯行の供述として本当にそれ以上もそれ以下もないよなあという感じだった。
木村ダニエルは本当に意識上ではすべてグロリアのためにしか動いてないもんなあと……そして無意識でジャックを生み出してしまったこともそのジャック(エゴ)が暴走してしまったこともダニエルにしてみればグロリアへの愛ゆえで。
それがはたから見たらどうしようもない狂気だということなのだよなあと。

私は「はた」なので、このロマンチックな愛の物語自体にはそこまで思い入れはなく……と思ってたんですけど、
最期、グロリアが倒れてダニエルも撃たれて蹴られて、今まで見た回はダニエルの伸ばした手がグロリアに届かないまま息を引き取っていたのですが、この日はその手がグロリアの頭に届いたのですよね……今までも日によって届いたり届かなかったりしていたのか、この日だけ届いたのか、わからないのですが、最期数本の指がグロリアの髪をほんの少し撫でるように動いたので、私はこれをダニエルからグロリアへの本物の愛だと感じてしまいました。
意識のほとんどないであろうダニエルが、グロリアの存在を愛おしいと思う気持ちを、ここに見てしまった。


⚫︎ この物語の主人公は誰なのか

話が飛躍しますが、私はこれまでの回を見て、「物語の主人公はアンダーソンだなあ」と思っていました。(主演が木村さん・小野さんであるというのは全く異論ありませんが!!!!)

彼はこの物語の最上位の語り手であり(ダニエルの語りが彼の語りに包含される入れ子構造になっている)、さらに物語では悪魔=ダニエル=ジャックの話だけでなく自分とポリーの話も語っている。ここの後者の割合が小さければダニエルの主人公感はもっと強かったと思いますが、そうならなかったのには理由があって、それはアンダーソンが「ポリーをロマンチックな物語を飾る単なる小道具にしない」ためにこの話を語っているからなんですよね。
アンダーソンとポリーの話の比重はダニエルとグロリアの話と同じくらい大きく、構成の面だけで言えばダニエルはあまり主人公らしくない状況にあるなあと思います。
(物語はすでに語られているので、内容が事実か幻覚かは主人公性には特に関係がない)

ですが、この日この公演回を見て、「それでも」ダニエルがアンダーソンの物語を歪ませ主人公の立場を奪うことでこそ、アンダーソンの「ポリーや娼婦たちがロマンチックな物語を飾る単なる小道具になってしまう」という危惧を成立させられるのである、ということがよくわかりました。そのための彼の数々の見せ場であると。
ダニエルの影が薄いと「ポリーとアンダーソンの話の方がよっぽどロマンチックだったけど??」となってしまう。それではこの台詞の観客を巻き込んだ自己批判的側面がまったく機能しないのですよね。

ダニエルが見せ場を見せ場として成り立たせ輝いてこそ、この作品は観客に訴え問う力を持つ。
ロマンチックな物語に目を眩まされてはいないか?純粋な愛に絆されてはいないか?
キャッチーな場面に心を昂らせてはいないか?物語を消費し、その肥大に加担しているのは誰か?

この回で私は木村さんのダニエルに終始圧倒され、最後にダニエルがグロリアの髪を撫でたとき完全に彼の「愛」に絆されてしまったため、アンダーソンの台詞を目の覚めるような思いで聞きました。
そして理解しました、ダニエルは主人公でなければいけないのだと。


⚫︎ ラスト

ジャックって鏡に映ったり窓に映る影だったりでわりと虚像なんだなあと再認識したんですけど、最後高いところにジャックがいてポリー含めたロンドンの人々が彼を見つめてる(ポリー以外はみんな下から見上げてる)のってなんだかざわざわしますね。みんなの心にいるよ、だけじゃないっていうか。


⚫︎ カーテンコール

私が見た回、毎回スタオベでしたね……この日もそうでした。
木村さんは中心に立っていましたが、カンパニーのみなさんに感謝するような仕草をしたり、加藤さんや松下さんからねぎらうようにポンと肩を叩かれたり、田代さんがアンサンブルのみなさんに前列に出ていただくことを提案してくださったりと、この作品の木村さんは本当にカンパニーに恵まれ先輩方に恵まれその環境あっての全力主演なのだなあとひしひしと感じました。
目の上に両手でひさしを作って嬉しそうに客席を見上げる姿が可愛らしかったです。





⚫︎ その他

日本版演出の初演メンバーとなってそのミザンスを作り上げる一人となったのがなんだか本当にすごいなあと思います。今後再演されるときに土台となったりするのかなあ…!?と。
来年5月の『四月は君の嘘』は世界初演ですから今度は本当にいちから創り上げていくのですよね。どんなものが出来上がるのかなあと本当にワクワクします。
来年の木村さんが歌う『僕にピアノが聞こえないなら』、絶対にやばいと思う。



⚫︎ その他②

今回の役はなんだか今までの集大成といった感じで、もうこれ以上はないんじゃないかとすら思いました。
なんですけど、今年12月からの舞台『SLAPSTICKS』が発表されて、早速2003年版を見たんですが、見たら「うわこれクリエでやるの…?このキャストで…????大丈夫…!??!???」って感じで俄然前のめりになりました。
まだまだ全然新しい見たことのない木村達成さんがたくさん見られそうで、本当に
いつでも目が離せないと思いました。
これからも楽しみです。



以上