王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

ジャニオタがジュリーについて語る

ジャニオタしかもV6ファンである私にとって、
「ジュリー」といえば一にも二にも藤島ジュリー景子氏です。
しかし、芸能界には有名なジュリーがもうお一方いらっしゃいます。沢田研二さんです。


彼が絶大なるアイドル的人気を誇っていた頃、私はまだこの世に生まれていませんでした。
ただなんとなくそのお名前は知っていて、多分母がテレビを見ながら「ジュリーはかっこよかった」とつぶやいたり、漫画ちびまる子ちゃんにおいて「ヒデキ」とか「百恵ちゃん」とともにまる子が名前を挙げたりするのを目にしてきたことで、ある時代を象徴するキーワードとして刷り込まれていたのかなと思います。また、役者やタレントとして活躍されている沢田研二さんの姿は幾度となくテレビで拝見していました。「この人昔アイドルだったんだなぁ、すごいなぁ。こんなふうにV6もこの先生きのこれるかなぁ」、幼心にそう思っていたこともあります。
でも、まる子やまる子のお姉ちゃん、そして若かりし頃の母が熱狂したという歌うジュリーを見たことはありませんでした。



そう、YouTubeで出会うまでは。




今日はジュリーこと沢田研二さんとその大ヒット曲勝手にしやがれについて、ファンでもなんでもない上になんの知識も持ち合わせていない私が、ただ本能の赴くままに思ったことを書き散らかします。
(批評や記録とかではないので、読んで得られるものは何もありません)


勝手にしやがれ』とは

勝手にしやがれ』は、1977年にリリースされたむちゃくちゃイカす名曲です。
もうイントロからしてやばい。「ててっててってーん」だけで「キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!」てなりますからね。今さらこの顔文字使いたくなるくらいにはキターてなる。


このしょっぱなから疾走感が印象的なイントロ、編曲は船山基紀さんです。そう!!あの少年隊『仮面舞踏会』の編曲を担当されている方です。あの「ちゃりらりらん。ちゃーちゃん!」のイントロですよ。カウコンとかで超聞いてるやつ。あとはTOKIO『AMBITIOUS JAPAN!』『宙船』KinKi Kids『フラワー』の編曲もこの方です。どれもタイトル聞いただけでイントロから口ずさめますよね…!歌詞入ってくるとこからじゃなくて、ほんと楽器のイントロから。口から楽器の音出せるなら出してるくらい歌える。これすごいのは、イントロから歌えるからAメロの歌詞までスムーズに出てきちゃうところなんですよね(宙船とフラワーはサビからだけど)。ジャニオタカミングアウトしてない集団のカラオケ参加時にありがちな「サビ知ってるからなんとなく歌えるだろと思って無難なヒット曲入れたらサビ以外ほとんどわからなくて変な空気」みたいなことにならないんですよ。まじイントロ大事。でこの流れで口をついて出てくる言葉が何かと思ったら


「壁ぎわに寝がえりうって 背中できいている」


めっちゃかっこよくないですか!!?!!!?!!
出だしの「か」からしてキレキレでかっこいい。もうここだけで大体の情景浮かんでますよね。最初は寝がえりうった俺の主観なんですけど、次のフレーズで「背中」が出てくることで主観からはちょっと引いたアングルの絵になる。そんで


「やっぱりお前は出て行くんだな」


はぁ!!??!何これ!?!!こんなスマートなセリフきょうびドラマでもお目にかかれないわ!!!自担ですら!!言ったことないのに!!!(たぶん)
サビを前にしてこの破壊力。そら折原臨也(cv.神谷浩史)もカバーするわ。ちなみに、山口百恵さんの『プレイバック Part 2』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)はこの歌のアンサーソングだそう。夜中に音楽かけて独りでやけっぱちになることを「ワンマンショー」なんて称する優男を、真紅(まっか)なポルシェに乗った百恵ちゃんが「坊や」と一蹴しているわけですよ。なにその神々の戯れ……!!全歌詞はこちら。


勝手にしやがれ - 沢田研二 - 歌詞 : 歌ネット
プレイバック Part2 - 山口百恵 - 歌詞 : 歌ネット


作詞は阿久悠さん。代表作を挙げるまでもないですが、ピンクレディーの歌や、『学園天国』『宇宙戦艦ヤマトなどなど今でも歌い継がれている楽曲ばかりです。
ちなみにサビの最後までいくと歌詞が「アア アアア アアア アア」ってこれだけ見たらカオナシか飲み会から帰ってきてだれかを不快にさせた可能性のある自分の発言を逐一振り返る私かっつー事態になってるんですけど、メロディと合わせて聞くとほんともうここの歌詞コレしかないから。もうあああああああああ〜しかねえよ。言葉なんかいらねえから。これ、歌詞と曲どっちが先だったんだろう……。曲かなぁ。だとしたらここに歌詞をつける可能性があったわけで、「アア」というひとつの解を見てしまった今、その言葉は蛇足にしか思えないっていう。サビの途中で歌詞を切り上げたことによって、言葉よりも雄弁なメロディになってるんです。これができるのは朗々と歌い上げる感じのBメロの存在感が効いてるからかもと思う。


作曲は大野克夫さん。太陽にほえろ!』『傷だらけの天使そしてなんといっても名探偵コナン』のメインテーマですよ!!!ちゃららーらーのやつ。アニメのインストの中ではある層に最も刷り込まれてる楽曲といっても過言ではない。沢田研二さんのバックバンドを務めた井上堯之バンドの一員でもあります。当時は生バンドの演奏で歌っているので、番組の進行具合によってテンポが全然違って面白い。私は90年代以降のポップスだと楽器の異なる生演奏やアコースティックバージョンとかのアレンジには鈍感というか「当時の空気が襲ってくる」感覚がなくてつまんないなと思ってしまう原曲至上主義者なのですが、ジュリーの歌は原曲自体あまりよく知らないので生バンド超かっこよく感じるし楽しめて幸せです。
以上こんな豪華な面々により、『勝手にしやがれ』をはじめとする沢田研二さんの名曲の数々が生み出されていったそうです。はー……すごい。語彙力?そんなもの最初からありません。


パフォーマーとしてのジュリー

タイトル急にEXILEみたいになった。「表現者」でもよかったんだけどなんかすごいこと語らなきゃいけなくなる気がしてやめた。お気づきのようにだいたい「かっこいい」「すごい」「イカす」あとは「ハンサム」くらいしか言わないです。イカすなんて今まで使ったことないけど。若い人知ってるのかな?「魅力的」「かっこいい」という意味だそうです。被ってた。かっこいいかぶり。まあいいや。


上で書き殴った通りまじハンサムな楽曲『勝手にしやがれ』。
これに最初に生命を吹き込んだのがジュリーこと沢田研二さんです。
1977年、当時29歳。
どうでもいいけど、ファンって気になった人の年齢だった頃の自担や推しが何してたかみたいな、推し換算しませんか?ちなみに岡田准一さんの29歳は映画「SP」とかですね。映画版井上薫と同い年くらいの人が勝手にしやがれ歌ってるかと思うとなんかそれだけで興味深いですよね。別の角度からいうと6年ぶりのカミコン直後あたりです。これ岡田准一さんファンの方だけわかってくだされば本望です。
ていうか1977年っていまから39年も前なの!?!!そんな前の映像を、今自宅で見ることができる奇跡。圧倒的文明開化。


この曲を沢田研二さんがどう歌ったのかは、とにかく映像を見ていただきたいです。検索すると出てきます。どれでもいいから見て欲しい。そして気に入ったらCDでもDVDでも配信でもなんでもいいので買って聞いて欲しい。iTunes Storeにはないんですけど、ドワンゴとかにはあります。
(7/17訂正:iTunesでも配信されていました!大変申し訳ありません。沢田研二で検索すると見つかります)



動画検索すると色々出てくるんですが、私が一番好きなのは1977年紅白バージョンです。
上下黒のやつ。(クリーム色のスリーピースで歌ってるのは、リリース時の歌番組露出バージョンみたいです)
まじめっちゃかっこいいから……。ありえないから……。


まず目を奪われるのはその格好です。
黒いジャケット・レザーパンツに白のスカーフ(マフラー?)、ポケットチーフに赤いカーネーション
そんで頭にハット耳に剃刀ピアス、手にはステッキ、ビジューに手錠ですよ!!!
赤西仁かよ!!!1977年にどんだけフル装備だよ!!いくら紅白とはいえかっこよすぎるだろ!!!
ジャケット脱ぐとなんか豚バラみたいなシャツを着てるんですが、首に巻いてる白いなんらかの布とチョーカーが効いてて全然変じゃない。


ジュリーの衣装はどの曲もビックリするくらい前衛的でかっこいいのですが、とある動画のジュリーいわく「ちゃんとかんがえてくれるひとがいて」とのこと。早川タケジさんやプロデューサーの加瀬邦彦さんのことと思われます。
アイドルにとって衣装ってほんと大切で、制服=AKBみたいにイメージに直結したり、メンバーカラーやTOKIO山口くんの袖みたいに特別な識別コードになったりもするし、ていうか極端な話、いい歌歌ってても衣装が安っぽいと存在自体軽んじられるんですよね。おそらく2.5次元界隈にも言えることだと思うのですが。まずは衣装、でもその中でもジュリーの衣装のインパクトは群を抜いている。『TOKIO』のパラシュートとか、もう衣装自体がパフォーマンスになってるし。


話を戻して『勝手にしやがれ』では、斜めに被った衣装のハットを曲の途中で客席に投げ入れるというパフォーマンスがあります。これ当時の子供達がこぞって真似したそうで、そりゃ流行るよ……。かっこいいもん……。いい大人の私だってやりたいよ……。この曲のジュリーは間奏時にふらふらしたりするくらいでわりと行動範囲が狭いんですが、帽子を投げることでジュリーの支配する空間が一気に広がるんす。広がるんスよ。あ、そういえばテレビ番組でポケットに手を突っ込んで歌って許されるのはほんとジュリーくらいだから。生半可な気持ちでやったらお母さんとかツイッターにお行儀が悪いって怒られるから。


次に印象的なのは手の動き。とても表現豊かで饒舌です。しかも紅白バージョンはステッキという強力な武器を得たことでさらに鋭く攻撃的に。正しい小道具の使い方のお手本のよう。指差しとかもパフォーマンス上必要な指差しであって、これに命かけてるみたいなカメラワークも大好きです。さっき言った「アアア」をどんな言葉よりも感情的なセリフにしているのは、その声になびくように揺れる手と腰の動きだと思う。


でもね!!紅白バージョンの一番好きなところはね!!!「手錠が引っかかってジャケットが脱げないというアクシデントをとっさの機転で切り抜けむしろもっと魅惑的に仕立て上げてみせるジュリー」ですよね!!!
まじかっこいいの天才だわ……。「ジャケットを左肩にかけて歌う」ことで元々の半身の構えがぐっと色っぽく意味深になったしね!!?!それでこの先の展開的に掛け続けるわけにもいかないから歌いながら脱ぎ捨てるんだけど!その時のスッと脱いでクルッと投げるこの一連の流れのスムーズさよ!!!こんなかっこよくジャケット投げる人見たことないわ!!
これ下手したら「手錠なんかしてるからww」って笑われて仕事納めに大トラウマだよ。年越せないよ。いくら鎖が切れてるとはいえ手錠なんかしてたら動きにくくなって当たり前なんですよ。自由を奪うための道具なんだから。自分から罠にかかりに行くようなもんです。だって手錠ですよ。紅白に手錠って。…話逸れるけど紅白に手錠つけて出るジュリーってかっこよくないですか。
というふうに手錠をしているということをあらためて意識させるという効果すらあったっていうね!!!


最後につくづく感心するのはジュリーの射抜くような声。めちゃめちゃ通る声質でこの声量でこの伸びやかなビブラート。どこまで伸びるのかと思うし、最後のビブラートなんて両腕を上げてるポーズもあいまってフィギュアスケートのプログラム最後の高速スピンを観てるような気持ちになる。きっと力学的には同じ。おまけにこのハンサムなルックスですよ。「画面に引き込まれる」ってこういうことを言うんだなあと。


楽曲を作った方々や衣装・パフォーマンスを考える周囲のブレーンの方たちが優れているのはもちろんなんですが、やっぱりそれをこうして体現してみせる沢田研二さんはすごすぎる。すごいんだよ!!語彙力なんてないよ!!!


勝手にしやがれ』とジュリー

ところで若い人に補足すると、当時はまだレコード大賞も紅白と同じ大晦日にやってて、私が小さい頃まではレコ大→紅白の移動とかも名物だったんですよ。今でいう紅白→カウコンみたいな。その紅白に来る前のレコード大賞の映像もすごくいいんですよ…!!なんの思い入れもない私が言うのもおかしな話なんですけど!!
だってまずレコード大賞勝手にしやがれ山口百恵さんの『秋桜石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色岩崎宏美さんの『思秋期』で争うんですよ。何それ超神曲揃いじゃん!!ひとつになんて決められないよ!!!なんなら40年経ったつい最近の紅白でも聞いたよねっていうくらいの日本の名曲たち。なのに、この中から『勝手にしやがれ』がダントツでレコード大賞を獲得してしまうわけです。前年謹慎とかいろいろあったものの、それを乗り越えて、再び栄光を掴んだんです。そして駆けつける元ザ・タイガースPYGの戦友たち。あ、岸部一徳さんがいる。でさあ、ショーケンこと萩原健一さんがさー、司会の方に「(ジュリーの受賞は)当たり前だと思った?」って聞かれて、なんて返したと思います?




「ええ、遅いくらいです」




「ええ、遅いくらいです」




えっこれ何?なんてシンデレラボーイズ??誰が脚本書いてるの?向田邦子さんかな???


ていうかそもそも「当たり前だと思った?」って質問からして司会の方におけるジュリーの信頼性高すぎるんですよ。回答のハードル爆上げじゃないですか。それをこうも軽々と超えていくスーパーライバル兼もう一人の主人公がいるなんて……まさに事実は小説よりも奇なりやで……


あと最後にもう一度歌う時の曲紹介もいいんですよね……


「ヤングのアイドルとしてデビューして11年」
「かつての貴公子から人間・沢田研二へ」。


やっぱスターの物語性とか情緒って、こういう語り部*1が必要だと思うわ。
途中で「今年は文字通りの全力投球でした。そうでしたね?」と問い掛けるのがまたすごくて、この一拍置くことでこちらも「うん、そうだったねえ」って胸にストンと落ちてくる。
アイドルの物語はファンが自分たちで嚙みしめるだけじゃだめだ。
こうやって第三者が畳み掛けないと、一般層にまで共有できないんだ。


「君を愛する人々のために あの歌をもう一度 心を込めて歌ってください」


そしてはじまる勝手にしやがれ


ここまでお膳立てされたら泣くしかなくない?いや泣かないけど、でも私ジュリーのことなんにも知らないのに「よくぞここまで……」って感慨深い気持ちでジュリーのパフォーマンスを見守ったよ。なんも知らないけど。だって、司会の方がジュリーの紆余曲折を教えてくれるんだもん。ここまでの話知らなくても途中からでも物語に入り込めるんですよ。ドラマ版見てなくても楽しめる映画版みたいな感じです。
アイドルのファンになる人はその人のバックグラウンドも含めて好きになることが多いかと思うんですが、なかなかそれを一般の方が目にする機会がないのが現状です。昔の曲紹介みたいに「これまでのあらすじ」や「意外な素顔」を端的かつコンスタントに紹介してくれる場があれば、その時その時で興味を持つ人ももっと増えるかもなぁと思いました。ちょっと前まではその役割を「うたばん」や「HEY!HEY!HEY!」がトークという形で担ってくれていたのですが。これからまた歌手の魅力を伝えてくれるような歌番組が増えて、それに素敵なアイドルたちがどんどん出てくれたら嬉しい。


「君を愛する人々のために あの歌をもう一度 心を込めて歌ってください」
声には出さなくても、常にそんな思いを持ってスターを送り出してくれる歌番組を、私は見たい。




なお、このエントリーは当時のジュリーに比べて今のアイドルがどうとかそういう話ではありません。
今のアイドルがそれぞれ魅力的なのと同じように、ジュリーもかっこいいんです。ちなみに最近のジュリーの『勝手にしやがれ』もやばいんですよ……ただのペットボトルを小道具にしてしまうイカしたおじさまジュリーにビビる。お母さん、わたし今ならわかる。ジュリーはかっこよかった。※この「た」は過去形じゃなくて発見と驚きの「た」です。
興味を持たれた方は是非。


最後に。ジュリー、喋ってる時はふにゃっとした関西弁なんですよね……なんて罪作りな男。




おまけの蛇足。その他のジュリー

勝手にしやがれ』だけの一発屋でしょ?とか言いかねない過去の私のために、他の曲についてメモ。


『サムライ』(1978)
沢田研二 サムライ 畳
私の脳に刻み込まれた検索ワード。
これ、本当にすごい。かなりスローテンポの曲なので途中で早送りしたくなるんだけど、我慢して最後の最後まで見てください。段々「これテレビで流していいの!?」との思いが強くなっていくはず。半裸に腕章で出オチかと思いきやここからのまさかの展開がダイナミックすぎる。かなり耽美的なのでテレビはおろかグループコンのソロ曲ですら迷う、ソロコンでやっとできるかなくらいのレベル。ジュリーにとっては、短刀はおろか己の肉体もジャケットの裏地も光の反射という現象もすべてが歌の世界観を表現するための小道具なんや…。堪え性のない私はスローテンポの曲って繰り返し何度も聞かされないと良さがわからないんだけど、この曲は一曲見てるうちに歌詞まで覚えてしまいそうになる。カメラワークも曲の解釈に影響を与えることがよくわかる好例。


『ダーリング』(1978)
怒られると思うけどすごいざっくり言うと男版西野カナみたいな歌。
途中で「とったアアァァァ!!!」てなる。サムライの次にこれリリースしてるんですよ、高低差すごすぎてキーンてなるわ。30歳であれだけ色気ある人が、水兵さんルックで可愛く悶えるキャラに徹せられることに感動するんだよなぁ。


カサブランカダンディ』(1979)
もうただ単純にかっこいい。これが一番好きかもしれない。こんなに気障にかっこよく一つの歌を「歌い上げて」くれる人ってなかなかいない。ジュリーの名曲というとファンの方や音楽ファンの方々はもっと味わい深い他の曲を挙げると思うのですが、ニワカな私はまだこの辺りのキャッチーなポップスが楽しい。多分V6でいうところの愛なんだ、WAになってポジション。それにしても過剰な程のジェスチャー見てたら、スタンドマイクってジュリーのためにあるシステムのような気さえしてきましたよね。
ここでジュリーのパフォーマンスのどこがいいのって聞かれたら、「焦燥感」とこたえます。この曲を歌っている時もジゴロチックなようでどこかじりじりしている。ちなみに岡田准一さんは「探しているところ」、木村達成さんは「好戦的」な空気です(性格や本質とは別の)。


TOKIO』(1980)
出た!パラシュート。このナポレオン的な衣装は今のジャニーズでもよく見る。ジュリーはよく知らないけどトキオを歌ってる姿はなんとなく知ってるって人いっぱいいると思うんだよなぁ。私もそうでした。「モノマネ」や「パロディ」が何かの名を後世に残すこともあるんですよね。逆に言うと語り継がれたものが一番優れたものであるとは限らないんだよなぁ。
トキオでド派手なことやらかしただけの人かと思ってたけど、他のパフォーマンスを見るとどれも印象的だし奇を衒わなくても十分に渡り合えてた人だとわかる。そこにパラシュート持ってきちゃったわけだからそりゃインパクトあるよ。まさに飛び道具。これが言いたかっただけですすみません。お後がよろしいようで…

*1:昭和から平成を繋ぐ語り部はミッツ・マングローブさんではないかという気がしている