王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

ここに記念碑を建てよう。「The Last 5 Years」を観た

オフブロードウェイミュージカル「The Last 5 Years」7月2日マチネ(木村達成さん×村川絵梨さんペア)を観劇しました。




なんかもう「ファー」って思っているうちに終わってしまいました。


だってめっちゃ歌うじゃん……木村さんがあんなにずっと歌ってるところを観るのは初めてだったので……


いつもは観劇中に「あのかっこいいお方はどなたです!!??」「アルファエージェンシー木村達成さんですよ!!ファンクラブに入りましょう!!!」って頭の中で小芝居するのにそんな隙もなかったです。



これはただ私がそんな印象を持ったというだけの話ですが、
舞台上で歌い踊り表現する木村さんには、「ミュージカルをやっている」ことへの確固たる自負を感じたので、
私はそれだけで胸がいっぱいになり、
「ファー」しか言えないファー人間になってしまったのでした。



ここに記念碑を建てよう。
私がミュージカル俳優木村達成の誕生を目撃した気がした記念碑。
そこに「ファー」と刻もう。
私が語彙力を失った証。
※ 記念碑の裏面にはこのページへのリンクを載せるよ!












┏━┓
┃フ┃
┃ァ┃
┃|┃
┻━┻





以下、「ファー」をなんとか日本語に訳した感想です。
ネタバレありです。

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木村達成さん出演NHKドラマ4本の感想メモ

木村達成さんが今年の2〜5月に出演したNHKドラマ4本をようやく観ることができました。
このコロナ禍において「家で」「いつでも」観られる楽しみがあったこと、メンタル的にとてもありがたかったです……木村さん、事務所様、NHK様ありがとうございます……また出てください
あ、心の声が大きく出てしまいました、すみません映像でももっと観たいと思いましたいつかまた出てください



以下とりとめもない感想です(ネタバレあり)

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【いざ、終幕】ハイステ過去作品おすすめまとめ

2020年12月25日(金)10時より、
動画配信サービスDMM.comにて ハイパープロジェクション演劇『ハイキュー!!』(通称ハイステ)シリーズ過去11作品の配信がスタートしました。


詳細はこちら




(2021/08/21追記)


プラットフォームが拡大され、現在は下記22サイトにて配信されています。
ただし基本的には9作目までの配信となっており、DMMでのみ10作目、11作目も視聴できるようです。


DMM.com
Hulu
dアニメストア
FOD
U-NEXT
Amazon Prime Video(レンタル)
J:COMオンデマンド
TELASA
milplus
ひかりTV
TSUTAYA TV
RakutenTV
クランクイン!ビデオ
ビデオマーケット
GYAO!ストア
music.jp
COCORO VIDEO
VIDEX
ムービーフルplus
HAPPY!動画
Paravi
シアターコンプレックス



(配信サイトってこんなにあるのか…)


詳細は公式サイトのニュースにて。

2021/3/20
演劇「ハイキュー!!」初演から”飛翔”までのシリーズ9作品の配信プラットフォームを拡大して配信開始!

2021/8/19
ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」プラットフォーム拡大と再配信決定!



ちなみに他サイトは未確認ですがdアニメストアでは見放題作品として追加されており、月額440円で9作品すべて見ることができます。

(追記終わり)



この記事では、「ハイステ、ちょっと見てみたいけど どれから見たらいいのかわからない」という方へ、配信中の過去11作品について


・実施試合
・登場キャラ(公式サイト「キャスト・スタッフ」ページへのリンク)
ゲネプロ(公開リハーサル)動画へのリンク
・個人的な感想


をまとめました。
もし何かの参考になりましたら嬉しいです。


※ 本記事は以前アップしていた記事の内容を修正・最新化したものです。

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ミュージカル『プロデューサーズ』感想メモ(日程後半)


11/11&11/14の感想はこちら



プロデューサーズ見納めました。
好きだったところで覚えてるところをメモ。(多すぎて覚えきれない)
体裁がめちゃくちゃですみません。


カルメン

○ ロジャー邸
・「なんでスゥ⤴︎ーー(略)ーー」から「なんでスゥ⤴︎ーー(略)ーーーーー…ゥ゛ゥ゛」になってた!途中でひと笑い、最後にもうひと笑い&拍手が来てて進化してた
・レオの「オネェっぽく?」のあとカルメンがウィンクしてるの知らなかったー!あの音、「Exactly!」なピカーンだけじゃなくてカルメンウィンクのキラーン⭐︎でもあったんや
カルメンソロパートの歌い出しすごい優雅だった、声に艶を感じる
・そのあとロジャーと踊るところもエレガント
・ロッジャー・マウスとカルメン・ダックのところすごい好き、あれを見せられることで2人の「Keep It Gay」の精神が直接伝わってくる気がする(しかも普通より聞き取りにくくなること承知の上でかなりはっきり大きめに発音してるのが面白い)
・メンバー紹介のところできゃーって手を振ったりルーペを覗いたり指を鳴らしたり、美しくはしゃいでて好き
・とにとにとにとにとにーで振り返るところ、カルメン足から振り返る
・ロジャーのひらめきのとこ、ペンを出してさっと一回手を上に高くあげてから手帳に当ててて、そういう細かい「なくてもいい」動作の積み重ねでカルメンさんの良さが出来てるんだなーと思った
・同じくひらめき始まるところ、「あーん」の猫なで声すごいなぁ、カルメンさんほんと七色の声で楽しい
・敬礼してるところ可愛いが過ぎる
・タンタンキックたんのとこ結構すごい勢いで顔左右に振ってて可愛い
・ソファに上がって裏声コーラスしてるとこ、途中で「わぉ!」って入れることで盛り上がるし他のとこ見ててもカルメンの声に気付きやすくなった
・サインサインサインのとこ一番上でハモリに入ってる?
・「ロジャー・エリザベス・デ・ブリ」のとこの三段階胸反らし、思ってるよりめっちゃ反る
・レオに当たりが強い ブランケットに絡む 腕をはたく 突き飛ばす 楽しそう
・マックスにはわりと友好的 ファニーボーイがファビュラスなんだもんね(ロジャーが仲間に聞いてみるって言ったとこでマックスにちょっと強気な目配せするの好き)
・とにかくごきげんで最高


○ 一幕終わりの歌
・ロジャーと新聞に隠れて出てくるの可愛いよね…別に隠れなくてもいいのにね…
・おいでしたり肩揺らしたり扇情的である
・顎をぐいっと上げるカルメンさんほんと決まっててかっこいい
・他のシーンも含め、音楽に合わせて指クイっとしたり顎をぐいっと上にあげたり、指鳴らしたりウィンクしたり、キメ動作がキレイに決まるのがほんと好き、かっこいい(吉沢レオと木村カルメンはすごく音に当てにいく印象。好き!!)


○ オーディション
・「ターン」の発音がかっこいいんだよな…
・「静かに!」のあとンンッと咳払いが加わっていたことでカルメンの声だったとわかりやすくなってた!
・微かに響く「ひっひっひっひっ」というカルメンの引き笑い
・カードで顔を隠して笑うの可愛いんだけど、そのカードを普通に親指と人差し指で持つんじゃなくて中指を伸ばして人差し指と挟むようにして持ってるから指の長さと綺麗さが際立つ、それだけでかっこいいし色気が出るからすごいなーと。笑ってるけどぬかりない


○ 初日
・もうすべてが可愛いね……声はかっこいいしさあ……(好きなところが多すぎて容量オーバーしてる)
・狼がぶがぶ
・ロジャーとかレオの胸元めっちゃ叩く あれ前見たときはそんなやってなかった気がするんだけど、この行動すごく世話女房(この言葉はあれだけど…)っぽくてさらにキャラ立ってた
・最後のハモリめっちゃ綺麗じゃない??
・ロジャーに代役をやるよう説得するところ。最初のロジャー邸でロジャーが演出やらないって言ってるところからカルメンは「そうなの…?」みたいな顔してるし、やるってなったら嬉しそうで、オーディションでもロジャーつんつんしてこの人はダメよねって伝えたりとかして、カルメンはロジャーの意思決定に強く関わるけど強制はしない、というスタンスが見えてきてからの全身全霊の説得、ってところがグッとくるんですよねーーそれだけここがロジャーのターニングポイントって思ったってことでしょ…しかも大正解だったし……なんて愛の深いパートナーなんだー
そしてきちんと心の動きを提示してきてるからここがカルメンの物語の山場にちゃんとなってる、初めて気持ちのこもった長い文章を喋るけど唐突感がない
カルメンとロジャーってレオとマックスと同じくらいの歳かなあと思っちゃうんですよね だから2人にもあんな出会いがあったのかなーって カルメンがロジャーに「〇〇見ました!まだ半券持ってます!」みたいな…………かーらーのー紆余曲折あってのこのシーンかもとか思ってちょっと泣く
・ホクロとってきてのところ、なかなか行けずに「ひーっ、ひーっ」て高い声出してるの一瞬なんの音かわからなくておもしろ愛おしい なんならもっと長居してほしい



○ 撃たれそうになるところ
・ロジャーがカルメンを庇って前に出たのを見たカルメンの、絵に描いたようなキュン顔がすごい あんな表情が出ることがすごい
・そこからカルメンが前に出て庇うけど足ガクガクなのいじらしすぎるでしょ
・めっちゃ跳ぶ



○ カテコ
・みんなが捌ける時、半歩前に出て両手で「出て行け!」してから帰るようになってた。追い出し番長



○ 全般
・マエストロ塩田先生の配信番組で言ってた「つねに客席側の足を内側に入れている」(そして腰をキュッと入れる)をあらためて確認 すごいなぁ 人に見せるための立ち方だ。
・普段の猫背を絶対に出してはいけないという強い意志……!!
・腕を組む時や腰に手を当てる時の指がまた美しい



とにかく鏡の前でヒールを履いて歩きまくって研究したそうだけど、稽古序盤の立ち姿(1枚目)からあんなに変わるものなんだなあと…





あー書き切れない、
とにかくカルメンさんは美しくてかっこいい!
自信と誇りに満ちていて素敵。
木村さんが立ち姿や所作にとことんこだわってカルメンに宿したのって「美意識」や「品」だと思うんだけど、それって別に物語上必須ではないもので、だからこそ多くの個性の中からそれらを選んでくれてありがとうという気持ち……
そしてその上で笑いをとるために「間」という方法を取ったの、カルメンさん自身を貶めないし美学と矛盾しないからすごい。
塩田さんの配信で「カルメンとしてスタンプを押す」って表現をしてたけど(わかりやすい!)、一回カルメン定点観測してみたら大なり小なりスタンプガンガン押しまくってて、それを記憶に留めていく私、なんか太鼓の達人やってるみたいでした。好きだー!




● ロジャー

○ 劇中劇
・何度でも同じこと書くけど、劇中劇の吉野さんが大好き。
・ロジャー、とにかくチャーミング
・髪が乱れちゃうからわりと普通にイケメン風の髪型になってるんだけど、私はあの髪型に弱い。そして顔をパッと動かして目にかかった前髪をよける仕草に弱い。ので踊ってる時に一瞬それをやったロジャーを見てしまいキュンとしました(全然そんなシーンじゃないのに….)
・歌詞がむちゃくちゃすぎて全力の「はいるちょうだい」でどうしても笑ってしまう
・ロジャーの演じてる役が小さく見える。たぶん手足を一生懸命遠くまで伸ばして踊るから?風刺として効いてる。ロカビリージャックの悪魔さんと同じ人とは思えない。
・上でカルメンの美意識のこと書いたけど、この劇中劇とロジャーのパフォーマンスはロジャーの美意識に基づいていて、それ以上でもそれ以下でもなく、たとえ演者の吉野さんができることでもロジャー以上のものは出てこないんだなと。吉野さんのロジャーって明るく陽気だけどちょっと小心者なところがあって根が真面目な感じですよね…だからロジャーのここのパフォーマンスも奇をてらわない(これほんとすごいことだと思う)、一世一代ド直球の全力演技になってて、見ててほんとだんだん泣けてくるんですよ……(あまりにも思い入れが強い)
・ロジャーはあまり関係ないけど、鏡が出てくるところは普通に怖い。音楽もボレロの終盤みたいに感極まってるし……
東宝版『エリザベート』でも民衆があの形になってるシーンがあってそれを思い出すんだけど(『HASS』)、あちらの演出は二階席からは見えるけどわりと一階席からは見えにくい感じだなあと思っていて。民衆たちは自分たちがそうなっていることに気づいてないし、真ん中にいる皇太子ルドルフと皇帝フランツ(リープキンではない)も知らないし、同じ目線のお客さんも気付きにくいっていう。それって歴史的な何かが起きている時であったとしてもその真っ只中では気づかないみたいな演出なのかなと、、、
一方こちらはわざわざ鏡で見せてくれるんですよね。だから一階席でも見える。この鏡こそが風刺みたいだなあと。今こういうこと起きてるよーって客観的俯瞰的に映し出して観客(民衆)に見せるみたいな。あの風景、鏡に映ってると少し滑稽に見えるからそういうとこもそれっぽいなって。
ただそれはメタの話でロジャー的にはただ美しく見せたかっただけなんだろうなと思うんですけど、そっちはそっちでまじ美意識とプロパガンダが結びつくとやっぱ怖いなって思いましたね…普通にロジャーの熱演に心打たれてるとこあったから………それをわかって見るから皮肉になるんだけどさ……私は本当に“わかって”いるのか……??とかそんなことを考えさせる吉野さんの熱演でした(なんの話?)



● ウーラ

Brava!











・いやほんと……歌もダンスも綺麗で可愛くてかっこよくて、かたづけ?なにぃ?の言い方とかもうまくて可愛くて面白いのってどういうことなの?神様は木下さんに何物与えたの?ありがとうございます。
・ウーラが「うーうーうーわーわーわー」の動きやったところで可愛すぎて劇場が溶けた
・木下さんウーラと木村さんカルメンのキャスティング、お二人ともコメディは初めてだそうだしそれまでに似たような役をやったこともなかったから賭けみたいなとこもあったのでは…と思うんですけど、ほんと最高の結果になったのでは……キャスティングしてくださった方ありがとうございます……正統から離れたお二人の舞台度胸というか、思い切りの良さを知ることができて嬉しかったです。そして木村さんの去年の12/14のFCブログを思い返しました。思わぬ方向性での成長がすごい。拍手したい。







大野レオ
・大野さんのレオ、井上さんマックスがビンタされた時に抱きとめたり(吉沢さんもやってたかもしれないけど)、ことあるごとにマックスと目を合わせるからやっぱり弟分、相棒感が強い。あなたについて行きますよー!!感がわんちゃんみたいでとてもかわいい。だから最後に帽子かぶるところで本当に「よかったね…!!」って思って涙腺にきてしまう、真っ直ぐで目がキラキラで応援したくなるレオ。



吉沢レオ
・吉沢さんほんとむちゃくちゃ面白い。でも会計士としての台詞はちゃんとプロとして対等にマックスに話してる感じがあってそういうバランスが凄くいいなあと。
あと「世界を止めろ!僕は前に進むんだ!」みたいなフィクションバリバリの台詞をカッコよく言えるのが素敵。
私吉沢さんのキングダムでの人々を鼓舞するお芝居が本当に好きなので、言葉に力があるのを生で目撃できて最高でした。



ホールドミータッチミー
・「あの顔」の歌で出てくるところ、この作品で一番平和な笑いだなって思う。何度見ても好き、出るってわかってても面白い
・カテコで闘牛みたいに捌けた大野さんの代わりに闘牛で出ていらしたのが最高でした…なんておちゃめで素敵なの
・もしかしたらホールドさんじゃないかもしれないんですけど、裁判所でレオに「歌うまいね」って言ってるの好き



フランツリープキン
・毎回劇場が沸いててすごいなぁと…何度見ても笑っちゃう。
・観た日のオーディションシーンで、ロジャーとカルメンに「前からずっと思ってたんだけどな!お前ら普通に綺麗なんだよ!俺と付き合え!」って言ってた



マックス
・井上さんのすごいところは、歌とダンスとお芝居が完璧なミュージカル俳優の方であるにもかかわらずツッコミまでできるところなんだと知りました。この作品、井上さんがツッコミ能力を持ち合わせていなかったら成り立ってるイメージわかないです…そしてさらにさらにすごいのがツッコミが完全にアシストであるところで、「俺のツッコミが面白い」「拾えた俺がすごい」「俺のナイスフォロー」みたいな俺感がまっっっったく漂わないですよね……すごくないですか……おかげでレオとウーラとカルメンがどれだけ光り輝いたことか……(これはツッコミだけの話ではないのですが、井上さんの若い役者さんに対する「場の提供」によって拓けたミュージカル界の未来がたくさんあるんだろうと強く思いました。これまでもこれからも)あと大人組のボケツッコミ合戦も見応えがありました……
・でもやっぱり歌ですよね…裏切り者の時、自分が渦の中にいる感じがする。聴いてるんでも見てるんでもなくて体感してるんですよね 劇場のうねりを







・舞台上のみなさん、歌とダンスとお芝居が本業なのに、こんなに多くのお客さんを笑わせて本当にすごいなって思いました。なんて多芸多才なんだ……
・物語の最初の方で「ステップワン!」ってこれからのあらすじ提示してくれるの好き、わかりやすい。ステップにはない想定外のウーラが入ってきた時の「!?」(「パーパッ」)って音も映える
・逆に終わりの方でこれまでのあらすじを振り返ってくれるのも好き。とにかく親切な設計
・二幕で案内係の可知さんえりさんが懐中電灯を持って入ってくるのが好き。舞台上が客席と繋がる
・ラストシーンやおばあさまの国、会計事務所などとにかくシーンの画が強い
・最後に看板のネオンが点灯していくとこの音が素敵すぎて夢がありすぎて泣いちゃう






おしまい!






参考記事:【随時更新】木村達成さん出演作・今後の予定まとめ - 王様の耳はロバの耳
(色々盛り込みすぎたためページの読み込みに少し時間がかかります)













● 最後に木村さんについて
今年はリフ役で出演予定だった『ウエスト・サイド・ストーリー Season3』と初主演作品となるはずだったミュージカル『四月は君の嘘』が全公演中止となり、個人的にはとても残念な気持ちでいっぱいでした。
しかしその後、TOHO MUSICAL LAB.の『CALL』、『ラヴ・レターズ』(私は見られませんでしたが)、初主演となったストレートプレイ『銀河鉄道の夜2020』、そしてこの『プロデューサーズ』と出演されていく姿を見て、あらためて、木村さんのお芝居が好きだなあと実感することができました。
特に緊急事態宣言解除明けに『CALL』のヒダリメの柔らかなお芝居を見られたことはとても大きかった。そして銀河鉄道の夜のジョバンニ、あの身を切るようなお芝居は私の中でまだ終わってなくて、手をつけてはまとまらない感想の下書きがまだ残っている。
これはこのブログのAメロなので何度でも言うんですけど、私は歌ってない作品(ハイキュー)の木村さんのお芝居を見て沼に落ちたので、今年もっともっと歌声が聴きたかった!と思うのと同じくらい、やっぱり木村さんのお芝居が好きだー!!と思いました。

あと、あれですね…大樹的な存在に寄り添い立つ木村さんの演技の良さ みたいなものを再発見してしまいましたね……テニミュ海堂(→乾先輩)に始まり、ナルトの薬師カブト(→大蛇丸)(ちょっと性質が違うけど)、ハイキューの影山(→日向)、そしてカルメン(→ロジャー)の系譜。弱虫ペダルの今泉くんも近い感じがあるかな……どの役も好戦的で勝気な見た目だから無闇に人とつるんだりしなそうで「犬か猫かで言ったら」みたいなとこあるのに、大樹のような絶対的存在を見つけたときのその献身的な行動のギャップに驚かされるっていう。その驚きって木村さんの表情に端を発してて、「入れあげてる」時の顔がめちゃくちゃわかりやすくてすごいんですよね……(これは銀河鉄道のカムパネルラに対するジョバンニの顔でも思った)
なんかいいなあって思いました。

でもでもやっぱり来年は、できたらまたミュージカルに出演されている姿も見られたら嬉しいなあと……
このブログのBメロは「お芝居が好きで沼に落ちたのに歌を聴いたら歌声もめっちゃ好きだった」なので…
ちなみにブログのサビは「え?あの素敵な役者さん誰?え?木村達成さん??え??? めっちゃ推したい(推してる)」です。
舞台上の姿を見て、何度だって驚く。

ミュージカル『プロデューサーズ』感想メモ(11/11&11/14)

11/11(水)と11/14(土)にミュージカル『プロデューサーズ』を観ました。


※ 日程後半に観劇した感想はこちら





◆ 11/11(レオ:吉沢亮さん)の感想


今回、かなり斜め上の席から観たのですが、半分くらい台詞や歌詞が聞き取れなくて「これが噂の音響の悪さ……!」と思いました。音は聞こえるし滑舌や発声が悪くないのもわかるんですけどなぜか言葉に変換できない。シャボン玉の中から観てるみたいでした。
あと急な角度で見下ろすのでサイズ感とか高低差とかわからなくなるんだなあと思いました、これは別にどの演目でもそうですが。



そんなあんまり良くない条件下ではありましたが、それでもかなり楽しかったです。
この状況にこそエンターテインメントをという、みなさんの一丸となったエネルギーに圧倒されました。
オリジナルや日本初演版は見ていないので比較できないのですが、2005年映画版と比べると結構そのままな印象で、思ってたより観やすかったです。
そして好きな役者さんが輝いていてとても心が躍ったー!!




以下、ネタバレありの感想です。



井上芳雄さん(マックス)

このお芝居は井上芳雄という名の土俵(土俵?)の上に成り立っている……と思いました。
歌、芝居、ツッコミの三拍子揃ったALSOKのホームセキュリティみたいな安心感があるからこそみなさんがのびのびと演技をされているしこちらも「そんな変なことにはならないだろう」という安らぎを得られる……とても偉大な存在でした。
二幕の『♪裏切り者』はこれぞ「芸」を見せてもらっていると思ったし、あと一幕冒頭の『♪ブロードウェイのキング』も、なんか言葉にならないんですけど「おお、、、」と。ユダヤ音楽にのせて井上さんとアンサンブルのみなさんが作り上げる悲喜交々の猥雑さ(「俺を見ろ」とかね……)、あれでもうその後繰り広げられるであろう無茶苦茶に対する腹も括らされる感じがします。プリンスが鳴らす渾身のゴング。


吉沢亮さん(レオ)

吉沢さんは映像のお芝居でも声がよく出るし変顔の表情も豊かだし瞬発力がありオタクの視線を内面化している人というイメージだったので、発表された時からコメディやレオ役は似合うだろうなーと思っていたけど、やはりぴったり!!!!
歌も元々お上手と聞いてましたけど、本番までにここまで持って行くなんてすごいなあと…本人がどんなに努力しても間に合わないことってあると思うので。
あの井上さんに「ブタ…ブタ……」とか言いながら食らいついていく吉沢さんと、適宜突っ込んだり受け止めたりする井上さん、なんか見ていたら泣けてきたし「美しく優しい世界……」ってなりました。いや実際の言葉のやりとりは全然美しくも優しくもないんだけど。お二人が並ぶと「スターが2人!」という感じになるので、単純に嬉しい。個人的に吉沢さんにはブレイク前から色々出続けている地層と表現欲のマグマみたいなものを感じるんですよね……そこもレオによく合っていました。


春風ひとみさん(ホールドミー・タッチミー)

えげつない台詞を言っていても滲み出る品の良さで中和されていく(これは今回の役者さん全員にある程度共通していたことのように思う)。すごい。
マックスとおばあさまたちのシーン、個人的には色々あれなんで全然笑えないんですけど、おばあさまたちの国はサンリオピューロランドかな?と思うようなラブリーな雰囲気で、特にコーラスと群舞は愛らしさと迫力が同時に押し寄せてくるという個人的にあまり体験したことのない光景でした。
登場人物全員が「パワフルで好きなものを追い続けている」からこそ最後「なんかよくわからんけどとにかくよかったねえ!!」でそれなりにすっきり終われるんだと思うんですけど、それも春風さん演じる最年長のおばあさまがこれだけお元気でチャーミングに振り切れているからこそかなと思いました。


佐藤二朗さん(フランツ・リープキン)

「あっ、この人知ってる、佐藤二朗だ!テレビでよく見る!」と思いました。
個人的には映画版よりフランツの人物像が少し丸くなっていてとっつきやすい感じになっていたなあと。ここの圧が強すぎたら見ていて心が折れたかもしれない。「グーテンタークぴょんぴょん」という言葉の気が抜けるような語感と佐藤さんの気張りすぎないフランツの雰囲気がよく合っていました。
佐藤さんがいることで、良くも悪くも今ここが2020年の日本であることを思い出させてくれる。作品の中に特異点が生まれる。私は嫌いじゃないです。ほんとはちょっと好き。


● 吉野圭吾さん(ロジャー・デ・ブリ)

劇中劇の吉野さんとても良かった……
そもそも全体的に令和の今でも面白いのか?と思う冗談が多いんですけど、その中で吉野さんロジャー&木村さんカルメンの「できるかぎり属性を外から面白がらない、属性だけで笑わせようとしない」役作りはとても好ましく感じました。これが演出の福田さんのさじ加減なら嫌いじゃないなあって……本当の本当に「できうる限り」ではあるんだけど……少なくともお二人とも自分の役を「ゲイだから面白い役」とは思っていないだろうと感じるというか……特に吉野さんはやろうと思えばもっといくらでも極端にできると思うのですが、それをできるだけやっていないところが個人的に好きだなあって……
しかもあの吉野さんの劇中劇のお芝居なら「実はすごい深いお話なんじゃ!?」ってなってしまうのめっちゃ納得できる。なんかオタクの「見えないものを見てしまう」力が発動するというか、実際「ハッ…この演出……『エリザベート』でも見たな……」とか思っちゃったし。考察が捗りそう。ロジャーが本気でちゃんとやってる様が見えてすごい好きでした。
あとロジャーが契約書にサインするところでフランツのシーンとエリザベス被り起こすのがこの作品で一番好きなジョークです。(あれロジャー側にも何か深い意味があるのかな…)



木村達成さん(カルメン・ギア)

手足の持て余し方が美人。
はーーー綺麗だったなーーーーー反らされた背筋が美しいしメイクでキリッとした目が強調されて最高に素敵だったし、眉をハの字にしたときの悩ましい顔も魅惑的だった。
気品があり、誇り高く、愛情深い。
いいなーーーーー!!!!
あの麗しのサブリナ的パンツスタイルとヘプバーン的髪型を提案してくださった方ありがとうございます!!衣裳の生澤さんでしょうか?ありがとうございます!!スタイルの良さが際立って本当によく似合っている。情熱の赤を基調としてるのがまたいいんですよねー。
あと二幕の衣装!!映画版は私服とそこまで変わらないんだけど、今作ではドレスアップしていてとてもキュート…!一幕の衣装に比べてもっとしぼれるっぽいのにしぼらないところにカルメンの好み(と衣裳の生澤さんのこだわり)が凝縮されていますね…あの髪型にワインレッドのタキシードを合わせるカルメンさんってめっちゃいい。
しぐさや言動についてはかなり映画版を踏襲していると感じたんですけど、同じことをしていてもちゃんと木村さんのカルメンらしさがあって、ほんと、「やったな!!!!!」って思いました。指先からつま先まで作り込まれてますね……!
いつものかっこいいお辞儀(※)を封印してスカートの裾をつまむようなお辞儀をしていたのも麗しかったです。
本編中は「今の木村さんの声か!?」と思ったところが多かったので(斜め上からだと意外と口元が見えない)、また観劇できたらまずそこらへんをよく確認したいです。

※ 参考動画:エリザベート2019年8月25日カーテンコール(1:05より)



● 木下晴香さん(ウーラ)

このメンツで最後に出てきてこれだけ強烈なパンチをくらわせられるとは……
私は今回、この作品で木村さんや木下さんの役がどういう演出になってしまうのかちょっと不安で、木村さんはともかく木下さんについては「変な感じにしたら一生許さんぞ
という強い気持ちで臨んだんですが、およそ杞憂でした……木下さんは本当にすごい。歌も上手いしダンスもキュートだし。めちゃくちゃ歌えて踊れるからウーラ役だともったいないかもって思ってたけど、わざと下手にするんじゃなく(あれは映画版だけの設定なのかな?/後日追記:BW版聴いたら同じところからガッツリ歌ってた!)ちゃんと歌わせてもらえてたの本当によかった。ダンスは抑えめだったけど、ポジションが綺麗に決まるので舞台によく映えていたし。衣装も全部とっても可愛くてよく似合ってて。本当に青が似合う。衣裳の生澤さんありがとうございます!!
下ネタに絡んでも下品にならず、露出が多くてもいやらしくなく、とにかくヘルシーな色気なんですよね。あと落ち着きがすごい。
うまく言えないんですけど、私はたぶん木下さんや木村さんなどの若い人が一昔前の日本のステレオタイプ的な笑いや価値観に消費されるのが怖かったのかなと思うんですけど、あまりそんなことはなく、むしろウーラやカルメンがきちんと自我のある(「おもしろ」のためのステレオタイプの枠組みに完全には押し込まれてない)若者たちになっていて、その点については好感を抱きました。
あと、フランツの下ネタに困惑してウーラとカルメンが顔を見合わせていたのが可愛かった。特にカルメンが眉をひそめていてすごく良かった。「だよね」って思った。


あとカテコでウーラとカルメンが並んでいる時のビジュアルが『ガラスの仮面』の「ふたりの王女」編のマヤと亜弓さんにちょっと似ている…(キャスト発表時の「まさか…ミスキャストでは…」からの「ハマり役でした」の流れも込みで)と思ったのでちょっと二人に「ラストニア わたしの国…」って言ってみてほしい。そんでカテコで亜弓さんがニッコリて笑ってマヤがぱちぱちしてるやつやってほしい。



● カテコの話

この日のカテコでちょっとしたハプニングがあったのでメモ。
3回目のカテコで本来は井上さん吉沢さんだけが出てきてくださる予定だったようなんですが、
主役のお二人が真ん中に出てきたところで木下さんが下手から出てくる→そのあとについて木村さんも「???」となりながら下手から歩いてきてしまい、
途中で木下さん「?…??」
それを見た井上さん吉沢さん「!?!」
井上「(主役の)2人だけ!」
木下「!!、!!!(キョロキョロあたふた)」
木下木村「(顔を見合わせる)」
木下さん木村さん帰ろうとするも井上さんが「もうみんな出てきちゃえ!」
で、
みなさん「(いいんかな…??)」という顔で出てくる
春風さんだけノリノリで真ん中の方に出てくる(そう見えた)(お可愛らしい……)
みんな並んだらかなり下手側に寄っていたので上手側のアンサンブルさんは出てこられなかったのかも?
そしてその後ろを吉野さんロジャーが上手から下手へ颯爽と駆け抜けていく→はっとした木村さんカルメンもその後を追って下手へ走っていく
みんなでお辞儀!
…というような流れでした。(ロジャーとカルメンが帰ってきたかどうかは覚えてない)


木下さんと木村さんが異変に気づいた時、木下さんが「(あれっ?あれっ?)」ってキョロキョロして恥ずかしがってたのが役が抜けた時のマヤみたいで(またそれか)可愛かったし、それを見る木村さんが素の時のアハハ!みたいな反応ではなくカルメンのまま、ちょっとはにかむような感じで困ってアヒル口になりつつお姉さんの顔でどうしようね、という感じだったので純粋すぎるマヤといる時の亜弓さんみたいでため息出たし「カルメンさんすごい頼りになる……好き……」ってなりました。一緒に間違えてるんだけどね!!!
お二人のうっかりドジっ子な一面が見られてほっこりしました。
そして劇場の「……?」という空気を大団円な雰囲気にしてくださった井上さん、吉野さんは本当にさすがでした…!!













◆ 11/14(レオ:大野拓朗さん)の感想


やっっっばカルメンさんやっっっっっば

今回は1階席で観たのですが、まず台詞が聞き取れたし何より斜め上から見下ろすのとそれなりに正面に回り込んで見るのとでは、エンカウント感が全然違いました。
斜め上からじゃ頭身とかわからなかったのですが、まさかこれほどまでにお人形さんみたいなスタイルだったとは……SUKI



以下、感想です。

大野拓朗さん(レオ)

めっっちゃ良かった、吉沢さんと最高のWキャストだと思う。大野さん、本当にミュージカルうれしい!たのしい!大好き!というのが伝わってきて、見ていてちょっと泣けてくる。
根が陽のレオという感じなので、プロデューサーになるという(彼の現状から見ると)突拍子もない夢を見続けたところやリオからニコニコ手紙書いちゃうところとかすごく納得できる。
一方吉沢レオは青いブランケットに依存しているところや繊細なところが切実で(「依存してて」と人に言う時の葛藤と自己受容を過ぎた言い方がうますぎる)そこが他人事じゃない笑いに昇華されてる。
あと大野レオはマックスと一緒に周囲に振り回されている印象なんだけど、吉沢レオはわりと最前線でマックスと対峙してる。ラスボス。てか吉沢さんと木村さんの同学年1993・1994年組すごくないですか。吉沢レオと木村カルメンの組み合わせ、レオがロジャーの好みであるといち早く察して威嚇してるカルメンの図に説得力が増すんですよね……ナイスキャスティング!
大野さんの方は歌やダンスも端整で井上さんとよく色が馴染んでいて、そのザ・グランドミュージカル的統一感が逆に台詞のバカバカしさを増して「東宝謹製 最低ミュージカル」という趣がありました。
吉沢さん・佐藤さんが参戦することによる異種格闘技戦のような鮮烈な化学反応を楽しめる吉沢ver.と、井上アベンジャーズfeat.Jiro Satoの活躍を堪能できる大野ver.という感じで、どっちもとってもいいなあと思いました。


木村達成さん(カルメン・ギア)

今回気づいた好きなところ
・笑顔がくしゃっとなって可愛い(あんなに気高いのに……素敵……)
・大きな音(主に佐藤二朗さんの声)がすると肩からビクッとなるの猫みたいで可愛い
・ロジャーと話してる時ほんと楽しそうでいいなあ
・ロジャーの才能がきらめく時ほんと嬉しそうでいいなあ
・ロジャーとレオの香水のくだりの後に不安そうなカルメンに向かって吉野ロジャーがすれ違いざまにさりげなく「冗談よ」ってポンポンしてるのを見た気がしたんですけど、そりゃ好きになるわ(ロジャーを)
・撃たれそうになる時ロジャーの前に出て守ろうとしてるの健気
・くるくる変わる表情(ロジャー自身とロジャーの才能そのどちらも愛していると伝わってくる)
・ルドルフ先輩(井上大野)を謎の間と圧で押す2019ルドルフ(木村達成
・真顔のステップ
・どっから声出してるのかわからない声好き(前回これ木村さんの声か!?って訝しんだところ全部本人だった)歌中のドナルドダック、裏声、オーディション時の静かに!!などなど
・『♪初日にそれ言っちゃダメ』のカルメンの歌声めっちゃかっこよくない??????
・花束を渡しに行く時の動きのダイナミックさが好き
・カテコの歌と踊り、こなし方とあしらい方が美人のそれ
・はけるときの振り向き様のついばむような(?)バイバイとピンと伸びた背中がかっこいい
・オーディションシーンで前回は平然としてたカルメン、今日はフランツの転調のくだりで最初からツボに入っており半笑い、そこからすぐ顔を後ろに向けてしまう→ウーラが手のひらでやわらかくトントン、トントンと背中を叩いて客席側を向かせようとする 鬼か 可愛い
・カテコで大野拓朗さんのお誕生日をお祝い。レオにロジャーとカルメンが左右から勢いよく頬に口づけ→すぐに自分の立ち位置に戻ったカルメン、右手の甲で勢いよくぐいっぱっと自分の口を拭い去る←なにそれかっこいい



● その他のツボ

・木下さんのウーラの歌声、1階で浴びたらもはや可愛いとかじゃなくて「かっこいい」だった。
・井上さん、マントみたいなコート似合いすぎでは……??めちゃくちゃかっこよくない????髪型・メガネでさらにドンじゃない????
衣裳の生澤さんありがとうございます!!
!!!











以下、個人的に気になったことなどについて。


● 劇中劇の吉野さん

二度見てもやっぱり好きだなって思いました……映画版の「あの人物がゲイだから面白い」から今作は「ロジャーのまさかの熱演に笑っちゃうけど引き込まれる」に文脈が少しシフトしている気がするというか……滑稽さを他の文脈で作っているというか……今の日本で前者をやったら(迫害などへの痛烈な皮肉の面も見えずに)ただただゲイを道化役と認識しているように見えてしまうのではないかと思うので……少なくとも、口の横に手をやったりとかの仕草がこれみよがしに前面に出てこなかっただけでもちょっと安心してしまったというか……2000年代にブロードウェイでこの役を演じるのと2020年代に東京でこの役を演じるのとでは、それなりに大きな違いがあるような気がしていて、私は吉野さんとカンパニーのこのローカライズというか、さじ加減を支持したいなあと……



● 『♪オネェで』という訳

一幕でロジャーとカルメンたちが歌う『♪オネェで』、原曲は『♪Keep It Gay』というのですが、「gay」を「オネェ」って訳すのはちょっと雑では…?と思いました。でも日本語の「ゲイ」だと原曲の「gay」の「ゲイ」と「陽気な、楽しそうな、華やかな」というダブルミーニングが成立しなくなってしまうんですよね。映画の字幕だとふりがな技が使えたけど。「オネェ」という言葉には確かに「陽気な、楽しそうな、華やかな」イメージもあるのでポジティブにそれを採用している……と考えればわからなくもないし、ロジャーの演出イメージや言わんとしていることは確かに伝わっているけど、でもじゃあ冒頭でわざわざ「芸…あ、オネェのことじゃないよ!」というのはなんなのかなと……あの冗談?があることで「オネェ」という言葉を粗雑に使っている印象が強まる。あれはオリジナルだとなんて台詞なんだろう。
それかひょっとしてこれ日本初演の15年前の訳のままなんでしょうか。それなら、もしかして当時は「ゲイ」という言葉がまだ一般的でなかったのかなあ?だから代わりに(代わりにはなってないけど)「オネェ」という表現を「オカマ」などよりポジティブな言葉として使った…?とか…?冒頭の台詞は言葉の紐付け?
かんがえてもわからん。
このあたりの翻訳や吉野さんロジャー率いるレインボーチームの演出に当事者性があるかないか、どの程度現在の日本の当事者感覚とのすり合わせがなされたのかは外からはわからないので、非当事者の私があまりどうこういうことではないのですが。



● 楽しかったです

木村さんが雑誌『fabulous stage Vol.13』(2020年11月発売)のインタビューで、この作品の映画版について「ちょっと難しいところもあるなと思った」「舞台やエンターテインメント界についての知識がないと、解釈に時間がかかるというか」「最初に観た時には“何を笑いに変えているか?”というところが、僕にとってはキャッチしにくかった」と言っていて、いやほんとに、ほんとにそれ、と思いました。(私が思ってるのと木村さんの発言の主旨はだいぶ違うかもしれないけど)
“何を笑いに変えているか?”、それってコメディを誠実にやるならきっと毎回毎回立ち止まって検証すべきことなんだろうなあって。脚本と演出が場所や時間を超越していくなら特に。


私は1960年代や2000年代のブロードウェイどころかミュージカルのことも全然知らないので、この話のどこが皮肉でどこがパロディで、どこが風刺、批判、ブラックジョーク、あるあるネタなのか全然見分けがつかなくてですね……そういう類の笑いには前提知識が必要だと思うんですけど、私はそれを持ち合わせていないので、ただただ下ネタとおちょくりのオンパレードに見えてしまうんですよね。しかもその残ったどちらもあまり好きではないので、単純に自分にはこの作品を理解するリテラシーがないのですが、それでも映画は結構好きだったし(そうなのかよ)今回のミュージカルもかなり楽しく観られました。


繰り返しになるけど、2001年の初演当時8歳とか2歳だった若い世代の人たちが、現代日本の演出下でゲイ(「オネェ」)やブロンドの外国人女性をおちょくるように演じさせられて価値観の再生産の一端を担ってしまうようならそれはちょっとつらいなあと思っていたので、なんの内省もなしにそのような構図になったりはしていなかった(ように私には感じられた)ことは良かったなあと……ウーラもカルメンもかっこいいんですよね、憧れちゃう。覚悟してたより全然フラットな演出だったなあって。特にウーラをどのような人物にするかはまじでまじでこの作品の生命線のひとつだったと思うので(ナチュラルに「女の子はちょっと実力が足りなくてちょっとおバカなくらいのほうが可愛い」みたいな価値観でこられたらほんと無理だったけど、日本エンタメの色々な現状見てたらそのような演出も全然あり得なくなかったと思っている)、少なくともそこに関してなんか変なことにならずに木下晴香さんが魅力的に見えたのは嬉しい。



あともうひとつ良かったなあと思うのは、うまく言えないんですけど、井上さんの「この時代に座長としてこの作品の笑いをまっとうする覚悟」みたいなものかなあと……
井上さんをはじめとしたメインキャストさんやアンサンブルさんのパフォーマンス、生オケの音、煌びやかなスタッフワーク(そしてそれを後押しする福田さんの演出)……の気持ちの強さに押される、持っていかれるという感覚がすごくあったような気がします。
内容や演出は賛否両論あるだろうし合わない人もいるだろうし時代や文化にそぐわない部分もあるのかもしれないけどそれを引き受ける覚悟をした上で(もちろんたとえやる側が全てを引き受けようとしたところで、関係ないところで踏みにじられる人がいるかもしれないことに変わりはない、そこは忘れてはいけないしそれを忘れない覚悟も含まれるのかなと思う)「やるんだからやるんだよ」みたいな全力投球が目を見張るし、とにかくこの作品の良さを、面白さを、表層部分の下にある魅力を、自分たちのパフォーマンスで伝えたい、届けたい、という熱みたいなものにこちらも浮かされたというか……なんかそんな感じがしました。
なので、「あそこはよくわかんなかったな」「あの部分は違和感あったな」「あれはホント受け付けなかったな」という思いは多々ありつつ、そして「私は何を笑ったのか、この足で踏みにじっているかもしれないものは何か」を考えつつ、でも「その想いは、しかと受け取りました!!」みたいな気持ちで劇場をあとにしました。
あの時もらった元気で今なんとか生活してるみたいなとこある。エンターテインメントすごい!





以上






参考記事:【随時更新】木村達成さん出演作・今後の予定まとめ - 王様の耳はロバの耳
(色々盛り込みすぎたためページの読み込みに少し時間がかかります)

音楽劇『銀河鉄道の夜2020』感想メモ(10/4)


音楽劇『銀河鉄道の夜2020』10/4千秋楽公演のアーカイブ配信を見ながら感想を書きました。


1回目(9/20)の感想はこちら
2回目(9/27)の感想はこちら



だいたいジョバンニのことです。
つらつらと。




・冒頭、「カムパネルラ!」から『イーハトーヴ』の流れの「物語の始まり感」が大好き


・カバンの紐をぎゅっと握るほどの決心で「ザネリがバカだからだ」と口に出してみて、でもすぐ目線が下がってその言葉が頭の中に返ってきてしまっている様子なのが、木村さんのジョバンニは優しい子なんだなと感じますね……全然すっきりしてない。人に言葉を投げつけることができない子なのだなと。
原作だとザネリへの自分自身の反発心に対してそこまで煩悶してる様子はなくてもっとあっさりした感じの心の声になっている。(そもそもザネリ側の粘着度が違うというのもあるけど)
私は意識の上ではあまり拾えてないけど、木村さんのジョバンニはとにかくこういう非言語的なお芝居の積み重ねだったんだろうなと思う。


・「そうだ、ぼくおっかさんの牛乳を取ってこよう」って、大きく頷きながら言うからまだ自分の居場所があることの発見とそれだけしかすがるものがないみたいなジョバンニの危うさがこの時点で強く暗示されてる


・牛乳屋さんの老女に対する「そうですか、では…ありがとう」
このジョバンニの声の通りの良さと優しさ全世界の人見て!!!!!




・「牛乳瓶に天の川が入っています 乱暴ものの彗星(ほうきぼし)がやって来て 牛乳瓶を倒しました かぷかぷ かぷかぷかぷ こぼれたものはなんでしょう」
ここ、どうしてこんなに背筋の凍るような寂しさがあるのだろう……と初めて観た時からずっと思っていたけど、夜一人で見ててやっと気づいた。ジョバンニの声以外、無音だからですね…
ジョバンニしかいないんだこのシーン。ジョバンニの孤独がそのままむきだしになっているシーンなんだなあ。
この言葉をこぼす声も好きだしジョバンニの牛乳瓶を見つめる目が楕円形みたいな悲しみを湛えているのも好きです。あと牛乳瓶を持つ手が綺麗。
原作にないシーンだけど何度見てもぐっときますね……小説や漫画などの実写化作品を見て騒ぐ私の中の「『そのオリジナル要素なんで加えたん?』妖怪」が、「ぼく、こんなオリジナルを見るならほんとうにすきだ」って言ってる。


・「それからぼくのたましい!…きっとね」
こんなにずたぼろになってもジョバンニは生きようとしているということが伝わってきて、ほんと………良い。
「きっとね」のところとかほんと……ジョバンニ……優しい子……私、今一番頭の中に残ってるのこの「きっとね」なんですよね……



・「今夜 星の光が降ってきて ぼくのたましいに幻燈を映す」
ケンジの言う呪文のような言葉を、きっと意味もわからずすがるような思いで繰り返すジョバンニ……なんて素直な優しい子………!!
これが合言葉だったんだねえ。



・いや銀河鉄道来るところでアメユキさんだけ映すのもったいなさすぎん!!??!いやアメユキさんももちろん見どころなんだけれども!!!ここは舞台上のすべてを!!!すべてを見たいよ!!!!


・いやでもほんと銀河鉄道来るシーンすべてが最高だな……………ほんと……










・いやでもほんと銀河鉄道来るシーンすべてが最高だな……………ほんと……(もう一回見た)









・あれ?ジョバンニ痩せた?


・ジョバンニ、銀河鉄道に乗ったら少し痩せたかと思うくらいに顔がスッキリしている。すごい。
それにしてもなんでこんなにカムパネルラのこと大好き感が出るんだろうな……すごいな……顔を見る角度かな?あといい意味で目が少し座ってますよね。(いい意味で目が座ってるってなんだろう)
そして本当に嬉しそうに笑うね……


・二度目も全く同じこと言う大学士さんも鳥捕りさんと同じくこういう大人いるあるあるだと気付いた。気をつけよ…


・りんごに照らされる横顔めちゃくちゃ美しいな……あと片膝ついて座らせても世界一だな…(私調べ)
りんごに手を伸ばすんだけど触らないジョバンニ、そういうとこが優しい子……



パーカッションの海沼さんのブログを拝読して二幕のはじめのぷくぷく音とかもろもろ効果音をその場で出していたと知り、本気で驚いています…….なんということでしょう……本当に劇場の中に作られた幻だったんだ……その場その場一度限りの夢だったんだ…………


・ジョバンニが「標本ですか?」ってみんなに聞くの、お父さんの持ち帰った標本を誇りに思っているからではという考察をTwitterで拝見して「うわー!!!!なるほどー!!」ってなりました。かわいいね……。
銀河鉄道の大人たちがそれを否定するのは、標本は死の証明であって生きていたことの証明にはならないということかなあ。からっぽの電燈を保存するのではなく、ひかりのほうをたもちつづけなくては意味がないという……



・「どうも体にちょうど合うほど稼いでいるぐらいいいことはありませんな」
現代に響く金言だなあ


・「あの人…鷺をつかまえてせいせいしたと喜んだり、白いきれでそれをくるくる包んだり、人の切符をびっくりしたように横目で見て慌てて褒め出したり……」

「白いきれでそれをくるくる包んだり」←それは別にええやん




・鳥捕りさんがいなくなったあとに語られる彼らの思い、すれ違いで疎遠になってしまったまま会えなくなってしまった人に対する気持ちみたいでもあるような……「一体、どこでまた会うのだろう」


・カムパネルラ「なんだか苹果のにおいがする。僕いま苹果のことを考えたためだろうか」ジョバンニが鳥捕りさんの話をしてるのにりんごのこと考えとったんかーい


…と思ったけど、プリオシン海岸の明滅するりんごのことを考えてたのか。



・彼らの話す言葉、忠実なところは本当に原作そのままで、なんだか不思議な心地がする。



タイタニックの回想に入るときの木村さんの軽やかな身のこなしを全世界の人見て。


・カムパネルラ!ってみんなが言うの、きつい演出だなあと……


・さそりの話を語るかおる、この物語の画竜点睛の役目ですよね……西山さんの声とお顔立ちがとてもはまっている。聞き入ってしまう。真剣に。


・青年は神様に問うた。カムパネルラはおっかさんに問うた。善悪、良心、正しさの基準。心のよりどころ。


・助ける直前のカムパネルラ、銀河鉄道がくる時の同シーンでも確かにきっと上を向いてた、さそりのことを思い出したんだなあ。




・「苹果をむいたり、わらったり」
ケンジのこの言葉を思い出した時ジョバンニは自分も今その風景の中に入れたことに喜びをかみしめたはずなのに、その矢先にまた疎外感を感じてひとりぼっちになる。
りんごは命や宇宙や死や罪などを司り得る一方で、何気ない旅の思い出、団欒の象徴でもあったのかな。そこに入れないジョバンニ…………こっちおいで!!!!!おばちゃんりんご何個でもむいてあげるから!!!!!ふじ?つがる?紅玉?どれがいい????


・今こそ渡れ渡り鳥、本当に美しいな……


・かおるとかとも距離近いけど、普通以上の好意は全然出てないから木村さんの好きオーラコントロール能力やっぱりすごい。


・みんな降りるときトランク持っていったな……


・「すみませんでした」と何度も頭を下げる牛乳屋さんに「いいえ」と手を前に出すジョバンニ好き。優しい子だよ……みなさんここに優しい子がいます……


・最後のザネリとのシーン、今までと印象が違った。抱き締めるまでにあんなにずっとザネリに手を当ててたっけ……赦すとかじゃなくて、毒虫と思っていたザネリを自分と同じ人間だと認識したジョバンニが、まるで自分の片割れの存在を確認するために抱き締めているみたいだった。「ザネリなんか溺れちまえ」と言った自分と対峙したんだろうか。


・カムパネルラに対する最後の「うん」、精一杯笑おうとしたけど悲しみや寂しさがまさって溢れ出てしまった顔に見えた。今まで観た回は笑えてた気がしたから、最後の最後で「笑えない」そこの境地に行くんだって、驚きました。


・ところでこの優しいジョバンニのことは誰が抱きしめてくれるの!?!!?って思ったけどアメユキさんの「大丈夫、大丈夫……」のところでグッ…としてるジョバンニ見て「この子なら大丈夫……」って思いました。木村さんの演じる役の方位磁針が最終的に生きる道のほうへピンと向く、そんな姿は何度も見てきた気がします。その転回に説得力を持たせられるのは木村さんの役者としての強みなのでは…と。




・「ひかりはたもち その電燈は失はれ」
銀河を見上げるジョバンニの目の中に美しいひかりがともっているので全宇宙の人見て。


・最後 笑顔の力強さ。



なんでジョバンニのこと書いてるだけで毎回文字数いっぱいになっちゃうんだろうって思ってたけど、2時間ずっと出てるからや……初主演、お疲れ様でした。
いつかは書きたいカムパネルラやケンジやアメユキのこと。
素敵な舞台をありがとうございました。



以上

音楽劇『銀河鉄道の夜2020』感想メモ(9/27)


9/27に音楽劇『銀河鉄道の夜2020』を観ました。



以下、感想です。
ネタバレありです。



9/20に観た時の感想はこちら



※ この感想は私が一方的に受け取った印象から思いを巡らせたものであり、自分でもなに言ってるのかよくわかってません。





● 木村さんのジョバンニの好きなところ

・等身大感
前回すごくプレーンだと感じだけど、今回見てやっぱりすごい等身大で立ってるなあと改めて驚きました。
いや等身大と言ってもジョバンニが26歳という意味ではなく、ただ子供っぽさや少年らしさに囚われないというか、そういうのから解放されたお芝居をしているなあと……
ジョバンニの心が動いた結果としてあどけなさが出るところはたくさんあるんだけど、それを演技の目的にはしてないというような。
何にも寄せてないし、ただそこにあろうとしているだけみたいな。


でもこのジョバンニの素朴さ、個人的には「うわ……うわあ〜〜〜〜〜!!!!」って思って見てますね……「元からそんな感じの演技の人です」感でてるけど今まで見てきた役全然違ったから!!!もっとキリッ!とかキラッ!とかシュッ!とかヒャッホー!とかイェーイ!!!みたいな感じが多かったから!!!びっくり!!!すごい!!!!


それにしても、何にも寄せないと、演者自身が透けて見えそうな感じするじゃないですか。雑誌の『Stage Stars vol.11』で「役者としてのボキャブラリー」の話をしていましたけど、まさにそのボキャブラリーがあらわになってしまうようなお芝居だったと思ってて、そこに健やかさと自信と弁えと覚悟を感じて、こんなお芝居もこれからもっと見たいなあと思いました。


あと今までの木村さんのお芝居はわりと攻めていってたものが多かったんだなあとも思いました。
ジョバンニのお芝居は、全部受け止めてる。どっちがいいとかじゃないんだけど、今回初主演だけど「やってやろう」みたいな肩に力が入った感じもなくただジョバンニと彼らの物語を見せるために立っているのがいいな……と思いました。
初日のカーテンコールから、きっとあるはずではなかろうかと思う感慨や思い入れをあまり出さずに…というかパッ!と出してサッ!と引っ込めて颯爽と去っていく姿が好きで。
あ、あとカムパネルラの佐藤さんが歩いて帰っていくのも好きです。このお二人なんだかとても良い。



・「今夜星の光が」
「今夜星の光が降ってきて 僕たちの魂に幻燈を灯す」
ってむちゃくちゃ素敵な台詞じゃないですか……推しに言ってもらいたい台詞ランキング上位に食い込んできた。てかもう言ってるし。好きな役者さんにこんな台詞言ってもらえるの最高ですね……生きててよかったな……
木村さんジョバンニ、ちょっと2回目どう言ってたか忘れちゃったんですけど、冒頭で言うところは「幻燈を灯す!!」ってびっくりマークついてる感じで歯切れ良く言ってましたよね…?ちがったかな……
それが勢いと若さがあって、「はじまり」の宣誓みたいですごくいいなあって。
他に好きな俳優さんならどう言うかなって考えたら、結構余韻を残す感じでしみじみ言ったりするのが似合う人もいると思ったので、そうかこれが木村さんらしさなんだなあって。



・声
ジョバンニの声とても好きなんですよね〜〜〜普段の表面湿度の低い声も好きだし、「毒虫だ!」のところで激昂して叫ぶのに声はまるみを帯びた感じになって聞き苦しくないのもすごく好きなんですよね……いい声。



・「牛乳瓶に天の川が入っていました」
前回の感想間違ってました、牛乳瓶に暴れん坊じゃなくて天の川ですね……すみません。混線しました。
「かぷかぷかぷ…こぼれたものはなんでしょう」
やっぱこの一連の台詞言ってるとこすごい好きですね……急にジョバンニが詩的に心情を語るの、浮きそうなのに全然浮いてない。言い方も動作も情緒的ですごくいい。めちゃくちゃいい。ほんといい。好き。もっと見たい。ファンになりそう。ファンです。ファンレター書きたい。





● 石炭袋

鳥捕りさんは「来ようとしたから来た」と言った、ということは行った時も「行こうとしたから行った」のだろう、ということはカムパネルラもきっと石炭袋に行こうとしたから行ったんだねえ。彼にはその辺に綺麗な野原とお母さんが見えてそこに行きたかったんだねえ。と思いました。
そのちょっと前にこれは「帰る」列車だ、みたいなことをジョバンニたちが話していた気がするんですけど、あれって、私「家にいるのに帰りたい」って思うことがよくあるんですけどそれに似てるなあと思いました、完全に「そんなのと一緒にするなよ」案件ですけど。魂が心の平穏を得られる場所を求めている……みたいな。それが天上だったり、お母さんのいるところだったりするっていうことなのかなぁって。







● 与えられた物語

原作の最終形はそんなにわかりやすい結論や教訓は出していないと思うんですけど、この舞台ではジョバンニとカムパネルラ、ザネリにそれぞれ物語を用意してある程度の結論のようなものを出させているなあと。
まず原作で一番情報の少ないザネリ、彼にはサソリの物語を重ね(言われてみればまず字面がちょっと似ていた)、さんざん弱きジョバンニをいたぶった彼が溺れた時に悔い改めたかもしれない可能性を提示している。(しかも役者さんが青年役を兼ねるという新演出によってザネリのその後の姿までうっすらと想像させている)
カムパネルラには大学士によって存在を証明される地層の物語を重ね、森羅万象は消えたあと他者によって証明されなければ何もなかったのと同じ、無になるのだと怯えさせる。
そしてジョバンニに用意されたのはその彼らの物語を一身に受け止め終わらせる役割で、彼はザネリを赦しカムパネルラに証明を誓うことで心の安寧を与えた。原作の最後では描かれないジョバンニの2人に対する想いについて一案をもって(舞台版としての)補完がなされ(舞台版として)据わりが良くなっているなぁという印象。「全部言ってしまう」のは趣がないような気もするけど、ザネリとカムパネルラとジョバンニの決着がついているからこそ観賞後そこまでどーんとは引きずらない感じになるのかなあと。帰路に着く時それこそ小さな星をひとつ掌に包み込んで持って帰るような感覚があった。
あれは、とてもよかった。


● 見ていた人

溺れるシーンが繰り返されることもあって、この舞台のジョバンニは「見ている」時間がわりと長くて。実はそれほど物語の当事者ではない感じもするんですよね。お母さんにジョバンニが言った「ぼく岸から見てるだけなんだ」ってその言葉の通りで……ジョバンニは船に乗れない少年で、彼は何もできずに見ているしかなかった。
ジョバンニにも「ミルクももらえたしお父さんも帰ってくるかも」っていう結末があるんですけど、それってジョバンニの根本的な何かを解決してるんだっけ?みたいな疑問もあって。原作だとカムパネルラもザネリも何も解決してないので別にいいんですけど、舞台版はその2人の物語をジョバンニが解決してるんで、それで、ジョバンニは?ジョバンニはどうなるの?みたいな……
よく考えてみたら2人の物語を終わらせられたこと自体がジョバンニの変化のあらわれなんですけど、でもカムパネルラが消えて、そこからどうしてそうなれたんだっけって考えるとあんまりわかりやすい描写はなかったような記憶で……(いや、あったかも、忘れてるだけか)
ただ、だからこそ、ザネリを見た木村ジョバンニの、泣いている赤ん坊を見たような、頷くように頭の微かに揺れる「受容せずにはいられなかった」ことが伝わってくる身体の動きと、あとからついてくる心情を素直に出した顔の表情と、そしてそのジョバンニの行動が間違っていなかったことを示すザネリの手指の行き先が、すべての説得力をもって胸に迫ってくるのがすごく好きなんですよね……生きているのに彼岸から見ている人だったジョバンニが、この世に戻ってきた瞬間みたいで。離れる時に周りの子たちにザネリを任せるところも好き。人を慮り周りを見る余裕がある。静かな演技だけれど、とても良かったなぁって思います。


● 見ていた人たち

前回見た時うっすら気になって今回しっかり受け止めたとこなんですけど、ジョバンニがうわーってなる前に鳴り響く声、最後はザネリだけどそれまでは大人の声が大部分を占めてますよね。先生、お母さん、活版所の人、牛乳屋さんの人だったかな?
このことが引っかかって。ここは大人たちの責任を問うてるんじゃないかと。
疲弊して授業もまともに受けられないジョバンニに、大人たちはもっと早く手を差し伸べられたんじゃないか、という(現代の価値観的な)疑問をこの舞台は投げかけているのではないかと。大人たちの見逃しがドミノみたいに連なって、ザネリたちは最後のきっかけだっただけだとすら言いたいんじゃないかと思ったりしました。
なんなら、さっき私は木村さんのジョバンニを「子供っぽさや少年らしさに囚われないというか、そういうのから解放されたお芝居をしている」って言いましたけど、それを良しとするこの舞台のジョバンニ、彼から「子供らしさ」を奪ったのは大人たちかもしれない、とも思いました。
カムパネルラと一緒にいるジョバンニは、とても子供らしくはしゃいでいて、銀河鉄道に乗ってどこまでも行きたがる(まるで日常にほとんど未練がないように)。
でも地上にいた頃は、先生には何も言えず、活版所では何度も頭を下げ、お小遣いをもらって嬉しそうにするけど喜び方は分をわきまえており(自分には使わなそうだし、お母さんの角砂糖はあれで買ったのかな……と思わせる)、お母さんと笑顔で話して家を出ればスッと表情を消し、牛乳屋のおばあさんには駄々をこねたりせずに言葉を飲み込んで身を引く。
木村さんの、「あってもいいはずのものを無くしている」ような小さく繊細なお芝居の積み重ねと、「前面に出さなかった『子供らしさ』」こそが、ジョバンニという少年の前半の本質なのではないかと、ちょっと思ったりしましたね……。



● 証明する

最後のジョバンニとカムパネルラのシーン、木村ジョバンニめちゃ優しい顔してて、あーそうか生きていたことを証明するって私には難しくてイメージ湧かないけど、その顔はわかる気がする、あれだ、「思い出すからね、安心してね」ってことかな……っと。
この別れの時に、決してこの人の顔を翳らせてはならないと、心に一点の曇りも残してはならないと、どうか安心してほしいと必死で作る心からの笑顔、のように見えた。
忘れないで、忘れないよ、約束だよ、当たり前じゃないか、覚えていてね、ああ君の好きな花やお菓子や星を見ていつだって思い出すよ、みたいな会話でもあるのかな……と勝手に解釈しました。
カムパネルラが石炭袋にお母さんを見つけたように、ジョバンニは天の川を見上げてはその石炭袋にカムパネルラを思い出す。言われてみれば、何もない暗闇こそ想像の生まれるところだものなあ。
そうやって思い出すことで、ジョバンニはカムパネルラと一緒に生きていくことができる。またどこまでもどこまでも一緒に行ける。そう考えるとジョバンニが持っていたどこまでも行ける切符は「想像力」みたいなものかなあと……想像は果てがない、確かに幻想第四次の銀河鉄道なんかどこまででも行けそう。


● 活版所の見出しと「銀河」の意味

活版所のシーンで出てくる3つの見出し、特殊相対性理論発表、ミンコフスキーの四次元、タイタニック出航……ってこのあとの展開の伏線にもなってるとは思うんですけど、よくわかんなかったのでWikipedia先生に聞いたらそれぞれ1905年、1907年、1912年で銀河鉄道の夜が書かれたのが1924-1933年頃だそうだから、執筆時からしたら結構最近の出来事じゃないですか。四次元とかいう概念が発表されて、それが一般の人に浸透するのにどれくらいかかったのかなあ。宮沢賢治はどんなイメージで幻想第四次って書いたのかな。銀河空間をどこかに向かって走る列車ってすごい四次元っぽさあるなって思うんですけど、多分私の四次元のイメージはドラえもんのタイムマシンなので色々間違ってる。
え、ていうかひょっとしてジョバンニが地上に戻ってきて時間はそんなに経ってなかったのってもしかして特殊相対性理論的なことなの!?


あと私「タイタニック」のこと「(ディカプリオの)タイタニック」って思ってる節があって、でも宮沢賢治の思い描くタイタニックは多分もっとリアルで切実なものですよね。もっと生々しい「憧れ」「まさか」みたいな感情があったんだろうなあと思うと、
言葉の表すものって変わっていくんだなあと思うしだからこそ時代が変わっても読まれることに普遍性以外の意味もあるのかなあと思うし作品として送り出す時そこ(表象の変化)と戦うこともあるんだろうなあと。(でもディカプリオのヒット作によってわりとタイタニックを知ってることもすごい)


で、それ考えたらそもそも「銀河」自体宮沢賢治の想定していたものと違うんじゃね?と思ったのでまたWikipedia先生に聞いたんですけど難しすぎて全然わからんので適当なこと言うんですが1924年頃にハッブルがこの天の川銀河の外にも銀河があったよ!的な論文を発表したっぽくて、それまで銀河はこの太陽系のある天の川銀河ひとつだと考えられてたらしく、いや銀河他にもあったよすごくね?アンドロメダって星雲じゃなくて銀河だったよ!?って学者たちが言ってるそんな超大転換時代に銀河鉄道の夜書いてるのまじですごくないですか。やば。ていうかむしろそんな時代だからこそ書いたのか?劇中にも歌われる星めぐりの歌では「アンドロメダのくもは」っていってるから、歌を作った頃はまだアンドロメダ星雲だったのかな?当時、学者たちのそういう発見が一般の人々に届くのってどれくらいタイムラグがあったんだろうか。
そして宮沢賢治は銀河というものがどのくらいありそうなイメージで書いてたんですかね……今だと少なくとも1000億個は望遠鏡で見えてるらしいです、なに1000億個って。しかも推定だと2兆個。めっちゃあるな。宇宙やば。


そういうわけで「銀河」を取り巻くイメージ(スケールとか大きさとか)も当時と違いそうなんですけど、そういえば新潮文庫で注釈ついてて面白いなあと思ったのが、これは劇中ではカットされてるんですけど原作では午後の授業で先生が銀河の詳しい話をしてて、「これがつまり『今日の』銀河の説なのです」と言ってるんですよね。宮沢賢治の時代の「銀河」とあとの人が知ってる「銀河」はおそらく違う、ということを賢治が意識しているということがわかるし、なんなら「今はどうよ?」って聞かれてるみたいだなあと。今大体100年後だから普通に宇宙旅行くらい行ってると思ってたかも。宇宙旅行はもう少し先だけど銀河は1000億個見えてるってよ、宇宙めちゃくちゃ広いね。どこまでもどこまでも、って、どれだけ遠くまで行けるだろうね。この世って思ってたよりスケールでかい。
賢治は銀河という言葉に約束された意味合いの変化にワクワクしながら未来に向かって使ってたんですかね。


って考えた時にね!!タイトルに「2020」つけたのはすごくいいなあと思うんですよね。やっぱりどうしても未来の話なんですよね。銀河鉄道の夜2020は。2020に生きるお客さんが観ている限り。
だって今からまた100年経ったら2120ですよ、その頃「銀河」ってどんなものとして人々に捉えられてるんだろうって考えたら、たぶんまたもう今と全然違うんだろうし、今これが2020の銀河鉄道ですって宣言しておくのはなんかマイルストーンみたいで面白いですよね。


● ほんとうの幸みたいなこと

ほんとうの幸ってなんだろうねえ、みたいな話がたびたび出てくる気がするんですけど、それに関してはまったくピンと来なくて、なんだろうねえ。で終わりなんですけど。ただ、蠍の火のシーンで、蠍は「まことのみんなの幸」って言ってて、その「みんな」という言葉と、
青年が他人の子供を押し退けてまで自分の子供(教え子)を助けようとすることに葛藤する姿、カムパネルラが目の前で友人が溺れている時にどうするかと迷う姿に、私は何か通じるものを感じたような気はしました。
「自分(たち)を犠牲にしてまでも」みたいなことがいいこととされてるのかとずっと思ってたけど、実は自分や大切な人の命を守る(生きる)ことを否定しているのではなく、ただ自分たちさえ良ければいいという気持ちがあるならそこは少し自問をしてもいいんじゃないかくらいの意味だったのかなあと少なくともこの舞台に関しては思いました。
宮崎さん演じる青年の、「できない!」という台詞がとてもよく響いている。この子たちを生かしてあげたい、でも、他者を犠牲にすることもできない。自己を守ることで生じる他者の不利益に目を瞑ることのできない気持ちに重きが置かれているのであって、その先の行いについて判定しているものではなかったのかなあと……お金はあるから助けろと叫ぶ大人の姿が追加されてたことも青年の立ち位置を浮き彫りにしていたような。
原作にしても、自分をただ犠牲にすることが良いことだと言いたいならカムパネルラはあんなに不安がってないのかもしれないなそういえば。わからん。
でも、さっき言った最後のジョバンニとザネリのシーンでジョバンニがこの期に及んで「ラッコの上着が来るよ」と言われてまでもザネリを「受容せずにはいられなかった」理由は、カムパネルラや青年のように「まことのみんなの幸」に通じる何かにあるのかなと思ったりもしました。



● その他


ケンタウルス、露をふらせ
このシーンすごい好きです……このお祭りいいなあ、楽しそう……あと鳥捕りさんのシーンも楽しい……好き……あと活版所も……全体的に人々の動きのデザインが美しい……


・毒虫を検索して引っかかった宮沢賢治の『双子の星』を読みました、ザネリを毒虫と言うのはサソリを毒虫と言うこの作品を通した伏線にもなっていたのかなあ、、、同作には乱暴ものの彗星も登場してた。


銀河鉄道があらわれる時、祭囃子みたいなてんてててんててでかきたてられるワクワク感がすごい。そこにシンセとかエレキギターとか電気で鳴らす音が入ってくるのもしびれる。世界が変わる、ジョバンニが救われる!という高揚感をそのままカムパネルラたちのシーンになだれこませるのもすっごい。


・すべてを楽しむには目と耳もだけど頭の処理回線が足りない。もっと見たいよー。


・後ろのふりこが最高。あれに銀河鉄道の夜のすべてが集約されている気がする。


・装置が海賊船を模した秘密基地みたいに見えて子供心がうずく。


・原作に描かれる美しい光たちが舞台上に眩くあるいは薄ぼんやりとそこかしこに広がっている。贅沢。


・バックに映る風景に目をやると、不思議と高台から街の夜景を見下ろしているような気分になる。なぜか人々の暮らしや営みを思い出すような。


星めぐりの歌のメロディを弦楽器で弾かれるとなぜかわからないけど涙腺にくる。家に帰りたくなる。


銀河鉄道でおっかさん…って言ってる時ジョバンニは下、カムパネルラは前を見てる。


・お父さんが帰ってくるかもしれない話のところで汽笛が聞こえるの素敵だな


・ジョバンニとカムパネルラが2人でいるとチップとデールみたいで可愛らしい。ひとりずつ見るとそんなのほほん要素なさそうなのに……声揃っちゃうのかわいい……くるみコツンてやってたけど何あれ……楽しそう……


・ところで私は木村さん佐藤さんのジョバンニとカムパネルラが大好きだけれども、普通の「銀河鉄道の夜」のイメージからしたらジョバンニとカムパネルラはもう少し表面的に子供らしいほうが「見やすさ」に限っては上だと自分は思っていて(見やすいのが無条件に最上とは思わない)、それより重視されたものがなんなのか、意図がどこにあったのかは気になる。


・2回目見たら冒頭は銀河鉄道というイベントが発生しなかった世界線という感じがしましたね……


(2020/10/02追記)
・二幕の最初の方、「ぷくぷく」と水の中のような音がほのかに聞こえる気がして「?」と思っているとケンジが「水族館」というワードを出してきて「なるほど…!」となるのが好き。列車を直接的に水と結びつけるこのシーンで、「銀河鉄道」というものに新たなイメージが加わる。あと新幹線がトンネルに入って窓に客席が映る瞬間を思い出したりもする。
「こんなやみよののはらのなかをいくときは 客車のまどはみんな水族館の窓になる」
これは『春と修羅』の「青森挽歌」の一節だとあとから知って読んでみたんですけど、なんだかこの詩の中にケンジのもうひとつの『銀河鉄道の夜』がある気がして、この劇は私が知らないだけで実はとても堅固な『春と修羅』との二重構造を保っているのかなと思った。
汽車がりんごのなかを走っているという表現も、劇中で聞いたときはりんご=宇宙を連想したけれど、詩を読むと青森のりんごの木立の中のイメージも重なる。ひとつの大きなりんごだったり、たくさんの小さなりんごの集まりだったり、多分そのどちらも正解で面白い。この劇は宮沢賢治がその心象を繰り返し書きつけることで妹トシの生を証明しようとしたのではないかと言いたいのかななどと思いました。そういえばケンジがトランクから原稿?を取り出す場面がとても印象的で、この劇はやはり彼の物語に帰結するのだと思ったのだった。


・木村ジョバンニがめちゃくちゃ健気だって話はしましたっけ……?


(追記終わり)


・この舞台上の世界は、人々が賑やかに歌って踊っても、大人が愉快な姿を見せても、子供が誰かを罵ってすらも、地上の現実に降りてくることなく当たり前のように童話世界としての品を保っている。この作品の何より素晴らしいところはその点であるような気がする。


・「ひかりはたもち その電燈は失はれ」
電燈が失われることをかなしみ、しかしひかりがたもちつづける奇跡に思いを馳せたいと思わせる、芯の通ったジョバンニの笑み。彼の結論は掌に包み込まれる小さな星のよう。私はそれを持って帰ったんだと思う。
あれは、とてもよかった。






以上