王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

劇場から遠く離れて

この記事の内容は
1. 応援している役者さんの出演舞台が中止になった
2. 劇場が怖くて観劇を躊躇したのではない
3. 劇場に行けなくても観客になりたい
の3本です




1. 応援している役者さんの出演舞台が中止になった


応援している役者さんがいます。
7〜8月に予定されていた、その方の初主演舞台が中止になりました。
本当に残念です。
観たかった。観たかったに決まってるだろ!!!!!コロナ!このやろ!!!!!
4〜5月の出演予定作品も中止になって、もう半年以上舞台に立つ その役者さんを観られていません。






もっと公生くんの歌声聴きたかったよ!!!!






リフのダンスだって見たかったよ!!!!





仕方ない。残念だけれど。どうしようもない。
カンパニーや関係者の皆さんの気持ちを思うと言葉が出ない。



なので、とにかく、またその役者さんが舞台に立つ姿を見られる日を楽しみに毎日を過ごします。そこにはリフや公生の面影がきっとあるのでしょう。
ただしコロナ!!推しは優しいからファブリーズの刑って言ってるけど!!私は普通にアルコールでこするからな!!!!普通に石鹸で手洗いしてアルコールで消毒するからな!!!!
せめてもの復讐だ!!!!!!




それにしても、今、非日常が足りない。
日常から丸ごと切り離される劇場での非日常体験が圧倒的に足りない。
日常のタスクが倍々倍増してそれを支えていた非日常だけがごっそりなくなるとか、そんなことある????疲労が回復しないんですけど??????



なんか劇場に行っていたあの頃がとても遠く感じる。





2. 劇場が怖くて観劇を躊躇したのではない


‪そんな中で、白井晃氏のこちらの寄稿や本多愼一郎氏のインタビューを読んで、いろいろぐるぐると考えていました。





あらためて大変なことになったなあと……
この特殊な状況下で、私自身はなんかよくわかんないこと考えてるなあと思ったのでなんとなく文字にしました。だってこんなことそうそうないだろうし…….あってたまるか。
これはただの一個人の話で、別に代表してる気も代弁してる気も主張してる気も何もなく、なんでもないことです。
ただ、そのうち自分で読み返して「あーあの頃こんなこと考えてたわ、あはは」って早く思えるようになるといい。







新型コロナの件に関して、私自身は2月下旬から今まで、劇場への信頼が揺らいだことはありません。3月に観劇した時も、できうる限りの感染予防対策を講じてくださってありがたいと思っていました。公演の中止も実施もどちらの決断も支持したいし、何か応援したくてCFや基金に心ばかりの寄付もしてみた。
そしていま、大変な中、「演劇を再び始める」ことの可能性を模索してくださっている方々のおかげで、徐々に劇場が開き始めていることが嬉しい。‬

‪仮にこれから劇場を疑うようなことがあるとすれば、それは観客やカンパニー、劇場スタッフや現場の方々の安全を軽んじるような対応が出てきた時かなあと思いますが、そのへんはその時になってみないとよくわからない。それにその場合は概念上の「劇場」ではなく個別の主催に不信感を抱くと思う‬


‪でも、いくら劇場のことを信頼していても、どれだけ劇場で観劇をしたくても、実際に行くのは難しいという状況はあるよなあと…‬


‪3月に演劇が一時再開した時の空席は、「劇場こわい」「三密だ」「コロナうつるかも」といった漠然とした不安によるものだけではなくて、もっと具体的で生活に密着したひとりひとりの苦渋の決断のあらわれでもあったのではないかなあと、、‬
あの時の状況では、どんなに劇場の態勢が万全であっても、道中での曝露や個人個人のうっかりの余地がある以上感染の可能性を考えざるを得なかったと思うので。


‪ご家庭や職場など身近にお子さんや高齢者の方や心身に心配のある方がいるとか、休校や施設休止などで家に居なくてはならなくなったとか、自分が感染したらそれだけで色々回らなくなるとか、基礎疾患があるとか、遠方からなどで長時間の交通機関の利用・宿泊を伴うとか、多忙になり自分の時間を取るのが困難であるとか。
新型コロナの影響で観劇するための生活の基盤や道のりみたいなところからすでに崩れてしまっていて、劇場まで足を運ぶことが難しくなった。
「感染するかも」のその先をふまえて「劇場に行かない」という決断を迫られた


でも趣味を楽しむことは、状況によってただのわがままのように見えることもあるかもしれないけど、それが自身のケア、健康に生きるための命綱になっている人も少なくないと思うので、そんな簡単に切り捨てられるものではないですよね


あと当時の自分の場合は「自分が無症状の感染者で感染させるかもしれない」という不安もあって。人が密集するところに行けば誰かにうつしてしまうかもしれない、人の健康を害してしまうかもしれないということがものすごくこわかったし、
さらに万が一クラスターを発生させて作品の名が悪いイメージで取り沙汰されたり外部から「演劇はダメ」とひとくくりにされてすべての劇場が閉鎖に追い込まれたりその後の再開が困難になったりしたらどうする??? と、、、、、、


自分は結局観劇を諦められなくて、とにかく自分にできることはすべてやった上で「何も起こらない」ことに賭けてしまった。

あの時劇場に行くにも、行かないにも、結構な覚悟が必要だった人がたくさんいたのではないかと勝手に想像しています。
3月の空席に座るはずだった方々がどれだけの思いで観劇をやめたのか、これから行けない人は再開する劇場をどんな気持ちで見つめるのか、というのを軽視してはいけない気はしている、別に誰もしてないけど。‬
あと、演劇をやる側の方々の中にも(中にこそ)これらの状況と戦う必要があった方がいるということも忘れてはいけないなあと……



‪というか自分もこれから劇場が再開して観たい作品があっても行けるかどうか怪しいので、「むむ…」と思っている。しかも客席数が減るならチケットがさらに取りにくくなるしなあ。「劇場で観劇」の難易度、むちゃくちゃ上がりますよね。でも、行けたら絶対に行く。劇場、信頼してる

‪仮に行けなくても、やっぱりどこかで劇場が再開し、観客が集まり、非日常を楽しみ、感想を呟いてくれるというのは嬉しいだろうなと思う。界隈の賑わいが戻ってくるってそれだけでも心が明るくなる。‬
ここ最近のイリュージョニストの情報解禁や、大地のソーシャルディスタンシングバージョンの発表、宝塚再開のお知らせなどは、やっぱりテンション上がりました。
未来の希望、大事。



3. 劇場に行けなくても観客になりたい


話が逸れていくんですけど、
‪そもそも「劇場に行きたくても行けない人」「行くのが難しい人」というのは、新型コロナ流行の前にもいたんですよね。入院してたら行けないし。遠かったら行けないし。お金と時間がなかったら行けないし。‬外出困難だったら行けないし。


‪家族のお世話を託せるところがない、優先したい人生のイベントがある、仕事上の先々の予定が定まらないのでチケットが取りにくい、自分や家族の体調が不安定で当日空席作るのがこわい、感覚過敏で人が大勢いるところが苦手、「1時間音を出さずに座っている」ということが難しい、特性上必要なものが劇場内で使用できないor設備がない、お風呂に入るのが辛い、パニック発作を起こすのが心配、日常を生きるだけで精一杯だ、とかとか。‬


頑張れば解決できることもあるかもしれないが、何かの拍子に頑張れなくなることはある。


‪私は、今「配信」「ソフト化」「テレビ放送」といった映像化、しかも劇場から個人のデバイスへの発信が増えてきている状況は、そういうもともとあった機会の差における光明のようにも思えていまして……‬


‪これから行けなくなるかもしれない人、これまでも行くのが難しかった人、みんなに対しての救済のひとつになるのではないかと……いやもちろん権利の問題で難しい作品があるというのはわかってはいるんですけど、それもちょっとこの世界情勢で状況が変わったりはしないのかなあ…………‬


‪これからの配信、
‪「本来劇場に来るはずだった人が来なくなるもの」という側面よりも‬
‪「本来見たくても見られないはずだった人が見られるもの」という側面がより強く認識されるのではと思っています。‬


‪配信(や円盤やテレビ)で見るのと生で見るのとでは全然違う、劇場で観劇してこその演劇、というのはそれはそうかもしれない。
でも、だからこそ「劇場に行かない」という選択はつらくて、だからこそそういった痛みを少しでも和らげる代替手段が必要なのだよなと……「行けない人」が増えてしまうかもしれない今こそその時なんじゃないかって……


‪それに、演劇を「劇場に行ける人たち」だけのものにしてしまうのは(別に誰もそんなこと言ってないけど)‬、あまりにも勿体無い。と思う。
だって演劇って面白いから……


昔、「不幸な人は劇場に来られない」みたいなことを言っていた人がいて、そもそもなんだその「不幸な人」とかいう傲慢なレッテルは、と憤ったんだけど、言ってることはわからなくもないと……昔の劇場は人によってはとてもとても遠い場所で、でも今はあの頃に比べてアクセシビリティや支援もかわってて、きっと行ける人はすごく増えているんだと思う


それでも、‪今も、元気で健康でそれなりの条件を満たしていないとまだ観劇はなかなかハードルが高くて、‬
‪這いつくばうように勇気や希望や生きる活力を必要としている時に劇場に行くのは難しいことがある、と、感じていました。‬


‪でも配信やソフト化がされていれば、そのとき劇場に行けなくても、「自分の居場所」で劇場を疑似体験して胸を躍らせることができる。‬何かを受け取ることができる。
‪そして、実際の空気に触れたいと思った時、「いつか劇場に行くこと」自体が生きる希望になる。‬
自分でどうにかできることならば頑張れることもある。
‪(もちろん「行きたいけど行けない人」「行くのが難しい人」が頑張らずに行けるような劇場にしていくこともとても大事)

作品の良さは、劇場から遠く離れても根こそぎ奪われたりなんかしない。



‪私はなんやかんやあってそんなに劇場に足を運べないけど、劇場への憧れによって生かされている みたいなとこがある。



‪だから、配信が今だけ特別な一時的なもの……ではなくて、それ以降も定着してくれたら嬉しいなって‬…………
ライブ配信は家と劇場で時間・最新・最速を共有できるし、アーカイブ配信は仕事の終わったあと・家族が寝たあとに見ることができる。ソフトなら病室や未来のファンの手元にまで届くし、テレビ放送された作品は今まで演劇を知るきっかけがなかった人と出会うかもしれない。



いや興行としてどうなのと言われたらあれなんですけど………でも「観劇三昧」のサイトとかめちゃくちゃありがたいじゃないですか…………でもでももしかしたら配信してもそこまで劇的に「見る人」が増えるわけではないのかもしれない、それはやはり演劇は劇場で観るのが一番であり、劇場に行けない人はそもそも演劇に出会う機会はあまりなく、「演劇が好きだったけど行けなくなってしまった人」はよほどソフト化等が充実しているジャンルでない限り好きでい続けるのが難しいなぜなら劇場以外では観られないことが多くてつらいから、つまり今配信をやっても今まで劇場に行けていた人と行けるなら行きたいと思い続けられてきた人しか見ないということなのだろうか……わからないけど……でも「ちょっと気になってるけどまだ沼には落ちてない何か」ってアーカイブ配信とかテレビとかでやってたら見たくなるけど……ど………ど……………


今そんな夢みたいなこと言ってられる時ではないのは重々承知しています………………




それならいつか、たとえばロボット(OriHimeとか)で遠隔観劇ができるようにならないかなあ……とか。
そうしたら遠く離れたところからでも観られるかもしれないし、そこから劇場にまで拍手が届くんじゃないかって。
技術の力で、これまで劇場に来られなかった人も観客になる。可能性がある。





とはいえ。劇場に行けるのにチケットが取れなくて「劇場で観てる人がいるのになあ」と思いながら配信とか円盤で観なきゃいけないとかだときっとストレスたまりますよねーーーーーあーーーーー。
体験として完全な代替にはならないので。‬ VRとかでそれも変わるだろうか、、、


‪演劇が「劇場に行ける人」どころか「チケットを取れる人」だけのものになってしまったらもはや太刀打ちできる気がしないので、
この機会にチケットに関するあれこれもどうにかいい感じになってくれたら……うれしい‬



あとそもそもの話で、作品中の距離感はいつか元に戻るのだろうか……?
客席やオケは検証してくださっている方々のおかげでわりと近い将来に距離を保たなくても大丈夫となる可能性もありそうだけど、舞台の上はどうなんだろう……?マスクなしの歌やお芝居の検証も始まっているんだろうか……
ドラマの撮影もアクリル板使って撮って後から消したり色々対策してると知って「やっぱそうなんかー!」と思いました、もろもろ過剰な対策とわかればアップデートされていくのだと思うけどそうならない限りは役者さんの安全を犠牲にしてまで元に戻ってほしいわけではなく……
制約を逆手に取った新作や新演出は新しい何かを生み出してくれる(そしてそれはすでに始まっている)と思うし、それぞ演劇と思うけど、それが難しい既存作品はどうなるんだろう。演劇の、過去を目の前に展開するみたいな側面はどうなるんだろうか……



よくわかんないこと書いたけど、まずはとにかく劇場での演劇が再び始まっていくことを応援したいです……今は配信を観る……他には何もできないけど……



そしてだんだんとまた
‪劇場を、行きたい人が行ける場所に。
行けない人や行かない人にも扉が開かれた場所に。
それぞれが心地の良い距離で楽しめる場所に。
なっていくといいなとか、思ったりしました。