王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

あなたと共に私は生きるの──舞台『ビニールの城』を観た

誰かの夢とか、理想とか。
空想、未来の恋人とか。
もうここにはない笑顔とか。


誰かが心に思い浮かべ、
どこかの紙に描いたもの。


舞台とは、
荒唐無稽の有様を
この世で唯一
突きつけることのできる場所。











ポエミーかよ。


先日、V6森田剛さん・宮沢りえさん・荒川良々さん出演の舞台「ビニールの城」を観ました。なんとなく感想をメモしておきます。ネタバレあり。あらすじ等は公式サイトにて。




突然ですがアイドルとはなんでしょうか。
一般的な定義は置いておいて、私はこんなふうに考えています。


・若くして世に出ることが叶い、
・大人からおもに歌という名の言葉を与えられ、
・それゆえに一定の大人から軽んじられる人。


この「わたくしのかんがえたあいどる」に当てはめると、森田剛さんと宮沢りえさんはまぎれもなく私の中のアイドルであり、荒川良々さんはその範疇から外れています。
この三人が朝顔、モモ、夕一(ゆういち)として配置されただけで、私にはいびつな三角形が見えて仕方ない。


今回の作品は、森田さんと宮沢さんが共通して持つアイドルという経歴とそれにまつわる醜聞とを、まとめて喰らって飲み込むような舞台に仕上がっていると感じました。




人形(夕顔)を探し続ける腹話術師・朝顔役の森田剛さん。
そのへんの百均で売ってるそっけないグラスのコップみたいだな、という印象。
演出家の注いだものが、何が変わることなく、何を失うこともなく、そのまま表現に出てしまう。ものすごい稀有な才能。
今回個人的に目を見張ったのは、朝顔が水槽の上から「諸君」に語りかける演説シーン。疾風怒濤のような彼の言葉は多くの固有名詞が繰り出されるにも関わらず概念的すぎて、こちらはうまくその意味を理解できない。それなのに、私はなぜか胸を打たれ、会場の雰囲気は静かに高揚し、彼の存在は代え難いものとなった。
つまり彼は、発する言葉の意味が受け手に伝わらなくとも問題ない、「もはや注がれるものはなんでもいい」ことすら身をもって証明してしまった。言語的矛盾は彼の実在の前に無力。おそろしい。



朝顔に思いを寄せるモモ役の宮沢りえさん。
突如として現れた鈴を転がすような声に耳を疑い、その発信源が宮沢りえさんの口であったことに目を疑いました。なに、その、声。とにかくあどけなく美しい。最後のビニールの城のシーンはその声が発せられていないのに全く同じ感想で、まるで赤ん坊のように横たわる宮沢りえさんの身体はやはりあどけなく美しい。



朝顔の演説とモモの籠城、この二つに共通するのは物理的な位置の「高さ」で、やっぱり人は見上げると崇めたくなるんですかね。
反対に地に足が着いていたのは、夕顔になりきろうとする夕一役の荒川良々さん。私荒川さんってめちゃくちゃ上手くて場の空気を支配できる俳優さんだと思ってるので、今回もその才が如何なく発揮されてるのに森田さんが持っていかれていなくて結構びっくりしました。
森田さんって、アイドルじゃないの?舞台役者さんに、太刀打ちできちゃうの?



私のこの疑問は、アイドル=演技が下手、という大人の偏見によるものです。私はV6のファンで、これまでにも森田さんの演技を拝見しているので、その認識が誤っていることをもはや知っているのに、それでも毎回驚いてしまう。ファンだからこそというのもあるかもしれません。歌って踊って、あんなにキラキラしてるのに、その一方でそんなに澱んだ空気を身に纏うの?と。
宮沢りえさんにしても同じです。伊右衛門でしょ?初代リハウスガールでしょ?そんなあられもない格好しちゃうの!?あれ、でもそういえば……



アイドルにはスキャンダルがつきものです。そして彼らはそれを、超えてゆく。




嘔吐を促そうとモモの口腔に入れられた朝顔の指先に、そこにいた800人の観客の視線が釘付けになっているのを感じました。



私のような即物的な人間にはまったくもって理解不能な世界観にもなんてことなく馴染んでそこにあり、理解し難い台詞にも決して振り回されないこの二人。
アイドル、元アイドルのイメージを覆す、れっきとした舞台人なんだと思いました。



しかし、しかしですよ。
なぜか、この二人、歌うときだけは稚拙さが顔をのぞかせるのです。



ああ、そんなんじゃアイドルだということがばれてしまうよ。





って、それが狙いなんだろうなあ。
二人の歌が、本来しっかり組み上げられたであろう土台の骨を五、六本抜いたような不思議なグラつきを生んでいて、そのおかげでこの舞台は不完全な完全体として最高の魅力を放っている。
実際のところ二人とももう少ししっかりと声が伸びると思うので、これも演出であるとわかってはいるのですが、それでもふらふらとした二人のアイドルの歌声に心を掴まれずにはいられませんでした。












ところで、夕顔と朝顔はまあ現代だと本音と建前とか子供と大人とかネットとリアルとか、この文でちらつかせてるアイドルとその中の人とか色々な見方ができると思うんですけど、吐瀉物はなんなんでしょうね。
モモが朝顔の口に指を入れて吐かせてあげた、その逆もあった、その吐瀉物とは。朝顔の声と夕顔の声、二つの声を塞ぐもの。二つの声の出処が同一であると証明するもの。
考えてもこれという正体には思い至りませんでしたが、ただこれをそのまま放置すれば死につながるとすると、複数の声の同一化は実は不自然な末路であるということでしょうか。


私の声と、私の中の私の声と、私の中のあの人の声。
確かに、私もいくつもの声を聞きながらこのブログを書いているかもしれません。

じゃあ朝顔たちの中の声、森田さんたちの中の声って、いったい誰の声なんでしょうね。



そういえば今回の舞台では、朝顔やモモたちと同じ地点には立っていない、まるで無関係のような人が何度か登場して喋っていたような気がします。

朝顔やモモからは離れたどこかから語りかける、
それはまるでなんだか、“蜷川さん”のような人。
えも知れぬ、遠くからきた人。


私たちは複数の声を抱え、それゆえに生じる矛盾に苦しむこともままあります。
でも無理に消化する必要も、忘れる必要もなく。
ただ聞こえるうちはその声を聞きながら、時に耳を傾けながら、彼らの声と共に生きていっていいのだよと、そんなふうに言われているように、少しだけ感じました。






アイドルは大人たちから言葉を注がれた傀儡で、中身が空っぽに見えるがゆえに大きくなっても心は子供だと揶揄されることが多い世の中です。


しかし、彼らは大人たちから注がれた言葉をそのまま垂れ流していたわけではありません。そこに言葉は、“彼ら”の声はとどまった。


言語的矛盾は実在の前に無力。
言葉の定義は時代とともに移り変わり、大人になったアイドルたちはたまにぞっとするような場所から反旗を翻します。



ここはアングラ演劇最高峰。
私がこの目で見たものは、
アイドル風情の成れの果て。




1985年の夏はどのくらいの暑さだったのかな。
2016年の夏は、ホント、“蜷川さん”の台詞のそのまんま。
ああ今日も、なんてじめじめした陽気だろ。

ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」を観た

先日ライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」を観ました。
以下、感想のメモです。本当にただのメモ。薬師カブト役の木村達成さん中心。ネタバレありです。
(8/28 ライブビューイング版鑑賞後に青字にて追記しました。)



カーテンコールメモ

・キャストの皆さんが客席に降りた時、目の前に木村さんがいらっしゃったのですが、見上げてもスラリとしすぎていて顔が見えないという事態が発生しました。そんなことあるの!?180cmってすごい。


・その対比でもっとびっくりしたのが、見上げなくてもちょうどお顔が見えたヒナタ役の高橋紗妃さん。とにかくお顔がちいさい!しろい!かわいい!かわいい!!!!誇張表現でなくまじで触ったら壊れてしまいそうやで。ガラス細工やで。お人形さんやで。なんか質感がぷるぷるしてて、小籠包みたいだった……。少女漫画で主人公のほっぺたつかんでひょっとこ顔にする吊り目イケメンキャラの気持ちがわかった。私が少女漫画だったら絶対それやってる。危なかった…。私が少女漫画じゃなくてよかった…。


・話を戻して、そんなわけで木村さんのお顔はよく見えなかったんですが、なんかものすごいきれいな笑顔で走り抜けていってね!?あんな笑い方歯列矯正のポスターでしか見たことないよ!??ネットでたまに見かけるハイステカーテンコールの笑顔、あれと同じだった。100点満点の笑顔ですよ…実在するんだって度肝抜かれましたね…加工とかじゃないのね…天然もの……日本産の天然笑顔……


・客席に降りる前、大蛇丸様に「いやいやいやどうぞどうぞ」みたいな感じで道を譲ってたのが微笑ましかったです。大蛇丸様も遠慮されて2人して譲り合ってたの最高に麗しかった。2人揃って見た目の迫力とジャパニーズジョークみたいな動作と内面の奥ゆかしさみたいなの兼ね備えてて遠くから見てて「Oh……クールジャパン…」ってなった。


・カーテンコールの時、横に並んでるシノ役の植田慎一郎さんに二、三回こそこそ耳打ちしてたんですけど、植田さんは軽く頷くか詰襟で口元を覆うくらいしかリアクションしてなかったので役柄のイメージ守ってる感じがして良かったです。ただそこだけ見たらインテリ商人(植田さん)と「報酬分しか仕事はしません」主義のテキトーな通訳(木村さん)みたいだったんでそれも結構良かったですね。良かったです。


・いつだったか忘れたけど、スクワットみたいな足にきそうな踊りを踊ってました。元気で楽しそう。


・カーテンコールで並んでいる時や歌の客席降りは下手寄り、本編の客席降りは上手寄りです。


・千秋楽木村達成さん挨拶ふわっとニュアンス
薬師カブト役の木村達成です(白役今村美歩さんの次だったので「え、次、朝陽さんじゃないの?大丈夫?」という会場の空気にキョロキョロしながら)。まだ終わったという実感がなくて、また明日もここに来てしまうんじゃないかって……まあそんなことないんですけどね。それくらい生活の一部でした。ありがとうございました」


・ライビュ特別映像はイメージソング『光追いかけて』に合わせて本読みやリハ、公演映像のダイジェスト。カツラなし(黒髪)+ヘアバンドにカブトメガネな木村さんの映像あり。なんか大正ロマンのようで新しい感情が生まれましたよね…




本編メモ

・ガトーの手下で出てきた時の木村さんは、シノ風の丸いサングラスかけてヒャッハーしてたんでたぶん前述のテキトーな通訳さんの裏の顔。インテリ商人の懐刀 。すぐやられてたけど。


・あとは観劇後にこれだけは忘れないようにしなきゃ!という使命感にかられて書いたメモをそのままコピペしておきます。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
スタイルいい長身イケメン顔小さい
側転?からのバク転する
クナイくるくる
窓辺に腰掛ける
トランポリン高い
ポニーテールふぁさー
足技が映えるよね
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


もうちょっと趣のある表現できないものかよ。最後の「映えるよね」って誰に言ってるの。
一応補足します。
1つめ、素直な感想かよ。そのへんの男子高生観察してんじゃねえんだぞ。でもほんと、これに尽きるんですよ…。体躯が最高。ていうかよく見たらこれ五七五のリズムになってるから積極的に声に出していきたい日本語。
2つめ、バク転はもうほんと、あの長身なのですごくダイナミックでテンション上がります。「フー!」ってなります。そういえば公式サイトに記載されてる木村さんの特技「バク転・バク宙・英会話」もだいぶ声に出して言いたい日本語。
3つめ、クナイくるくるするって普通の人がやってもかっこいいのにイケメンがクナイくるくるするってずるくないですか。
4つめ、そうそう、これ…!!!窓辺に腰掛けるのめっちゃ似合うんですよ。我愛羅も窓辺に腰掛けるシーンがあって、こちらはシルエットだけでいうと若干トムソーヤ的な少年感があるんですね。ここだけ切り取るとジュブナイルですごくいいんです。対照的にカブトはなんていうか「深窓の令嬢」ですね。それか、青春の終わり。取り返しのつかない感じがあってひとりデカダンス。あと片手でりんご上に投げては受け止めてそう。
5つめ、トランポリン高かったです。すごいですよねぇ。トランポリン自体高所にあるから、そこからさらにあの高さってはじめはこわいだろうなあ。
6つめ、ポニーテールの髪を触ってふぁさーっとポジション直しててカブトの髪型の意味わかってるね!ってなりました。あ、そういえば初演は何回かメガネ上げる仕草やってた気がするけど、今回そんなにやってなかったかな?気のせいかもしれないけど。メガネかけてるキャラをやる時にメガネを頼らないのはオツですね。(ライビュ見たら普通にメガネ上げてましたね。すみません)
7つめ、足長いしきちんと伸ばしてるから蹴りとかすごい綺麗…。木村さんのがっつり殺陣とか見てみたいなぁ。


・オープニングのとこなんですけど!登場人物がだんだん並んでって、満を持して舞台ど真ん中のちょっと高いところに我愛羅が降り立つじゃないですか。ドラマのクレジットでいうところの「トメ」的な立ち位置で、「我愛羅さんかっけー!」ってなったその矢先に後ろの幕が開いて我愛羅よりさらに高いところに大蛇丸様が降臨してるのめちゃくちゃかっこよくないですか!!そんで全然服従してない感じ漂わせまくりの食えないカブトさんが跪いてるその顔がメガネあげる手で見えなくなるのめっちゃライブスペクタクル。ぴあポイント2万点くらいあげたい。


・今日はバク転どころかひねり側宙?みたいなのやってて、木村さんほんとそのアクロバット能力活かせる役にいつか出会ってほしい…!「ジャニーズでもバク転できない人いっぱいいるんですよ」っておもいました。




木村達成さん以外のメモ

・ナルト役の松岡広大さん。テニミュの金ちゃんもそうなんですけど私「ネアカ」の役って相当難しいんじゃないかと思ってるんですよ。元気でぴょんぴょんしてまっすぐで純粋で明るい太陽みたいな役。生身の人間には体にも心にも重力みたいなものが働くからどうしても無理が出る。だからそれをこなせる松岡さんはすごいなあと。体はまだしも、心の重力を断ち切るのって相当大変ですよね。それを稽古期間も含めて、毎日、毎日。そして酷なことに、そこまでやっても明るさ一辺倒だけで人に感動を与えことはできない。松岡さんのナルトは絶妙なバランスが探られていて、私も些細なことでへこんでられないなって元気をもらえるような、ド直球で観ている側の重力も断ち切ってくれるような力があったと思います。


・生で見て一番印象が変わったのがサスケ役の佐藤流司さん。の声量。あんなに声量あると思わなかった!映像だとわからなかった。もしかしたら初演の時より大きくなったのかもしれないけど。あんなに動けて声も安定してて背丈もちょうど良くて、まじで怖いもの無しですね。
ライブビューイングで見たらわかったんですけど、生の佐藤流司さんの声は声量というより観客の身体への響き方が違うっぽい。彼は絶対に生で見たい役者さんだなぁ。


・いの役の藤木かおるさんが目の前に来た時に思ったんですけど、こんなに綺麗な人が腕や顔を汚して人前でめいいっぱい演技をするって、なんか凄くないですか?私は子供の頃、演劇ってどっちかっていうとちょっと恥ずかしい感じのことのように思ってたんですよ。今はわからないけど、物心ついたあとの学芸会とか文化祭で大真面目に演技するのはイタいって言われちゃうような空気があったので。高校くらいになるとそうでもないんですけど。美男美女が外見を損ねることも厭わず全力で演じてるの、小学生とか中学生とかで見てたらなんかちょっとだけ世界観変わった気がするなぁ。めっちゃかっこいいじゃんね。
理由は他にもあるんですけど、この舞台はもっとたくさんの子供にも見てもらえたらいいんじゃないかなあどうかなあって思いました。私が子供だったらあの手が光るやつだけで胸高鳴ってる。グッズで売ってたら絶対買っちゃう…!たぶん高速のサービスエリアで売ってても買う。親子デーとかつくって応援上演やって、ナルトが戦うところで子供が「ナルトがんばれー!」って言ってるの見て私の涙腺が崩壊するところまで想像しました。


・再不斬と白のシーンは思わず泣いてしまった…。WOWOWで観た時はそうでもなかったのに、やっぱり生は違う。役者さんの感情が観客から観客へと伝播していってる感があって、この熱伝導的な効果は映像を一人で観てたら得られないよねと思いました。


ロック・リーの佐藤祐吾さん、見た目も声も動きもキャラクター感すごかった。ワンピースのエースの二次元彩色フィギュアみたいだった。
・アンサンブル紅一点の知念紗耶さん、小さくてぴょんぴょんくるくるして重力と遊んでるみたいだった…!
・ドラマ『弱虫ペダル』鳴子役の深澤大河さんから木村達成さん宛にお花が届いていて、鳴子イメージなのか赤基調のアレンジになってて「ありがとうございます!」って感じでした。
・ハイステやテニミュに比べて年齢や性別、経歴など様々な属性を持つ方々が一堂に会する現場なんだなーと。そういう経験も…いいよね…
・一人一人あげると何万字とかになっちゃうのでやめますがみなさんとてもよかったです。


その他雑念

・私はNARUTOを読んだことがないのでこの舞台を観てあれこれいう資格を有してないのですが…。ロック・リーについてもうちょっと説明があってもよかったような気も。最後にリーがナルトを助けに来た時、ナルトが彼になんて言ったのかわからなかったんですね。
手島優!」って聞こえて。だいぶ急な手島優だったんでたぶん手島優じゃねえよな、なんだろな、てじまゆう…なんかあだ名的なものかな、見た目かな、そういえば最近見ないな手島優、って手島さんの近況に少し思いを馳せつつ、あっ!げじまゆかな?って思って。今ググったら合ってたっぽい。あだ名で呼ぶってことは面識があるってことだと思うんですけど、舞台の中でそれ以前に2人が会うシーンはなかったですよね?それか説明台詞があったのかな。聞き落としたかも。
本当に申し訳ありません………。ほんと何書いてんだ私。恥ずかしい…。ナルトとロックリー、寝起きのシーンで思いっきり絡んでましたね。しかもその時点で何度も「げじまゆ」って言ってたし。私は何を見てたんでしょう…。大変申し訳ありませんでした。


・同じようなことをWOWOWの初演映像見たときも思って、それがサクラちゃんが最後に告げる「医療忍者になる」という夢なんですけど。「医療忍者」って、多分舞台中には出てこない単語なので唐突な印象を受けたんですよね。そんで今回見てたらそういやカブトってなんか大蛇丸様の治療してたじゃないですか!?カブトってもしや医療忍者なんですね!?ってそのシーンの時ハッとしまして。そこでなにか医療忍者って単語を一度くらい出せなかったかな、と思いましたけど大したことじゃないんで別にいいです。


・パンフの大蛇丸様とカブトの写真、めっちゃ妖艶で「Oh……今ふたたびのクールジャパン…」てなる。
あと木村さんのインタビュー、とても興味深い。2.5次元舞台って「観ている人の大多数が登場キャラの未来を知っている」という点が特異で、観客は舞台に表現されていないものまで重ねて見ているし演出側もそれを考慮して足し算引き算をしてると思ってたんですけど。確かに木村さんの言う通り、舞台に立つキャラは自分の未来を知っていてはいけないんですよね。キャラだけは、というべきかも。観客はその先の顛末を知っていてもキャラだけは知らないんだ。この構造、切ないなぁ。


・舞台は色のついた照明を使えるから、映像作品よりもキャラの雰囲気やオーラの可視化ができるんだと今更気付いた。でも役者が舞台に立った時、何より観客が息をのむ瞬間は、キャラのシルエットから立ち昇る妖気が「見えた気がした」時だなって。悠未ひろさん演じる大蛇丸に思わされました。


・ライビュで映った悠未ひろさんと木村達成さんの笑顔のツーショットとても素敵でした…。麗しい……。


・今回、初めて生で木村達成さんの演技を拝見したのですが、やっぱり声が綺麗だし身体能力高いし、舞台映えする方だなぁと。これから舞台でも映像でもなんでもいいから色々見れたら嬉しいなぁ。
あとナルト見てて思ったのは、言うのはタダなんで言いますけど『キングダム』が舞台化されたら木村さんに信役を演じて欲しいなってことですね。ああいうキャラを演じる木村達成さんが見てみたい。真っ直ぐで強くて信念があってどっちかっていうとネアカ寄りのキャラ。言うのはタダなんで。こういうの言いたくてブログ作りました。おわり。

キャラ信仰が崩壊した日──映画『シン・ゴジラ』を観た

エヴァンゲリオンを見たことがない。


と告白すると、同じく見たことがない人にとっては「へー」だし見たことある人にとっても「へー」だし、要するに私の鑑賞履歴や文化的バックボーンなんて心底どうでもいいですよね。
飲み会とかで「こんな時どういう顔をすればいいのかわからないの」って言われて
エヴァですね!お好きなんですか?」
って返せるくらいの日常会話のとっかかり的なフワッとした知識はありますが、正しい応対は「笑えばいいと思うよ」らしいので次から気をつけようと思っています。そういえば、ゴジラ作品も1992年の『ゴジラvsモスラ』くらいしかまともに見たことがないかもしれない。『風の谷のナウシカ』は金曜ロードショーでやってたら見るけど、『巨神兵東京に現わる』は見てない。実写版『進撃の巨人』は前後編とも見ました。つまらなかった。まぁまぁ必修科目ほぼ履修してない、そんなレベルで今話題の映画『シン・ゴジラ』を観ました。
私から自信を持って言えることはただ一つ。





色々見たことなくても楽しめる!!





随所に散りばめられていると思われるパロディ、オマージュ、引用、全然わかんなくてもオールオッケー面白いです。知ってたらもっと奥行きのある見方をできるんだろうけど、そういう前知識なくてもこれだけ満足できるってのはすごい。とにかくテンポがいいのでテレビ見てて「なんかダラダラしてんな〜この番組」って思うことが多い人にはオススメです。


でも。


私はそれよりも別のところでちょっとしたショックを受けまして。
今までの価値観が崩れてしまった。




以下、ネタバレしまくりの雑感です。
未見の方は読まないでください。

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彼らはなぜ慢心しないのか──ミュージカル「キンキーブーツ」を観た

デカい。三浦春馬がとにかくデカい。
なんだ、このオーラは……



先日、小池徹平さん・三浦春馬さん出演のブロードウェイミュージカル「キンキーブーツ」を観ました。とにかく楽しかった!2時間半があっという間でした。せっかくなので感想をメモしておきます。内容に関するネタバレは避けてます。あらすじ等は公式サイトにて。






まずは何と言ってもドラァグクイーンのローラを演じた三浦春馬さん。



三浦さんが歌もダンスも出来る方だというのは知っていたけれど、初めて生で見てその迫力にびっくり。



とにかくデカい。
背もデカい。ガタイもデカい。歌声もデカい。ダンスもデカい。
そして何よりその存在感が最高にデカい。



男の中の男。女の中の女。人の中の人。




人の中の人って何、と思われるかもしれないけど。
いまだかつてこんなにカッコいい三浦春馬を見たことがあっただろうか。
歌って踊るローラだけで何時間でも見てられそう。
これ映像畑の人めちゃくちゃ悔しいんじゃないか。




ただこれは彼がその映像畑で成功した、一般知名度の高いテレビスターだからこその驚きであって、もし三浦さんが元からミュージカルスターであったなら、ここまでの感動は得られなかったと思う。



だからこそすごい。誰にでもできることじゃない。



舞台でも通用する技術を身につけていた人物が、お茶の間のみんなが知ってる人気者「三浦春馬」の看板を背負って初めて提供できる意外性と価値。
その名前だって一日や二日で築き上げたもんじゃない。



彼だからこそ為し得た、最高に興奮する“番狂わせ”。




その努力たるやいかばかりか。




いやーでも、ローラという役を演じている三浦春馬さんは「地道な稽古を重ねて数々のハードルを乗り越え……」ってよりは、あらかじめ持ち合わせてた武器や装備をガッチガチに磨き上げて俊敏かつ正確かつダイナミックにぶんぶん振り回して500の敵を仕留めるみたいな超楽しそうな挑戦をしてる感じだったな。



「キャラが立ってる」とかそういうレベルじゃなく、一種のアイコンの域に達していて、これだけ自分の強みを生かして全力で対峙できる役に出会えるって幸せなことだなと思った。



映像での成功はおろか、うまくいかなかったといわれるいくつかの仕事ですら凄みを増すための布石だったのではないかと思わせるほど、彼のローラとしての佇まいは全てを跳ね除けてあまりある。



歌やダンスはもっと進化していきそうだし、それ以外もまだまだ解釈によって変わっていきそうなので、ほんと三浦さんのライフワークにしてほしいなー。
何度でも見たくなる演技でした。






次に、チャーリーを演じた小池徹平さん。



これは三浦さんにも思うことなんですが。



彼らは何をモチベーションに役者をやってるんでしょうか。
顔がよくて、歌も上手くて、視聴者に絶大な人気があって。
特に小池徹平さんは、ジャニーズを凌いで「小柄でかっこいい」の頂点を極めた数少ない人だと本気で思う。
それでなぜ、慢心しないんだろう。
少しくらい驕って、調子に乗って、
「演技なんてちょちょっとやっとけばキャーキャー言われるんだぜ」
とかってチャラチャラしてくれたって全然おかしくないのに。
なぜ、ひたすら上を目指すことができるんでしょう。




小池徹平さんは歌声も演技もひたむきでのびやかで、ローラの強烈なオーラに惑うことなく主人公に徹していてとてもよかった。
これはとても勇気と自信と、技術を要することだと思う。
下手をしたらローラに感化されて、引きずられて、役割がぶれて台無しになる。
ミュージカル俳優としての矜持が垣間見れて、すごく素敵だと思いました。
嫌なことも損することもあるだろうに、“分を弁えている実力の伴ったイケメン”でいることができるって何それどういうことなの。


ただ、たださぁ、この言い方は語弊があるかもしれないけど。
小池徹平さんの歌声にはまだ少しだけアイドル発声っぽいところが残っていて、それが無茶苦茶に色っぽくて切なくて大好きなんです。ミュージカル俳優としてはもしかしたらあまり良くないのかもしれないけど、言ってみればこの「エモさ」、間違いなく彼の大きな強みなんだよなぁ。




その他いろいろ。
ソニンさん、もっと抑えてもご本人のキュートさが出てくるんじゃないかとも思ったけど、元々の役があんな感じなのかな。求められていることを期待以上に演じられていて、やっぱり巧い方なんだなあと再認識。
玉置成実さん、玉置さんと小池徹平さんといえば映画「ラブ★コン」ですよね…!!!!!のぶちゃん!あれから10年後の今、ふたりがミュージカルで丁々発止とやってるのなんていうか目頭が熱くなる。憎まれ役な分、最後に歌うところも綺麗事じゃない迫力があってかっこよかった。
エンジェルス、見応え聞き応え満点!!
ミュージカルって知らない曲だと聞き慣れる前に終わっちゃったりするのですが、シンディ・ローパーの曲は素養のない私の耳にもすっと馴染んでしまってさすが。だから気分も乗るし盛り上がれるんだろうな。




思い出してたらもう一回見たくなったなー。



まるで異形の者かのように登場したローラ。
大仰な演出がその先々の展開にまで効いていて、その物語のど真ん中に立ち続けていた三浦春馬さんの俳優としての強度に病みつきになる感じが気持ちいいんだよなぁ。



ローラの歌・ダンス・存在感どれかひとつでも欠けたらこの舞台は成立しない、そんなポジションにテレビスターの“若手イケメン俳優”を持ってきたのは大きな賭けだったと思うけれど、勝算はどのくらいだったんだろうか。




結果は歴然、
最後にローラが登場した時の



「よっ、待ってました!!」



とでも言わんばかりのあの空気。
観客は完全に彼を待っていて、
あれだけで三浦春馬さんの勝ちだった。




これだけの賞賛を浴びて、彼らはなぜ慢心しないでいられるんだろう。
これが映像ではなく舞台である、というところにヒントがあるんだろうか?
今回もきっと公演を重ねるにつれてさらに良くなっていくんだろうな。

アニメ「ハイキュー‼︎」伊達工戦の音楽について書く

本日、ついにハイパープロジェクション演劇「ハイキュー‼︎」“烏野、復活!”の全キャストが発表されました。


ハイパープロジェクション演劇「ハイキュー!!」"烏野、復活!" 公式ホームページ / キャストや公演チケット情報など



一回だけでも、生で見たい。


でもこればっかりは祈る以外にできることなかったんでとりあえず舞台の予習ということでアニメ版「ハイキュー‼︎」の音駒戦と伊達工戦を見返してみたんですけど、やばい。何がやばいって音楽がやばい。知ってたけどあらためてのやばい。そういえば最近の若いかたって「やばい」とかいう言葉使わないですよね。歳がばれないように、感じたことを他の言葉に言い換えると……「





今日はアニメ「ハイキュー‼︎」第17話「鉄壁」の音楽について、他に言葉思いつかなかったんで素直に何がどう「やばい」と感じたのかを書きます。
なお、音楽は林ゆうきさん・橘麻美さんです。




注意:重要なネタバレがありますので、アニメ未見の方はご遠慮ください。また、かなり自信満々に言い切り口調で書いていますが、実のところ筆者は色んな意味で聞き分けができてません。従って、楽器名等の後ろには「的な…何か……」が常に省略されていると思っていただければ幸いです。ホルンか…トロンボーンか…ユーフォニアム………。



後半の引っかかり

最初、17話の冒頭から滔々と書いてたんですけど長くなったので割愛して本命のところだけ書きます。てか本当は18話まで書きたかった。




さて、その17話の後半。


ひとつだけ違和感を覚えたところがありました。
日向の速攻がとめられた後、伊達工に流れを持っていかれそうになり、山口とスガさんが「落ち着いて切っていこう」「一本!」と叫ぶところです。



この違和感の正体はなんだろう?



巻き戻してみて、その答えがわかりました。
ドラムの低音です。


それまで弦楽器中心だった音色に、トントントン…とまるで誰かの心音のように加わるリズム音
なんでこの音がこんなところで入ってくるんだろう。


このリズム音、例えばですけど、これで雌雄を決する!ってなクライマックス感を出したい時とか、あとは「俺は……俺は自分の腕が折れてでもアイツのサーブを全て受け止めてみせるッッッ!!!」っていう台詞のあとに始まったらおそらく違和感ないんです。ハイキューにそんな台詞ないんですけど。
なんとなく誰かの決意を受けている感じがするんですね。でも、この曲が入ってくるのは先程も言った通り山口やスガさんがコート内に声をかけているタイミングで、彼らは特に何かを決心したりはしていません。また、直前の台詞は伊達工の「もう一本止めるぞ!!」「オ゛オ゛ッ」ですが、これは彼らがずっと抱えている思いの延長で、心境が大きく変化したわけでもないので、このタイミングでわざわざ音楽を変える必要性は見当たりません。ましてや、試合の決着にはまだまだ程遠い。



では、単なる気まぐれでしょうか?
いいえ、違います。


前にないのであれば、後ろです。
このリズム音は誰かの決意と運命を予言している。



それまでストーリーの展開に忠実だった音楽が、明らかに「先走って」いるんです。



ストーリーと並走していた前半

ここで前半の音楽を見てみましょう。


かっこいいノヤっさんによって変えられたチームの空気、試合の立ち上がりの勢い、気持ちよく点が取れず停滞・沈滞していくムードなど、前半の音楽は常に、ストーリーの引き立て役として忠実にその場その場にあった雰囲気作りをしています。視覚的情報と聴覚的情報が合致しているので、そこに違和感はありません。


ただここでひとつ面白いなと思うのは、最後に挙げた「停滞・沈滞していくムード」の音楽、確かにストーリーの展開には合っているんですが、実は烏野側の気持ちとは異なっているんですよね。烏野チームはまだ変人速攻を残しているので、停滞どころかほとんど焦っていない、むしろ「次は絶対に決まる」と思っている。つまり、この音楽は烏野の心象を表した音楽ではなく伊達工や観客から見た烏野のイメージを表した音楽なんです。聴覚的情報によって烏野が追い詰められているかのように感じられる、一種の「ミスリードみたいなことが行われていて、これによって話のテンションに緩急がつけられている。ここで伊達工目線になって場の雰囲気を落としているからこそ、1発目の変人速攻を決めた時のハイテンポなピアノが引き立つし、2発目の変人速攻が決まった時の伊達工監督(CV.三木眞一郎)の台詞「マグレじゃ…ないのか」が効いてくるんですよ。めっちゃカッコよくないですか。「マグレじゃ…ないのか」



そんなマグレじゃない「印象操作」こそ行われているものの、基本的に前半の音楽は映像にそぐわない情報は呈していません。だからこそ先述のリズム音への違和感がより大きく感じられるんです。



「やばい」、ひとつめ。

それでは後半、急に音楽が先走ったことで何が起きているか。


この唐突な変化と違和感に伴うのは何らかの「予感」です。状況が大きく変わったわけではないのに、何かが始まったと明示されたわけではないのに、音楽によって送り込まれた新たな空気。これから誰かの身に何かが起きると、音楽が先回りして暗示しています。見ている私たちにはそれがなんなのか考えている余裕はないけれど、耳からの情報、それもたったひとつのリズム音によって異変の気配を無意識に察知している。なんだかよくわからないけれど、この先に来るであろうなんらかの瞬間を期待して、私たちは画面から目が離せなくなる


この先に何が起きるんだろう?
知りたい。


アニメを見続けるための根源的な欲求が、シンプルなリズム音によって煽られていくような感覚。






数分後、その予感は「エースの前の道」に繋がっていたことがわかります。烏野の10番をとめなければ。その意識に飲み込まれていく伊達工と、繰り返されるその描写に「烏野側の思惑はわかっていたのに」一緒にのめり込んでいく視聴者。延々と耳に入ってくる弦楽器中心の音色と、それをこっそりと追い立てるようなリズム音。「何が起こるんだろう」と気持ちが逸っていた私たちの感覚と、日向に目が眩んでいた伊達工チームの感覚はたぶんちょっとだけ似ています。


やがて日向が踏み切って、跳躍し、そして
「打たない」──ここで日向の後ろから現れた旭さんと共に弦楽器の陰から入ってくる、金管楽器の音!!これなんです!!私がやばいと思ったのは!!


機をうかがっていた旭さんさながら、満を持しての登場です。ストリングスだけじゃない、ブラスだっているんだ。この力強い音色ときたら、まるで旭さんの思いを代弁するために登場したようです。ここで旭さんの姿を驚きをもって迎えるために、(烏野10番にとらわれていた伊達工のように)私たちも何かにとらわれる必要があった。だからこそストーリーの展開よりも早く、音楽が情報を前出ししたんです。解禁前の飢餓感を煽るように。早く、早くキャスト教えて!もうそろそろ発表されてもいい頃でしょみたいなアレです!!!


光り輝く金管の音色によって覚まされた私たちの目。ここでハッピーエンドと思いきや、音楽は終わらない。実はここが!!もうひとつのやばいところなんです!!



「やばい」、ふたつめとその続き。

パイプの回想に入っても残響のような音楽が続いていて、そしてカタルシスの余韻の中で私たちは思い出すんです。
これがスガさんの願いの結実であったことを……!!!!
願いはすでに託されていた。その言葉は、仲間の遂行により予言となった。
ただ単に旭さんの目の前に道が広がっただけではないんです。スガさんにもまた、これを願う彼の物語があった。このことを曲を変えずに、同じ音楽の中で語ってくれてるんですよ……!!!!


あああ、尊い……烏野3年尊い……







……と半眼になっていた私は、しかして耳から入ってくる情報によって気づきます。



まだ、音楽が終わっていない ことに。




え?なに?まだやんの?の、その先に。









── “ぞくぞくした”





その先に繋がっていたのは、日向の最強の囮としての「覚醒」です。



旭さんの、スガさんの、大地さんの、潔子さんの。


烏野3年生の思いや物語は彼らだけで完結するものではなく、後輩たちの新たな物語に繋がっていく。


並行し、時に絡み合う一人一人の物語と、それによって織り成されていくチームの物語。



それをこの音楽はひとつの曲の中で、複数の楽器を使って表現しているんです。



日向の目覚めを高らかに告げる、トランペットの音色。同じ金管でも、旭さんが現れた時の安定したホルンよりも高く、細く、鋭い音です。まるで未完成な日向の伸びしろを示すように。
この2つの音色に絡むような旋律を奏でている他の楽器たちにも、例えばホルンとストリングス、トランペットとギター、それぞれの音の距離の取り方に意味があるように思えてきたりして。



さて。
リズム音が事前にほのめかしていたのは、旭さん、スガさんと日向の運命でした。では、受けていたのは誰のどんな決意だったのでしょう。もう一度巻き戻して見てみると、その答えがわかります。
声をかけている山口とスガさんの次に映っていた、ある一人のセッターの顔。何を思っているかは示されていないけれど、そういえばひとつ心当たりがありました。






“エースの前の道を、切り開く”。






それは「今」、「この試合」でなければ。
日向と共に願いを託されたもう一人の主人公。
機をうかがっていたのは、旭さんだけではありませんでした。
……まさに出来すぎた展開、というかあくまでひとつの解釈に過ぎませんが(この時点でパイプができるとわかっていたわけではないし)、それでも二重三重の物語に寄り添いなぞるようなこの音楽の全貌にここまできてはじめて気づかされて、本当に「やばい」と、やばいやばいやばいと思ったんですよね…………


翻って、舞台版。

実は私、以前のエントリーで舞台版の音楽も「やばい」と書いています。アニメ版のやばさと舞台版のやばさは全然違うんすけど語彙力ないんで仕方ないんす。

ハイステ新公演の伊達工戦、いったいどんな音楽がつくんだろう……今から期待で胸がいっぱいです。





あ、そうそう。最後に。
さっき取り上げたアニメ版のほうの曲は、サントラではこんなタイトルがつけられています。



「チームの地力」



一枚岩ではない、一人ではない。

ギリギリのところで、チームだからこそできること、語れること。

繋ぐということ。


この曲にぴったりなタイトルだなぁと思います。
伊達工戦の音楽に感じたこと、「やばい」を私が自分の言葉で言い換えることができたなら、きっとこのタイトルみたいな言葉だったんだろうな。

ジャニオタがジュリーについて語る

ジャニオタしかもV6ファンである私にとって、
「ジュリー」といえば一にも二にも藤島ジュリー景子氏です。
しかし、芸能界には有名なジュリーがもうお一方いらっしゃいます。沢田研二さんです。


彼が絶大なるアイドル的人気を誇っていた頃、私はまだこの世に生まれていませんでした。
ただなんとなくそのお名前は知っていて、多分母がテレビを見ながら「ジュリーはかっこよかった」とつぶやいたり、漫画ちびまる子ちゃんにおいて「ヒデキ」とか「百恵ちゃん」とともにまる子が名前を挙げたりするのを目にしてきたことで、ある時代を象徴するキーワードとして刷り込まれていたのかなと思います。また、役者やタレントとして活躍されている沢田研二さんの姿は幾度となくテレビで拝見していました。「この人昔アイドルだったんだなぁ、すごいなぁ。こんなふうにV6もこの先生きのこれるかなぁ」、幼心にそう思っていたこともあります。
でも、まる子やまる子のお姉ちゃん、そして若かりし頃の母が熱狂したという歌うジュリーを見たことはありませんでした。



そう、YouTubeで出会うまでは。




今日はジュリーこと沢田研二さんとその大ヒット曲勝手にしやがれについて、ファンでもなんでもない上になんの知識も持ち合わせていない私が、ただ本能の赴くままに思ったことを書き散らかします。
(批評や記録とかではないので、読んで得られるものは何もありません)


勝手にしやがれ』とは

勝手にしやがれ』は、1977年にリリースされたむちゃくちゃイカす名曲です。
もうイントロからしてやばい。「ててっててってーん」だけで「キタ━━━━ヽ(゚∀゚ )ノ━━━━!!!!」てなりますからね。今さらこの顔文字使いたくなるくらいにはキターてなる。


このしょっぱなから疾走感が印象的なイントロ、編曲は船山基紀さんです。そう!!あの少年隊『仮面舞踏会』の編曲を担当されている方です。あの「ちゃりらりらん。ちゃーちゃん!」のイントロですよ。カウコンとかで超聞いてるやつ。あとはTOKIO『AMBITIOUS JAPAN!』『宙船』KinKi Kids『フラワー』の編曲もこの方です。どれもタイトル聞いただけでイントロから口ずさめますよね…!歌詞入ってくるとこからじゃなくて、ほんと楽器のイントロから。口から楽器の音出せるなら出してるくらい歌える。これすごいのは、イントロから歌えるからAメロの歌詞までスムーズに出てきちゃうところなんですよね(宙船とフラワーはサビからだけど)。ジャニオタカミングアウトしてない集団のカラオケ参加時にありがちな「サビ知ってるからなんとなく歌えるだろと思って無難なヒット曲入れたらサビ以外ほとんどわからなくて変な空気」みたいなことにならないんですよ。まじイントロ大事。でこの流れで口をついて出てくる言葉が何かと思ったら


「壁ぎわに寝がえりうって 背中できいている」


めっちゃかっこよくないですか!!?!!!?!!
出だしの「か」からしてキレキレでかっこいい。もうここだけで大体の情景浮かんでますよね。最初は寝がえりうった俺の主観なんですけど、次のフレーズで「背中」が出てくることで主観からはちょっと引いたアングルの絵になる。そんで


「やっぱりお前は出て行くんだな」


はぁ!!??!何これ!?!!こんなスマートなセリフきょうびドラマでもお目にかかれないわ!!!自担ですら!!言ったことないのに!!!(たぶん)
サビを前にしてこの破壊力。そら折原臨也(cv.神谷浩史)もカバーするわ。ちなみに、山口百恵さんの『プレイバック Part 2』(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)はこの歌のアンサーソングだそう。夜中に音楽かけて独りでやけっぱちになることを「ワンマンショー」なんて称する優男を、真紅(まっか)なポルシェに乗った百恵ちゃんが「坊や」と一蹴しているわけですよ。なにその神々の戯れ……!!全歌詞はこちら。


勝手にしやがれ - 沢田研二 - 歌詞 : 歌ネット
プレイバック Part2 - 山口百恵 - 歌詞 : 歌ネット


作詞は阿久悠さん。代表作を挙げるまでもないですが、ピンクレディーの歌や、『学園天国』『宇宙戦艦ヤマトなどなど今でも歌い継がれている楽曲ばかりです。
ちなみにサビの最後までいくと歌詞が「アア アアア アアア アア」ってこれだけ見たらカオナシか飲み会から帰ってきてだれかを不快にさせた可能性のある自分の発言を逐一振り返る私かっつー事態になってるんですけど、メロディと合わせて聞くとほんともうここの歌詞コレしかないから。もうあああああああああ〜しかねえよ。言葉なんかいらねえから。これ、歌詞と曲どっちが先だったんだろう……。曲かなぁ。だとしたらここに歌詞をつける可能性があったわけで、「アア」というひとつの解を見てしまった今、その言葉は蛇足にしか思えないっていう。サビの途中で歌詞を切り上げたことによって、言葉よりも雄弁なメロディになってるんです。これができるのは朗々と歌い上げる感じのBメロの存在感が効いてるからかもと思う。


作曲は大野克夫さん。太陽にほえろ!』『傷だらけの天使そしてなんといっても名探偵コナン』のメインテーマですよ!!!ちゃららーらーのやつ。アニメのインストの中ではある層に最も刷り込まれてる楽曲といっても過言ではない。沢田研二さんのバックバンドを務めた井上堯之バンドの一員でもあります。当時は生バンドの演奏で歌っているので、番組の進行具合によってテンポが全然違って面白い。私は90年代以降のポップスだと楽器の異なる生演奏やアコースティックバージョンとかのアレンジには鈍感というか「当時の空気が襲ってくる」感覚がなくてつまんないなと思ってしまう原曲至上主義者なのですが、ジュリーの歌は原曲自体あまりよく知らないので生バンド超かっこよく感じるし楽しめて幸せです。
以上こんな豪華な面々により、『勝手にしやがれ』をはじめとする沢田研二さんの名曲の数々が生み出されていったそうです。はー……すごい。語彙力?そんなもの最初からありません。


パフォーマーとしてのジュリー

タイトル急にEXILEみたいになった。「表現者」でもよかったんだけどなんかすごいこと語らなきゃいけなくなる気がしてやめた。お気づきのようにだいたい「かっこいい」「すごい」「イカす」あとは「ハンサム」くらいしか言わないです。イカすなんて今まで使ったことないけど。若い人知ってるのかな?「魅力的」「かっこいい」という意味だそうです。被ってた。かっこいいかぶり。まあいいや。


上で書き殴った通りまじハンサムな楽曲『勝手にしやがれ』。
これに最初に生命を吹き込んだのがジュリーこと沢田研二さんです。
1977年、当時29歳。
どうでもいいけど、ファンって気になった人の年齢だった頃の自担や推しが何してたかみたいな、推し換算しませんか?ちなみに岡田准一さんの29歳は映画「SP」とかですね。映画版井上薫と同い年くらいの人が勝手にしやがれ歌ってるかと思うとなんかそれだけで興味深いですよね。別の角度からいうと6年ぶりのカミコン直後あたりです。これ岡田准一さんファンの方だけわかってくだされば本望です。
ていうか1977年っていまから39年も前なの!?!!そんな前の映像を、今自宅で見ることができる奇跡。圧倒的文明開化。


この曲を沢田研二さんがどう歌ったのかは、とにかく映像を見ていただきたいです。検索すると出てきます。どれでもいいから見て欲しい。そして気に入ったらCDでもDVDでも配信でもなんでもいいので買って聞いて欲しい。iTunes Storeにはないんですけど、ドワンゴとかにはあります。
(7/17訂正:iTunesでも配信されていました!大変申し訳ありません。沢田研二で検索すると見つかります)



動画検索すると色々出てくるんですが、私が一番好きなのは1977年紅白バージョンです。
上下黒のやつ。(クリーム色のスリーピースで歌ってるのは、リリース時の歌番組露出バージョンみたいです)
まじめっちゃかっこいいから……。ありえないから……。


まず目を奪われるのはその格好です。
黒いジャケット・レザーパンツに白のスカーフ(マフラー?)、ポケットチーフに赤いカーネーション
そんで頭にハット耳に剃刀ピアス、手にはステッキ、ビジューに手錠ですよ!!!
赤西仁かよ!!!1977年にどんだけフル装備だよ!!いくら紅白とはいえかっこよすぎるだろ!!!
ジャケット脱ぐとなんか豚バラみたいなシャツを着てるんですが、首に巻いてる白いなんらかの布とチョーカーが効いてて全然変じゃない。


ジュリーの衣装はどの曲もビックリするくらい前衛的でかっこいいのですが、とある動画のジュリーいわく「ちゃんとかんがえてくれるひとがいて」とのこと。早川タケジさんやプロデューサーの加瀬邦彦さんのことと思われます。
アイドルにとって衣装ってほんと大切で、制服=AKBみたいにイメージに直結したり、メンバーカラーやTOKIO山口くんの袖みたいに特別な識別コードになったりもするし、ていうか極端な話、いい歌歌ってても衣装が安っぽいと存在自体軽んじられるんですよね。おそらく2.5次元界隈にも言えることだと思うのですが。まずは衣装、でもその中でもジュリーの衣装のインパクトは群を抜いている。『TOKIO』のパラシュートとか、もう衣装自体がパフォーマンスになってるし。


話を戻して『勝手にしやがれ』では、斜めに被った衣装のハットを曲の途中で客席に投げ入れるというパフォーマンスがあります。これ当時の子供達がこぞって真似したそうで、そりゃ流行るよ……。かっこいいもん……。いい大人の私だってやりたいよ……。この曲のジュリーは間奏時にふらふらしたりするくらいでわりと行動範囲が狭いんですが、帽子を投げることでジュリーの支配する空間が一気に広がるんす。広がるんスよ。あ、そういえばテレビ番組でポケットに手を突っ込んで歌って許されるのはほんとジュリーくらいだから。生半可な気持ちでやったらお母さんとかツイッターにお行儀が悪いって怒られるから。


次に印象的なのは手の動き。とても表現豊かで饒舌です。しかも紅白バージョンはステッキという強力な武器を得たことでさらに鋭く攻撃的に。正しい小道具の使い方のお手本のよう。指差しとかもパフォーマンス上必要な指差しであって、これに命かけてるみたいなカメラワークも大好きです。さっき言った「アアア」をどんな言葉よりも感情的なセリフにしているのは、その声になびくように揺れる手と腰の動きだと思う。


でもね!!紅白バージョンの一番好きなところはね!!!「手錠が引っかかってジャケットが脱げないというアクシデントをとっさの機転で切り抜けむしろもっと魅惑的に仕立て上げてみせるジュリー」ですよね!!!
まじかっこいいの天才だわ……。「ジャケットを左肩にかけて歌う」ことで元々の半身の構えがぐっと色っぽく意味深になったしね!!?!それでこの先の展開的に掛け続けるわけにもいかないから歌いながら脱ぎ捨てるんだけど!その時のスッと脱いでクルッと投げるこの一連の流れのスムーズさよ!!!こんなかっこよくジャケット投げる人見たことないわ!!
これ下手したら「手錠なんかしてるからww」って笑われて仕事納めに大トラウマだよ。年越せないよ。いくら鎖が切れてるとはいえ手錠なんかしてたら動きにくくなって当たり前なんですよ。自由を奪うための道具なんだから。自分から罠にかかりに行くようなもんです。だって手錠ですよ。紅白に手錠って。…話逸れるけど紅白に手錠つけて出るジュリーってかっこよくないですか。
というふうに手錠をしているということをあらためて意識させるという効果すらあったっていうね!!!


最後につくづく感心するのはジュリーの射抜くような声。めちゃめちゃ通る声質でこの声量でこの伸びやかなビブラート。どこまで伸びるのかと思うし、最後のビブラートなんて両腕を上げてるポーズもあいまってフィギュアスケートのプログラム最後の高速スピンを観てるような気持ちになる。きっと力学的には同じ。おまけにこのハンサムなルックスですよ。「画面に引き込まれる」ってこういうことを言うんだなあと。


楽曲を作った方々や衣装・パフォーマンスを考える周囲のブレーンの方たちが優れているのはもちろんなんですが、やっぱりそれをこうして体現してみせる沢田研二さんはすごすぎる。すごいんだよ!!語彙力なんてないよ!!!


勝手にしやがれ』とジュリー

ところで若い人に補足すると、当時はまだレコード大賞も紅白と同じ大晦日にやってて、私が小さい頃まではレコ大→紅白の移動とかも名物だったんですよ。今でいう紅白→カウコンみたいな。その紅白に来る前のレコード大賞の映像もすごくいいんですよ…!!なんの思い入れもない私が言うのもおかしな話なんですけど!!
だってまずレコード大賞勝手にしやがれ山口百恵さんの『秋桜石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色岩崎宏美さんの『思秋期』で争うんですよ。何それ超神曲揃いじゃん!!ひとつになんて決められないよ!!!なんなら40年経ったつい最近の紅白でも聞いたよねっていうくらいの日本の名曲たち。なのに、この中から『勝手にしやがれ』がダントツでレコード大賞を獲得してしまうわけです。前年謹慎とかいろいろあったものの、それを乗り越えて、再び栄光を掴んだんです。そして駆けつける元ザ・タイガースPYGの戦友たち。あ、岸部一徳さんがいる。でさあ、ショーケンこと萩原健一さんがさー、司会の方に「(ジュリーの受賞は)当たり前だと思った?」って聞かれて、なんて返したと思います?




「ええ、遅いくらいです」




「ええ、遅いくらいです」




えっこれ何?なんてシンデレラボーイズ??誰が脚本書いてるの?向田邦子さんかな???


ていうかそもそも「当たり前だと思った?」って質問からして司会の方におけるジュリーの信頼性高すぎるんですよ。回答のハードル爆上げじゃないですか。それをこうも軽々と超えていくスーパーライバル兼もう一人の主人公がいるなんて……まさに事実は小説よりも奇なりやで……


あと最後にもう一度歌う時の曲紹介もいいんですよね……


「ヤングのアイドルとしてデビューして11年」
「かつての貴公子から人間・沢田研二へ」。


やっぱスターの物語性とか情緒って、こういう語り部*1が必要だと思うわ。
途中で「今年は文字通りの全力投球でした。そうでしたね?」と問い掛けるのがまたすごくて、この一拍置くことでこちらも「うん、そうだったねえ」って胸にストンと落ちてくる。
アイドルの物語はファンが自分たちで嚙みしめるだけじゃだめだ。
こうやって第三者が畳み掛けないと、一般層にまで共有できないんだ。


「君を愛する人々のために あの歌をもう一度 心を込めて歌ってください」


そしてはじまる勝手にしやがれ


ここまでお膳立てされたら泣くしかなくない?いや泣かないけど、でも私ジュリーのことなんにも知らないのに「よくぞここまで……」って感慨深い気持ちでジュリーのパフォーマンスを見守ったよ。なんも知らないけど。だって、司会の方がジュリーの紆余曲折を教えてくれるんだもん。ここまでの話知らなくても途中からでも物語に入り込めるんですよ。ドラマ版見てなくても楽しめる映画版みたいな感じです。
アイドルのファンになる人はその人のバックグラウンドも含めて好きになることが多いかと思うんですが、なかなかそれを一般の方が目にする機会がないのが現状です。昔の曲紹介みたいに「これまでのあらすじ」や「意外な素顔」を端的かつコンスタントに紹介してくれる場があれば、その時その時で興味を持つ人ももっと増えるかもなぁと思いました。ちょっと前まではその役割を「うたばん」や「HEY!HEY!HEY!」がトークという形で担ってくれていたのですが。これからまた歌手の魅力を伝えてくれるような歌番組が増えて、それに素敵なアイドルたちがどんどん出てくれたら嬉しい。


「君を愛する人々のために あの歌をもう一度 心を込めて歌ってください」
声には出さなくても、常にそんな思いを持ってスターを送り出してくれる歌番組を、私は見たい。




なお、このエントリーは当時のジュリーに比べて今のアイドルがどうとかそういう話ではありません。
今のアイドルがそれぞれ魅力的なのと同じように、ジュリーもかっこいいんです。ちなみに最近のジュリーの『勝手にしやがれ』もやばいんですよ……ただのペットボトルを小道具にしてしまうイカしたおじさまジュリーにビビる。お母さん、わたし今ならわかる。ジュリーはかっこよかった。※この「た」は過去形じゃなくて発見と驚きの「た」です。
興味を持たれた方は是非。


最後に。ジュリー、喋ってる時はふにゃっとした関西弁なんですよね……なんて罪作りな男。




おまけの蛇足。その他のジュリー

勝手にしやがれ』だけの一発屋でしょ?とか言いかねない過去の私のために、他の曲についてメモ。


『サムライ』(1978)
沢田研二 サムライ 畳
私の脳に刻み込まれた検索ワード。
これ、本当にすごい。かなりスローテンポの曲なので途中で早送りしたくなるんだけど、我慢して最後の最後まで見てください。段々「これテレビで流していいの!?」との思いが強くなっていくはず。半裸に腕章で出オチかと思いきやここからのまさかの展開がダイナミックすぎる。かなり耽美的なのでテレビはおろかグループコンのソロ曲ですら迷う、ソロコンでやっとできるかなくらいのレベル。ジュリーにとっては、短刀はおろか己の肉体もジャケットの裏地も光の反射という現象もすべてが歌の世界観を表現するための小道具なんや…。堪え性のない私はスローテンポの曲って繰り返し何度も聞かされないと良さがわからないんだけど、この曲は一曲見てるうちに歌詞まで覚えてしまいそうになる。カメラワークも曲の解釈に影響を与えることがよくわかる好例。


『ダーリング』(1978)
怒られると思うけどすごいざっくり言うと男版西野カナみたいな歌。
途中で「とったアアァァァ!!!」てなる。サムライの次にこれリリースしてるんですよ、高低差すごすぎてキーンてなるわ。30歳であれだけ色気ある人が、水兵さんルックで可愛く悶えるキャラに徹せられることに感動するんだよなぁ。


カサブランカダンディ』(1979)
もうただ単純にかっこいい。これが一番好きかもしれない。こんなに気障にかっこよく一つの歌を「歌い上げて」くれる人ってなかなかいない。ジュリーの名曲というとファンの方や音楽ファンの方々はもっと味わい深い他の曲を挙げると思うのですが、ニワカな私はまだこの辺りのキャッチーなポップスが楽しい。多分V6でいうところの愛なんだ、WAになってポジション。それにしても過剰な程のジェスチャー見てたら、スタンドマイクってジュリーのためにあるシステムのような気さえしてきましたよね。
ここでジュリーのパフォーマンスのどこがいいのって聞かれたら、「焦燥感」とこたえます。この曲を歌っている時もジゴロチックなようでどこかじりじりしている。ちなみに岡田准一さんは「探しているところ」、木村達成さんは「好戦的」な空気です(性格や本質とは別の)。


TOKIO』(1980)
出た!パラシュート。このナポレオン的な衣装は今のジャニーズでもよく見る。ジュリーはよく知らないけどトキオを歌ってる姿はなんとなく知ってるって人いっぱいいると思うんだよなぁ。私もそうでした。「モノマネ」や「パロディ」が何かの名を後世に残すこともあるんですよね。逆に言うと語り継がれたものが一番優れたものであるとは限らないんだよなぁ。
トキオでド派手なことやらかしただけの人かと思ってたけど、他のパフォーマンスを見るとどれも印象的だし奇を衒わなくても十分に渡り合えてた人だとわかる。そこにパラシュート持ってきちゃったわけだからそりゃインパクトあるよ。まさに飛び道具。これが言いたかっただけですすみません。お後がよろしいようで…

*1:昭和から平成を繋ぐ語り部はミッツ・マングローブさんではないかという気がしている

実写版『弱虫ペダル』は2.5次元ドラマの先駆けとなれるのか

誰に何を聞いてるのかわからないけど聞かずにはいられない。
たいした話じゃないんですが、そろそろ出てきてもいいと思うんですよ…2.5次元ドラマのデファクトスタンダード的な何かが…。

少年漫画原作、スポーツもの、舞台キャストときて真っ先に思い浮かんだのが実写映画『テニスの王子様』。早いものであれから10年、私たちはもうあの「あ…」から立ち直ってもいい頃だと思うのです。



昨今の実写化事情を見るとリベンジは難しいように思われますが、個人的にはこのクレジットで俄然期待が高まっています。

制作協力:ドリマックス・テレビジョン
制作:東宝映像事業部
製作:スカパー!

このドラマの放送はスカパーでありスポンサーCMがない、ということは大人の事情に拘わず衣装やロードバイクを用意できる(かもしれない)。しかも一般的にはまだ知名度の低いキャスト陣なのできっと大手事務所の意向を無理に汲む必要もない、つまりある程度は制作サイドの裁量で原作を尊重することができる(と思いたい)。予算は潤沢ではないかもしれないけれど、東宝映像事業部がついている。『弱虫ペダル』の舞台・アニメはもちろん、『ハイキュー‼︎』やODSなどコア層向けコンテンツを支えてきた東宝のバランス感覚があるんです(と信じたい)。
これはメインストリームでないからこその恵まれた環境です。「原作に忠実すぎて2.5次元な実写化」に心置きなくチャレンジできる環境が整っているんですよ!!!だからこそキャストもペダステの俳優さんを集めることができたのではないかと思うのです。その上で、監督は数々の地上波ドラマを制作しているドリマックスの方であり、作品に一定の大衆性が保証されているということがまた非常に大きい。「チャレンジしすぎて失敗したマイナー作品」にはならずにすむことが予想されるからです。
(個人的にはメインストリームでの漫画実写化であれば、原作に忠実な作品なんてまず無理なんだろうなぁと思っています。民放のドラマや大手配給会社の大作映画はきっとステークホルダーが多すぎて色々難しいのです。。一部上場企業とベンチャー企業みたいなもので、求められるものが違うのでしょう…)
あー、脚本はさぁ、ちゃんと作ってくれるよきっと…。頼みますほんと…。そこは2.5次元かどうか以前の問題。


漫画の実写化作品といえば原作とは別物でお馴染みですが、とはいえ成功している作品も数多くあります。ではその中で2.5次元と言えるものがどれだけあったでしょうか。
2.5次元の定義ってなんだっけって思いましたがここでは勝手に、原作の登場人物を「キャラクター」のまま実写化している作品のことを映画も含めて2.5次元ドラマと呼ぶことにします。
「キャラクター」から「人」に変換している作品は、単純に3次元での実写化です。特殊能力の出てこない少女漫画を原作とした作品に多いですね。または人間を描こうとする大衆向けの娯楽作品。これらの作品は人格としてのキャラを立たせるために文脈を使います。
そこからさらに「キャラクター」にまで押し上げるには誇張や簡略化が必要になるんですが、これが現実世界のルールによって制限されてしまう、だから2.5次元ドラマは難しい。



そう、個人的に感じている2.5次元ドラマの一番の課題は「漫画独特の表現と現実の落とし所をどこに設定するか」です。髪の毛の色しかり、特殊能力しかり。現実に寄せすぎるとそれはもう2.5次元ではなくなってしまう(もっと言うと愛するキャラクターのアイデンティティが失われてしまう)し、かといって漫画そのままにしてしまうと背景の現実世界から「確実に浮く」。最悪の場合、画面の向こうとこちらとの間に存在する何か大切な前提条件を共有できないまま、ただ単に見てるこっちが恥ずかしくなる作品、原作ファンにとっては次元の壁に激突しただけの作品となってしまいます。
そんな悲しい事故が起こらないように、日常が崩壊しないよう表面張力的な何かを保ちつつ可能な限り漫画に寄せる、これが2.5次元ドラマの使命なのです。



ちなみに日常的な現代社会を舞台にしない作品であれば2.5次元という意味でのハードルはもう少し下がって、成功例は実写版『セーラームーン』だと思っているのですが、これはどちらかというと特撮物のノウハウに基づいている気がするので今回の話からは除外します。でも破綻しない世界観を構築できるセンスがあるなら選択肢のひとつとしては大いにアリです。


では、現代ものの2.5次元ドラマにおける最適解はどこにあるのか。
大映ドラマ、僕たちのドラマシリーズ、月曜ドラマランド、土9、土8、テレ朝深夜ドラマ、藤原竜也さん…と色々漫画っぽい作品を思い返してみましたが。
多分、多分ですよ、個人的には上戸彩さん主演のエースをねらえ!じゃないかと思うわけです。それか、安達祐実さんのガラスの仮面。あそこがギリギリなんじゃないかって。内野聖陽さん、吉沢悠さん、野際陽子さんのあの見た目とオーラだけですべてを成立させてる感じ。全然高校生っぽくないけどそれはそれだよね、って有無を言わさず思わされるあの感じ。いつの間にかこっちが前提条件を飲まされてるんです。なんかあの雰囲気の中だとCG安っぽくても気にならなくなるんですよね。「これはこういうものなんだ」って納得できるドラマとしての臨界点。これを過ぎてココリコ田中さんの宗方コーチみたいになると、キャラクターの文脈に取り込まれてドラマとしては決壊してしまう(「コントなの?」「笑っていいの?」と戸惑ってしまう)。演じる俳優さんの強度にかなり依存するけど、あれが2.5次元ドラマの落とし所なんじゃないかって最近考えてます。
そういう意味だとこの両作品に出演して“お嬢様”というまさに漫画と現実の境目の存在を完璧に体現してた松本恵(松本莉緒)さんはまじで天才だった。今思えば彼女こそがプリンセスオブ2.5次元やったんや…。



弱虫ペダル』もああいう作りにしてほしいというわけではないんですが、せっかく2.5次元のなんたるかを知っている俳優さんたちが集結しているのだから、ドラマにおける2.5次元世界の開拓にもチャレンジしてほしいなぁ。
なんかカズレーザーさんを初めて見た時くらいの違和感にトーンが統一されていれば、キャラの外見はかなり漫画寄りにしてもいける気がするんですよね…会社行ってカズレーザーさんみたいな人が色違いでいっぱいいたら「自分が間違ってるかな?」って思いますね?自分は緑を着ないとねみたいな。現実にありえない話ではないんですよね。たぶん3日で慣れる。
実年齢との差異はあれだ、テレビでスポーツ選手見たときの「若いのに老成してるねぇ。え、年下?高校生?ほんまに?そうなんや…ってのと同じに思わせればいいんだ。年下っていうなら、まあ仕方ないし。よくあるよくある。
でもスパイダークライムとかは難しいのかなぁ。って思ったけど、「スパイダークライムやってみた」みたいな動画もあるし、おっ、案外いけんじゃね?ただ球技と違って道具が身体から離れないから余計に表現手段が限定されますね。
この辺のバランスやお約束事がノウハウとして確立されれば、平均品質も上がるかもしれないし見る側も心構えができて助かるんだけどなぁ。何より、2.5次元ドラマが充実すれば舞台から映像へのパイプが増えるし、映像経験を積む場所の選択肢も増えると思うんですよね。せっかくいい俳優さんが舞台でいっぱい育ってるんだから、もっと活躍の場があってもいいんじゃないかと。


別にこんな危ない橋を渡らなくても3次元でも全然良くて、そのカテゴリでいうなら理想は映画『ちはやふる』ですね。。。登場人物は「人」なんだけど、キャラクター性が残ってる。あだ名のせいかな。ていうかあれにPerfume掛け合わせた人天才ですよね…


少し話が逸れますが、私は名作を傑作たらしめるのは劇伴だと思ってるので、音楽も気になるところです。
良い劇伴には最初から耳につくもの毎話見てるうちに定着するものがあって、前者は最近だとドラマ『臨床犯罪学者 火村英生の推理』が好例です。こっちの場合、作品の世界観まで提示してくれるので初見の視聴者も入り込みやすい。(そういえば斎藤工さんの火村さんは原作とは違うけれどとても2.5次元だったな。。)
一方、アニメ『弱虫ペダル』の劇伴は後者だと思っています。最初はなんとなく耳にしていた輪郭の曖昧な音楽が、一定のパターンに基づいて繰り返し流されることによって出現条件=物語に紐付いてメロディを判別できるようになる。これってキャラクターが立ってくる過程にも似てますよね。(関係ないけどアイドルを好きになっていく過程にも似てる。)
物語と結びついて定着した音楽の力ってものすごく強くて、それが流されるべきシーンで流れてきただけで気分が高揚するし(「きたー!」ってやつですね)、なんならまったく関係ないところで聞いても物語が思い出されて感情がこみ上げてきたりする。その現象自体が一緒に過ごしてきた時間の積み重ねの証しだから、どうしても愛着が湧くんですよね。
何が言いたいかっていうと、その愛着の力をドラマでも発揮してもらえたら泣くな、って…。つまりアニメの劇伴をドラマでも共有するという方法。大抵のメディアミックス作品は実写化アニメ化それぞれまったく異なるとこが作るのでそんなの絶対無理なんですが、今回のクレジットならひょっとしてそんな夢みたいなことができるんじゃないのって思ってしまいました。ヒメヒメだけならできる…のかな?
劇伴が空回りすると作品そのものが安くなってしまってつらいんだけど、沢田さんの弱虫ペダルサントラは実写作品にも合う気がするんだよなぁ。


まぁなんだかんだ言って原作を踏みにじらない、できれば良さを伝えてくれるような作品になってくれたら充分なんですけど、そこは大丈夫ではないかと思っています。
なぜかって、ドラマの公式ツイッターで一番はじめにこう呟いてくれていたから。

原作に忠実ないいドラマにしていきたいと思います。

これって現場によっては色々と事情があって口に出すのも憚られるような、実直すぎる宣言なんですよね…。
どうか実現されますように。