王様の耳はロバの耳

言いたいけど言えないからここにうずめる

【随時更新】木村達成さん出演作・今後の予定まとめ

更新日:2023/9/21


※ 色々盛り込みすぎたためページの読み込みに時間がかかります。すみません。





こんにちは。



木村達成さんってどんな役をやっているのかな?」
「どんな役者さんなのかな?」
「今何やってるのかな?」


そんな疑問のヒントになればと思い、このエントリーを作成してみました。


ファンが作った「木村達成さんのプロフィールは?出演作は?今後の予定は?いかがでしたか?」みたいなやつです。



よろしければご参考までに!

続きを読む

ニーアタ Vol.2 感想

木村達成 コンサート –Alphabet Knee Attack Vol.2-』の12/8大阪公演と12/21東京公演に参加しました。最っっ高でした……
終始(◜◡◝) ←この顔で観ていたので、レポなどは書けません。すみません。
ただ、何年か後に見返した時に「この時最高だったな!!!!まあ今も最高だけど!!!!!!」となれたらいいなと思ったので、ざっくりしたスクラップブック的な感じを目指して感想を書きます。

続きを読む

ニーアタ Vol.2 セトリ

リンダリンダ/THE BLUE HEARTS
真赤な太陽/美空ひばり
(大阪のみ)大阪LOVER/DREAMS COME TRUE
(東京のみ)浪漫飛行/米米CLUB
ジュリアに傷心/チェッカーズ
会いたい/沢田知可子
First Love/宇多田ヒカル
It's My Life/Bon Jovi
接吻/ORIGINAL LOVE

反乱のニオイ/マチルダ
僕にピアノが聞こえないなら/四月は君の嘘
もう止められない/ジャック・ザ・リッパー
何故愛せないの?/モーツァルト

情熱の薔薇/THE BLUE HEARTS




最っっ高でした。
あらためまして、30歳のお誕生日おめでとうございます!!!
ありがとうございました!!!!!

永遠の彼方の蜃気楼 - ミュージカル『スリル・ミー』配信感想

連日スリルミーの配信を観ています。
私は木村達成さんのファンで木村さん前田さんペアが初スリルミーなのですが、全ペアの配信を観て木村さんの私と松岡広大さんの私がとても対照的で面白いと思ったので感想を書きます。


(本当はキャストとピアノ演奏のみなさま全員について感想を書きたかったのですが、9人の超人のパフォーマンスがそれぞれすごすぎてすべてを言語化するには脳内メモリが足りませんでした。)


木村さん私=木村達成さん私、松岡さん私=松岡広大さん私、わたし=筆者です。



⚫︎ 54歳の私について

松岡さん私を観ていて一番初めにハッとさせられたのは、54歳の私の「もっとひどい事件はいくらでもあったし 今も起きている」という言葉の言い方です。
「……今も起きている」ここでちょっとだけ速く、圧が弱くなる。確信を持った言い方です。
この人は理性の人だ、と思いました。
54歳の松岡さん私は相手に対してより効果的な方法で言葉を伝えようとしているし、34年間服役しているにも関わらず他者や外の世界に今も興味を持ち、それがどのようであるのかをきちんと把握している。


一方、54歳の木村さん私は喋り方がゆっくりで、声は低く、抑揚に乏しい。まるでこの世への興味を全て失ってしまったかのようです。
特に面白いのは上記台詞(「今も起きてる」)が予言めいた言い方になっている点で、木村さん私は世の中の動向を追っていたわけではないが「知らないがどうせそうであろう」と“感覚的に”確信しているのではないか、と思わせます。思考と知識が裏にありそうな松岡さん私とは対照的なのです。


同じような対比は終盤にも見られます。
「今でも新たな殺人犯が毎日のように生まれています」
「そして彼らを死刑から救う弁護士たちも」
二人とも確信を持って話していますが、二人の話し方の違いから、その裏には異なるものがあるように感じられます(松岡さん私は具体的な知識、木村さん私はぼんやりとした知識と“推測への共感”)。
その直前、検事からの手紙の話になった時に松岡さん私が急いで涙を拭いてみせる一方で、木村さん私がその滂沱の涙を気にするそぶりも見せないのは、二人がどれだけ目の前の相手に気を配っているかを表しているようです。
外の世界への興味を失っていない松岡さん私と、すべてがどうでも良くなってしまったかのような木村さん私。
同じ役でこんなにも違うのか、とあらためて演劇の面白さに震える思いでした。



⚫︎ なぜ「血の契約」だけではダメだったのか

以下、前回の感想より、木村さん私の印象についての部分をそのまま転記します。

#####
気になったのは、『♪契約書』で「二人は正式に結ばれる 対等な立場で 永遠に」って彼が言ってるし、最後は「二人を決して離さない 永遠に」って二人で言ってるんですよね。
で、実際なんだかんだ彼も律儀に契約を守っていたわけなのに、私はどうしてその契約では満足できなかったのかなあと。(わたしは前回の感想にある通り木村私は久々の放火のあたりからもう殺人にエスカレートすることを見込んで全てを計画していたと解釈しています)
色々考えたんですけど、ひとつめは、彼に殺人を続けさせるわけにはいかなかったから。うまくいったらきっと次はもっとエスカレートする。でも、それを止めることはできない。(私は彼がそれでしか幸せを感じられないことを知っているから)だからこうするしかなかった。ふたつめは、これから先、自分にも結婚の話とかが出てくるに決まってるから。同姓間の性交渉が違法であった時代に、彼とずっと一緒にいられるのは刑務所しかないと考えた。みっつめは、紙上の「契約」なんかじゃなくてもっと魂と魂の結びつきを求めていたから。よっつめは、彼がいずれ契約を守らなくなることがわかってたから。とか色々あれこれこねくり回してたんですけど段々どうでも良くなって、いや私は最初から「彼とともに生きていくため」って言ってるよなってなりました。ただそれだけ。それを実現しようとしたらこうなりました!ってだけなんだよな……と思うと、私の純粋さとその結末が哀しすぎて……しかも、それをこの時の私はまだ知らない。だからこんなに満面の笑みで嬉しそうなんだと思うともうたまらないです。
#####
上記の通り、木村さん私は、「彼とともに生きていくため」に直感に従って動いていたように思えました。



ですが、松岡さん私には、また別の理由があったようにわたしには見えました。19歳の松岡さん私は、54歳の私と変わらず理知的で、「好きな相手を永遠に自分のものにしたい」という相手を潰しかねない欲に溺れるような人には見えなかったからです。
顕著だったのが『九十九年』。
松岡さん私は、こんな時でさえ、山崎さん彼の顔色を窺い、彼の話を聴こうとしていました。
満面の笑みを浮かべて本当に本当に嬉しそうに前田さん彼に「僕のものだ」と滔々と語りかけた木村さん私とは大きく違います。


そんな松岡さん私がここまでしなければいけなかった理由は何か?
わたしは、それは「ニーチェへの嫉妬」だと感じました。
最初に山崎さん私からニーチェのことを告げられた時の「ニーチェぇ!?」の反応に代表されますが、その後の松岡さん私はニーチェの思想を理解してはいても傾倒まではしていないのではないかという印象がありました。うまく言えないのですが、そういうのにのめり込むタイプには見えないというか……それよりも、彼が自分ではないつまらない何かに心酔しているのが物悲しかったのではないか?そしてその感情を「嫉妬」だと自覚した上で、彼の目を覚まさせるには、自分こそがその彼の心酔する「超人」であると証明するのが一番合理的であると考えたのではないかと思いました。


ではなぜ、こんな残忍な手段でなければならなかったのか。パンフレットを読んでいて、この言葉がわかりやすいと思いました。

「超人」はまず、人生の無意味さに耐えることのできる、勇気ある人とされます。「永遠回帰」が示された時、「それならもう一度!」と人生をあらためて引き受けるのです。
 
(ミュージカル『スリル・ミー』2024年版パンフレット 岡本裕一朗氏寄稿『哲学者ニーチェはかく語りき』より)


「超人」であることを証明するには、まず「永遠回帰」が示されなければならない。
その「永遠回帰」がわかりやすく示されるような状態に自分を追い込む一番合理的な方法が、「あえて彼の要求に乗り『終身刑+99年』の判決を受ける」だったのではないでしょうか。

無意味な人生が永遠に繰り返されるのは、とても退屈で耐え難く感じるに違いありません。
 
(同)


拘置所でそのような疑似状況の瀬戸際(あるいはすでにそのもの)に追い込まれた山崎さん彼は、耐えられないと『♪死にたくない』で言っていました。これは実質、「俺は超人じゃない」という独白の歌です(とわたしは受け取りました)。
そこに、私が「これはすべて僕の計画したことだ」と言ってやればもう、完璧なのです。あえて「永遠回帰」が示される状況を作り、それに耐えうることを証明した私は、彼の中で「超人」になることができる。
ニーチェの枠組みを利用してはいるけれど。
そして嫉妬に駆られた自分は、本当は「超人」ではないのだけれど。
僕は、偽物の超人なのだけれど。


そんな感じのもっともっとなんかものすごく難しいことを、色々考えていたのかな……………
と、松岡さん私の姿を見ながら、ぼんやり思いました。


そしてもう一度木村さん私を見た時、ああ、この人は本当に感情で、直感で、前田さん彼が好きで好きでたまらなくて、永遠に一緒にいたくてこれをやったんだ、とあらためて思わされました。
嫉妬とかそういうのでもなく、ただただ彼と一緒にいたくて、
彼と一緒にいられるなら終身刑も死刑も何も怖くなくて。
刑務所の中で、永遠の無意味な人生すら彼と一緒なら乗り越えていける。
そう本気で思ってたんだなあ………と。



ああ、それが超人なのかもしれない。



自分が本当は超人ではないことを知っている松岡さん私と、
意図せずして本物の超人になってしまった木村さん私と。



とても対照的で、とても面白く、
本当はずっと見ていたいけど配信はもう見られなくなってしまうので、記録だけでもしておきたいと思いメモしました。



おしまい


※ なお、このように書くと木村さん本人が直感・直情型の役者さんのようですが、わたしはそうは思っていません。
個人的にいつもすごいなあと思うのは、これらのような感情の流れ(以前木村さんは『心のルート』とおっしゃっていました)が常にロジカルに考え抜かれ、観客に感知させる表出にまで至っている点です。だからいつも色々考えちゃうんですよね……!!!(抜け出せない)

ミュージカル『スリル・ミー』の『九十九年』について書く

スリルミーのパンフのMusical Numbersのページを見ました。
そこに「M21 九十九年 Life Plus 99 Years」と書いてあったことにめちゃくちゃ驚いたので、もう一つ記事を書くことに決めました。


以下、木村さん前田さんペアの『九十九年』(配信版)について、好きなところを書きます。
私=木村達成さん私、彼=前田公輝さん彼、わたし=筆者です。



⚫︎ 日本語版のタイトル

原題『99 Years』じゃなくて『Life Plus 99 Years』なんだ!!!!というのがパンフを見て驚いた点です。
なるほど確かにWikipedia「刑罰 終身刑+懲役99年」って書いてあった……そのことですよね。(追記:パンフのあらすじにも書いてありましたね(今読んでる)。)
そのタイトルがそのまま『終身刑と懲役99年』となるのではなく『九十九年』と訳されているところがまず好きで、しかも『99年』じゃなくて『九十九年』と漢字表記になっているところにまた強いこだわりを感じます。
実際に込められている意味はわからないけど、漢字だとより文学的なイメージになりますよね……普段ニュースとかで見る表記って「懲役15年」とかのアラビア数字だと思うんですが、通常そう書かれているものがそうじゃない漢数字で書かれることで、ただの具体的な「年数」から何かしらの意味を持つ「歳月」になる感じがします。
あと今さらっと流してしまったんですが、端折られた『Life(終身刑)』という部分もタイトルとしてすごく重要な部分だと思っていて、『九十九年』にはない「死ぬまで」、という意味合いを見出せると思うんですよね。その重要な言葉を省いた思い切りの良さがすごいなって……でも省いたのが頷けるくらい、『九十九年』という言葉には見た目も響きも特別感があります。
それとあと、日本語で「九」が「苦」を想起させるために縁起が悪いとされている点もこの『九十九年』という言葉の印象にうっすらと影響を与えていて面白いなあと思います。


⚫︎ 「九十九年」の音のおさまりの良さ

これすごくない?!!!!??!
原曲のほうではなんて歌ってるんだろう!?って知りたくなるくらい、
「きゅーじゅーきゅーうねーんー」という言葉の響きがメロディとピッタリあいすぎてて最高じゃないですか???
一回聞いてからそのあとずっと歌ってるもん。「きゅーじゅーきゅーうねーんー」って歌いながらカレー作ったもん。
これ何がすごいって、「九十九年」のもとの発音も「きゅーじゅーきゅーねん」って伸ばし棒が入ることなんですよもともと伸ばしてるところがメロディ上でも伸ばされてるんですよねだから気持ちよく口ずさめるんだと思うんですよすごすぎない!?
しかもさあ……標準語での「九十九年」の発音は「きゅーじゅー⤵︎きゅーねん⤵︎」だと思うんですけど、この歌では「きゅーじゅー⤴︎きゅーねん⤵︎」って「九十九」の途中で音程が上がるじゃないですか!!ここで盛り上がりが生まれることにより「九十九」という言葉により強い思い入れがもたらされてるんですよね!!!!すごい!!!!


⚫︎ 三拍子

このブログで何度でも書いてるんですけど私は三拍子(6/8拍子含む)がほんとうに大好きなのでもう三拍子なだけでひれ伏すしかないんですよね。
三拍子、めちゃくちゃ「数奇な運命感」出るじゃないですか……………………………エリザベートのマイヤーリンクしかり、アナスタシアのOnce Upon a Decemberしかり………この作品だと他には『♪死にたくない』が三拍子だと思うんですが、この二曲が三拍子であることにより、彼が私の手のひらの上で踊らされてる感が増すんですよ……特に、死にたくないはワルツっぽいので余計に。私に搦め捕られていく彼の哀れさが三拍子によって暗示的に強調されていると思います。


⚫︎ 長調短調が混ざり合ったようなメロディ

これ短調なんですか長調なんですか……?わからないんですけど短調ですか………?哀愁を帯びたメロディなのに「九十九年」のところはどこか清々しさもあって、彼の戸惑いと私の勝利宣言が入り混じるこの歌にぴったりだなって感動しています。


⚫︎ 私「信じていたよね 君は」の目の表情の切替え

ここだけじゃなくて、木村私、目を見開いたり細めたりのタイミングがメロディの空白が生む情緒とぴったり合っていて完璧。見ていて本当に気持ちいい。あと1番の終わり(最初の私パートの終わりの99年のあと)で口を開けて息を吐くのが台詞や歌詞と同じくらい意味を持ちすぎてて最高。


⚫︎ 「判決は出た」のタメ

サビ前のこの歌詞、からの「きゅーじゅーきゅーうねーんー」は最高すぎる。『九十九年』は全体的に次の歌詞が気になるように書かれている気がする。


⚫︎ 私「僕のものだ」での満面の笑み

木村私、本気で喜んでるし心の底から嬉しそうだしすごいなあと思って……「所有宣言された彼の気持ちについてまったく意に介さない」様子なのが本当にこのひと本物だと感じさせてすごい。その上で、「一緒に死ねるならそれも悪くない」のあの笑顔ですから……と来ての、「怖くなったか?」でちょっと不安げな表情を見せるのがまたこちらの情緒の胸ぐらをぐいぐい掴んで離さないんですよね!!!!


⚫︎ 彼「君を(うんうんうん)認めよう」←この頷き

前田彼はまだ虚勢を張っている、というのがこの頷きだけでものすごく伝わってきてすごい。そして「君は孤独だ ひとり」と最後のカードを切った時の笑顔が、その次に映る木村私の本物のそれとは明らかに違う強がりの笑顔なのがもうこの二人最高か!!!!!!


⚫︎ 「永遠とは言わない 死ぬまでは」の表情の対比

彼の引き攣った顔と私の笑顔、お二人の背格好が似ているから余計に対比が引き立つ。
ここの「死ぬまでは」は終身刑が背後にあると思うんですが、ここで「永遠とは言わない 死ぬまでは」って言ってるのに最後に私が「永遠に」って言ってるの、私は「死ぬまで」が「永遠」とほぼ同義と思ってたんだろうな、と解釈しました。19歳だから………若いから………それが彼が早々に「先に」亡くなってしまったことによって崩されたから54歳の木村私はあんなふうになってしまったのではないか、と考えております。(3ペア見たのですが(本当は全部感想書きたい)松也さん松岡さんの54歳の私が木村さんに比べて生気があったことに驚いてしまったので……)木村私は本気で彼を自分のものにできたと思っていたのに、彼の早逝によって全てが完璧だったはずの私の計画が潰えてしまった。私の唯一の(本当に唯一の)望みが断たれてしまった。その後の人生、どんな気持ちで送ってきたのか……とも思うし、むしろ前田彼は亡くなるまでどんな気持ちで生きていたのだろうとも思う。


⚫︎ 彼「九十九年」の顔

私の「永遠に」の前の彼の「九十九年」、彼が99年という年月の途方もなさを感じている顔だーーーーーーッッッッって思わされてガツンときました。わたしは『♪死にたくない』ですら前田彼はまだ虚勢を張っていると思っているんですが、ここでついに仮面と鎧が割れた!という感じで、「やっと会えたね」と思いました。本物の彼にやっと会えた……ここでの頷きは「君を認めよう」の時の頷きとは違う、「出てしまった」頷きなんですよね。前田彼の仕草や表情、本当に雄弁で彼の人となりを余すことなく伝えていて、1秒たりとも見逃したくないと思わせてくれました。


⚫︎ 「永遠に」

スリルミー、永遠という類の言葉がよく出てきていて、キーワードのひとつだなと思って一瞬全部ピックアップしたい衝動に駆られたんですが時間が許さないのでやめました、何度も言うけどなんで一日は24時間しかないの!!!??
気になったのは、『♪契約書』で「二人は正式に結ばれる 対等な立場で 永遠に」って彼が言ってるし、最後は「二人を決して離さない 永遠に」って二人で言ってるんですよね。
で、実際なんだかんだ彼も律儀に契約を守っていたわけなのに、私はどうしてその契約では満足できなかったのかなあと。(わたしは前回の感想にある通り木村私は久々の放火のあたりからもう殺人にエスカレートすることを見込んで全てを計画していたと解釈しています)
色々考えたんですけど、ひとつめは、彼に殺人を続けさせるわけにはいかなかったから。うまくいったらきっと次はもっとエスカレートする。でも、それを止めることはできない。(私は彼がそれでしか幸せを感じられないことを知っているから)だからこうするしかなかった。ふたつめは、これから先、自分にも結婚の話とかが出てくるに決まってるから。同姓間の性交渉が違法であった時代に、彼とずっと一緒にいられるのは刑務所しかないと考えた。みっつめは、紙上の「契約」なんかじゃなくてもっと魂と魂の結びつきを求めていたから。よっつめは、彼がいずれ契約を守らなくなることがわかってたから。とか色々あれこれこねくり回してたんですけど段々どうでも良くなって、いや私は最初から「彼とともに生きていくため」って言ってるよなってなりました。ただそれだけ。それを実現しようとしたらこうなりました!ってだけなんだよな……と思うと、私の純粋さとその結末が哀しすぎて……しかも、それをこの時の私はまだ知らない。だからこんなに満面の笑みで嬉しそうなんだと思うともうたまらないです。
余談なんですが、色々こねくり回して考えてた時、一方で彼の欲しかったものって(私とは正反対の)「自由」だったんじゃないか……?と思えてきて、木村私「自由?……自由」って後者の「自由」で目に生気が宿ったのってそのことに思い当たったからなんじゃないかなんて思ったりもしました。


⚫︎ からの泣き顔

最後「永遠に」で呆けたような笑顔から満面の笑みになって、すぐ54歳の私になる、その間の一瞬、私、泣いてますよね!!?!!?泣いてますよね!!!!???どうして泣いてるの!?!!やっぱり彼が負けるところは見たくなかったから!!!??あとなんだろう!!??色々考えちゃう!!、!そういうとこなんですよ!!!!!私が木村さんの演技にさっくりハマってしまうのは!!!そういうとこ!!!!!
これからもよろしくお願いします!!!!
以上!!!!!

ミュージカル『スリル・ミー』配信感想

スリルミーの配信を観ました。
思いつくままに感想を書きます。
今日のわたしの一方的で不確かな感想、解釈の垂れ流しでありこれを押し付けるものではありません。
私=木村達成さん私、彼=前田公輝さん彼、わたし=筆者です。
ネタバレありです。





⚫︎ 中止から振替公演、配信へ

9/20、唯一のチケットだった公演を見に行ったら中止になってしまったので、全編はもう見られないことを覚悟して公開されていたダイジェストを見て感想を書きました。今回の感想は、この時の印象が土台になっている部分が大きいです。



その後振替公演が発表され……とってもびっくりしました。
ホリプロさん、木村さん、前田さん、落合さん、そして関係者の皆様には感謝の気持ちしかありません。結果として観には行けなかったのですが、もはや望むことは何もありませんでした。



なのに配信………………!!!!!?
配信までやってくださる…………!!!???
しかも1週間のアーカイブ付きって!!!!!!!
こんなことがあっていいのかと思いました。
本来なら観られないはずだった作品を、一度と言わず繰り返し観られるなんて………………………
本当にありがとうございます。
ありがとうございます………………




⚫︎ そしてスリル・ミーを初めて観た結果

どうしたらいいかわからない……

観終わって5時間くらい経ってるかと思ったら1時間40分しか経ってなかった。
これは……濃密すぎる……感想を書くには圧倒的に時間が足りない。どうして一日は24時間しかないのか。


とりあえず、木村さん前田さんペアのざっくりの印象なんですけど、
ジュブナイルで肉感的だなと思いました。
自分でも何言ってるかわかりませんが…………
ジュブナイルと肉感的、そんな相反するものが両立することがあるんだな、という新鮮さがありました。これすごいことだなと思っていて、多分木村達成さんも前田公輝さんもお二人ともがもともとその相反する魅力を強みとして持っている役者さんなんだろうと思うんですよね……そのお二人を掛け合わせたからそれがきれいに増幅している……このお二人を組ませたの、どなたですか……すごすぎる
そしてもしかしたら落合さんのピアノにも(少なくともスリルミーの音色では)それがあるとわたしは思っていて、うおおこの組み合わせのバランスすごすぎないかと興奮しました。



わたしは正直肉感的な作品は得意ではないので、事前にちょっと身構えたりするのですが、今回は想定していなかったので不意をつかれました。この不意打ちの感覚、どこかで覚えが……と考えていたのですが、思い出しました。
茨木のり子の詩集『歳月』です。

日に日に重ねてゆけば
 
薄れてゆくのではないかしら
 
それを恐れた
 
あなたのからだの記憶


茨木のり子『歳月』より 「部分」)


 
わたしは茨木のり子といえば「自分の感受性くらい」「わたしが一番きれいだったとき」のイメージだったので、昔新聞か何かでこの詩を見かけて、こんなになまめかしい作品も書かれていたのだと驚きました。
「部分」が収録された詩集『歳月』は、1975年に夫に先立たれて以降2006年に彼女が亡くなるまで、公表されることなく書きためられた、39編の詩からなる詩集です。
この詩たちも、今回のスリルミーも、思いがけず肉感的ではあったけれど不安になったりはしませんでした。密やかで「私的なこと」を誰しもが持っているのだと、それが今この作品で、この表現で大事なことであると伝わってきた気がしたからだと思います。
そうそうそれと、スリルミーを観ながら、詩集のタイトルである『歳月』というキーワードもまたこの作品に共鳴するようで、これも何かの不思議な縁だなあと思ったりしました。ああ、もしかしたら両者(スリルミーの「私」と茨木のり子)が中年期以降であるというのも、ふとこの詩を思い起こさせた一つの要因だったのかもしれません。




⚫︎ 何度も思ったこと

以下、本当はひと台詞ひと台詞について思うことを書いていきたいけどただの執念の具体化になってしまいそうなのでいくつかピックアップします。
なお、
・木村さんの54歳のお芝居がすごい
・二人とも歌が上手い
・二人ともお芝居が上手い
・二人ともとにかく上手い
・二人の声、お芝居の相性がいい
・照明〜!!!!!
このあたりは100回ずつ詠唱しました。するよね。




⚫︎ 彼

優しいんだよな………言動に比して私に対する動作はわりとソフトだなあと思う。前田さんの彼はニーチェを信奉しているというよりはニーチェに共感している、なんなら同列に立ってものを言っている感じがあって、そこにすごく若さを感じます。お芝居もそうだけど、喋り方が上手いなあと……
あと前田さんは高貴で、木村さんはノーブル。


⚫︎ 彼「火、持ってるか?」

すでに私がマッチを差し出してるシーン。
ここ!!!!!ここでわかりやすく「私は彼の行動言動全てお見通しで先回りして動くことができる」ということが提示されたので、これ以降それ前提で話を追っていけたし最後のどんでん返しもすんなり受け入れられてすごく良かった。
あとマッチに火をつけた彼がふと火に見入ってしまうのもこのあとの展開に繋がっていて良かった。契約書のシーンでタイプライターが壊れてること教えてくれるとか他にも色々、ちゃんと段階を踏んで白々しくなく情報提示してくれる物語大好き。


⚫︎ 私

「私は彼の行動言動全てお見通しで先回りして動くことができる」、上記のシーンからずっとそのつもりで見ていたので、実際私が彼に出し抜かれて驚いている表情が少なそうな感じだったのもすごかった。この歌の最後のキスも、彼のキスより先に私が振り向いてるもんね……
バードウォッチングをしているようなときは穏やかでちょっと抜けてそうな感じすらするくらいだけど、その実、私の中にずっと切れない一本の琴線みたいなのが見え隠れするような感じもして、最後にその正体が見事に明かされたのが本当に気持ちよかったです。木村さんは重力みたいに自然に誰か・何かに酔いしれるお芝居が本当に上手い。


⚫︎ 私「車で出かける?どこか」

言い方かわいいかよ


⚫︎ 炎の歌

すみませんパンフまだ読んでないのでタイトルが分かりませんが放火の時の歌です。
この歌で、最初彼しか見えてなかった私が星空や炎など「外に目をやった」のが全ての始まりという印象を受けました。ここだけじゃなくいくつかあった、私の目に光が入るところが印象的(木村さんが照明を目に映してコントロールしてるんだろうな……と思うやつ!)。二人が初めてハモる「火の粉弾けて」の段階でもう私の中で何かが走り出している。そんな私の笑顔とピアノ。彼は炎と自分に気持ちが囚われたままで……


その前の
私「あの一本のマッチが全てに火をつけたんです」
この台詞、彼が止まらなくなってしまったことも示していると思うけど、私の感情が走り出したことも示しているのではないかと思いました。


⚫︎ スリルミーの歌

この歌はダイジェストで見ていたのですが、「こんなシーンだったの!!?!」と驚きました。
状況的には、「Thrill me.」と連呼したいのはむしろ放火や窃盗ですら何も感じなくなってしまった彼の方だろうと思うのですが(彼的には「俺を興奮させろ」、みたいな)、私が言うんだ!と。木村私の「Thrill me.」は「僕を抱いて」だとわたしは解釈しました。彼の愉しみは背徳的快感、私の愉しみは性的快感、そのダブルミーニングだったのか…………と、いやこれはわたしが木村さん前田さんペアにジュブナイルで肉感的であるという印象を持ったからこそ至った解釈だと思うので、これあれですよねペアごとにたぶん違う感じですよね見ます他のペアも見ずにはいられない。
作品中では明示的には年代に言及していなかった気がしますが、元になったレオポルドとローブ事件が1924年とのことなので、おそらくまだソドミー法で同性間の性交渉は禁止されていたのではないか……?と考えると(すみません調べきれてないので不確かです)、私の「Thrill me.」の言葉の重みも増すような気がします。二人が交わした契約は互いが互いのために法を犯す、そんな契約だったんだなと。もしそうならこの時代では二重の意味で「共犯者」なんですよね……34年後、1958年でもまだ違法だと思われるので、だから私は「友情」と言ったのかなあとか……


⚫︎ 戻れない歌

後ろで人を殺める準備をしているのに讃美歌みたいに汚れなく美しい声で歌うのがもうつらい。私の「戻りたいけどもう戻れない」の気持ちが罪を犯すことに対してじゃなくて彼を陥れることに対してだよなあと、最後の瞳孔が開いたような表情を見て思う。


⚫︎ スポーツカーの歌

こんなにおどろおどろしい伴奏なのにこんなに彼の歌が爽やかで優しい感じになるのがすごい。だからこそ本当に怖い。


⚫︎ 思い直してレイの歌

めちゃくちゃ飛んだけどこの間に書きたいことがないわけじゃないんですないんですけど時間の都合で割愛します。
このプライドぐちゃぐちゃな歌を歌ってるのに一握りの高貴さが残る前田さんがすごいのよ。それで彼をそんな姿にしたのは私ですべて私の計画通りなのに私は「彼のそんな姿は見たくはなかった」から泣いているのだと今日のわたしは受け取りました。明日のわたしはまた違う解釈をする気がする。感情がぐちゃぐちゃ。すごいなあ。


⚫︎ 私「自由?……自由」

最初の腑抜けた言い方と、もう一度確かめるような言い方がすごく印象的でした。
この時、私は何を思ったんだろう。
最後の「Thrill me.」で私は何を考えていたんだろう。
もう一度私の「自由?」を見直した時、脳裡に浮かぶ詩がありました。
それはおそらく、冒頭に茨木のり子の「部分」を思い出していたから。同じ詩集『歳月』に載っていた詩です。

みんなには見えないらしいのです
 
わたくしのかたわらに あなたがいて
 
前よりも 烈しく
 
占領されてしまっているのが


茨木のり子『歳月』より 「占領」)


 
「占領」。
鳥籠から解き放たれ自由になったはずの鳥の、しかし内面は誰にもわからない。
わたしは私の「Thrill me.」を「僕を抱いて」と解釈したのですが、ここで「実際に」触れてもらうことができないということが、果たして、悲しいことなのかどうか、それは「死」とは何かをどう捉えるかにつながるのかなあと思いました。そして歳月はそれを移ろわせるかもしれない。



関係のない作品と作品がふっと繋がる瞬間が好きなわたしは、しみじみと、観劇はいいものだなあと改めて思ったのでした。




まだ噛み砕けてなくて感想が書けなかったところもたくさんあります。99年の歌とか……99年の歌、すごく好きです。歌そのものも、木村さん前田さんの表現も。


それと、実際の事件を元にしているという点で、ミュージカル『ジャック・ザ・リッパー』のアンダーソンの台詞が後半ずっと頭に響いていました。内容のネタバレになってしまうので書けませんが……
というかそれ以前に、わたしにとっては事件の内容自体が怖すぎて、彼の「あの子の両親も納得するしかなかった」というなんにもわかっちゃいない言葉にはらわたが煮え繰り返る思いでした。
と同時に、わたしだって「あの子」の物語も消費してしまっている、ということを肝に銘じなければと思いました。


木村さんと前田さんのペアは常にお互いの方を向いていていい意味でぶつかりあって火花が散るみたいにライブ感があって、あああああこれ毎公演毎公演違うんだろうなあ、いいな、最高だな、今回その中の一つを観られたんだな、と思いました。



あーーーー観劇楽しい!!
配信、本当にありがとうございました…!!



おしまい